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ホセ

唐突だが、私が歴史上最も尊敬する人物の一人、フィリピン独立運動の志士、ホセ・リサールについて、30年ほど前に公表する当てもなしに書いた文章が古いPCから出てきたので、成仏させるためここに転載する。

 

(以下転載はじめ)

ホセ・リサール(Jose Rizal) 1861-1896

 19世紀末のフィリピンの独立運動家ホセ・リサールについては、日本ではほとんど知られていない。彼はスペイン政府によって1896年、36歳の若さで公開処刑された。そのことでフィリピン民衆の心の中ではホセ・リサールとキリストのイメージが重ね合わせられることとなり、彼は救国の英雄としてフィリピン人の愛国心を体現する人物となった。

 フィリピン革命の志士。ルソン島のラグーナ県のカランバの中産階級の家に生まれた。

 少年時代カビテ事件(1872年)を経験し、同胞の実情に憂愁を感じた。マニラのアテネオ・ムニシパルで、ジェズイット教団僧に教育され、家に資産があったので、1882年ヨーロッパに留学し、84年マドリード大学医学博士の学位を授与された。

 つづいてフランス、ドイツに学び、87年26歳のとき社会小説「ノリ・メ・タンヘレ~われに触れるな(Nori me Tangere )」(山田美妙訳:血の涙、1893)をベルリンで公刊し、その中で、フィリピンの保守頽廃的な政治・社会組織、自由主義に対する苛烈な弾圧、および暴虐きわまる為政者の所業を鮮明に描写し、またこれに対して反発しえないフィリピン人の無気力ぶりを慨嘆した。

 87年8月帰郷し、診療所を建てて診療にあたった。しかし、彼の帰郷後まもなく「われに触れるな」に対する反響が激しくなり追放になった。88年2月香港に渡り、同月日本に渡来し4月まで滞在した。

 さらにアメリカを経由してイギリスに渡り、ロンドンの英国博物館に通ってモルガの「フィリピン誌」(1609)を熟読し、注を作ってパリに移ってから出版した。しかし、パリでの生活が高くつくので、ベルギーに引っ越してヘント(Ghent )で91年彼の第二の小説「反逆(El Filibusterismo )」を出版し、この作品の中で彼の革新思想はますます円熟し、社会・政治状態の改革は、たんに上層指導者が呼号するばかりでなく、下層も一般民衆もこれに応じて立ち上がらねばとうてい達成はおぼつかない、と主張した。

 また当時、マドリードで出版されていたフィリピン人の新聞「団結」にさかんに論説を寄稿していたが、「反逆」を刊行した後、この新聞との積極的な関係を絶って、スペイン官憲のため故郷カランバを追放され、逼迫している家族を助けようと決心して香港に渡り、そこで病院を開いた。そこで約2年間(1891~92)家族とともに幸福な生活を送った。

 92年彼は家族や友人たちの落着き先を求めてボルネオを訪れ、この島をカランバからのフィリピン移民の植民地にしようとしたが、スペイン官憲の妨害にあって立ち消えになった。92年6月、彼は家族や友人たちの意向にそむいてマニラに帰り、7月「フィリピン同盟」を結成した。彼の意図は、フィリピン人を協調提携させ、学術・技芸の向上をはかり、産業・貿易の利益を促進させること以外何もなかったが、スペイン官憲はこれをスペイン本国とフィリピンを分離させようとする陰謀を企てた疑いがあるとして、数日後捕縛してミンダナオ島のダピタンに追放した。

 彼の流刑のため、改革運動は停頓状態に陥ったが、これが機縁になって、急進的なカティプナン党が結成された。彼は4年間の流刑中、医者として、農夫として、商人として送り、また子供たちのための学校を経営したり、町のために美しい広場を設けたり、水道を作ったりした。

 96年7月、流刑生活が終わったので、キューバでのスペイン軍医を志願してマニラに到着したが、不幸にしてカティプナン党の反乱が発覚したときであった。総督は彼をスペイン本国に送り陸相あてに今回の事件と彼が無関係であることを保証する手紙をつけたのであったが、スペイン到着と同時に逮捕され、マニラに送還されて、大勢の群衆が見守る中96年12月30日銃殺された。

 ホセ・リサールによって力を与えられた民族自立の叫びは、20世紀のアジア・ナショナリズムの夜明けを示すものであった。毛沢東ホーチミンも、あるいはフィデル・カストロも皆リサールの後継者であると言えるかもしれない。リサール自身は20世紀ナショナリズムの主要なイデオロギーとなるマルクス主義思想に触れることはなかった。彼はキリスト教会に背を向けたが、無神論者ではなかった。その証拠に、ヨーロッパに留学中、自由・平等・博愛主義を掲げたフリーメーソンという秘密結社に入会している。リサールは高い教養を身につけた天才的知識人であり、医者、哲学者、小説家、詩人、人類学者、言語学者、農学者などとしてもその分野の一流の人物だった。祖国愛のために若くして殉ずることがなければ、レオナルド・ダ・ヴィンチのような万能の天才として世界の歴史に残る人物になっていたに違いない。彼の悲劇は時代に先んじすぎた先駆者の悲劇であった。

 

ホセ・リサールの小説「ノリ・メ・タンヘレ」と「エル・フィリブステリスモ」

 

 ホセ・リサールが26歳のときに出版した小説「ノリ・メ・タンヘレ(我に触れるな)」は、当時の世情にあって非常に急進的な思想小説であると同時に、ドラマティックで、ユーモアに溢れた、ロマンティックな悲劇である。

 主人公はヨーロッパで7年間勉強して帰国したクリストモ・イバルラという青年で、父はスペイン人、母は現地人という設定はまさにリサール自身の境遇を連想させる。彼にはマリア・クララという美しい許嫁がいて、小説はイバルラの帰国を祝って彼女の父親である富裕な現地人カピタン・チャゴの家で開かれる宴会の場面から始まる。

 フランシスコ会の修道士ダーマソ神父はイバルラの父を迫害し、彼を獄中で死に追いやり、その墓を暴いて遺体を異教徒の墓地に放り込んだという男で、マリア・クララを娘のように可愛がっていると同時にイバルラを徹底的に嫌っている。イバルラはまもなく父の死の真相を知り、大きなショックを受ける。ダーマソ神父の後継者であるサルビー神父は陰湿な青年で、密かにマリア・クララに思いを寄せ、イバルラに敵意を抱いている。

 現地人の小学校教師からフィリピンの教育のみじめな現状について聞かされた彼は、自ら学校を設立して教育の改革を志す。彼が学校を作る意図を老哲学者タシオに打ち明け、相談する場面はこの小説の前半の重要な部分である。タシオは知恵深い人物だが周囲の社会からは変人とみなされている。彼はイバルラに共感しながらも、彼を待ち受けるであろう社会の様々な勢力の反対と困難について述べ、思い止まるよう説得するが、イバルラの決心は変わらない。

 この小説の鍵となるもう一人の人物はエリアスという現地人で、不幸な過去を持ち、山賊たちとつながりを持っている。彼は仲間たちから反逆を勧められるが、何とか合法的な社会変革を目指し、イバルラに接触する。エリアスは彼に、スペイン政府に社会組織の改革を訴えるよう懇願するが、イバルラはそれを拒否する。

 ある日、革命の企てが起こり、その首謀者としてイバルラの名前が挙がる。彼は一夜にして忌むべき社会の敵となり、犯罪者として獄中の人となる。イバルラの容疑を決定付けたのは、彼がマリア・クララに宛てた一通の手紙であった。

 エリアスはイバルラに、彼を陥れる陰謀があることをあらかじめ警告していた。やがて彼はイバルラが自分の家族を悲劇に陥れる原因となった人物の子孫であることを知るが、エリアスは一度命を救ってもらった恩義から、獄中のイバルラを脱出させる。エリアスに救出されたイバルラは、新しい婚約者との結婚を目前に控えたマリア・クララに別れを告げにいく。彼の疑惑を決定づける手紙を当局に渡したマリアに最後の許しを与えようとするイバルラに対して、マリアは彼女の知った衝撃的な秘密を打ち明ける。

 彼女の真の父親はカピタン・チャゴではなく、ダーマソ神父であった。また、マリアを生んですぐに死んだ母親がマリアの出生の秘密について書いた手紙と引換えに、イバルラの手紙を渡せとマリアに迫ったのはサルビー神父だった。ダーマソ神父とカピタン・チャゴ、そしてイバルラを傷つけることはできないと考えたマリアは苦悩あまり病床の人となり、育ての親であるカピタン・チャゴの名誉のために、泣く泣く新しい婚約者との結婚を承知したのであった。

 彼女に別れを告げたイバルラは、今からは社会の癌に立ち向かう反逆者として生きる決意をエリアスに打ち明ける。エリアスは彼の決意を評価しつつも、決して無益な流血を招かぬよう忠告する。やがて二人の乗る舟は追手に見つかり、エリアスは追手をまくためにイバルラを残して川に飛び込む。

 物語は疲れ切った男が自分の死体を燃やしてくれと一人の少年に頼み、息を引き取る所で終わる。マリア・クララは修道院に入って尼になるが、そこでサルビー神父の迫害を受けていることが最後に暗示されている。

 この物語は単なるイバルラという個人の悲劇ではなく、フィリピンという民族の背負う苦難と、スペイン植民地支配の悪を象徴する修道会の姿をリアルに描き出している。

 小説の中でフィリピン人の悲劇を一身に体現していると言えるのがシータという女性である。彼女の夫は賭博に明け暮れ、ろくに家にも帰らず、二人の子供は教会で働いて小遣いを稼いでいる。ある日子供たちは盗みの疑いをかけられ、司祭の弟子たちにリンチされる。子供が帰って来ないことを心配して教会に行ったシータには冷笑が浴びせられ、自衛隊に捕らえられて町中を引きずり回される。子供たちが責め殺されたらしいと知ったシータはついに発狂する。

 シータの息子バシリョは、リンチから逃れて山の中に入り、ある老人に拾われて暮らしていた。クリスマス・イブの日、母親に会おうと街に出かけたバシリョは、訳のわからぬことを言いながらさまよい歩いているシータを見つける。バシリョが声をかけようとするとシータは逃げだした。やっと追いついた時、彼はシータの腕の中で気を失った。彼女の脳細胞の最後のきらめきでバシリョを認めたシータは、そのまま死んでしまう。やがて目覚め、母親の死体の前で泣き崩れるバシリョの前に謎の男が現れて前述の願いを告げたのであった。

 このような悲惨な物語であるにもかかわらず、「ノリ」にはまだ全体として詩的な叙情性が漂っている。人物描写の細部に溢れるユーモアも読者を思わず微笑ませる。物語を肉づけし豊かにする小さなエピソードや脇役にもこと欠かない。イバルラとマリア・クララの若い恋人どうしの思いについて語るときの詩的な繊細さや、サルビー神父の暗い激情を語るときの描写の迫真性は老練な大作家の筆を思わせる見事さである。

 「ノリ」の約4年後に出版された「エル・フィリブステリスモ(反逆・暴力・革命)」は、「ノリ」には見られなかったある種の暗さ、深刻さがある。物語自体は「ノリ」の続編で、主人公の宝石商シモウンは「ノリ」の主人公クリストモ・イバルラの13年後の姿である。13年前、理想と希望を胸に抱いてヨーロッパからフィリピンに帰ってきた青年クリストモ・イバルラは、今や悪徳と憎悪を促進することによって腐敗した社会の破滅を早めようと企む非情なテロリスト、シモウンに変身した。

 彼はエリアスの最後を見とった後、隠してあった財産を元手にして商売を始め、キューバに渡って悪徳と裏切りによって莫大な富を築いた。やがてフィリピン総督となるある有力者の弱みを握ったことから、彼を操ることで社会に強い影響を与えることができるようになった。

 シモウンの目指すものは富でも地位でも名誉でもなく、フィリピンをスペインの奴隷の地位から解放し、悪しき支配者たちを破滅させることである。彼はその目的のために、支配層の堕落を促進させ、スペイン植民地政府を内部から崩壊させることを企て、同時に現地人の反逆者たちを組織して暴力革命を画策している。また、彼の最大の目的は、修道院でサルビー神父に迫害されているマリア・クララを救い出すことである。

 「ノリ」の最後に登場した少年バシリョはあの後カピタン・チャゴの養子になり、今や将来を嘱望される医学生となった。バシリョは、彼の母の墓(それはエリアスの墓でもある)の前に佇むシモウンの姿を見て、それがクリストモ・イバルラであることを知る。イバルラもバシリョにだけは彼の本心を明かし、彼の計画した反乱の企てに協力するよう要請する。

 フィリピンの有力者が一同に会する大パーティーを催し、その席で蝋燭につないだダイナマイトを爆発させるというのがシモウン(イバルラ)の計画であった。その混乱に乗じて彼の組織した反乱軍を蜂起させ、一気に権力奪取を狙おうと言うのである。

 しかし、シモウンは権力を奪った後の社会的改革についての明確なビジョンは持っていない。彼の動機の根本は社会への憎悪であり、権力者たちへの復讐心である。従って彼は革命家というよりは破滅的テロリストと呼ぶにふさわしい。

 計画実行の数日前にシモウンはバシリョから、マリア・クララが修道院の中で死んだことを知らされ、打ちのめされる。そして反乱計画も結局バシリョの友人が寸前の所で挫折させた。完全な敗北者となったシモウンは疲れ切って・・・

 シモウンの最後の独白はまるでドストエフスキー「悪霊」のスタヴローギンの告白を読んでいるようであり、ヒトラーの出現を予言するかのようなトーンを帯びている(この小説が書かれたのは1891年である)。しかしホセ・リサールは小説の中でこの悪魔的な思想を完全に乗り越えている。彼の言葉はシモウンの最後を看取った老人の次の言葉に要約されていると言ってもよいだろう。

「…わしは、わが国の自由が、剣によって戦いとられねばならぬといっているのではない。近代の歴史では、剣はたいした役をするものではありません。そうではなくて、われら自身が自由にふさわしいものとなることによって、それを戦い取らなければならないということです。つまり個人の理性と自尊心とを高め、正義・善・偉大なるものを、そのためには死んでもいいと思うほど愛することです。そして人民がこの高さまで達したときには、神はかれらに武器を与え、かくて偶像は倒れ、暴君どもは紙の家のように倒壊し、あけぼのとともに自由が輝きわたるでしょう…

今日の奴隷が明日は暴君になるということなら、独立になんの価値があるでしょうか? そして、そうなることは、火を見るよりも明らかなことです! なぜなら、暴君政治に屈従する者は、暴君政治を好んでいる者なのですから。シモウンさん、わが国民に準備ができていないうちは、まただまされたにせよ強制されたにせよ、自分のしなければならないことに対して、はっきりした意識も持たずに戦争に行くうちは、どんなによく考えた企てでも失敗します。そして失敗した方がいいのです。というのは、新しい妻を十分に愛していない夫に、彼女のために死ぬ覚悟のできていない夫に、誰が娘をやるでしょうか?

祖国の幸福のために、青春の時をも夢をも情熱をも捧げようとする若い者はどこにいるのか? このように多くの恥辱と罪悪と醜行とを洗い清めるために、おしみなく自らの高潔な血を流そうとする青年は、どこにいるのか? いけにえが受け入れられるためには、その犠牲が純潔で、けがれのないものでなければならぬ! おまえたちは、どこにいるのか? われわれの血管からはもう出てしまった生命の力と、われわれの頭脳ではもう汚点のついてしまった思想の純潔と、われわれの心臓ではもう消えてしまった情熱の火とを、血と肉として持っている若者たちよ…われわれはおまえたちを待っているのだ、おお、若者たちよ、あらわれよ、われわれは待っているのだ!」

 ホセ・リサールは自らの生命をフィリピンの未来に捧げた。リサールを抜きにしてその後のフィリピンの歴史を語ることはできない。フィリピンは彼の死後独立革命に立ち上がり、強圧的なスペインの支配から独立し、アメリカのより寛容な統治の下に入った。

 同様に19世紀の末にスペインからアメリカの統治下に入ったキューバの歴史をフィリピンのそれと比較してみるのは興味深い。キューバでホセ・リサールに相当する人物であるホセ・マルティは、キューバ革命における最大のシンボルとして今も不滅の栄光を担っている。中国の孫文も同じような立場にある。彼らは民族にとっての神聖な記憶であり、歴史的に崇高な位置を占めている。・・・

(転載終わり)

 

リサールの二つの長編小説、「ノリ・メ・タンヘレ」と「エル・フィリブステリスモ」は、誇張でもなんでもなく、ドストエフスキーに匹敵する作品だと思っている。

こんな凄い小説を二十代の若者が書いたというのは信じられない。

リサールは、職業的小説家ではなく、医師であり、哲学者であり、言語学者(二十二か国語を操ったという)であり、芸術家(画家、彫刻家)であり、処刑される前に遺した、すべてのフィリピン人が暗唱できるはずの「別れのあいさつ」という不滅の作品からも分かる通り最高の詩人でもあった。

近代のレオナルド・ダ・ヴィンチと呼ぶべき万能の天才であり、その生き方は人類のために身代わりとなって殺されたキリストに比すべきものであった。

 

そんなリサールは、1888年2月28日から4月13日まで日本に滞在した。

滞在中に、臼井勢以子(おせいさん)という23歳の女性と知り合っている。

その詳細は、「日本におけるリサール」(アポロン社、1961)に描かれており、国会図書館デジタルコレクションで読める。

お互いに惹かれ合った二人だが、リサールはいつまでも日本に留まっているわけにはいかなかった。彼は使命のために去らねばならなかった。侍の娘であるおせいさんもそのことを承知していた(彼女の唯一の兄は彰義隊に加わって上野で戦死している)。

もしリサールが日本にとどまっておせいさんと結婚し、日本人の間に医者を開業し、帰化して生活する気があれば、幸福で満足な日がおくれたのだ。もし彼が個人的利益のみを考え、自分の道をあゆむ人間だったら、たしかにそうしたであろう。だがそうした暁、リサールとおせいさんは、果たして行く末長く幸福を見出したであろうか。その使命をなげうち、同胞の苦悩に目を閉じ、自分個人の幸福を祖国の安危の上において平然たることが、はたしてリサールにできようか。

「日本におけるリサール」セザール・ザイデ・ラヌーサ, グレゴリオ・F.ザイデ 著, 木村毅

おせいさんに別れを告げた後、日本における最後の夜、リサールは日記にこう記した。

日本は私を魅了してしまった。

美しい風景と、花と樹木と、そして平和で勇敢で愛嬌ある国民よ!

おせいさん  さようなら   さようなら

おせいさんよ、僕はあなたに青春の思い出の最後の一章を捧げます。

どんな女性も、あなたのように僕を愛してくれた者はいない。

どんな女性も、あなたのように純真で献身的な者はいない。

枝から葉をもがれても、生き生きとして萎えない丁子の花のようです。

日本は本当に私を喜ばした。美しき風景と、花と、樹木と、そして平和で、丁寧で、こころよき住民とおせいさん、さようなら。あの目黒の寺のひと時のような神々しい午後を私はまた経験することがあるでしょうか。

思えば私はこの生活をあとにして、

不安と未知に向かって旅立とうとしているのだ。

この日本で、私にたやすく

愛と尊敬の生活が出来る道が申しだされているのに。

私の青春の思い出の最後の一章をあなたにささげます。

どんな女性も、あなたのように私を愛してはくれなかった。

どの女性も、あなたのように献身的ではなかった。

もうやめよう。みんなおしまいになってしまった。

さようなら、さようなら――

リサールがスケッチしたおせい

 

勢以子はその後、日本でリサール処刑の報を知った後、三十歳でイギリス人の化学教授と結婚し、一人の女の子をもうけた。彼女(ユリコ・チャールストン)は日本の貴族院議員の子息と結婚し、のちに外交官となった息子を生んだ。

1947年5月1日、八十歳で息を引き取ったが、晩年に至る彼女の趣味は、切手蒐集だったという。彼女が珍重したフィリピンの切手には、国民的英雄たるリサールの肖像が印刷されていた。

リサールの処刑寸前の様子

MI ULTIMO ADIOS
わが最後の別れ

 

Adiós, Patria adorada, región del sol querida,
さようなら愛する祖国、懐かしい太陽の地よ、


Perla del Mar de oriente, ¡nuestro perdido Edén!
東洋の真珠、今は無き我が楽園よ!


A darte voy alegre la triste mustia vida,
喜んで君に捧げよう、貧しきやつれたこの命を、


Y fuera más brillante, más fresca, más florida,
たとえ輝きに満ちていて、一生清らかで花咲くような私であったとしても、


También por ti la diera, la diera por tu bien.
やはり、君の為にこの命を捧げよう、君の幸せの為に、この身を捧げよう。

 

En campos de batalla, luchando con delirio
戦場では、人々が激しく戦っている、

 

Otros te dan sus vidas sin dudas, sin pesar;
信じて惜しまず、君に命を捧げている、

 

El sitio nada importa, ciprés, laurel o lirio,
何処でもいい、糸杉、月桂樹、又は虹彩


Cadalso o campo abierto, combate o cruel martirio,
処刑台とか広々とした野原や、戦闘とか悲惨な殉死、


Lo mismo es si lo piden la Patria y el hogar.
どれも同じだ、祖国と同胞が望むのなら。

 

Yo muero cuando veo que el cielo se colora
黒いとばりのあと、空が明け初めて、

 

Y al fin anuncia el día, tras lóbrego capuz;
ついに日の出を告げるときに、私は死ぬのだ、

 

Si grana necesitas para teñir tu aurora,
もし、曙を染めるのに紅が要るのなら、


Vierte la sangre mía, derrámala en buen hora
私の血で染めよう、頃良いときにまき散らし、


Y dórela un reflejo de su naciente luz.
差し昇る君の光で金色に照らして欲しい。

 

Mis sueños cuando apenas muchacho adolescente,
一途な少年の頃の、私の夢、


Mis sueños cuando joven ya lleno de vigor,
すでにたくましい青年になった頃の、私の夢、


Fueron el verte un día, joya del Mar de oriente,
それは、いつの日か、東海の宝石よ、


Secos los negros ojos, alta la tersa frente,
黒い瞳に涙はなく、つややかな額は広く、


Sin ceño, sin arrugas, sin manchas de rubor.
顔には、不機嫌な表情は無く、きずやしわも無かった。

 

Ensueño de mi vida, mi ardiente vivo anhelo,
我が生涯の夢、今も燃え立つような私のあこがれ、


¡Salud! te grita el alma que pronto va a partir;
乾杯、私の魂が君に叫ぶ、もうすぐ出発だ、


¡Salud! ah, que es hermoso caer por darte vuelo,
乾杯!ああ何と素晴らしいことか、君に翼を預けて倒れるとは、


Morir por darte vida, morir bajo tu cielo,
君の空の下で死ぬために、君に身を託してゆく、


Y en tu encantada tierra la Eternidad dormir.
そして君の麗しの大地でとこしえに眠ります。

 

Si sobre mi sepulcro vieres brotar un día
いつの日か、私の墓に茂る草むらに、


Entre la espesa yerba sencilla, humilde flor,
ひっそり咲く花を見つけたら、


Acércala a tus labios y besa al alma mía,
君の唇を寄せて、私の魂に口づけしてくれ、


Y sienta yo en mi frente, bajo la tumba fría,
そして、冷えた墓の下で、わたしは額に感じるのだ、


De tu ternura el soplo, de tu hálito el calor.
君の愛情の息吹、君の吐息の温もりを。

 

Deja a la luna verme con luz tranquila y suave,
月には、穏やかな柔らかい光で私を照らしてもらおう、

 

Deja que el alba envíe su resplandor fugaz,
朝日は、そのひとときの輝きを映してくれ、


Deja gemir al viento con su murmullo grave,
風には、重々しく低い声で唸ってもらおう、


Y si desciende y posa sobre mi cruz un ave,
そして、一羽の鳥が舞い降りて、私の十字架にとまったら、


Deja que el ave entone su cántico de paz.
鳥には平和の歌を歌ってもらおう。

 

 

Deja que el sol, ardiendo, las lluvias evapore
残った太陽は燃え、雨は消え去り、


Y al cielo tomen puras, con mi clamor en pos;
そして、澄み渡った空に、私の叫び声を捜してくれ。


Deja que un ser amigo mi fin temprano llore
友は、私の早い死に、涙を流してくれ、


Y en las serenas tardes, cuando por mí alguien ore
そして、穏やかな午後に、私のために誰かが祈ることがあれば、


Ora también, ¡oh, Patria, por mi descanso a Dios!
祖国よ、私の神への休息のために君も祈ってほしい!

 

 

Ora por todos cuantos murieron sin ventura,
幸せ無くして死んだ人々のために祈ってくれ、


Por cuantos padecieron tormentos sin igual,
不当な拷問でどれほど苦しんだことか、


Por nuestras pobres madres, que gimen su amargura;
悲運に泣いた貧しい母のために、


Por huérfanos y viudas, por presos en tortura
拷問に苦しんだ囚人たちのため、孤児や未亡人のために、


Y ora por ti, que veas tu redención final.
そして君自身のために、祖国に解放が訪れるよう祈ります。

 

 

Y cuando, en noche oscura, se envuelva el cementerio
そして、夜のとばりが墓場をつつむ時、


Y solos sólo muertos queden velando allí,
ただ死者だけがあたりを見守るようなときには、


No turbes su reposo, no turbes el misterio,
その安らぎを乱さないでほしい、その神秘をあばかないでほしい、


Tal vez acordes oigas de cítara o salterio,
竪琴の調べが聞こえてきたら、おそらく、


Soy yo, querida Patria, yo que te canto a ti.
それが私だ、愛する祖国よ、私が君に歌っているんだ。

 

 

Y cuando ya mi tumba de todos olvidada
そして、私の墓が忘れられたとき、


No tenga cruz ni piedra que marquen su lugar,
その跡を示す、十字架や石が消え去れば、


Deja que la are el hombre, la esparza con la azada,
男に耕させて、すきでそれを散らしてくれ、


Y mis cenizas, antes que vuelvan a la nada,
そして、私の灰は無に帰るのではなく、


El polvo de tu alfombra que vayan a formar.
君の大地を敷きつめる粉となるのだから。

 

 

Entonces nada importa me pongas en olvido.
そうしてくれたら、忘れられても構わない。


Tu atmósfera, tu espacio, tus valles cruzaré.
私は君の大気、君の空間、君の谷間に漂う、


Vibrante y limpia nota seré para tu oído,
そして私は君の耳に響き渡る清らかな調べに、


Aroma, luz, colores, rumor, canto, gemido
香り、光、色、さやめき、さえずり、うなり、


Constante repitiendo la esencia de mi fe.
私の信じることを繰り返しながら。

 

 

Mi Patria idolatrada, dolor de mis dolores,
私が愛した祖国よ、私の悩みの中の悩み、


Querida Filipinas, oye el postrer adiós.
親愛なるフィリピン、最後の別れを聞いてほしい。


Ahí te dejo todo, mis padres, mis amores.
私はあなたにすべてを託そう、私の両親、私の愛する人々も。


Voy donde no hay esclavos, verdugos ni opresores;
私は行くのだ、奴隷も刑吏も抑圧者もないところへ、


Donde la fe no mata, donde el que reina es Dios.
信頼が人を殺さぬところへ、治めるものが神であるところへ。

 

 

Adiós, padres y hermanos, trozos del alma mía,
さようなら、父母、兄弟たち、私の魂の破片、


Amigos de la infancia, en el perdido hogar;
今は過ぎ去った、家で遊んだ幼友達、


Dad gracias que descanso del fatigoso día;
苦しみの日々を離れ、休息することに感謝します。


Adiós, dulce extranjera, mi amiga, mi alegría,
さようなら、いとしい外国の地、私の友人、私の幸せ、


Adiós, queridos seres morir es descansar.
さようなら、親愛なる人たち、死は休息なのだよ。