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戦争責任

昨日の話が中途半端だったので、もう少し書いてみるが、たぶんこれも中途半端になるだろうなと書く前から思っている。

 

吉本隆明高村光太郎ノート」「文学者の戦争責任」所収)の中で、高村光太郎という「おそらく、日本における近代的自我のもっともすぐれた典型」のような人物が、なぜ戦時中にあっさりと軍国主義に迎合してしまったのかという問題を追及している。

これはひとり高村だけの問題ではなく、真珠湾攻撃の報に際して「十二月八日」のような小説を書いた太宰治や、「偉い奴はたんと反省すればいいじゃないか」と戦後に開き直った小林秀雄のような、日本の進歩的知識人と呼ばれる階層の人々、さらには日本国民全体にとっての問題でもあった。

もっと言えば、今「戦前」を生きる我々ひとりひとりにとっての問題でもある。

なぜ、日本でだけ、内部世界を確立し、保ち続けるために至難の持続力が必要とされるのであろうか。そして、戦争期に、近代的自我も、人道主義も、共産主義も、もろにくずれていったのは、なぜであろうか。

高村の崩壊の過程に、ひとつの暗示がある。

吉本は有名な「転向論」の中で、戦争期に獄中にあって「転向」しなかった日本共産党の幹部や、特高に虐殺された共産党活動家の作家・小林多喜二らについて、「彼らは転向しなかったのではなく、現実を見ないで自分たちの観念に閉じこもっていただけだ」と批判している。

その言葉の真実性は、戦後80年近くたって、いわゆる<左翼的>な進歩主義的勢力が政治的に完全に無力化した現在においてはっきりと実証されたと言ってよいだろう。

現実のおおきな圧力、おそろしさを正面からうけとめただしく克服しえたものは、内部を現実のうごきとはげしく相渉らせ、たたかわせながら、時代の動向を凝視して離さなかった、そういう至難の持続力をもつものだけであった。

そして日本では、高村光太郎のような人間でさえそのような至難の持続力を持ち得なかったのである。なぜなのか。

吉本の出した結論はこうだ。

それは、近代日本における自我は、内部にかならず両面性をもたざるをえない、ということである。それは一面では近代意識の積極面である主体性、自律性をうけつぐとともに、近代のタイハイ面、ランジュク性をもよぎなくうけつがざるをえない。他面、かならず、自己省察と内部的検討のおよばない空白の部分を、生活意識としてのこしておかなければ、日本の社会では、社会生活をいとなむことができないのだ。

それゆえ、動乱期の現実のはげしい力は、この内部の両面性にくさびをうちこむとともに、現実が要求する倫理性は、近代のタイハイ面を否定するようにはたらき、同時に、生活意識としてのこされた内部の空白の部分は、日本的な庶民の生活倫理から侵されざるをえなくなる。いわば、内部が、思想的な側面と、生活意識の側面から挟撃されるというのが、動乱期の日本的自我につきまとう宿命に外ならなかった。

吉本の表現は例によって難解だが、かれがここで言わんとしていたことは、夏目漱石が明治に現代日本の開化は皮相うわすべりの開化である」と指摘したときに言わんとしていたこととさほど違わないと考える。

吉本のいう「生活意識」とは「庶民意識=前近代的、封建的意識」のことであり、日本社会に厳然として存在するその意識は、動乱期において必然的に「近代的自我」を侵食し凌駕する。この流れにあらがうことのできるほどの「至難の持続力」を持つ人間は日本にはほとんどいない。かつてもいなかったし、いまもそうだ。

この観点からみたとき、松本人志という人物は、動乱期にあって自我を侵食する「生活意識」の側に立つ存在であり、大衆の持つ危険性を体現していると思わざるを得ない。

保守反動という意味ではビートたけしも同じだが、松本の方がラジカルである。

ここで自分は、松本人志という個人を批判しているのではなく、彼が体現しているひとつのパワーの性質を論じているのである。

言うまでもなく、自我を「挟撃する」もう一方の「現実が要求する倫理性」とは、象徴的にはSNS上に見られる「正論派」のパワーであり、この二つの力が相まって現実世界に生きる個人の内部世界を侵食し、動乱期において独立した自我を保ち続けることを至難なものにしている。

われわれは、事後にではなく、事前に「文学者の戦争責任」を論じることのできる歴史的立場にいる。動乱期にあって自我があっさりと自己尊厳を放棄して崩壊し生活意識に屈服してしまう様子を手に取るように観察することができる立場にある。