INSTANT KARMA

We All Shine On

終りの季節

情報化社会というのは、外からの刺激を受けて、それを選り分けて即時的に反応する、ある意味では単純な人間を作る社会です。だから、体験を熟成させて、何年か何十年か経ってから出てくるような、時間と蓄積を要する技能とか技術にはなじみにくいと思います。

また情報化は未知の知識を獲得する機会を提供しますが、同時に、情報は必然的に拡散します。そして二つの情報源は相互作用によって同質化が促進されます。・・・交渉が多くなれば似てくるわけです。

中井久夫、1989年

・・・だいたい同期化するというのは、本当は危ないんですよ。人間の脳で言うと、脳の活動が同期化したらてんかん発作ですからね。人間の脳が活動できるのは、脳の活動がふだん同期化していないからなんです。

・・・脱同期化しているのが正常です。世界が情報化によって同期化するということは非常にリスクが高まることです。・・・安定した社会、暴走しない社会はある程度非同期化していなければならない。

同上

中原昌也の不在により、クソみたいな政府への身も蓋もない暴言を吐く役割を彼のような誠実な(言葉本来の意味での)文化人に押し付けてしまっていたことを実感する。

こうやってわれわれ国民はまっとうな社会批判の言葉を失っていき、気が付くと徴兵制やら預金封鎖やらで生命身体財産を<公共の福祉のために>犠牲にすることを強いられる時代がやってくる。

単純に同期化された大衆がTwitterやらSNSやらでピーピー喚いている間にも、奴らは着々と準備を進めている。

大川隆法の死は、松本清張「昭和史発掘」で描いた 「穏田の怪行者」飯野吉三郎の死を思い起こさせる。

日本はこれから、かつて経験したことのないような、陰鬱な時代に入る。それは、暗いトンネルの中をいつまでもノロノロと集団で歩かされるような、先の見えない、絶望だけが道連れのような時代である。

地球のほぼ反対側で行われている、ウクライナでの戦争を、多くの日本人はまだ他人事のように見ている。それでも何か落ち着かない静かな胸騒ぎのような感じが日常を覆っている。

昨年、東南アジアから火がついて世界中でヒットし、藤井風が昨年末の紅白で歌った「死ぬのがいいわ」という曲は、今の人類の潜在的集合意識に訴えた。この際作り手の主観的意図はどうでもいい。受け手たる聴衆は、この曲の中に来るべき死への予感を感じ取ったのである。

 

小学生の時、読書感想文の一冊に五島勉ノストラダムスの大予言を選び、それを担任がクラスで読み上げてクラス中が恐怖のどん底に落ちた、という事件があった。

なけなしのお小遣いをはたいて、大きな本屋でしか売っていなかったノストラダムス「諸世紀」(たま出版)を購入した。あの本をひとり部屋の中で開いたときのドキドキワクワクするような身震いする感覚を久しぶりに思い出した。

 

大川隆法がパクった(麻原正晃も)高橋信次の動画がYouTubeで観れる。

youtu.be

文学好きな青年との質疑応答、1:03:10~

「文学者にはなぜ変な人生を送る人が多いのか?」

この質疑応答の前に、高校一年生くらいの生徒からの質問に答える場面があるが、君は集中力が足りないとか怠け心があるなどと言って追い詰めている。この手法を麻原がパクって、相談者の心を見抜いているかのように思わせるパフォーマンスで信者を洗脳していった。

この時の子供は今どんな人生をおくっておるのだろう。