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最相葉月星新一 一〇〇一話をつくった人」読了。

小説新潮2007年11月号掲載の最相葉月新井素子の対談と、最相葉月の著書「仕事の手帳」に収録されている、星新一の評伝を書いたときのエピソードを綴った文章も併せて読んだ。

星新一と言えば中高生が一度は通る読書体験というイメージで、世代的に最相葉月より七歳ほど下の自分も御多分に漏れず、中学生くらいの頃に文庫本を数十冊買って読んでいた。今もそれは実家に置いてあるが、もう三十年以上読み返したことはない。

それでも、この本に出てくる星新一の文章の断片はどれも記憶していた。十代の頃の読書がいかに決定的に重要なものかが分かる。

星新一の父・星一のことや、SF作家になってからの話は、ぼんやりと抱いていたイメージを具体化するもので、さほど読んでいて驚きのようなものはなかった(よく調べてあるなあと感心はしたが)。

この評伝は星一の生涯から星新一(本名親一)が会社を継承してそれを手放すまでの経緯と、ショートショート1001編を達成するまでの苦闘とその後の心境という、作家以前と晩年にボリュームが割かれていて、それはそれまであまり知られていない部分でもあり貴重な内容ではあるのだが、星新一が作家として最も脂の乗っていたころの<天才的狂気>としか呼べないようなエピソード部分の描写が相対的に少ない気がした。

星新一が文学的評価を得られないことに拘っていたとか直木賞への執着など人間臭さを感じさせる部分もいいが、星新一といえばあの、筒井康隆小松左京も脱帽せざるを得なかった<ぶっ飛んだセンス>こそが最高なのであって、それは単なる<要素分解共鳴結合法>では出せない天才的な部分であり、下手をすると作品自体よりも面白かったりする。

星新一はショート・ショートを量産しすぎると「コント」になってしまう、と懸念していたという。この言葉からも、「発想の斬新さ」を追求するような、一時期のダウンタウン松本が作っていたようなコントの源流が星新一にあることが分かる。

もしかすると家族に取材して書かせてもらっていた手前、あまりに過激なジョークは割愛せざるを得なかったのだろうか(この本を読んでネットを調べているとき、妻・香代子さんは今年(2023年)の二月に89歳で亡くなったと知った)。

それでも断片的に出てくるやつもそれなりにすごくて、手塚治虫から「鉄腕アトム」の物語を書いてくれと言われたときに「アトムとウランの近親相姦もの」と即答したり、寺山修司の講演会で本人を前にタモリの方が上手い」と言ったり、平井和正新興宗教GLA)にハマってその教祖(高橋佳子)の本を出したときに出版記念パーティーで教祖のことを散々揶揄ったり、今だったら(当時でも)確実にアウトな、完全に空気を無視しまくった振る舞いを読むと、アスペルガーだったという説が出てくるのも分かる気がするし、<天皇>と呼ばれたことに別の含意を持たせたくもなる。

最相葉月星新一の遺品整理を買って出て、その中で発見した膨大な一次資料を駆使して書いている。600頁近い力作になったのもむべなるかな、である。

最後の方に、星新一がショート・ショートの未来を託した弟子・江坂遊に、「要素分解共鳴結合」を伝授する場面が出てくるのを読みながら、AIに<星新一風のショート・ショート>を書かせたら本家より面白い、などという時代がもうすぐ来てしまうのだろうか、などと思っていたら、すでに2016年の段階でこんな文章が書かれていた。

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星新一と<文学>うんぬんの話で言えば、<文学>だろうがそうでなかろうが面白くなければダメであり、本当に面白いものは作家の死後にも生き続ける、ということに尽きる気がしている。