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EVIL DOES NOT EXIST

濱口竜介監督最新作『悪は存在しない 』見てきた。

都内でも2つのミニシアターで上映されているだけだし、地方でもGWからミニシアターでの上映になるということなので、興味があってもまだ見ていない人が多いだろう。

できれば何の前知識も情報も先入観もなしに見るのが良いと思うので、映画の内容を前もって知りたくない人はこの記事は読まない方がよいと思う。

 

以下は忘れないうちに映画の個人的な印象を備忘録的に残しておくための文章でしかない(このブログ全体が個人的な備忘録のようなものだが)。

 

 

 

映画の冒頭は、アピチャッポンの「世紀の光」という映画の最初のシーンを思い出した。「世紀の光」では揺れる樹々の枝の間に何かカメラに映らないものが映っているような不思議な感覚を覚えたが、「悪は存在しない」の森の樹々の枝のカット(これがかなり延々と続く)は、幾何学模様の美しさや抽象画のような美的な感覚を想起させた。

自然の造形美の人智を超えた繊細さのようなものに圧倒される。それが主人公の森の生活の様子へとスムーズに導かれる。

石橋英子の音楽が実にマッチしている、というか、この映画そのものがもともと石橋英子(「ドライブ・マイ・カー」の音楽を担当)のコンサートのためのフィルムを目的として撮影されたという成り立ちからして、全体的にMVのようなテイストの作品であり、濱口監督の「この映画は、音楽のアルバムを何度も聴くように、何度も見るように作られている」という発言が、見終えた後は特に深く納得できる。

「ドライブ・マイ・カー」や「寝ても覚めても」のようなメジャー資本を投下して制作されたものではなく、「偶然と想像」のような小規模の予算とスタッフで撮られたタイプの作品である。ミニシアターでの上映という公開方法がとても腑に落ちる(濱口監督のミニシアター支援の意味も込められていると思う)。

出演者は「ハッピーアワー」と被っていて、主人公をはじめ素人的な棒読み演技のスタイル。濱口作品では「ハッピーアワー」が一番好きなので、個人的には同じテイストが味わえて楽しめた。住民説明会の場面など、こういうところの緊迫したセリフのやり取りが本当にうまい。出演者が入念な本読みのリハーサルを繰り返した様子が伝わってくる(これは濱口監督の著書などを読んでいる人向けのマニアックな楽しみ方だろう)。

映像が美しい。自然美をバックにしていることが特に画面の美しさを際立たせている。タルコフスキー的なところを感じさせたり(森の中の湖とか)、先ほども書いたアピチャッポンの「非人間的なカメラの視点」などの実験的な要素も随所に見られて(走る車内から道路を映すところとか)、平板でドラマのない場面の描写もまったく飽きさせない。「ドライブ・マイ・カー」で特に感じた見る者の没入感をもたらす技術がますます上がっていると感じた。

 

ラストが衝撃的という話は事前に知っていたので、終わったときはああ、こんな感じなんだ、と思ったが、知らなかったら確かに衝撃的だったと思う。

ラスト場面の解釈については、それまでの場面の中で至るところに貼られていた伏線が一気に回収されたと考えるのが普通だと思う。あのラストがあるから主人公のキャスティング(制作スタッフの大美賀均を抜擢)の必然性が腑に落ちた。

以前、濱口監督の作品を見て、「濱口監督作品に唯一の不満点があるとするなら、ラストの決着のつけ方だと思う。それまでの完璧な完成度からすると、やや投げやりともいえる印象を受けてしまう」と書いたことがある

この点はその後の作品を通して改善されてきているとは思うのだが(偉そうな言い方ですみません)、今回の「衝撃的な」ラストも、厳しい言い方をすれば、見る者に解釈を委ねるという形での一種の誤魔化しのように思えなくもない。

ただこの作品については、先にも書いた通り、「音楽アルバムのような作品」というコンセプトで作られているのだとすれば、物語の最後を赤裸々に作り込み過ぎないというやり方もありなのかなという気がする。

 

ストーリーの詳細な考察(完全ネタバレ版)は(もしできたら)改めてやりたいと思うので、とりあえず個人的な注目ポイントを羅列してみる(軽いネタバレを含みます)

 

「ハッピーアワー」に出ていた俳優のうち、三浦博之菊池葉月はすぐに分かったが(三浦はハッピーアワー出演者が大勢出ていた野原位監督の『三度目の正直』にも出ていた)、渋谷采郁「どこかで見たことあるけど、どこの誰だっけ?」と最後まで迷っていた。家に帰ってから「ハッピーアワー」を見返してようやく、「ああ、柚月か!」と分かったときの嬉しさ。

今回の「悪は存在しない」での柚月は、元介護士で芸能事務所のスタッフに転職し、事務所の補助金狙いのグランピング施設建設(グランピングって言葉初めて聞いた)の説明会の担当者に駆り出されている、という設定。ある意味で柚月の未来の姿とも見れなくもなく、そういう目で見たら、説明会後に地元工作を命じられて再び長野に向かう車内でのもう一人の担当者高橋(小坂竜士)との〝恋バナ”がいっそう微笑ましく思える(あの場面は場内に笑いが起こっていた。「偶然と想像」の第一話でも似たようなシチュエーションがあったが(あっちは女子二人の恋バナ)、濱口監督はこういう会話を実際に店での隣の客たちのトークから拾っているとか)。

 

鳥井雄人という俳優は碑文谷潤教授の「怒らせ方講座」に出てた人かな?映画の間ずっと気になっていた。

 

住民説明会のあった日の夜、主人公が鉛筆で描き込んでいた絵(けっこう巧かった)にはどういう意味があったのだろう。

 

花ちゃんが牛小屋に餌をやりにいった目的の一つは、牛糞の山から出ている煙を撮りたかった、ということでいいのかな。

 

三浦博之演じる蕎麦屋の主人は、支払の180円に拘ったり、客がせっかく褒めてるのに「それって味のことじゃないですよね」と不満を言ったり(うちはラーメンじゃなくて中華そばなんで、みたいな拘り?)、けっこう面倒臭い奴?

 

コンサルと芸能事務所のオンライン会議を見て、リアルに仕事のことを思い出して途中映画から頭が離れてしまった。ああいう妙なリアル感やめてほしい(嘘)。

 

(自然には)悪は存在しない。鹿の行為は悪ではない。悪は人間の中に存在する。

死ぬべきなのは鹿ではなく子供でもなく悪い大人だ。

 

パンフレット買えばよかった。