War Is Over

 if you want it

Man's Sign

吉田豪つながりで、浅草キッド「お笑い男の星座」を随分久々に読み返した。

直接吉田豪の名前は出てこないが、プロレス関係やらガッツ石松やら梶原一騎やら関連するワードが頻出し、お互いの書物を補完的に読むことで奥行きと立体感が生まれる。

この本は浅草キッドの共著で、実際にはどちらか一方が書いているに違いないが、水道橋博士玉袋筋太郎が二人で書いているという体裁の文章になっている。

そういえば、浅草キッドの二人は、ここ数年は不仲説とか冷戦状態とかいう噂がしきりにネット上を流れていて、いつの間にそんなことになったのか興味がわいてきた。

先日の西村賢太追悼の会でも、その前日に参議院銀選挙に当選した水道橋のことを玉袋がおちょくってネタにしていた。西村と玉袋が飲むと、よく水道橋の悪口で盛り上がったと。

ネットで記事を辿っていくと、2016年9月30日には水道橋がインタビューでこんな風に語っている

「ぶっちゃけ相方玉袋さんとの仲って良いんですか?」

 この質問をされるくらい「不仲説」っていうのは、ずっと我々、この2年間ぐらいつきまとってますね。吉田豪ちゃんがラジオで相方と一緒に出ると、すぐ不仲説を振る。というか、そういう悪趣味なギャグになってる(笑)。

(中略)またそういう不仲説はネットで流れると受けるから、それを真に受ける人が続々と出てくる。それで、さらにネタ化するっていう流れなんです。しかし、相棒なんて30年も、もうお互いの人生の半分以上、最も苦楽を共にして長くつきあっている「ほかならぬ人」なんだよ。。

(中略)少なくともTake2とかホンジャマカとかより全然仲良いと思いますね(笑)。オセロとかね、結婚式も呼ばないって(笑)。まあ散々オレらもそういうふうに(芸人の不仲説)をネタにしてきた身ですから。それでいざ30年たったら、気が付けば自分もこのネタになってしまうのかという感じですね。

それが、2年後の2018年8月24日ではこんな記事が載っている。

ビートたけしさんが3月末をもって芸能事務所『オフィス北野』から独立し、それが発端で勃発した騒動の中で、『たけし軍団』に在籍するお笑いコンビ『浅草キッド』の水道橋博士(本名=小野正芳 56歳)と玉袋筋太郎さん(本名=赤江祐一 51歳)に不仲説、更にコンビ解散危機説も浮上しており、その真相を確かめるべく週刊誌『フラッシュ』が直撃取材を行っています。

水道橋博士ビートたけしさんが独立後の4月1日に、『たけし軍団』のつまみ枝豆さん、ダンカンさん、グレート義太夫さんと共に声明文をブログ上で発表し、その記事で森昌行社長を糾弾したことで大きな波紋を呼び、さらに大きな騒動へと発展することになりました。

その一方で、玉袋筋太郎さんはそこに名を連ねておらず、その後出演した番組などでも特に森昌行社長のことを糾弾することもなく、水道橋博士のように積極的にメディアの取材を受けるといったこともせずに静観の構えを見せています。

その理由についてニュースサイト『ビジネスジャーナル』は4月20日配信の記事で、
「その背景には、近年業界内で噂されている博士との不仲が影響しているといわれています。ここ何年も、たびたび解散の危機が報じられてきた浅草キッドですが、最近は本当にヤバいらしいんですよ。
と、お笑い関係者が語っていることを伝えていました。

また、同関係者は玉袋筋太郎さんだけは、「兄さんたちには申し訳ないが、俺には(森社長を攻撃)できない」と頭を下げて断っていたという話もあると語り、その理由については定かではないものの、「たけしの愛人に対してよく思っていないという噂もあります。博士が軍団の先陣を切って森社長攻撃を展開したことについては、非常に冷ややかな目で見ていたそうです。そうしたこともあり、玉ちゃんのオフィス北野退社の可能性もあるんじゃないかと見る向きもいます。」
と語っていました。

今回2人の不仲説について報じている『フラッシュ』の記事でも、玉袋筋太郎さんが声明文の発表に際して、「兄さん方、申し訳ありませんが今回の件に自分は協力できません」と、たけし軍団のメンバーに伝えていたとし、「独立問題で師匠のたけしについて行けないと感じていて、騒動に関する軍団の会議にも参加していなかった。だが一方の水道橋は、筋金入りのたけし信奉者。亀裂は埋めようがない」
と芸能関係者が語っています。

さらに、その噂に信憑性を持たせているのが玉袋筋太郎さんの『オフィス北野』退社説だといい、同関係者によると、一部では退社するのは「決定事項」とまで言われているとし、退社後は元マネージャーが5月に立ち上げた事務所『ラフィーネプロモーション』に移籍する可能性が高いと見られているとも証言しています。

こうした噂の真相を確かめるべく、『フラッシュ』は2人にそれぞれ直撃取材を敢行しており、まず玉袋筋太郎さんは『オフィス北野』からの退社・移籍について聞かれると、「(笑いながら)ないない。誰から聞いたの?」「(元マネージャーに引き抜かれる?)そんなことはねえよ。そんな品のねえこと、やんねえよ」と完全否定したとのことです。

浅草キッド』の不仲や解散危機説についても、「ほお~解散!?解散はないっしょ!別に不仲でもないんじゃないの。コンビなんだから。」と否定したそうです。

一方の水道橋博士もコンビ解散について聞かれると、「いやいや、それはない」「(玉袋筋太郎さんの事務所移籍が解散の理由?)それ、初めて聞きました。寝耳に水だよ。むしろ(玉袋に)聞いてみる(笑)」と答え、やはり疑惑をキッパリと否定したとしています。

また、ビートたけしさんの新事務所『T.Nゴン』に移籍する可能性についても、「退社の意思は全然ないね。(オフィス北野の)出直しを一生懸命やってるんでね。そのための集まりも重ねてる」といい、今後も『オフィス北野』で活動をしていくようです。

そして、玉袋筋太郎さんの移籍先として浮上した『ラフィーネプロモーション』は取材に対して、「オフィス北野を退社後、引き継ぎのため、しばらく玉袋のマネージメントを手伝っていたことはありますが、玉袋が移籍するという話は一切出ていません。新会社を設立した現在はマネージメントに関わっていません」と否定したそうです。

『オフィス北野』の森昌行社長も『浅草キッド』の解散や退社説を否定した上で、
「現在オフィス北野では、軍団との意思疎通のうえで、新体制への移行を進めている最中です。9月を目標にしていましたが、予定が押しています」と回答しています。

玉袋は2020年3月末に株式会社TAP(旧株式会社オフィス北野)の慰留を振り切る形で強行退社し、無所属となった。水道橋博士は事務所に残るため、漫才師浅草キッドは事実上解散状態に。玉袋本人はこれ以降プロフィールに「浅草キッド」の名を使わず完全にピン芸人を名乗る。

そして、水道橋の選挙当選を受けて、今年(2022年)の8月23日にはこんな記事

7月に投開票された参院選では、…れいわ新選組から比例区に出馬した、お笑いコンビ「浅草キッド」の水道橋博士氏も見事に当選。維新の松井一郎代表から個人の言論を封じ込める目的のスラップ訴訟を起こされたことを機に出馬を決めたと公言し、「反スラップ訴訟法」をつくることなどを公約としていた。

 今後の国会での維新の会の議員とのバトルも気になるところだが、芸能界でそれ以上に注目を集めているのが、相方の玉袋筋太郎との関係だ。

 バラエティ番組を手がける放送作家は語る。

「5歳違いの2人ですが、かつてはプライベートでも一緒にプロレスや格闘技を観戦に行くなど、私生活でも仲が良いコンビとして知られていました。師匠のたけしさんとの関係も良好で、年に一度、浅草キッドの2人が社長の設定で芸人のたけしさんを接待する“社長会”なんてイベントもやっていて、たけしさんがラジオ番組なんかでうれしそうに話していましたね」

 そんな浅草キッドだが、近年はコンビとしての仕事は週刊誌「アサヒ芸能」(徳間書店)の連載記事くらいのもので、公の場に揃って姿を現すことはなく、不仲説も取り沙汰されている。

「博士は解散こそしていないものの、長年にわたって漫才をはじめとしたコンビとしての活動をしない現状を“セックスレスの夫婦”に例えていますが、実状はそれどころではなく、相当冷めきった関係のようです。コンビとしての活動はおろか、ほとんど連絡も取り合っておらず、そもそも今では所属事務所も別々ですからね。2人を若手時代から可愛がっている高田文夫先生ですら、コンビ復活に関してはさじを投げている状況です」(前出の放送作家

 10年ほど前にはそんなコンビ仲の悪さを象徴する決定的な“事件”もあったとか。

「玉ちゃんが、浅草キッドのかつてのライバルで不仲も噂されていた爆笑問題に、メディアを介して公開果たし状を送り付けて、漫才対決を仕掛けたことがあったんです。太田光さんがプロレス的なノリで乗っかったことで2組の対決ムードがにわかに盛り上がりかけたのですが……。博士がまったく乗り気にならず、浅草キッド側の空中分解によってうやむやになってしまったんです。その後、太田さんは博士とも玉ちゃんとも仕事をともにしていますが、浅草キッドの2人が揃うことはありませんでした」(同上)

「あれから10年近く経ちますが、2人の仲は雪解けはおろか、ますます冷め切っているというのが実状です。まあ、博士は本の執筆やテレビ番組でのコメンテーター、ネット番組、YouTubeチャンネルでの知識人との対談など文化人的な活動で、玉ちゃんのほうは酒や町中華、スナックなど自身の趣味を活かした活動で、それぞれピンでタレントとして成立していますからね。幸か不幸か、そのあたりもコンビ復活の障壁になっているのかもしれません。まして今回、博士が参議院議員になったことで、ますます芸人としての活動からは距離を置きそうですしね」(同上)

今年8月に行われた水道橋博士の生誕祭に、玉袋は出席しなかったが、ビデオメッセージを送っている。その中身は、東スポによれば次のようなものだったという。

還暦と参院議員当選おめでとう。生稲晃子、中条きよし、松野明美、ガーシーといった優秀過ぎるタレント議員たちと党派を超えて、みんな仲良く珍味とメッコールを買い、天下国家を国会で論じるために頑張ってください。そして体だけは気を付けてください。年に2回しか会わない相棒・玉袋筋太郎

疲れし者

午前中は特養の、午後はサ高住の見学で疲れ果てた。こんなに寒くなると思わず妻と二人でガタガタ震えながらバス停で立ちすくむ。

どっちもなかなかよさそうな感じだった。午前のは義母の、午後のはうちの母のため。

それにしても寒かった。電車の中があたたかく感じた。

ムツゴロウ(畑正憲)の「ムツゴロウの無人島記」(文春文庫)を読みながら行く。妻の実家にあったやつだが、アマゾンで見たら古本が3万円以上の値がついていた。

ぼくと統一教会とか

人目を引き付けるためにわざと物騒なタイトルにしてみたが、中身はたいしたことありませんので読んでから「騙された」といって怒らないでください。怒りそうな人はわざわざ貴重な時間を使って読まないように。神からの警告です(嘘)。

 

地元の高校を卒業して大学に入って上京し、世田谷区代沢の下宿で独り暮らしすることになった。普通の民家の二階の三つの部屋を学生用に貸し出しているという物件で、トイレは共同、風呂なしで、近所の銭湯を使っていた。竹下登小沢一郎の家が近くにあるという噂だった(確認はしていない)。

ある日、出かけようとしていると下宿のおばさんにバッタリ出くわし、「あなた、絶対宗教とか入ったらだめよ」と言われた。いきなり何を言うのかと思ったが、ヘンに真剣な表情で、「真面目な子ほどああいうのに騙されるんだから、親御さんが悲しむから、だめよ」と繰り返し言ってくる。ぼくは「はい、すみません、わかりました」と言って大学のあるキャンパスに向かって歩いて行った。

キャンパスを一人で歩いていると、図書館の前あたりで、若い女性二人組に声を掛けられた。歳はぼくと同じ、大学一、二年生くらいと思われたが、何となく雰囲気が、在校生ではないように感じられた。一人が眼鏡をかけていて髪がショートだった。もう一人はどんな容姿だったかまったく覚えていない。

そのショートの娘が、「あの、いまちょっとお時間いいですか」みたいなことを言ってきた。その表情は内気で臆病そうで、本当はしたくないのに何か勇気を振り絞って声を出しているように思えた。

ぼくは、「何ですか?」と怪訝そうな表情で答えた。

するとその娘は、「私たち聖書の勉強をしてるんですけど、そういうのに興味ないですか?」と言った。

ぼくは「聖書には興味あります」と答えた。その頃、ドストエフスキーの影響で、毎日新約聖書を読んでいたからだ。

その娘は、途端にパッと明るい表情になり、「そうなんですね。じゃあ、一緒に勉強しませんか?」と言った。

ぼくはその時点で、彼女が次に何を言うか分かっていたので、「ビデオは見に行きませんよ」と言った。

彼女はまた暗い表情に戻って、何か言いかけたが、ぼくは足早に二人のもとを離れて立ち去って行った。

当時、学生の間では、一緒に聖書のビデオを見ようと誘ってくる原理研の若者たちの噂が浸透していた。キャンパスには、原理研究会勝共連合)打倒・粉砕」と書かれたゲバ字のタテカン(立て看板)が至る所に置いてあって、ほとんどの学生は、タテカンは無視しながらも、そのメッセージはきっちりと心に刻んでいたから、勧誘に引っかかる者はまったくいなかった(と思う)。

サークルの部室で、さっき〈原理シスターズ〉に声を掛けられた、と言うと、「一緒にお茶でも飲みに行ったらよかったのに」と先輩が言った。確かにそうだよな、惜しいことしたな、と思った。

また別の日、法学の授業があるので大教室に入っていくと、机の上にビラが置いてあった。学生運動のビラや「天皇また崩御」ビラ(丁度昭和天皇崩御の頃だった)とは違って、「自利即他利」と大きな字で書かれた奇妙なビラだったので目についた。

授業担当の教授が入ってくる前に、数名の応援団風の学生がドヤドヤと教室に入ってきて、教壇に立ち、

「来るべき、×月×日×時、この講堂におきまして、大川隆法先生の御法話がございます。ぜひご来場いただきますよう」

と、やけに自信満々の大声で述べ立てた。

学生運動の人間でもこんな大胆なことをしたのを見たことがない。教授の許可を得ないとこんなことはできないのではないか、と思った。非常に不快だった。「来るべき×月×日」というのは日本語としておかしいと思った。だって×月×日というのは、来る「べき」も何もなく来るにきまっているのだから。

 

その一年くらい後(前だったか?)。

学園祭に、オウム真理教の教祖・麻原彰晃がやってくるとキャンパスに噂が立った。その頃、オウム真理教が政党をつくって選挙に出馬し、街には選挙カーから流れる「アストラル・ミュージック」や「しょーこー しょーこー あ・さ・は・ら・しょーこー」の唄がよく流れていた。

何でも、大学の体育の教師が麻原の信者で、彼の招きで学園祭に来ることになったとか、大学の図書館に麻原の著書が入ったのはその教師の働きかけによるものだという噂がまことしやかに流れていた。

当時スピリチュアルにかぶれていたぼくは、それに対抗するかのように、日本エルサレム教会の発行するスエーデンボルグの全集を大学の図書館に寄贈したり、ラジニーシの本を図書館の棚に勝手に差し込んでくるなどの暴挙を働いていた。

要は、統一教会やら幸福の科学やらオウム真理教はバカにしながら、自分なりの〈霊的探究〉を実践していたわけだ。

学園祭の当日、麻原の講演会と水中クンバカの実演は見れなかった(自分のサークルの企画があったため)のだが、それが終わった後で、教団の信者で大学の先輩にあたるIさんと議論をした。議論とは言っても、真剣に論破したりするつもりはまったくなく、「麻原の弟子になるなんて、どれほどのバカか見てやろう」くらいの軽いノリで出かけて行ったにすぎなかった。

ぼくが、「修行して何がどうなったんですか」と質問をすると、Iさんは、

「煩悩がなくなった」と答えた。

「性欲とかに悩まされなくなったってことですか?」と聞くと、

「そう。食欲、性欲、睡眠欲。でもまだ睡眠欲は完全に克服できてない」と言って、ヘヘヘと笑った。

「Iさんも空中浮揚できるんすか」と聞いたら、何やら難しそうなゴタクを並べ始めたので会話を打ち切って帰った。

Iさんは、オウム事件の時に重要幹部ということで逮捕された。でも有罪になったという話は聞かない。今どこで何をしているのかも知らない。

 

それから10年くらい後に、たまたま大学の近くを歩いていた時、サークルの仲間だった同級生とばったり出くわした。二人でお茶を飲みながら、ビーチボーイズのマニアだった彼は、「オウムの事件があったとき、君がどうしているのか気になっていた」と言った。

そういえば、あの事件の後、実家の母親がぼくを心配して東京に来たこともあった。

下宿のおばさんから「あなた、絶対宗教に入っちゃだめよ」と言われたときのことを思い出した。

ぼくはそんなに宗教に入りそうな奴に見えていたのだろうか。きっとそうだろう。だってあの頃のぼくはまったく大学の授業には出ずに毎日図書館でルドルフ・シュタイナーの「いかにして超感覚的認識を手に入れるか」(イザラ書房)に読み耽っていたのだから。

オーディションまとめ(永松さん)

佐久間Pアイドル・オーディションの永松さんの部分まとめ。

まず三次審査から。

佐久間Pによれば「ほとんどの時間泣いていたので心配になった」とか。

歌が始まると佐久間Pの眼が変わる。

Youtubeコメント欄では「声が小さい子」として既に注目されていた。

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最終審査の15人に選ばれ、まず「2分間マジ自己アピール」。

方向音痴の自分が福岡から上京するのに丁寧にバスや電車の乗り方を教えてくれたお姉ちゃんへの感謝を込めて、西野七瀬光合成希望」を歌う。

歌い出したとたんに空気が変わる様子がスリリング。

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そして歌唱力とダンス審査。

大原櫻子「夢」をカラオケで歌う。審査員の遠藤舞から「音楽一家の生まれ?」と質問される。緊張で声が十分に出ていないが人を惹き付けるものをもっている。

つづくダンスはご愛敬。のびしろだらけの可能性を感じさせる。

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最終審査の最後、全身全霊をかけたラストスピーチ。アイドルグループよりも一人で歌手としてやった方がいいのでは、というアドバイスを受けたことを明かし、それでも自分に勇気や希望をくれたアイドルになりたい、と涙ながらに訴える。

それに応える佐久間Pの言葉も暖かく感動的。

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最終審査からしばらく置いて後日、個別に呼び出され、合格を告げられる。

他のメンバーは「ありがとうございます」「嬉しいです」と言う人が多いが、永松さんは驚きの沈黙の後、「・・・はい」と一言。戸惑いの方が大きかった模様。

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これからの抱負と、応援してくれるファンたちに向けての一言。

三次審査でのオドオドした様子から、短期間でアイドルの表情になっている。

これからのさらなる成長が楽しみだ。

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haru haru

当ブログで絶賛推し中の、佐久間Pアイドル・オーディション選抜メンバー、永松さんは、VOATという音楽学校(アーティスト養成機関?)の新人アーティストとして登録されていることが分かった。

フルネームは永松波留で、出身地福岡県の地元VOAT福岡校でオーディションを受けている。

趣味はギターを弾くこと、特技は歌を歌うこと。

自己PRに

何もなかった私に夢を笑顔を勇気を与えてくれたのは音楽でした。アイドルになりたいという夢をもち、挫けそうになることもありましたが、その度に立ち上がれたのはアーティストさんの歌がパフォーマンスがあったからです。私も誰かを支えたい、笑顔にしたい、そう思いました。今回、初めての作詞作曲に挑戦し、まだ至らない部分もあると思います。

と書いてある。

佐久間Pのオーディションのときの写真よりも、こっちのアー写の方が凛々しさを感じて好きだ。

同じページには、彼女のオーディションの時の歌や演奏の動画も上がっている。

これは新事務所でデビューが決まったら削除されるかもしれないので、今のうちにチェックしておいた方がいい。

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佐久間オーディションの時に歌っていた「光合成希望」も西野七瀬の歌で、ここでも西野七瀬の「釣り堀」を歌っている。お気に入りなのだろう。彼女の声質にも合っている。

オリジナルの「初恋」と「月明り」は、始めて作詞作曲に挑戦したとは思えない、とてもよくできたいい曲だ。これを見たら、アイドルグループよりも大原櫻子藤原さくらのようなシンガーソングライター路線の方が似合っていると誰でも思うだろう。

佐久間Pオーディションのラスト・スピーチでの涙からは、最後まで本人の中でも葛藤があったのだと思った。

Youtubeのコメントにもあったように、本人の意思がアイドルでやっていきたいというのなら、それを心から応援したい。

一日(いちじつ)

残暑と秋の気配が混ざり合ったような奇妙な空気感の一日。読書の秋というにはまだ早い気配もあるが、アントニオ猪木逝去の余韻冷め遣らぬ中、吉田豪『超人間コク宝』を一気読み。

2019年2月収録の香山リカインタビューで、こんなやりとりがあった。

ーー香山さんが人生は無意味だと思ったことについて、その後、変化はあったんですか?

香山:変化はそんなにないな。いろいろ考えちゃって。でも、私はちょっと卑怯っていうか、医者なんで、最後の最後は医者だっていうアイデンティティにすがれば人の役に立ってるって思えるかもっていうのがあって。

ーー人を救ったという思いで死んでいける。

香山:ただ、精神科医ってホントに救ったのかよくわかんないことが多いから、もっと人を救った感がほしくて、ここ二、三週間、週に一回だけある病院で内科の勉強をしてるんですよ。それはいよいよ自分が窮地に落ち込んだら、どっかの離島の診療所の先生になれば、さぞかし充実感があるだろうなって。

ーーダハハハハ!最後にいいことやって死んでいくために、そんなプランが。

で、香山は実際、今年(2022年)4月から本名で、北海道・むかわ町穂別の診療所で僻地医療に取り組んでいるのをニュースで知った。

診療所で副所長職の公募をかけていたのを、去年6月に応募したのだという。

2017年から、母校・東京医大病院で総合診療の修得のため研修を受け始めていたが、娘が立教大の教授であることに誇りを持っていた母を思って、医療貢献への転身時期を定年後と想定していた(父は2010年に亡くなっていた)。

2019年7月に母を亡くし、2020年に60歳になり、「医療が行き届かない場所で、医師としてのキャリアやスキルを生かす」という自分の使命と真正面から向き合うことを決めた。

副所長に応募した穂別診療所は、町唯一の医療機関

北に夕張山地、東に日高山脈を望むこの、むかわ町穂別は、人口は最盛期の約4分の1に減り、65歳以上人口の割合を示す高齢化率は約44%(国全体は29%)の過疎地。

4月から始まった「副所長」の勤務は、月~金が診療所での診察。

香山さんが説明する。

「9時から所長と私で外来を診察し、午後は一人が外来対応、一人が介護施設や学校などの健診にまわります。狭い町の特徴を逆に生かし、地域包括ケアの一環としての医療を目指しているんです」

週2度、朝7時半から地域医療の医師約300人のオンライン会議に出席。当直は週2回、金曜の夕刻には業務終了とともに、東京へ。

東京では精神科の診察に雑務もこなして日曜夕刻に北海道に戻るという慌ただしいサイクルだ。

「東京との往復生活と聞いただけで、高齢の患者さんは『大変なところ、ありがとうございます』と言ってくれます。私は総合診療のキャリアはまだまだで、薬によっては調べ調べ、処方箋を書くんですが、なんにも文句を言わず、おだやかに待ってくださるんです。

『地域医療に貢献するために』と穂別に来たのに、スタッフや住民の方に助けられてばかりです」

目尻に皺を寄せ、はにかむように香山さんは言った。

「いないよりはまし。そんな感覚もいいかな」。

週の大半を穂別で、本名「中塚尚子」で過ごし、週末は東京で精神科医としての診療や、「香山リカ」の業務をこなす。

「いつ急患が入るかわからない」穂別では、お酒は飲めないという。

だから、搭乗前の新千歳空港のラウンジでは、サッポロビールで、自分にささやかな「カンパイ!」。

60歳を迎えての決意。

香山さんの挑戦は周りの人々に支えられ、せわしなくも、ゆるりと進んでいる。

(取材・文:鈴木利宗)

10月から殆どの食料品やら生活必需品やらライフラインの料金が値上げされ庶民の生活は一層苦しくなっていく。大恐慌といってよい事態は静かにゆっくりと迫りつつある。その実感が怒りの沸点に達し暴動や革命に至る時期は来るのだろうか。この国の民は、痛みに耐えながら静かに死んでゆくことを選ぶような気がする。あのアントニオ猪木が大衆の前に晒した末期の姿のインパクトは、日本人の潜在意識の中に確かに刻印されたと思う。

合掌

吉田豪の書評本を読んで、この面白さを味わうために読み返す前にプロレスの勉強をしようかと思っていた矢先の猪木寛至アントニオ猪木氏の訃報。享年79歳。

プロレスにも猪木にも何の思い入れもない自分ですらけっこうな喪失感を味わっているくらいだから、プロレスファンの思いは察するに余りある。

昨年のドキュメンタリー番組で難病と闘う姿を見て、その衰弱ぶりに衝撃を受けた。しかしそんな中にあっても誇り高く強く振る舞う姿勢に本物の闘魂スピリットを感じた。

9月21日に撮影されたという公式YouTubeチャンネルのインタビュー動画の最後に、<インタビュアー大谷泰顕>というテロップが流れた。この人は、Show大谷という名前で先述の吉田豪の書評本で何度もその名を見かけただけでなく、他人をめったに非難しない吉田が、珍しく口を極めて罵っているライターだったので、印象に残った。

何程のことを知っているわけでもないが、見事な生き様、偉大な魂だったと思う。

合掌