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がんばれ元気

この漫画、家に全巻置いてあって、1年に1回くらい衝動的に読みたくなる。

 

そして読むと必ず号泣する。漫画を読んで声をあげて泣くなんて、他の作品では考えられない。

 

でも、この漫画は、どうしても涙腺を崩壊させずには読めない。

 

それは、この漫画を読みたくなる時というのは、すでに心が「泣きたい」モードに入っているからかもしれない。

 

『がんばれ元気』の物語は、あざとい。否、正確に言えば、あざとすぎるまでに登場人物がみな「潔い」のだ。

 

悪人が一人もいない。最初は性格の悪い悪役っぽく見えた人も、結局は「いい人」になる。

 

堀口元気は、その常人離れした純粋さとひたむきさの炎によって、登場人物をいわば「浄化」していく。

 

登場時には憎たらしかった関拳児、最初は性格がひねくれていた火山尊、傾奇者だった海道卓、これらのライバルたちは、元気との戦いを通じて、ものすごい高潔でストイックなキャラクターへと変貌する。

 

浄化されすぎて、「聖別」のレベルにまで達して死んでしまう人もいる。

 

堀口元気の父ちゃんであり、元気のモチベーションの最大の源であるシャーク堀口。

 

ボクシングの師であり、芦川先生の恋人であり、後には関拳児の恋敵であったことも判明する三島栄司。

 

拳児戦でシャーク堀口のセコンドを務め、後に元気が入門する永野ジムの会長。

(まあこの人は天寿をまっとうしたといえるが)

 

そして何より、堀口元気の生みの母親である堀口(田沼)美奈子。

 

元気は、これらの人々(死者たち)の想いを背負いながら戦い続ける。

 

元気を生んですぐに亡くなった母美奈子の実家は、地元のすごい資産家で、美奈子の両親(元気の祖父母)は、大事な一人娘をかどわかし、奪っていった、ろくでもない貧乏青年である元気の父親(堀口秀樹、シャーク堀口)を忌み嫌っている。

 

祖父母にとっては、秀樹のせいで、何一つ不自由なく幸せに育った美奈子は、貧乏生活を強いられ、病弱な体に無理がたたって、元気を残して若くして死んでしまったのだ、という思いがある。

 

だからこそ、美奈子の唯一の子供である元気のことが可愛くて仕方がない。

シャーク堀口が亡くなった後は、祖父母が元気を引き取って育てることになる。

 

しかし、元気は父親の思い出であるボクシンググローブを隠し持って、密かにトレーニングに励んでいた・・・

 

これを続けていくと、全巻のストーリーを述べることになってしまうのでやめるが、本来であれば、元気の祖父母(田沼樹三郎と田沼愛子)は、父親の敵対者として、元気の憎悪の対象となってよいはずのキャラクターである。

 

しかし、元気は、祖父母の気持ちを傷つけることを良しとせず、彼らを喜ばせるために、彼らの望み通り精一杯振る舞う。だが、ボクシングという一点においてだけは、妥協することができない。そしてそのボクシングこそ、祖父母の最大の憎悪の対象なのである。

 

高校受験を前にした元気が、ボクシングへの想いを留めることができず、プロになるために上京する場面までの葛藤を描く部分は、前半のストーリーの一つの山場である。

 

祖父、樹三郎は、高校受験を終えた元気を祝う宴の最中、自分が若いころ馬賊に憧れたという話をおもむろに始める。

 

そして、「元気、行って来い」と一言言い残し、二人は寝室へと去っていく。

 

その晩、元気は一人で上京の途につく。泣きながら(ここで読者も号泣)。

 

 

 

同じようなシーンが、物語の最終盤にも出てくる。

 

元気の最終目標であった関拳児との戦いを終え、永野ジムの会長(死んだ会長の息子)と二人でタクシーに乗っているとき、会長は元気に、「もうお前は目標を達したのだから、引退して故郷に帰れ」と言い含めるのである。

 

彼はボクシングを金儲けの手段として割り切り、元気のことも稼ぎ頭のチャンピオンとしか見ていないような男だったから(少なくともそんな設定の描写がされていた)から、これは彼のキャラクターからすれば、ありえない発言である。

 

タクシーを降りた元気は、「会長、ありがとうございます!」と頭を下げる。泣きながら(ここで読者も号泣)。

 

 

元気はそこから、祖父母に電話し、故郷に帰って、「田沼」元気になり、高校にも入学し直すことを告げる。

 

物語は、元気が帰ってくるのを泣きながら寝室で待つ祖父母の姿で終わる。

 

 

これらのエピソードからもわかるように、元気は、その人間の通常の人格からは考えられない、真逆の発言(そして最良の性質)を引き出す才能を持っている。それは端的に言えば彼の人徳のなせるわざであろう。彼らは元気のひたむきさ、真摯さに心を動かされたのである。

 

 

しかし、元気によって傷つけられ、あるいは人生のコースを狂わされた人々もいる。

 

元気がボクシングで倒した相手はもちろんそうだ。最もドラマチックなのは火山尊だが、長くなるので割愛する。

 

同級生の石田とも子は、学生の元気に一目ぼれし、果敢にアタックを試みるが、ボクシングしか見えない元気の心をとらえきれず、ついには元気を追って上京し、アイドル歌手にまでなる。

そんなにまでしても、ということまでするが、元気の気持ちを自分のものにはできなかった。彼女はアイドル歌手の座を放棄し、都内のバーやスナックで演奏活動して食いつないでいる。

 

元気のトレーナーとして一心同体に上り詰めてきた露木は、かつての教え子をパンチドランカー(廃人)にした心の負い目から、同じ運命を辿る海道卓とともに姿を消す。おそらく海道と二人きりで人目につかない場所でひっそりと生きているのだろう。

 

そして、シャーク堀口に次いで、元気のボクシング人生に大きな影響を与えた三島栄司は、過度の飲酒と不摂生の無理が祟って早死にする。三島にとって元気は、自分が叶えられなかった夢を受け継ぐ若者であり、シャーク堀口が父親であるように、元気にとっての肉親以上の兄貴でもあった。

 

三島栄司が田舎のボクシングジムで傷害事件を起こして服役し、出所してから、文字通り心血を注いで元気のトレーニングに命を削る様は、物語全編を通して最も感動的な部分である。

 

三島は、自分が芦川先生を幸せにできない男であるとの自覚から(彼の背中には一面の刺青が彫られている)、わざと不摂生な生活を送り、死に急いでいたのだが、元気の姿を見て心を動かされ、死ぬまでに元気を一流のボクサーに育て上げようと、尋常ではないほど肉体を酷使したのである。

 

三島と元気の最後のスパーリングの描写は、最大の号泣ポイントの一つである。

(「強くなったぞ・・・堀口・・・・・これで・・・・サヨナラだ・・・・・」)

 

 

三島栄司を兄とすれば、芦川先生は元気にとって姉のような存在だった。

 

原作漫画では、芦川先生は小学校を教師を辞めてからも最後まで「芦川先生」であり、下の名前が明かされることはなかった(アニメでは芦川悠子という名前になっている)。

 

芦川先生は、登場した当初は、元気に理解を示す「いい先生」でしかなかったのだが、実はこの物語のすべてを支配するほどの重要キャラであることが明らかになっていく。

 

元気にとって、当初の芦川先生の印象は、「母ちゃんに似ている」というものだった。

それが、三島栄司の恋人とわかり、元気を見守る姉のような存在となる。

そして、三島が死に、元気がプロボクサーになると、元気を追うように上京し、次第に元気との距離感が微妙なものになっていく。

 

芦川先生は、元気にとって、母であり姉であり教師であり恋人であり、女性原理のあらゆる要素を兼ね備えた存在である。芦川先生の存在は元気が成長するにつれて彼の中でどんどん大きくなっていく。

 

その芦川先生は、実は関拳児にとっても最愛の女性だったということが物語の終盤、元気と関の対戦が決まる直前になって明らかにされる。

 

このあたりのいきさつは詳しく語られていないが、アマチュア・ボクサー時代に三島と付き合っていた芦川先生に関拳児が一目ぼれし、芦川先生が三島の恋人と分かった関が、三島を徹底的に叩きのめし、プロボクサーとして再起不能なまでに追い込んでしまった。

 

関は、ボクシングを引退した三島が芦川先生と幸せに暮らしているものだと思い込んでいたが、それ以来、彼女の誕生日を一人で祝うほど芦川先生を想い続けていた(ものすごい執着心)。

 

ところが、海道戦を終えて入院している元気を見舞いに行ったときに、元気の病室で芦川先生とばったり出くわし、元気から、三島がすでに故人であること、元気は三島からボクシングを学んだことを聞いて、愕然とする。

 

それから関は芦川先生に猛アタックをかける。住所や電話番号を調べ、車でデートに誘い、元気との試合の前にプロポーズするとまで言う。

 

そのことを知った元気は・・・

 

というわけで、物語は最後の最後に、女を巡る男同士のバトルという様相さえ見せ始める。

 

 

とまあ、こんな重たいドラマ(これ以外にも無数のエピソードが関係する)を背負いながら、クライマックスの元気VS関の試合に至るわけだが、ここまでの積み重ねや盛り上げ方が異常なほど半端なく緻密なものであるため、この試合の描写は号泣せずに読むことが不可能な仕掛けになっている。

 

元気と関の壮絶な打ち合いの描写と並行して描写される回想シーン。

 

 

三島さんを囲んだ地元のボクシングジムの風景。

 

 

父ちゃんと幼い元気のトレーニングシーン。

 

 

美奈子がベッドに横になりながらお腹の中の元気に語りかける想い。

 

 

 

こんなのが涙なくして読めるわけないだろ!

 

反則だ反則だ! ずるい。あざとい。でも泣く。無理。声をあげて号泣。

 

 

足を止めて打ち合う二人のあまりにも壮絶で、崇高ささえ感じさせる戦いに、実況アナは落涙し、観客はスタンディングオベーション状態となる。

 

ありえない。でもこの試合だから許される!

 

 

第12ラウンド、関拳児は、倒されても倒されても立ち上がる堀口元気の中に、シャーク堀口の姿と、三島栄司の姿と、少年のときの元気の姿を認める。

 

そして関は、「来いよ」と元気を手招きする仕草を見せる。

 

何度も封じられたアッパーストレートが、避けきれなかった関拳児の顎にとうとうクリーンヒットし、関はマットに沈む。

 

アッパーストレートは、シャーク堀口との試合の前に、父を馬鹿にされた元気が関の顎に見舞ったパンチでもあった。

 

 

作者の小山ゆうによれば、元気と関の試合の最後のシーンは連載開始時には決めていたという。

 

「シャーク堀口との一戦と、お前との一戦が、俺にとって最高の戦いだった」と、関が堀口に抱きかかえられながら告げるシーンのことだろう。

 

 

連載中は、「あしたのジョー」みたいに元気も死ぬんじゃないか、とか憶測が飛び交っていたようだが、結局はこれしかない大団円を迎えた。文句のつけようがない、満足度100%のフィナーレである。

 

で、その後に、芦川先生を巡る、読者の間では賛否が分かれるもう一つの結末が描かれるわけだが、僕は個人的にこれは一番きれいな終わり方だったと思っている。

 

これ以外の終わり方をすると、堀口元気というキャラクターのピュアさが失われるような気がする。

 

芦川先生が奇しくも叫んだように、「ボクサーは女に逃げることはできない」のだ。

 

ジョーが白木葉子を振り切ってホセ・メンドーサとの戦いに挑んだように、元気は芦川先生を振り切って関拳児に挑んでいった。

 

ジョーは最後に葉子にグローブを託したが、元気にはそんな「形見」は必要なかった。

 

 

小山ゆうは、「元気にとって本当の人生は『田沼元気』になってから始まる」と述べているようだ。

 

堀口元気にとって、この物語は、「修羅の業」からの解脱を意味する壮大なドラマだったのかもしれない。