INSTANT KARMA

We All Shine On

不自由連想

職場のPCの起動が遅くてあまりにイライラするので新機種に入れ替えた。動作は確かに速くなった気がする(というか明らかに速くなった。そうでないと困る。前の機種の倍の値段なので)が、全体的に画面の字が小さくなった気がするのと、アマゾンやら銀行やら色々なサイトのパスワードを一から入れなおさないといけないのが面倒(これは仕方がないが)。

HDDからSSDにしたのだが、移行作業してくれた人に聞いたら、確かにSSDは速いが、まだ歴史が浅いのでこれから5年10年したら思わぬ欠点が出てくるかもしれない、いったん壊れたらHDDは補修がきくがSSDは修理できない、などという話をされた。こっちはまるで知識がないので正しいのかどうかまったくわからない。SSDにしたことでPCの容量が半分くらいになった。マメにバックアップを取ってデータはどんどん外付けHDに移転していくのがよいのだろう。

気になったのが、データの移行を外付けHDを通して行ったのだが、新PCへの入力後に確認したらまだHDにデータが残っていた。もちろん目の前で消させたが、これが持ち出され悪用されたらとんでもない話である。普段から世話になっている業者なので特に何も言わず済ませたがそのへんが我ながら甘いなと思った。

 

もう半年ほど前のニュースになるが、少年法を改正する契機になった神戸連続児童殺傷事件の記録が、全て「廃棄」されていたというニュースがあった。神戸家裁によると、事件に関する文書は「一切残されていない」という。あの重大事件の記録が、永久保存となる「特別保存」にされなかった理由は不明で、最高裁は廃棄を認めつつ、経緯が不明として見解を明らかにしない。なぜ、保存する内規が存在したのに膨大な記録を捨てたのか。最高裁神戸家裁も、調査する意向を示していない。

こういうとんでもないことがやけにあっさりとスルーされる世の中だから、ガーシーがどうしたとかトランプがどうしたとか表面的に騒いでいる陰で、もっと恐るべきことが誰の目にも止まらないまま行われているのかもしれない、という考えがやがて陰謀論に発展していくのだろうなと思った。

 

渡辺明名人と藤井聡太竜王の第81期名人戦第一局が始まった。藤井が最年少で名人を奪取できるかということよりも、渡辺があの藤井に何発入れられるのか、という方向に世間の注目が集まっている、ということは渡辺も自覚しているだろう。

藤井名人が誕生し、関東関西中部の将棋会館が新しくなって将棋界が新しい時代に入ることの象徴として、いよいよ羽生善治が将棋連盟会長に就任するようだ。

今は北の国に去った娘に「人間とコンピュータはどっちが強いの」と訊かれ、「もう人間はコンピュータの相手にならない」と言うと、「だったらやる意味あんの?」と身も蓋もないセリフを吐かれて言い返せなかったのを悔やんでいる。

日本がWBCで優勝した時に石橋貴明が「野球の神様っているんだ!」と叫んだのは記憶に新しいが、将棋の神様は一体どんな「次の一手」を用意しているのだろうか。

「まったり革命」、「終わりなき日常」というフレーズは一世を風靡した。それは「内在」を生きることを言うものだった。弛緩した生き方なのではない。今日の思想を持ち出すなら、終わりなき日常をまったり生きるというのは、カンタン・メイヤスーが論じるところの世界の根本的な偶然性、根本的な「理由なし」に耐えることに当たるとも言える。この世界はたまたま、偶然的にこのように存在しているだけなのであり、究極の理由はない。いわゆる「大きな物語」の追求を、あるいは「超越」の追求を諦めるわけだが、逆説的に、内在にこそさらに高度な意味での超越があるのだ。それは、根本的な偶然性への透徹した感性を持ち、それを受動的なニヒリズムにせずに強く喜ばしく生き抜くことであり、いわば「内在的超越」である。
(千葉雅也が選ぶ「宮台真司の3冊」強く生きる弱者――宮台社会学について)

何だかんだで自分は今もモラトリアム生活を続けているということになるのだろう。今の仕事が天職とも思えないし、他にこれといってやりたいこともない。だが前職の生活は悪夢でしかなかった。だから宗教活動に逃避していた。それこそが自分の天命だと信じ切っていた。だがそれが幻想であったことに気づいた。今そこだ。それがもう十年くらい続きそうになっている。

仕事が悪夢でしなかったから宗教活動に逃避していたというより、その仕事を選んだことそれ自体が宗教活動のためだったのだ。要するに、世俗的な仕事などどうでもよかったのである。当時の自分にとっては、来たるべき千年王国の到来だけがリアルだったのであり、その到来を早めることだけが生きる意味であり目的だったのである。完全な狂信者の論理であるが当時のこの運動の主導者は、どんなカルト指導者もそうであるように、そのような生き方を奨励していた。

しかし僕は自分の世俗的な生計のための仕事を蔑ろにすることにはまったく良心の呵責を感じなかったが、自分の家族(妻や子供)を蔑ろにする気にはなれなかった。仕事というものは社会体制に従属するものであり、滅ぶべき資本主義に寄与するものでしかなかったから、それに手を抜くことはむしろ当然であった。だが自分の家族を宗教活動のために蔑ろにすることは間違っている気がした。というよりそれはできなかった。結婚して子供が生れた頃を境にして、徐々に活動から距離ができ始めたのは、それが一つの原因であった。

長男が生まれた年は、5月に入籍して、6月に義父が亡くなって、9月に長男が生まれた。同じ年に自分が翻訳した本も6月に出版された。色々あった年だった。HPを作って海外の文献を訳して載せたりしていた。掲示板を作って作家やら当時NHKのディレクターだった人などと知り合い、オフ会もやったりしたが、1、2回やっただけで終った。新宿でやったオフ会では、霊的修練を変に齧った人がシタリ顔で語るのが興ざめだった。どこかのグループに属しているHさんという人と知り合い、何度か会ったのだが、まったく人物の印象が残っていない。一度は彼と一緒に、作家の方に紹介された編集者が本を出版してもよいというので新宿のホテルのロビーに呼ばれたことがある。一見して商売女と分る女性を同伴したいかにも胡散臭い男で、有名な漫画家(名前しか知らなかった)の本を今度出すとか自慢話めいたものを聞かされ、自分だけ酒を頼み、こちらの三人はつまみのピーナッツだけを前に二時間くらい付き合わされた。気まずい時間だった。

間に立ってくれた作家の方がトイレに立ったとき、その男は「彼はああいう人だから」と揶揄的な口調で言ったが、何が「ああいう人」なのか分らないまま、調子を合わせるように頷くしかなかった。彼が世間ずれしていないということが言いたかったのかもしれない。ホテルからの帰り、Hさんに感想を聞いたら、僕と同じであの人には任せたくないとの意見だった。結局その訳書は一冊目と同じ出版社から出た。Hさんを呼んだのは、彼がその中のひとつの章を翻訳していて、それを使わせてもらったからである。長男の名前はウィリアム・ブレイクの詩から採ったのだが、長男誕生のお知らせ(お礼返し?)に使ったハガキの絵をHさんから提供してもらった気がする。結局ハガキの意味はそれを送った職場の人たちにはまったく伝わらず、「あの絵とポエムは何だったの?」と皆から尋ねられた。