War Is Over

 if you want it

「彼には会いたくない……」

十川幸司精神分析への抵抗」(青土社、2000)を読む。

十川の著書は「フロイディアン・ステップ――分析家の誕生」(みすず書房、2019)「来るべき精神分析のプログラム」(講談社選書メチエ、2008」を読んでいるが、最初期に書かれたこの「精神分析への抵抗」を一番面白く読んだ。

なぜ面白いかというと、ラカンに対して批判的に検討しているからで、ラカンの言説に対して自分がなんとなく抱いていた胡散臭さや知的詐術のような印象が精神分析家によって内在的に明瞭に言語化されているためだ。相手を論破する文章というのはそれが芯を食ったものであればたいてい面白く読めるものだ。

著者の批判を乱暴にまとめれば、ラカンは50年から60年代にかけてはフロイトのテキストに基づいてそれを臨床経験との絡み合いの中で創造的に更新し理論化することに成功したが、70年代に入ると臨床経験を離れた「理論のための理論」になってしまったという。

ラカンが導入した各種の「マテーム」(数学的記述)は彼の理論を科学らしく見せかけるための置き換えに過ぎず、内輪の言語(ジャーゴン)を生み出したに過ぎないという。

この批判に対しては、松本卓也「人はみな妄想する -ジャック・ラカンと鑑別診断の思想-」(青土社、2015)の中で、70年代ラカンは臨床との絡み合いを欠いた思弁だけを行っていたわけでは決してないと反論しているが、十川の批判にも説得力を感じる(単に批判が気持ちいいだけという説もある)。

それにしても著者が強調する「精神分析経験」の本質とは何なのだろうか。それはフロイトが人類史上初めて生み出した「全く新しい言葉の経験」であるというが、精神分析の臨床を知らず、分析を受けたこともない自分には実感を伴った理解ができない。

分析経験を何よりも特徴づける個別性とは、各人がどのように現実的なもの(le reel)と関わりを持つかというその様式である。私たちは、分析経験の中で現実的なものとの関わりを確かに持つ。ラカンの表現を借りるなら「いかなる実践も精神分析以上に、その経験の中心が現実的なものに向けられたものはない」のである。分析経験とはこの現実的なものとの出会い(あるいは出会い損ね)以外の何ものでもないといえる。

やはりこの<現実的なものとの出会い(あるいは出会い損ね)>という分析体験を抜きにしては、いくら本を読み理論を勉強したところで所詮、フロイトラカンを理解したことにはならないのであろう。

それを体験するにはやっぱりお金を払って精神分析を受ける必要があるのだろうか。それもなんだか倒錯的な気がして嫌なのだが。それともそうした「体験を求める」という性根そのものが問題なのだろうか。前世紀の精神分析全盛期に欧米で起こった「精神分析ブーム」の正体は案外そんなところじゃないかという気がする。

この本の中で引用されている次のエピソードが興味深かった。

ここにある挿話を付け加えておく。

ラカンフロイトが実際に会う機会が一度だけあった。それは1938年6月、フロイトがロンドンへ亡命するさいにパリに途中一日だけ滞在したその夜のことである。

フロイトはマリー・ボナパルトの家に滞在し数人のパリの分析家と歓談したが、ボナパルトラカンもそこに呼ぶつもりだった。しかし、彼女からの電話を受けたラカンは素っ気なくこう言ったという。

「彼には会いたくない……」。

ここにはラカンフロイトという一個人に対する態度が明確に示されているように思われる。

Bat or Swallow

私個人は、こと小説に関しては、ただ才にまかせただけの観念の産物よりも、その作者自身の血と涙とでもって描いてくれたものでなければ、まるで読む気もしないし書く気も起らぬ

『どうで死ぬ身の一踊り』跋より

私小説作家・西村賢太の命日である二〇二三年二月五日付で、六十三冊目の単著となる単行本『蝙蝠か燕か』が刊行された。

この小説集には「廻雪出航」「黄ばんだ手蹟」「蝙蝠か燕か」の三篇が収められている。いずれも師・藤澤清造への「歿後弟子道」を主題に据えた作品である。

西村の没後半年近く後に芝公園を望む都内ホテルで彼を偲ぶ「お別れの会」が催された際に、決して良い読者ではなかった自分も厚かましく出掛けてゆき、宝焼酎の並ぶ祭壇に一礼させてもらった。辞去する際に頂いた『どうで死ぬ身の一踊り』の初版本(西村の部屋に置いてあったものの形見分けという超貴重な物)をこの単行本と並べて机の上に置き、しばし眺める。

新刊の信濃八太郎氏の装画が相変わらず見事で、西村が見たら絶賛したに違いない。

『どうで死ぬ身の一踊り』の初版の奥付は二〇〇六年一月二九日、藤澤清造の命日に合わせている。装幀題字にも清造の自筆を用い、装幀図版にも『根津権現裏』のものを流用するなど、装幀から紙質、活字のレイアウトまで西村の拘りが貫かれている。

冒頭の『墓前生活』は、初出は文芸同人誌「煉瓦」二十八号(二〇〇三年七月)、西村の処女作である(それ以前に自費出版本に書いた私小説が二本あるが除く)。

最新刊の冒頭の「廻雪出航」を読んだのちに、改めて「墓前生活」を読み返し、その文体の一貫性に撃たれる。

石原慎太郎から自分の作品についてどう思うかと問われた西村はこう答えた。

心底、空っ下手だと思っています。それでいて、いまだに変な自信はあるんです。といいますのは、私小説をずっと書き続けているんで、石原さんも一時危惧してくださったように、やっぱり一見、同じような内容に見えざるを得ないんですよ。結局、自分のことを書く上で、その経歴とか思考や行動原理を変えるわけにいかない。デビューして十三年ですが、その間、同じ主人公を書き続けていくうちには普通の人間はめげるんじゃねえかと思うんですよ。書くことがなくなったり、自家撞着とか自己模倣に陥って行き詰まるはずなのに、しかし今のところ、少なくとも自分の中では行き詰まらずに、書きたいことがいくらもある。私小説のコツを何も知らねえ馬鹿な編集者や評論家からは、二、三作発表してすぐに消えると侮られ、いいように干されまくってた僕の一つ覚えの一つ芸も、これで十三年続けているうちには、ちったあ板についてきつつあるんじゃねえかと思ってるんです。

ちなみに「廻雪出航」の初出は「文學界」二〇二一年二月号だから、およそ十八年近くが経っている。内容は、藤澤清造の故郷・七尾に部屋を借り、新宿一丁目のアパートとの二重生活を始めた頃の話。ちょうど「墓前生活」に描かれている年代に重なる。この二作が同時期に書かれたものだと言われても西村の小説にあまり馴染みのない読者には何の違和感もないだろう。

だが注意深く読めば、この二作の間には相当な心境の距離があるのに気づく。

西光寺から藤澤清造の嫂が尽力してできた墓標を新宿一丁目の居室に貰い受けることに成功した西村は「墓前生活」にこう書いていた。

部屋の一隅に墓地のある生活は、私には快適だった。何か自信、と云ったようなものが、生まれて初めて自分の中に漲っているのを感じた。

ここには、亡き師・藤澤清造の無念を引き受け、人生を棒に振る覚悟で「最後の一踊り」してみせるという気概と前向きな希望がある。

それが、十八年後に書かれた「廻雪出航」では、

果たして、その人の無念を引き受けさせてもらえるのだろうか、との、結句は誰からも永遠に答えを明示されない虚しき問いを、ただ己が心の内で、何度も何度も繰り返していた。

との自問自答が前面に出てきている。

この二作のコントラストは隅々にまで行き届いていて、「墓前生活」の冒頭の一文(名文である!)では「午後のぬくとい陽ざし」の中で「わずかに咲き始めている桜の木」が、「廻雪出航」では「重々しく垂れ下がって拡がる灰色の空と、それよりも一層に暗く、不気味な黒波の立つ海には、一面に廻雪が渦巻いていた」ことになる(なお、二作とも主人公は「北町貫多」ではなく<私>である)。

この自問自答、「果たして自分に、師の無念を継ぐ資格があるのか」「自分のしていることは本当に師の役に立っているのか」との根元的な疑念は、西村の最後の中編小説となった「蝙蝠か燕か」の中心的なテーマに据えられることになる。

この小説の中で<貫多>は、「どうで死ぬ身の一踊り」三次文庫化のため「墓前生活」のゲラを読み返しながら、「あるもの」を回想する。

そう云えば件の「墓前生活」の中には叙していないが、二十二年前のその日は西光寺の境内で一個の奇妙な物体が空を舞っていた。その山門にはなの一歩を踏み入れた途端、貫多の頭上の視界に入るギリギリのところを、黒い影が横切った。

「蝙蝠にしてはやけに飛行が辷らかで、燕にしてはその残像の些かまだるっこしい、変にチラチラした動きのもの」が、都合三度も藤澤清造の墓前に佇む貫多を横切ったので、

のちになって思い返すと、これは貫多の脳中に案外深く刻み込まれていた一景であった。

小説のラストシーンで、芝公園の六角堂跡に佇む北町貫多は、歿後弟子道の再出発を心中に起し、「恰も初手の出発と此度の始動を重ね合わせたその表象として、あの日に見たところの、群れから取り残された蝙蝠だか燕だかの黒点を頭の中で翻えらせる」

ある物をして「何か象徴的、暗示的な事柄をこじつけようと」いう書き方は西村賢太のスタイルではないし、ここでも西村は先手を打って否定しているのだが、それだけにこの「変にチラチラした動きの」「蝙蝠だか燕だかの黒点」は、この作品の中で特異点とでもいうべき存在感を持っている。

分析的な読みは西村の私小説には相応しくないことを承知で書けば、この「蝙蝠だか燕だかの黒点」が象徴するのは、「果たして自分に、師の無念を継ぐ資格があるのか」「自分のしていることは本当に師の役に立っているのか」との根元的な疑念のことであると解釈するのが自然であろう。

であればこそ、藤澤清造の墓前で藤澤を終生の師と定め、その無念を引き受けることを誓った瞬間に頭上を横切った「黒点」のことを、西村は「墓前生活」において叙述から排除(抑圧)したのである。

だが、抑圧していた疑念が西村の中で無視できないほど大きくなり、遂には意識の前面を絶えず横切るようになったが故に作品中に登場することを強いられた「疑念」の表象が「蝙蝠だか燕だかの黒点」であると見るべきだろう。

そうすると、小説の締めくくりに貫多が「恰も初手の出発と此度の始動を重ね合わせたその表象として、あの日に見たところの、群れから取り残された蝙蝠だか燕だかの黒点を頭の中で翻えらせる」ことは、表面的には辻褄が合わないように思える。それは本来なら振り払うべき疑念を、わざわざ想起しようとする行為だからである。

くだらぬ分析を始めた成り行き上、強引に進めていくと、以下のような解釈が可能かもしれない。

「果たして自分に、師の無念を継ぐ資格があるのか」との根元的な疑念は当初から西村の中に存在していたのだが、無我夢中で藤澤清造研究と全集刊行にむけての活動に没頭しているうちは、その疑念を覆い隠すことができた。言い換えれば、疑念に直面することができず抑圧していた。

しかし次第に「自分のしていることが本当に役に立っているのか」(=只の自己満足にすぎないのではないか)との疑問が抑えきれなくなり、抑圧していた思考の表象として「蝙蝠だか燕だかの黒点」の存在が蘇ってきた。言い換えれば、疑念に直面せざるを得なくなった。

そこで西村(貫多)が見出した答えは、「開き直り」である。「歿後弟子」たることを定め、「人生を棒にふってきた」自分にやるべきことはこれしかない、「自分の為すべきことはやり続けるより他はない」

こう吹っ切ることで「晴れやかな心情」に達した西村(貫多)にとって、もはや「蝙蝠だか燕だかの黒点」は抑圧すべきものでも、回避すべきものでもない。むしろ歿後弟子の再始動の表象として(或いは己への戒めとして)積極的に想起すべきものとなった――

作家本人からすれば唾棄にしか値しないお粗末な分析ではあるが、当人たる作家自身は死んでるのだから、これは残念ながら手の施しようがない。何をどうされようと、死後にかような対象にされた人物は、文字通りの知らぬが仏なのである。

最後に、これは案外的外れじゃないと自負してるのだが、

蝙蝠=bat 

燕=swallow

が西村の好きな野球とスワローズの隠喩であることはどこかで意識したと思う。

他にも意外とマニアックな暗号が彼の小説のタイトルや何かに隠されている気がする。

根がスタイリストにできてる西村賢太のやりそうなことではないか。

I Remember Kenta

『週刊SPA!』山田ルイ53世氏との対談より

僕は(芥川賞を受賞した)40代のときはものすごく元気だったんです。しかし、50代に入ると気持ちに変化が出てきた。先が見えて、今後自分の人生に劇的な変化が起こらないことも、くっきり見えてしまった。

気力や体力が今のレベルを保っていられるのは、運が良くてせいぜい10年。もう人生の日は暮れようとしている。それなのに、まだ書きたいことは山ほどあるし、何も残せていない。そう思い至ったとき、50歳になって、ようやく「真剣に生きる」ことを具体的に意識し始めたんです。

可能性や多様性のあることが一概に善であるかのような風潮は、ちょっと違うと思いますね。事と次第によります。人生の残り時間が少なくなって「小説以外の興味は何もない」と改めて自覚したときに、他の一切が無駄に思えて、切り捨てることができました。

向上心や好奇心って、そんなに持たないといけないものなのでしょうか? 僕の場合、家庭の事情で中学を卒業した2日後に家出をし、そこから職と住を転々としましたが、生活するだけで精いっぱいで、「人生を充実させよう」なんて思う暇もなく年をとりました。お金だっていまだに貯金もなく、毎日生きていくのがやっとだけれど、別に不安や不満はないですよ。

と、そんな達観したように言っていますが、達観どころか、結構エゴサーチとかもしてしまうんですよ。でね、こんな感想を言う人がいる。「作家だったら自分のことばかり書かずに、もっと世の中や他人の人生を書け」と。私小説看板の書き手には的外れすぎることを、悪意なのかなんなのか、普通に書き込む手合いが案外に多いですなあ。

僕自身はSNSはまったくやりませんが、スマホで育った世代でもないのに、スマホ上でエキサイトしている中高年たちを見ると、正直、気味が悪い。偏った価値観を押しつける人が多すぎるし、「ネットの声」をヘンに重用する人も多すぎます。どちらも、みっともない。

自分自身と向き合うのも精いっぱいなのに、他人の勝手な価値観に影響されるのなんてまっぴらです。僕は自分の書いた小説すら、書き終わると同時に忘れ去るくらいですから。「もっといい作品にできたはずなのに」などとネガティブな感情が湧くでしょう。もう、その時点で辛い。

山田:西村先生はいつまで生きたいと思いますか?

西村:僕は独り身なので、なんの責任もありません。だから、小説が書ける限り、という感じですね。書けなくなったときが死ぬときでいい。長生きも必ずしも善ではありませんね。未練がましくただ生きているだけでは、恥をかくだけだし。

『群像』石原慎太郎との対談より

どうせなら、苦しまずに死ねれば、それだけで幸せだなあと思いますけどね。それも、まだ体の動くうちに。

死に至る病になって入院生活を送っていると、死に対する恐怖とかをいよいよいろいろと考えてしまうはずなので、できたら僕は事故死したいんですけどね。トラックにバーンとはねられて、一瞬で終わるようなのが理想なんです。あと十年くらいしたら、だれかひいてくんえねかな(笑)。

Remember Kenta

いわゆる青春がないことに、さみしかったり後悔したりは全くありません。比べる相手がいなかったから。自分を「不幸だ」と感じるのだとしたら、比べてるからじゃないのかな。上をみたらキリがないもんね。ひどい目に遭い続けて、心が死んでいって、諦めて、「それでも生きていかないと」となったら、逆に自分を不幸だとすら感じなくなるのかもしれない。

こういう経験がなければこの陰気で冴えねえ私小説家はいなかったわけですから、僕には糧にもなったわけです。中卒も、むしろ誇り。略歴には、受賞歴を削ってでも必ず書きます。こっちは中卒のくせして物書きで生計を立てている。ざまあみろ、というのが本音です。すべて「結果的には」ですが。


2008年(平成二十年)
松の内抜粋>「野性時代」(平成20年4月号)
1.1(火)正午過ぎに目が覚める。新年の初日といって、特にすることもなし。賀状 着二十 一枚、発三枚。暮に贈られていた入浴剤を入れて風呂に入る。平生はシャワーしかつかわないが湯を張る。大いに気に入り、今日から毎日これに入ることを決める。テレビでトキワ荘の映画を見て引き込まれる。床の中で、しみじみお金、乃至恋人が欲しくなる。
このどちらかひとつでもいい、今の自分にありさえすれば、こんなお菰みたいに人様からの貰い物を口にしただけの惨めな元日ではなく、もっと活力に充ちた、向日的な新年も迎えられただろうに、と思えばひたすらの無念がこみあげてきた。
貧乏人に何の正月三日ぞや   藤澤清造
1.3(木)午後一時過ぎ目覚め寒いので布団の中で持ち込み小説の案を立てる。六十枚見当。発表を考えず、ただガムシャラに、コケの一念で小説を書く。この境地が常に自分の中に在って欲しい。昨年九月、「文學界」に百十枚の持ち込みをとってもらって以来、かの心境の招来のないまま、また虚しく四か月を経てている。賀状 着七枚、発四枚。
1.5(土)ブックオフで「まんが道」買う。所詮功成り名を遂げた者の懐旧話、とは思いながらも、やはり私小説的な面白さがある。アッと云う間に読み終わり、続いて大阪圭吉の短篇集『銀座幽霊』(創元推理文庫)、高木彬光ノストラダムス大予言の秘密』(角川文庫)、そして俳優の島田順司による『わが青春の沖田総司』(新人物往来社)と読み継ぐ。しばらく 風呂に浸かったのち、「純」を飲みながら西村寿行『花に三春の約あり』(徳間文庫)を ひらく。 面白い。しかし次に手にした、平成四年に自裁したと云う漫画家、山田花子の『自殺直前日記』(太田出版)を繰りだしたら、どうにもやりきれぬ気分になってしまった。が、一気に読了。この人の漫画を探して読もう。寝床に移動して、これは先から愛蔵の「葛西善三感想集」(改造社)を、また読み返す。珍しく読書三昧の夜。
1.8(火)夜七時、日比谷で角川書店の佐藤、足立、宍戸、吉良氏と待ち合わせ。小説の依頼を期待していたが、やはりそうした話はいっかな出てこない。半ば自棄になり日頃自らに禁じている冷酒を飲み始めてしまったら効果一発、すぐと殊更に下卑た話を口にしだし、ひとりで馬鹿笑いを上げ、やがて絡み、泣き、喚き、暴言を吐いて、存分に迷惑をかける仕儀となった。もはや銀座辺のお座敷では目に余ったか、飯田橋の方に河岸を移され、その店でも卓を叩いて号泣した覚えがあるが、いつの間にかひとり帰りのタクシーの中へ乗せられていたようだ(その、車の中への押し込みかたが、随分と手荒な感じのものだったような気がする)。
1.10(木)夜八時、王子駅前の「半平」で荒川氏(古書店主)と飲む。登場人物のひとりに氏をモデルとした自分の小説が、今期の芥川賞の候補に紛れ込めたこともあり、現在も交流があるだけに一応礼儀的に一杯奢っておこうと思ったのだ。自腹なので、大いに飲んで、大いに食べる。昨秋辺りからどうも体調を崩していたが、だいぶ元に戻ってきた。そろそろ小説が書きたい。
1.13(日)小説の下書きを丸一日かかってノートに四頁書く。三十行の横罫を縦書きに使っ て一頁におおよそ六百字書き込むから、原稿用紙約六枚分の収穫となる。しかし哀しいかな持って行く先がない。が、とあれ今日は、これだけ書き進むことができて本当にうれしい。どうか明日もまた、この調子を保てますように。
1.15(火)昼、文芸春秋社員から携帯に連絡が来る。テレビの朝の情報番組で、芥川賞選考会のつきっきり取材の申し込み。当然、拒否。
こちらでは、万にひとつも受賞の可能性なぞないからとっくに終わったつもりのものでいることだし、何より前日になってのこうした話は、いかにも思いつきめいていてひどく不愉快であった。明らかに、真っ先に落選することが判りきっている自分を、あえて選んで晒し者にしてくれようという魂胆が見え透いている。
四十を過ぎて、なお未練に小説にしがみついている無能無名、伸びしろゼロの五流新人。薄汚い、ほぼ無職の中卒男。そんな自分の不様な落選の模様は、端的に流行の<格差社会>の悲哀なるものを映し出すことができようし、おそらく一方では、受賞されるかたの華やかな場面のほうも用意しておいて、あくまでもそれの陰画の役割を担わせる奸計のみで目をつけてきたに違いない。てんから小説書きとして取り上げようという企図のものではあるまい。そうだ。加えてこれは、はな、リアル「ALWAYS続・三丁目の夕日」的なものも意図しているのやも知れぬ。「芥川賞をねらう。今度こそ、とる」か。
乗れねえわ、そんなもん。フザけんな、こいつこの野郎めが。
自らの意志で全責任を負う、てめえの小説に於いてはいくらでも生き恥を晒してやるが、他人に踊らされた男芸者の真似事は御免を蒙る。それをやったら、自分はあえての野垂れ死にを選んだ師に、地下でまみえる資格を失うことになるだろう。
夜、九時過ぎ鶯谷に出かける。今年に入って初めての女体。相手の口臭がひどい。が、二回戦を所望する。毎日このあたたかさにありつきたい。
ひとりで「信濃路」に入り、ウーロンハイを飲む。芥川賞でも取れれば、現在岡惚れしているあのインテリ女性も、ひょっとしたらなびいてくれるかも、と、暫時夢想。店のテレビを眺めて三時半まで飲み、タクシーで帰宅。全車禁煙となってしまったことを初めて知る。

 

2011年(平成二十三年)
<創る人五十二人の二〇一一年日記リレー> (「新潮」平成二四年三月号)
2.12(土)十一時起床。入浴。午後、北國新聞社総合誌「北國文華」の編集者が来宅。東京支社ではなく、金沢の本社から来られたとの由。清造特集のためのインタビューと、十年前に掲載された小伝の再録の許諾を求められる。小一時間で終わるかと思いきや、延々二時間半もの談話。このところ連日インタビューが続いていたせいか、甚だ気疲れがする。
深夜一時に「信濃路」。生ビール一杯、ウーロン杯七杯に、オムレツ、肉野菜炒め、ワンタンなぞを飲み食いし、最後に生卵入りのカレーそばをすする。タクシーにて帰宅。
2.13(日)十二時起床。終日無為。「新潮」に持ち込むつもりの短編、「寒灯」との題名が浮かんでようやく書き始める態勢が整うものの、何やら気分が乗りきらず。仕方なくサウナに行って、夜まで過ごす。深夜、缶ビール一本、宝焼酎「純」二十五度一本を、手製の赤ウインナー炒めとレトルトカレーで飲む。最後に、緑のたぬきをすすって寝る。
2.14(月)入浴後、十一時半から「高田文夫ビバリー」。三十年来の大ファンで、十代の一時期は、わりと真剣にこの人への弟子入りも考えていた。中卒では到底ムリな話なので、すぐに諦めたが。五時過ぎに銀座へ。「東京スポーツ高橋三千綱氏との対談。中学生の時分のスター作家。氏の芥川賞受賞作「九月の空」は自分の中では青春文学屈指の傑作。緊張の余りくだらぬことをペラペラ喋り、同席していた東スポ社長より見出しは「賢太3P」にしてみたいと。そんな見出しをつけられたら、いよいよもってかの賞のツラ汚し的存在になりかねぬ。
2.15(火)新潮社で「あらたにす」インタビュー。J-WAVE出演。
2.16(水)紀尾井町千代田放送会館でNHKBS「週刊ブックレビュー」収録。
2.17(木)新潮文庫「廃疾かかえて」と「随筆集一私小説書きの弁」ゲラ訂正。共に講談社より単行本として刊行されたもの。その後いろいろな意味でのけったくそ悪さから、先方の部署には一切相談せず、新潮文庫に移籍さしてもらうことにした。
2.18(金)十一時起床。入浴。「ビバリー」。夕方より、東京会館にて第一四四回芥川賞直木賞の授賞式。七十九年前のこの日には、狂凍死した藤澤清造の告別式が付近で挙行されていた。スピーチでこれを言いたいが、他の受賞者のかたがたに失礼になりかねないので、心中でその感慨を噛みしめる。

<一私小説書きの日乗>
3.7(月)「高田文夫ビバリー」聞きつつ「廃疾かかえて」ゲラを見る。いかにも作家らしい一日の始まり。こうした、やるべき仕事のある日々を常に渇望しながらも、しかしこんなのは、所詮今日一日だけのことにしか過ぎぬ。それが証拠に一時間半程でゲラを見終えると、途端に手持無沙汰の態となる。仕方なく外へ出かけ、東京ドームのサウナで夜九時までを過ごす。
3.8(火)読売新聞「私小説はいま」コメント掲載されているので買う。四十分喋って使われていたのは一言きり。どうで一円も貰っていないし、土台中卒に文学の話なんぞ聞く方が間違っている。同じ面の小松左京氏の記事中に田中光二氏の名があり、ほろ苦い感慨。
3.9(水)今日放送の「ビバリー」に録音出演している。送られた「落語ファン倶楽部Vol.12」の礼状を書く。
3.10(木)『小銭をかぞえる』(文春文庫)発売日。毎日新聞インタビュー、言葉が足りていない。が、もうあとの祭りなので、どうにもならない。
3.11なし
3.12(土)終日、きのうの地震の余震が続く。別口の文庫本ゲラ届く。日本記者クラブ講演断る。SAPIO八枚の原稿は受ける。
3.13なし
3.14(月)女性誌「美人百花」インタビュー。これで所期の取材関係全て終了。この二か月程はあれやこれや人前に出て、なかなかに慌ただしかった。「新潮」矢野編集長の気概に応えて短編発表を決意。
3.15(火)確定申告に出かける。昨年の原稿料印税収入の合計480万円弱。意外と普通に食えるだけは稼いでいた事実に一驚。新潮文庫随想ゲラ。
3.16(水)短編の題「寒灯」に決める。書き出し上手くいかず。
3.17(木)「寒灯」未だ動き出さず。東京ドームのサウナに行く。「週刊文春」のアンケート、「今この時こそ読む一冊」に川崎長太郎「父島」を挙げる。
3.18(金)『週刊SPA!坪内祐三との対談ゲラが届く。「寒灯」ようやく辷りだす。
3.19なし
3.20(日)引き続き「寒灯」、一時中断して「日乗」。やるべき仕事があるのは有難い。
3.21(月)「寒灯」ノートに4頁書いて、1頁分斜線を引く。
3.22(火)ノート15頁。まだ予定枚数の半分もいかず。焦る。
3.23(水)うまく没入状態となり、夜八時までに11頁書き上げ、計34頁で終了。清書。
3.24(木)清書、訂正。「寒灯」なんとか出荷可能なところまでこぎつける。
3.25(金)「寒灯」ゲラ。内容も出来も相変わらずのもの。しかし、これでいい。
3.26なし
3.27(日)たまっていた郵便物を見る。新潮社から「筆跡掲載」謝礼8千円の振込通知。
3.28(月)上原善広氏との対談。文庫版「廃疾かかえて」と「随筆集一私小説書きの弁』のカバー装幀の打ち合わせ。後者は親本で使用した図柄を踏襲する。
3.29(火)仕事が立て込み、七尾行けず。BS11テリー伊藤の月に吠えろ」収録。
3.30なし
3.31(木)東スポ随筆連載の打ち合わせ。元東スポ記者高橋三千綱氏との御縁。
4.1(金)「落語ファン倶楽部」からの寄稿依頼。高田先生の意向と。絶句して落涙。
4.2(土)「アッコにおまかせ」から震災に関するアンケート。FAXで返送。「マトグロッソ」山口氏と新宿紀伊国屋前で待ち合わせ。先般電話で罵倒したが一杯奢りひとまず和解。
4.3(日)「随筆集」文庫版あとがき。終日サウナ。
4.4(月)高田文夫リサイタル前売り券三枚買う。
4.5(火)TBS打ち合わせ、女性誌の取材。新潮田畑氏らと砂場。
4.6(水)「週刊文春」から震災復興プランのアイデア的な問い。夜、買淫。
4.7(木)SAPIO随筆(草食系男について)七枚FAX。
4.8(金)日本文学振興会から芥川授賞式の芳名帳と式典写真、DVDが届く。
4.9なし
4.10(日)都知事選。万分の一でも恩返しと、43歳にして初めての投票体験。
4.11(月)TBSゴロウ・デラックス収録。初地上波テレビ局。四谷三丁目、風花。
4.12(火)「小銭をかぞえる」三刷の知らせ。わりと気に入っている作だからうれしい。
4.13(水)赤羽の病院で尿酸とコレステロールの薬貰ってくる。去年の暮以来。
4.14(木)「アサヒ芸能」届く。文芸誌は捨てるがこれは隅々まで読む。
4.15(金)「二度はゆけぬ町の地図」四刷。有難い。夜、買淫。コミックス買う。
4.16~17なし
4.18(月)宝酒造から「純」四ケース届く。礼状。信濃路で「マトグロッソ」山口氏。
4.19(火)「どうで死ぬ身の一踊り」七刷見本。信濃路。藤澤清造資料整理。
4.20(水)「苦役列車」の中国、韓国、台湾語訳の申し込みが、それぞれ複数社来ているとの話。すべて新潮社に一任する。短編集装幀の話し合い。初校ゲラ貰って帰宅。
4.21(木)王子の「半平」で東スポ記者と。
4.22(金)「二度はゆけぬ町の地図」五刷。
4.23なし
4.24(日)北とぴあ昭和のいる・こいる45周年リサイタル」(高田文夫構成)見る。
4.25(月)マトグロッソに送稿したのち無気力状態となる。信濃路。買淫はせず。
4.26(火)東スポ連載、月一ではなく予定通り週一回との連絡。有難い。
4.27~28なし
4.29(金)清造命日。「根津権現裏」七月に新潮文庫で出る。思いが溢れる。
4.30~5.1なし
5.2(月)高円寺都丸書店で島田清次郎大望』函付き1万円で買う。既に全点収集済。
    高円寺ShowBoatで友川カズキ氏のライブを見る。
5.3(火)「落語ファン倶楽部」随筆、高田先生に関しての五枚。
5.4(水)「どうで~」八刷見本。案外に売れているようで結構なことである。
5.5なし
5.6(金)「週刊現代」インタビュー。信濃路。
5.7(土)「東スポ」連載二回目書く。夜、買淫。
5.8なし
5.9(月)「ビバリー」で拙著「一私小説書きの弁」当選されたかたのメールが読まれる。
5.10(火)「週刊プレイボーイ」インタビュー。田畑氏らと砂場。
5.11(水)飯田橋読売テレビ「ZIP」ロケ。「苦役列車」で主人公が住んだ街を、同局の女性アナウンサーと歩くというもの。「苦役」の場面を思い出して苦笑が浮かぶ。「寒灯」ゲラ。
5.12(木)「週刊現代」インタビュー。この版元の「群像」には一年半前より再び仕事を干されているが、週刊誌では三度の登場機会与えてもらい大変有難い。「寒灯」ゲラ。
5.13(金)「寒灯」ゲラ、ようやく見終えてバイク便に渡す。「二度はゆけぬ~」五刷見本。
5.14~15なし
5.16(月)藤澤清造年譜を新潮社に持って行き、古浦氏に渡す。
5.17(火)浜松町の文化放送川中美幸 人・うた・心」出演。信濃路。
5.18(水)「二度はゆけぬ~」六刷の知らせ。これを機に「野性時代」との和解に応ず。赤坂の東北新社NHK番組の打ち合わせ。田畑氏らと近くの「ドトール」。タクシーで神保町に移動し、「EN-TAXI」田中氏と打ち合わせ。途中から坪内祐三氏合流。「揚子江」へ。その後、風花。
5.19(木)「東スポ」第四回。「文芸春秋」アンケート「次の総理はこの人」、「根津権現裏」ゲラ。
5.20(金)「新潮」七月号随筆。深夜三時過ぎにFAXしたら、四時半に田畑氏から返信。
5.21~22
5.23(月)東京フィルハーモニーのパンフレットの文章送る。
5.24(火)新潮文庫根津権現裏」の解説を書く。感情を抑えきれない。
5.25(水)「ミーナ」「プレジデント」インタビュー。フリーのテレビPと打ち合わせ。田畑氏らと鶴巻町の居酒屋へ。「新潮文庫の100冊」に「暗渠の宿」が入ったと聞き、気分良し。また一つ、秘かな夢であったことが実現した。
5.26(木)「根津権現裏」解説清書開始。刈り込んで最終的に十七枚半になる。文春文庫「小銭をかぞえる」四刷決定の知らせ。
5.27(金)道玄坂20分遅刻、岩井志麻子氏「サイゾー」対談。
5.28(土)「根津権現裏」本文ゲラ。
5.29(日)能登へ行けず。
5.30(月)「根津権現裏」本文校訂と語注。
5.31(火)ゲラ戻し終えた後も底本使って確認作業。ルビの件、少々気になる。
6.1(水)早くも六月になった。頭痛がひどい。新潮文庫「暗渠の宿」七刷の通知。今回の部数、3万2千。講談社文庫「どうで~」は八刷だが、累計部数は「暗渠」がはるかに上。
「暗渠~」に併録している「けがれなき酒のへど」を書いていたのが、七年前のちょうど今時分だった。六月の初旬に書き上げ、同人誌の提出日ギリギリで、主宰者の自宅へ持参した。
(「暗渠~」も書いたのは五年前の六月で、新潮クラブに泊まっていた)
その作が、現在ひょんな流れから多少なりとも新しい読者にまみえるかたちとなっているのだから、この世も満更悪いことばかりでもないようだ。
6.2(木)「根津権現裏」解説、語注ゲラ訂正。「東スポ」第六回。「文學界」の田中光子新編集長から来簡。有難し。東京フィルから定期演奏会の招待状。律儀な団体。
6.3
6.4(土)夕刻、染井の慈眼寺墓地へ。芥川龍之介のお墓の掃苔にゆく。お礼参り。
6.5
6.6(月)終日「根津権現裏」三校。夜半より解説再校、語注再校。年譜の微調整。
6.7(火)昼過ぎにすべてを戻して「根津権現裏」完全にこちらの手を離れる。本来であれば、先に自分の方の「全集」一巻をかたちにしなければならぬこと。達成感の一方で、忸怩たる思いも強い。
6.8(水)「日経エンタテイメント」インタビュー、東北新社NHK番組打ち合わせ。田畑氏らと鶴巻町居酒屋。
6.9(木)「yom yom」随筆七枚。東スポ7回。四谷三丁目で「野性時代」との手打ち式。昨年の十月頃から絶縁状態にあったが、無事和解成立。
6.10(金)「ダ・ヴィンチ」から荒木氏による自分の大判の写真が送られてくる。
6.11~12
6.13(月)「波」随筆四枚。「根津権現裏」文庫化の経緯について。町田康「猫とあほんだら」
6.14(火)無性に新宿の寄席に行きたくなるが我慢して東スポ8回。
6.15(水)都庁で石原慎太郎と対談。「en-taxi」の企画。その足で編集者と神宮球場へ。
6.16(木)「落語ファン倶楽部」第13号。拙文についてのダメ出しに反省、感謝。
6.17(金)藤木TDC氏の新刊帯文。
6.18
6.19(日)「文學界」八月号用随筆八枚。去年の今頃は、どこからも、一本の随筆依頼もなかったことを思い出す。
6.20(月)新潮文庫版「根津権現裏」ビニールに入ったものを手渡される。対談相手の朝吹真理子氏にもビニール越しにしか触らせない。風花。朝吹氏のお話が大層面白い。
6.21(火)先月から「小説現代」が寄贈されるようになった。高田文夫坪内祐三のみ読む。
6.22(水)文庫版「根津権現裏」取材日。
6.23(木)『寒灯』新潮社取材日。新宿「かに道楽」で打ち上げ会。
6.24~26
6.27(月)体調悪く、日本中国文化交流会のイベント不参加。『寒灯』二刷の知らせ。
6.28(火)体調戻る。根津、寒灯取材日。砂場。短編シノプシス作り。
6.29(水)今月も能登不参。清造文庫第二弾(短編集、随筆集)の準備にいそしむ。
6.30(木)TOKYOFM「ラジオ版学問のススメ」収録。「根津権現裏」二刷決定。
7.1(金)TOKYOFM「鈴木おさむ・よんぱち」初の生放送。西麻布で、ワタナメエンターテイメント社長渡辺ミキ氏と恵俊彰氏との食事会。
7.2~3
7.4(月)TBSゴロウ・デラックスロケ収録。田畑氏と信濃路。
7.5(火)短編書き出しがうまくいかず断念。角川文庫「二度はゆけぬ~」六刷見本届く。昨年秋文庫に入った際はさっぱり売れなかったが、この一月以降で五回の増刷となった。やはり、芥川賞だけはとっておくべきおくべきものだなと、しみじみ思う。
7.6
7.7(木)NHK番組で使う三枚の「お手本私小説」を書く。朝日書林から電話。清造自筆原稿の入札価格を改めて決める。
7.8(金)四谷三丁目で、NHK制作会社との最終的な打ち合わせ。昨日書いた「お手本私小説」を提出するも、先方のディレクター氏、余り好反応を見せず。一時間で終了し、タクシーで神楽坂下へ。鰻屋「志満金」で山田氏らと打ち合わせ。「野性時代」九月号からの随筆の連載が正式に決まる。有難い。
7.9(土)東スポ11回。町田康「ゴランノスポン」読む。快作集。
7.10(日)明治古典会の七夕大市に出品された藤澤清造自筆原稿三点落札。三点合計の落札価格は404万3000円。
7.11(月)「寒灯」二刷見本。「日乗」送る。
7.12(火)江戸川区の小学校でNHKの番組収録。三十三年ぶりの町。収録終り界隈を歩く。
7.13
7.14(木)短編書けず。先日落札した清造の自筆原稿読む。
7.15(金)清造新潮文庫(短編、随筆)打ち合わせ。「苦役列車」別件打ち合わせ。砂場。
7.16~17
7.18(月)「根津権現裏」二刷見本。
7.19(火)徹夜明けでNHKのロケ撮影。小学校で二回目の授業。その後タクシーで赤坂に向かい、東北新社で別どり。田畑氏と砂場。古浦氏合流するが十数分後に叩き出す。不快なり。風花へ。
7.20
7.21(木)「大竹まことゴールデンラジオ」で大森望氏をディスる
7.22(金)先日謝絶した新潮社編集者(古浦氏)と「砂場」で手打ち。
7.23(土)東スポ13回。町田康「残響中原中也の詩によせる言葉」拾い読み。信濃路。
7.24
7.25(月)田中英光に関する原稿の話がくる。先日も一つあった。返事を留保していたが、結句いずれもやることにする。この作家に関してのことだけは、未だナーバスにならざるをえない。
7.26(火)「野性時代」九月号からの連載随筆第一回目を書く。題して、「一私小説書きの独語」。一年半ぶりに書かしてもらえるようになった同誌。今度は干されぬようにと自戒しつつ、机に向かう。ノートの下書きから始める。
7.27(水)夕方、所用で新宿に出る。用事終了後、寄席に行こうかと思ったが、ふと気が変わり、高円寺の古書店をパトロール。ついで中野のブロードウェイ内の古書店にも足を延ばす。イナズマンの小さいフィギュアを購入。
7.28(木)東スポ14回。夜、買淫。
7.29(金)能登にはゆかず、二日続けて買淫。
7.30(土)小谷野敦東海道五十一駅」「ロクシイの魔」読む。快作。
7.31(日)各部屋の整理をしたのち、夕方、人に誕生プレゼントとして差し上げる品を買いに池袋へ。夜半、今後の小説のスケジュールを立て直す。先の短編から五か月。
8.1(月)「新刊ニュース」アンケートでおすすめの三冊、上原、石原、藤木TDC最新刊。
8.2(火)ひたすら手紙書き。12通。読者のかたが送ってくれた、レトルトのご当地カレー
8.3(水)午後五時の到着を予定していたが、出がけにとった電話が長引いたため、十五分遅れにて神楽坂着。「清流」インタビュー。砂場。
8.4(木)東スポ15回。
8.5(金)古浦氏より「新潮パンダ」キーホルダー届く。念願だった<新潮文庫 夏の100冊フェア>入りを果たした記念。案外かさばるので保存用にする。
8.6~7
8.8(月)夕方、浅草に出張って、演芸ホールで過ごす。九時半、清造スポットたる久保田万太郎旧居前を通り、その並びの、回転寿司を少し高級にした店へ。タクシーで帰宅。
8.9(火)午後、うれしい手紙が届く。「yom yom」まで買って読んで下すっている。心が明るくなる。週刊誌のインタビュー、戻したゲラの文に勝手に異同あり。余り愉快ではない。
8.10(水)次の短編用メモ。まだ書き上げる自信がわいてこない。タクシーで信濃路へ。
8.11(木)NHK番組用「あとがき」四枚を書く。
8.12(金)「東スポ」連載十六回目送る。この木曜掲載「いろ艶筆」に関しては、誰も感想を言ってくれる人がいないので、毎回なんとはなしに気が引ける。手紙三本書く。
8.13(土)夕方より、神宮球場に出張る。一塁側内野S席。阪神戦。ヤクルト快勝。
8.14
8.15(月)新潮社で文庫担当の古浦氏を怒鳴りつける。田畑氏、古浦氏と四谷三丁目。
8.16(火)日曜に痛めた腰が悪化。角川の山田氏、野性時代の藤田氏と神宮球場でヤクルト・横浜戦。四谷三丁目に移動し、「叙々苑」で焼肉を鱈腹食べる。
8.17(水)終日在宅。夜、落ち着いた心持で手紙を三本書く。
8.18
8.19(金)東京会館芥川賞直木賞受賞式に出席。坪内祐三に銀座に誘われるが遠慮す。直木賞受賞者の池井戸潤氏の壇上横の家族席を見て半年前の家族席に誰もいなかったとしみじみ思いだす。
8.20~21
8.22(月)「小説新潮」短編、今月も断念。一寸、どうにもならぬ心境。
8.23(火)一日中、苛立ちがおさまらず。信濃路で飲みながらメモ帳に「野性時代」随筆2回目の下書き。
8.24(水)共同通信から急遽インタビューの申し込み。民主党代表選について。26日に。
8.25(木)野性時代随筆2回目送る。
8.26(金)東スポ18回。新潮社で共同通信インタビュー。矢野編集長があらわれる。えらくにこやかなのが恐ろしい。二百枚の原稿、もう少し時間を頂ける旨、承諾してもらう。
8.27(土)小説の案を立て直す。夜、買淫。
8.28(日)入浴時軽く腰を捻る。朝日新聞週刊文春より電話。
8.29(月)徹夜明けでNHK番組の最終収録。PTAのご婦人から当時の同級生の消息を聞く。番組用に作った文庫本を、「是非とも差し上げたい知人」のために余分に一冊もらう。制作部数五十部。将来、もしか自分の著作本の、奇特なコレクターなぞが出てきた場合は、この本が入手困難な、いわゆる<キキメ>の一冊になるだろう、とほくそ笑む。一時半過ぎ、全撮影終了。もうこれで、本当に、二度この界隈に来ることはないであろう。今度、この生育の地のことを振り返るのは、自分の小説として書くときだけだ。
8.30~9.2
9.3(土)日本テレビで収録。帰宅後、小説を書きたい意欲が俄かに湧いてくる。
9.4
9.5(月)終日無為。川崎長太郎の作を手当たり次第に読み返す。
9.6(火)終日無為。川崎長太郎初期の連作長編「路草」と、最晩年の長編「地下水」を読み返す。
9.7(水)手紙一本書き、郵便局にて発送。夕方、浅草演芸ホールに夜席を聴きに行く。九時過ぎより、寿司屋にて一杯。
9.8(木)パスポート用に江戸川区役所で戸籍謄本を取る。姉の離婚を知る。東スポ20回。
9.9(金)新潮社で「日刊ゲンダイ」インタビュー。新館の写真部でパスポート用の写真を撮ってもらう。田畑氏と四谷三丁目へ。
9.10(土)終日無為。
9.11(日)終日無為。夜、買淫。
9.12(月)提出書類を揃えて池袋サンシャインシティ内のパスポートセンターへ。昔、拙作に出てくる<秋恵>のモデルの女と、ここの水族館に来たことを思い出す。
9.13
9.14(水)韓国の出版社から届いた「苦役列車」のカバー画が転送されてくる。何やら、アジア系ハードボイルド調のデザイン。かなり気に入る。高知県立文学館の原稿。田中英光
9.15(木)新潮社桜井氏より「苦役列車」中国語刊行契約調印の連絡。高知県立文学館の<太宰治田中英光展>の解説パネル書く。東スポ21回。年内一杯までありがたく延長。
9.16
9.17(土)小説予定またも全部の見通しが怪しくなる。新潮の二百枚が、逆算してみて、どうやっても間に合いそうではない。連載随筆手を付けるもはかどらず。半ばヤケで信濃路。
9.18(日)両国「シアターX」で藤澤清造の戯曲を見る。演出がいただけない。
9.19(月)新潮の二百枚、十二月号に載せてもらうのを完全に諦める。
9.20(火)パスポート受け取る。新潮社で「ゆほびか」取材の後、田畑氏。砂場へ。
9.21(水)「週刊ポスト」から十枚の「官能小説」の依頼。珍しく千客万来
9.22(木)「アウトデラックス」ロケ。
9.23(金)東スポ22回。韓国で対談予定のキム・シニョン氏の作を読む。
9.24~25
9.26(月)夜、銀座七丁目で「小説現代」柴崎氏と三年ぶり飲む。
9.27
9.28(水)シアターXの劇評FAX。
9.29(木)フジテレビ「ニッポン小意見センター」収録。東スポ23回。
9.30(金)東京タワースタジオ日本テレビ「深いい話」収録。
10.1~3
10.4(火)~10.6(木)韓国へ「苦役列車」韓国語版出版のプロモーション旅行。
10.7(金)NHK生放送出演の打ち合わせ。
10.8(土)王子駅前で「ENTAXI」田中陽子編集長と打ち合わせ。
10.9
10.10(月)手紙を三本書いて投函。
10.11(火)新潮社から飲まずに、そのまま帰宅。「小銭をかぞえる」五刷決定。
10.12(水)終日無為。机に向かったが、何もはかどらず。
10.13(木)東スポ25回。田中英光「我が西遊記」久方ぶりに読み返す。
10.14(金)NHK「スタジオパークこんにちは」生出演。
10.15(土)肉屋で主人から昨日のテレビを見たといって生ハムのパックをもらう。
10.16
10.17(月)焦りつつも終日無為。書けない時は、どうしたって書けない。
10.18(火)新潮文庫藤澤清造短編集」初校ゲラ見始める。角川文庫「人もいない春」ゲラが届く。単行本は当時サッパリ売れなかったが、その後短期間で急速に版を重ね、一年半で文庫に入る事態になったのは或る意味奇蹟だ。比較的愛着のある拙著なのでうれしい。
10.19(水)「文芸春秋」用のエッセイ三枚。「私のモテ期」との趣旨(芥川賞以降三人に振られた)。
10.20(木)東スポ26回。佐々木氏より友川カズキライブの知らせ。不参になろう。
10.21(金)朝九時過ぎに区の納税部から電話。先週払い込んでいるので、自信満々に先方を怒鳴りつける。新潮社で白っぽい冷ややかな矢野氏と予定の立て直し。「膣の復讐」完成。
10.22
10.23(日)朝九時に家を出て新幹線で大阪へ。上原善広氏との対談。夜八時帰室。
10.24
10.25(火)朝日新聞社から「3.11後 ニッポンの論点」が届く。収録の許諾書不知。
10.26(水)荒木町で高田文夫先生と延々六時間に及ぶ対談。柴崎氏と風花。
10.27(木)「ビバリー」高田先生の愛あるダメ出しにひたすらの感謝。東スポ27回。
10.28(金)東京タワースタジオ、「深いい話」二回目。
10.29(土)上原氏、クール宅急便にて牛肉二キロ送ってくださる。独語4回。
10.30
10.31(月)「膣」「独語」ゲラ。ハングル版「苦役列車」届くが、初版を依頼。「小銭をかぞえる」五刷見本。玉袋筋太郎「新宿スペースインベーダー」読む。面白い。
11.1(火)新潮社で「通販生活」、サントリーウイスキーのインタビュー。
11.2(水)「風花」で坪内祐三と対談。「猫目」に移動し、福田和也に絡まれる。
11.3(木)田中英光命日。28歳の頃までは、この日は青山の立山墓地にある英光のお墓にゆき、その後三鷹に向かって禅林寺太宰治の墓―英光が自らの意志で最後に辿りついたその墓前に佇み、息を引き取った井頭病院を廻ってくるのが常であった。もう不参するようになって十六年が経つ。
11.4
11.5(土)清造短編集のゲラ。
11.6
11.7(月)昨日ひねった腰が悪化。手紙二本書いて投函。帰宅後一歩も外に出ず。読売新聞のおすすめの五冊FAX。清造根源裏、英光オリンポス、葛西子を連れて、横溝本陣、高田。
11.8(火)「ENTAXI」坪内対談で触れた、勝谷誠彦と揉めた件について。
11.9(水)読売<空想書店>原稿送る。「根津権現裏」三刷の知らせ。
11.10(木)東スポ29回。礼状葉書3枚。
11.11(金)新潮社で約一時間半の打ち合わせ。真っすぐ帰宅し、各種ゲラに手を入れる。
11.12~13
11.14(月)柴崎氏より送られた高田文夫との対談写真、廊下の壁面に掲げる。
11.15(火)午後から雑用一束。短編に未だ手をつけられぬ焦りに気分がふさぐ。
11.16(水)東スポ30回。いよいよ追い詰められ、高田文夫のライブも我慢。
11.17(木)短編に着手。四十枚見当。ノート5頁。
11.18(金)短編ノート8頁。
11.19(土)いつものやり方だと間に合わないので、ノート下書きと清書を並行して進める。
11.20(日)各種ゲラ。清書7枚、ノート8頁。
11.21(月)清書8枚。ノート6頁、計37頁で下書き終了。
11.22(火)清書19枚、都合43枚にて「青痣」一応の完成。
11.23(水)訂正で滅法加筆。無駄のないシャープな文体よりかは、くどくどねちっこくてアクの強いそれの方が、自分の良しとするスタイルなので、これはもう致しかたない。
11.24(木)TOKYOMX「5時に夢中」中瀬ゆかり氏の代役で初出演。「根津権現裏」三刷。背表紙を黒にして、やはり大正解。四谷三丁目、柴崎氏。
11.25(金)東スポ31回。「週刊ポスト」「膣の復讐」挿絵が杉本一文であることに感激。
11.26~27
11.28(月)「青痣」ゲラ戻し。
11.29(火)手紙を四本書く。「独語」5回目に取り掛かる。
11.30(水)編著と「二度はゆけぬ~」リニューアルイラスト信濃八太郎氏に依頼。
12.1(木)師走。今年は特に月日の経つのが早い。東スポ32回。映画化コメント要請。
12.2(金)サンデー毎日用の年賀状、課せられた宛先は原発労働者。
12.3(土)夜、久方ぶりに買淫。「スポーツ報知」に映画化の第一報。
12.4(日)フジテレビ「人志松本のすべらない話SP」で共演した稲垣潤一にサインもらう。
12.5
12.6(火)サイン本作りに没頭。
12.7(水)根津権現神社内で「毎日新聞」インタビュー。震災以来壊れていたテレビを池袋のビックカメラで購入。四十型のDVDとブルーレイ内蔵のBRAVIA
12.8(木)芥川賞の三度目の候補に挙がった連絡が来たのが一年前の今日であった。当時まったく「文學界」とは没交渉になっていたので、その連絡は日本文学振興会からのファクシミリできた。もう、候補の対象外にされているものとばかり思っていたので、これにはかなり驚き、落選は分かり切っていても、やはり胸がときめいた。そのときは唯一原稿を受け入れてくれていた「新潮」二月号に「腐泥の果実」の清書をしていた。それ以外に提出する原稿は一件もなかった。それが丸一年のちには、年末までに十本の締め切りを抱えている。つくづく、有難いことである。東スポ33回。残すところあと1回。
12.9(金)NHKアナウンス室より電話、明日放送のBSか何かの番組で、「苦役列車」の一節を朗読したので、規定使用料を振り込むとのこと。現在の韓国の中の日本語文化というテーマの番組らしい。放送後、DVDを送ってくださるよう依頼する。夕方、テレビ届く。四十型はちと大きすぎた感じ。目がちかちかする。
12.10(土)カクヤスで宝焼酎「純」二十五度、720ミリリットル4ケース(48本)注文。
12.11
12.12(月)新潮社でフジテレビ深夜特番打ち合わせ。TBS撮影。田畑氏、古浦氏と砂場。
12.13(火)東スポ正月用随筆書いてFAX。
12.14(水)「新潮」二月号用随筆書き始める。未だに「新潮」に書くときはヘンに緊張する。
「本陣殺人事件」DVD。自分が思う最高の推理映画は曾根中生「不連続殺人事件」。
12.15(木)東スポ最終回。34回、一回も落とさず無事終われてよかった。
12.16(金)帝国ホテルの野間三賞のパーティーで、けったくそ悪い初老の無能作家とすれ違う。「今の、随分と小男だねえ」と言ってやる。気分良し。会場で、先輩作家として敬している佐伯一麦氏に丸四年ぶりにお会いする。こちらの体のことを心配して下さり、大恐縮。坪内祐三に誘われて銀座「ザボン」に移動。同店の美女軍団に圧倒される。
12.17(土)起きると無性に腹が立って、冷凍保存しておいたコンビニおにぎり三個を貪り食う。夜、買淫。「喫煙室」五枚随筆。
12.18(日)届いていた映画「苦役列車」決定稿を読む。ここ数か月、やたらイライラさせられてきた心中の厄介ごとが消え、すべてを捨てて心機一転したためか、仕事はすこぶる順調。これからも、常にこうありたいものだ。
12.19(月)四谷四丁目で映画「苦役列車」のロケ訪問。スナック店内。
12.20(火)「独語」第六回目。
12.21(水)「独語」書き終え深夜FAX。
12.22(木)王子駅売店東スポ三部買う。随筆最終回が一面に出ていて見栄えがいい。
12.23(金)新宿ヒルトンホテルの稲垣潤一ディナーショーへ。
12.24(土)手紙を三本書く。デパ地下でチキン丸焼き買う。イブに買うのは人生初。
12.25(日)「小説現代」二月号から始める連載随筆(東京者がたり)第一回目に取り掛かる。
12.26(月)随筆気にそまず、アタマから書き直す。
12.27(火)随筆FAX。本日発売の週刊文春に「顔面相似形」でフビライ・ハンの肖像画と並べられている。が、正直なところ、さほど似ているとも思われない。四谷三丁目で田畑、古浦氏と忘年会。風花に移動。矢野編集長も合流。去年もこの日に、矢野、田畑氏らと忘年会を行っていたが、そのときの自分は不遇意識の塊みたいになっており、随分と彼らに抗議めいた言辞を弄したものであったが、今年は打って変わって全くにこやかに、そして穏やかに、楽しく杯を重ねる。それにしても今年は本当に、新潮社にはお世話になったものだ。
やはり、作家は不貞腐れながらでも書き続けることが肝心であると、改めて痛感。
12.28(水)映画「苦役列車」クランクアップの打ち上げに参加。
12.29(木)「小説現代」ゲラ。清造短編集ゲラ。
12.30(金)「新潮」三月号用の日記五枚。清造短編集ゲラ。
12.31(土)歩いて染井の霊園にゆき、芥川龍之介の墓参。清造短編集ゲラ。


2012年(平成二十四年)
1.1(日)今年から賀状は元日以降に書いて出すことにした。夕方まで三十枚。短編集ゲラ。
1.2(月)体調悪し。清造短編集ゲラ。新カナ本版、一文字の俗字、異体字を採用するか否かで大いに悩み、他の大正期作家の新カナ本をひっくり返して参照したりするので、なかなかにはかがゆかない。
1.3(火)体調更に悪し。「新潮」三月号日記を書き上げる。FAXでなく郵送。首元の薄寒さに耐えられずタオルをマフラー代わりに捲いて作業を続ける。ルル服用も手遅れの感あり。
1.4(水)朝ひどい悪寒で目が覚める。いったいに自分は、自身の苦痛に関しては滅法弱い質なので、そのまま病人として寝込むことにする。「読む薬」となる正岡子規の「病床六尺」「仰臥漫録」「飯待つ間」を枕頭において、あれこれ拾い読み。
1.5(木)随筆ゲラ、短編集ゲラ。7.4から7.2度に下がる。
1.6(金)平熱に戻る。清造短編集ゲラに没頭。
1.7(土)ゲラおおむね終了。引き続き、語注の方にとりかかる。
1.8(日)終日、語注。
1.9(月)清造短編集の本文と語注のゲラをすべて整える。
1.10(火)短編集解説にとりかかるも、これは本日、まったくはかがゆかず。
1.11(水)解説、少し間を開ける。清造絡みの仕事で焦っての仕損じは到底許されない。
1.12(木)昨年授業した江戸川区小学校の女子児童からの年賀状を受け取る。大切にしまう。
1.13(金)新潮社で打ち合わせ。「苦役列車」早期文庫化の話、先般来より出版部に対して剣呑な思いをふとこっている自分は、ひとまず返答を保留する。田畑氏困惑。氏には悪いが、こちらとしても積もり積もった不信感からのものなので仕方がない。「文芸春秋」に移動。終わって「文學界」の森氏、田中光子編集長らと近くの店で新年会。風花に移動。店に入ると田畑氏がいる。
1.14(土)サウナ、スーパー。自室で久方ぶりにサンマを焼く。余り酒は飲めず。
1.15
1.16(月)『人もいない春』(角川文庫)見本十冊届く。17冊目の単著。この本の元版が出た一昨年六月は、自分が最も精神的に落ちていた時期。南沢奈央氏の解説が実に素晴らしい。
1.17(火)表参道ワタナベエンターテイメント本社で打ち合わせ。七時過ぎにいったん帰宅して入浴後、改めて買淫に出かける。大坪砂男「私刑」集中の短編読み返す。
1.18(水)随想集「弁」以降のエッセイを整理し、コピーをとりにいく。テレビ朝日収録。
1.19(木)東京ドームシティAKBライブ。サンスポの記事依頼。八百字書いて送る。
1.20(金)新潮社で話し合い。昨年暮れから険悪だった出版部桜井氏とひとまず和解。
1.21(土)東京者がたり掲載「小説現代」二月号届く。柴崎氏との再仕事。
1.22
1.23(月)書庫の整理。
1.24(火)「新潮」に紹介された税理士の事務所へ。昨年は新潮社からだけで三千八百万円を得ていたことに一驚。次いで文芸春秋角川書店講談社没交渉だが印税などで百八十万。一昨年の年収480万だったが、今回住民税のみでその3分の2以上の額を別途納める計算に、ついバカ笑い。
1.25(水)四谷三丁目で文芸春秋との打ち合わせ。
1.26(木)「独語」第七回。
1.27(金)悪寒。7.4度。ルル。体力的に老いつつあると実感。サンデー毎日から電話。
1.28(土)清造短編集ゲラの、追加の疑問をチェック。
1.29(日)思うところあり、七尾にゆかず。イベント化したくない。阿佐ヶ谷ロフトでのイベントで又吉直樹氏と同席。終了後酒席も。見れば見るほどその風貌は三島由紀夫に酷似。
1.30(月)清造短編集解説にとりかかる。本当にもう、あとがない。
1.31(火)解説。机に向かって。
2.1(水)解説、夜七時過ぎ、ひとまず書き上げる。
2.2(木)解説清書。バイク便に渡す。
2.3(金)「東京者がたり」二回目書こうとするが頭が清造から戻ってこない。
2.4(土)夕方、床屋に行ったのち、買淫。
2.5
2.6(月)清造短編集解説ゲラ、追加疑問一式戻し。すべての作業が自分の手を離れる。
2.7(火)九日遅れで第十三回「清造忌」。西光寺にて。参会者五名。
2.8(水)徳田秋声記念館。以前不快なことあり、スタッフに話しかけられるも丸無視。
2.9(木)四谷三丁目「叙々苑」にて角川山田氏らと打ち合わせ。「独語」延長の件。風花。
2.10(金)「LOVE書店」人生相談の回答を書く。
2.11(土)税理士に提出する書類を作る。信濃路でEnTAXI田中陽子編集長。
2.12
2.13(月)先週届いていた日本近代文学館の夏期講座の件で、再度返答の催促。引き受けることにする。出演の決まっているテレビラジオの事前アンケート四本せっせと綴る。
2.14(火)「大改造ビフォーアフター」収録。本番前にメインゲストの女優のかた(本仮屋ユイカ)からチョコをもらう。田畑氏と風花。久しぶりに自分に絡んできた馬鹿がおり、軽く一喝して黙らせる。新潮系でも書いたことのある演劇評論家らしいが聞いたこともない。
2.15(水)大関酒造からワンカップ大関送られるが、日本酒は黄桜辛口派。
2.16
2.17(金)南沢奈央氏のラジオに出演。お会いするのは半年ぶり。田中慎弥と対談。
     芥川賞直木賞パーティーに参加。新潮社と和解。
2.18(土)フジテレビでネプリーグ収録。おいしい弄られ方。
2.19(日)新宿ロフト岩下志麻トークライブのゲスト出演。
2.20(月)「藤澤清造短編集」(新潮文庫)見本上がる。すべての点で百パーセント満足できるものではないが、とあれ一つの結実として、清造の位牌と祝杯をあげる。
2.21(火)ラジオ「小島慶子キラキラ」。信濃路でマトグロッソ山口氏。
2.22(水)雑用。
2.23(木)仕事一向に進まず、そろそろ焦りが生じてくる。夜、流れを変える為に買淫。
2.24(金)菊地夏樹氏(菊池寛の孫)と対談。
2.25(土)たまっていた記事のゲラやアンケート処理。吾妻ひでお失踪日記」面白い。
2.26(日)引き受けた仕事全部が、のっぴきならない状態。一つずづつ確実に仕上げる。
2.27(月)「二度はゆけぬ町の地図」八刷の知らせ。
2.28(火)「小銭をかぞえる」六刷の通知。ちょっとは話題になった「苦役列車」なぞよりかは、この愚作の方に奇妙な愛着を持ち続けている。
2.29(水)四月刊の対談集ゲラ届く。映画「苦役列車」PR用DVD。
3.1
3.2(金)神保町でBS11番組「小林麻耶の本に会いたい」ロケ。田畑氏らと打ち合わせ。「苦役列車」文庫解説をダメ元でお願いしたかた(石原慎太郎)が引き受けてくれて感激。
3.3(土)関西テレビ特番収録。体調悪く原稿途中で寝る。
3.4(日)赤坂草月ホールで「共感詩」を発表するイベント。「東京ものがたり」FAX。
3.5(月)徹夜明けで新宿アルタへ。「笑っていいとも!」生放送出演。
3.6(火)「対話集」ゲラ。
3.7(水)「対話集」後日談。
3.8(木)税理士事務所へ。その足で新潮社へ。些か腹に据えかねた事柄があり、田畑氏を面罵、そのまま同社を出る。深夜、番組予習DVD。
3.9(金)雑誌3つ届く。いずれも表紙に自分の名前。甚だ気分良し。短編想を練る。
3.10(土)「文學界」短編シノプシス。浅草でマトグロッソ山口氏。
3.11(日)「対話集」あとがき。
3.12(月)短編進まず。
3.13(火)午後、ベランダで洗濯物を干していた際に軽く腰を捩る。まずい感じの痛み。
3.14(水)腰痛悪化。短編進まず。宅配寿司三人前取るもひとつも美味しくなし。
3.15(木)腰痛ピークか。「二度はゆけぬ~」九刷の知らせ。
3.16(金)マツコ・デラックス氏と「en-taxi」用対談。バレンタインに色紙目当てでチョコを送ってきたファンがいたと話す。以後手紙には返信せず、金で解決すると。石原慎太郎自筆のゲラにメッセージが添えられているのを受け取り感激。
3.17(土)江戸川区小学校PTA会長(旧友)より卒業式の代読メッセージを依頼される。
3.18
3.19(月)日本テレビでクイズ番組収録。短編ノート2頁。
3.20(火)短編1頁。いよいよ追い詰められた。
3.21(水)短編ノート7頁。ようようエンジンがかかった感じ。
3.22(木)ノート11頁。久しぶりに飲酒が楽しい。
3.23(金)ノート12頁。終わりが見えてくる。
3.24(土)清書。17枚。ノート4頁、都合41頁で終了。
3.25(日)終日清書。
3.26(月)きっかり50枚で完成。携帯通話不能。コンビニで料金払い込み。
3.27(火)フジテレビ収録。石原良純氏に挨拶さしていただく。
3.28(水)「独語」FAX。
3.29(木)「5時に夢中」生出演。
3.30(金)夜、田中光二氏の自殺未遂のニュースに衝撃を受ける。
4.1(日)上原善広文庫解説。映画のミニトーク出演。
4.2(月)「東京ものがたり」四回目。祖母の祥月命日。
4.3(火)「随筆集」ゲラ。
4.4(水)テレビ朝日Qさま」収録。
4.5(木)映画「苦役列車」初号試写。関係者百数十人での観覧。
4.6(金)「文學界」五月号に丸四年ぶり掲載。「棺に跨がる」。感無量。
4.7~4.8
4.9(月)藤野可織「パトロネ」、小谷野敦「カスタマーレビュー」拾い読み。『波』四枚。
4.10(火)田中慎弥田中慎弥の掌劇場」、町田康「バイ貝」。赤羽の病院で痛風の薬。
4.11(水)新潮文庫の古浦氏との電話で一悶着あり。自分は激怒する。不快の極み。
4.12(木)昨夕、高田文夫先生が緊急搬送されたことを知り、動揺する。新潮社と仕方なく和解する。「5時に夢中」
4.13(金)『西村賢太対話集』(新潮社)見本開く。自分の著書としては、文庫本、海外版と併せて18冊目のものとなる。最初の拙著が上梓されたのは平成18年だから、爾来6年、あちこちで干されまくってるわりには、著書だけはよく出してもらえている方だ。してみると自分は、これで案外書き手としては、自分で思うほどそう不遇ではないのかもしれぬ。とあれ祝いとして、夜、久々に買淫に出向く。
4.14(土)『苦役列車』(新潮文庫)見本十冊届く。19冊目。
4.15
4.16(月)文化放送「くにまるジャパン」録音。「編集会議」「本の話」インタビュー。
文學界」の森、丹羽氏、田中光子編集長と蕎麦屋で一杯。自作の提出期日決める。
4.17(火)雑用。フジテレビ深夜番組「OMOJAN」収録。
4.18(水)手紙一本書いて投函。「日刊ゲンダイ」インタビュー。テレビ朝日で直純氏。
4.19(木)「週刊ポスト」風俗インタビュー。横田記者若い女性だが下ネタ連発。
4.20
4.21(土)インタビュー各ゲラ、ラジオのアンケート。礼状二本。信濃路でマトグロッソ山口氏。
4.22
4.23(月)「独語」十回目。
4.24(火)高田文夫先生が休養中の「ビバリー」に生出演。「独語」つづき。
4.25(水)テレビ朝日クイズ番組。映画「苦役」ポスター、チラシ届く。
4.26(木)山田花子の著書五冊、青林工芸舎高市真紀氏より届く。いじめやメンヘラを、自らは血を流すことなく、ただ観念のみでこねくり回した、馬鹿な文芸編集者とヤワな読者が大喜びするような昨今の一部純文学(?)なぞ、山田花子の世界の前では、如何に都合のいい妄想の産物であるかが知れる。しかし、この人の漫画は読むほうもヘトヘトに疲れる。
4.27(金)東映プレスシート用「映画苦役列車に寄せて」提灯記事書く。最低限の情け。
4.28(土)帯を書いた吉田聡「七月の骨」第三巻届く。
4.29(日)水谷準「エキストラお坊ちゃま」読む。著者得意のユーモア探偵小説。
4.30
5.1(火)フジテレビ「OMOJAN」。鈴木詩子「女ヒエラルキー底辺少女」読む。
5.2(水)東スポの「対話集」サイン本プレゼントのおまけに「3P」縮刷版とあり噴き出す。
5.3(木)東京ものがたり早稲田編。上原善広「異貌の人びと」読む。
5.4(金)些か緊張を要する手紙を一本書く。「文春」橋本徹総理を支持するか四枚。
5.5(土)随想集ゲラ。番組アンケート。
5.6(日)「随想集」信濃八太郎氏の装画が素晴らしい。稀有な力量。
5.7(月)礼状二通を書いて投函。「かに道楽」で新潮社との会合。
5.8(火)文庫「苦役列車」二刷の知らせ。単行本と合わせ累計31万部。
5.9(水)またいつの間にやら乱雑な物置部屋と化していた、書庫(五・五畳部屋)の整理。しかしもうそろそろ、これらは大処分の必要に迫られている。
5.10(木)「東京スポーツ高橋三千綱氏のコラムが、まるまる自分のことを取り上げて下すっている。余りに過分なお言葉で、ひたすらに恐縮。
5.11(金)J-WAVEロバート・ハリス氏のラジオ収録。これにて、ひとまず当面のテレビ、ラジオ関係の出演は全終了。ようやく肩の荷が下りた気分。帰宅すると、新潮社を経由して町田市民文学館から講演の依頼状。一考の余地なく断りを即答。
5.12~13
5.14(月)こちらも物置小屋と化していた、玄関脇の仕事部屋(四畳半)を少し片づけようとするも、どこから手を付けていいか分からず。(※初めて?「帰室」との表記あり)
5.15(火)手紙二本と、高橋三千綱氏へのハガキを書いて投函。「文學界」短編シノプシス
5.16(水)「週刊現代」六角精児氏の「苦役列車」評に感動。読んでみて、余りの有難さに胸のつまる思いがした。…方やあの映画には、わけの分からぬ人物のカメオ出演みたいなのがあったが(※原作者の西村自身のこと)、本当に無意味、かつ見苦しいことである。夜、久しぶりに買淫。
5.17(木)短編書き始める。
5.18~19
5.20(日)池袋リブロでの上原善広久田将義トークショーに参加。真直ぐ帰宅し短編。来週をもって終了する本日記の、イースト・プレス社での単行本化に断りを入れる。本日記は六月より、文芸春秋社のHPにて新規連載開始。
5.21(月)青林工芸舎より、拙文を載せて頂いた<山田花子フェア>用のペーパーが届く。
5.22(火)短編続き。
5.23(水)「随筆集 一日」見本出来上がり日。第二随想集。
5.24(木)東映よい映画「苦役列車」の横断幕が届く。この映画には、制作サイドの不備がひどく多い。自分は昨年来、そのプロデューサー等から、えらく不快な思いをさせられている。正直言って、原作に名を連ねることも不快な、極めて不出来な映画だし、ストーリーの改変も、原作を超えてくれるものであればそれは別物として大歓迎なのだが、客観的に見ても到底その域には達していない。自分はこの映画を二度見ることはない。時間のムダである。
5.25(金)サウナの帰り道、花屋で紫陽花の鉢を二鉢もとめる。毎年この時期になると買ってきてベランダに置き、水なぞもやるのだが、半月たたずに枯れ果てる。が、数日間の目の保養の為に例年欠かさず買い求めるのは、この花は江戸川区の生家の庭に、結構な規模で植えられていたが故である。
5.26(土)ひたすら清書作業。都合四十四枚。題して「脳中の冥路」。
5.27(日)朝六時に訂正を終えて、「脳中の冥路」、一応の完成というかたち。やはり、自分は小説を書いているときが一番楽しい。夜っぴて待ってて下すっていた「文學界」の森氏にすぐさま電話を入れ、バイク便の手配をしてもらう。六時半に、すでに酒を始めていたところへバイク便の引き取り到着。七時半、寝室に入って眠る。午後一時起床。就寝中に森氏より、今回も無事採用との留守電とファクシミリが届いている。雑用片しつつ、ゲラを待つ。夜八時前に、バイク便にてゲラ到着。晩飯を食べて三時間程眠ったのち、訂正開始。翌朝五時半、ファクシミリにて森氏に送る。このまま校了とのこと。飲酒して寝る。
<一私小説書きの日乗 憤怒の章>
5.28(月)夜、買淫。
5.29(火)マクトグロッソへ日乗最終回送る。夕方、些か不快なことあり。
5.30(水)王子駅前の半平で文芸春秋大川氏と。「独語」送る。
5.31(木)新刊『随筆集 一日』(文藝春秋)見本開く。高田文夫事務所からのファクシミリ。安堵と感涙。
6.1(金)ミュージシャン島良平(ドレスコーズ)と対談。
6.2(土)「随筆集、一日」の寄贈本を自室にて作る。手紙を添えて署名を入れるが、極めて個人的な交遊相手ゆえ、版元に住所氏名を知られるのは些か憚られる。(文芸春秋H24.8「月間日記」より)
6.3 なし
6.4(月)「東京ものがたり」上野編。信濃路。映画苦役列車の主人公ここで飲んでいた。
6.5(火)「キネマ旬報」インタビュー。田畑氏、古浦氏と砂場。「不連続殺人事件」DVD。
6.6(水)テリー伊藤と対談のあと、AKB総選挙へ。
6.7(木)スーパー。「週刊文春」原稿三枚。
6.8(金)一昨日の武道館観覧記三枚半。「喫煙室」用二枚弱二本。
6.9(土)お台場ヴィーナスフォート稲垣潤一のイベントでトークゲスト。
6.10 なし
6.11(月)四谷三丁目で田畑氏、矢野氏と焼き肉。
6.12(火)六角精児と対談。メルアド交換する。
6.13(水)テレビ朝日クイズ番組。映画「苦役」パンフレット用二枚。
6.14(木)東海テレビ「有吉のヘベレケ」でへべれけ。
6.15(金)名古屋駅ホームできしめんすすって帰宅。文庫「苦役列車」三刷。文芸春秋社で雑誌インタビュー。終わって出版局大川氏と近くの小料理屋。「文學界」誰も姿見せず。勢いが止まると冷たいものだ。
6.16なし
6.17(日)夜、買淫。実に、ちょうど二十日ぶり。心地良し。(文芸春秋H24.8「月間日記」より)
6.18(月)「文芸春秋」の「この人の月間日記」書き出す。
6.19(火)新潮社でテレビブロス誌インタビュー。苦役列車こき下ろす。終了後、一昨日に電話で口論となって、クビを言い渡しておいた田畑氏の件につき、矢野編集長と話し合う。
砂場で手打ち。
6.20(水)「新潮」の随筆「結句、あきたりない」(元タイトル「リアル貫多、映画を見て失笑す」を変更)。
6.21(木)「ENTAXI」企画で木内昇氏と対談。
6.22(金)随筆七枚、日記21枚。
6.23~24なし
6.25(月)書くものすべて苦役列車への苦言となっているのに失笑。昨日入手したメディコム・トイの金田一耕助フィギュアを眺めつつ、宝一本。付属品のトランクを左手に持たせ、右手は後頭部を掻くかたちのポージングを取らせてテーブル上に置き、一人悦に入る。
6.26(火)映画関連の印刷物数種、自分に直接関係のある箇所のみ校正して返送。
6.27(水)知人上京。夕方から合流し、浅草にて寄席を聞き、バッティングセンターによったのち、寿司を食べる。
6.28(木)昨日の知人とまた夕方から合流し、東京ドームで日ハム対楽天のナイター見る。そののち、「信濃路」で一献。店員を通じて店長から拙著五冊への署名を求められる。些か感無量。署名のお礼ということで、なんとこの日は会計を、ロハにしてくれる。
6.29(金)苦役列車三刷見本届く。ホテルオークラで新潮三賞のパーティの方のみ出席。田畑氏、古浦氏と四谷三丁目。レバ差しを巡って古浦氏軽くキレる。
6.30~7.1なし
7.2(月)夜、買淫。
7.3(火)「新潮」の田畑氏と次の中編小説の期日の件で揉め、クビを通告。
7.4(水)四谷三丁目の焼肉店で「文學界」打ち合わせ。風花。
7.5(木)田畑氏から音沙汰ないので苛立ち、深夜再度矢野編集長にFAX。
7.6(金)矢野氏から実に誠意のある返信明け方に届いていた。
7.7(土)矢野編集長の対応で四谷三丁目で和解。一種タカリの手口めいた瀬戸際外交
7.8なし
7.9(月)新潮文庫5,6,7月と中吊り広告。どうりで売れ行き好調なわけである。
7.10(火)町田康「餓鬼道巡行」読む。フジテレビバラエティーOMOJAN
7.11(水)テレビ朝日クイズ番組。石田衣良氏と。
7.12(木)終日無為。誕生日に読者のかたからCDをプレゼントされ、感激す。
7.13(金)丸の内東映の前に30分近く佇む。
7.14(土)映画初日舞台あいさつ。高田文夫氏から退院メッセージ。
7.15(日)飯田橋朝日新聞インタビュー。四谷三丁目で田畑氏と焼肉。
7.16(月)酒井順子「もう忘れたの?」読む。
7.17(火)新宿バルト9に映画「苦役列車」を見に行く。二度目。やはりつまらなかった。
7.18(水)韓国映画「プンサンケ」推薦コメント八十字。
7.19(木)砂場で田畑氏、古浦氏と。その後「野暮用に赴く」。
7.20(金)既知の読者のかたより、扇子と洋画のDVDを贈られる。
7.21(土)中編、未だ出発できず。毎度のことなので焦りはなし。宮野村子『紫苑屋敷の謎』27年ぶりに再読。日本テレビで生放送クイズ特番。吉田豪氏にあいさつ。
7.22なし
7.23(月)四谷三丁目で「週刊ポスト」女性記者と飲む。風花へ。坪内氏と合流。
7.24(火)町田康「この世のメドレー」読む。
7.25(水)深更十二時半に室を出て、一時に新宿バルト9で知人と待ち合わせ。映画「苦役列車」のミッドナイト上映を、仕方なく見る。終了後、末広通の終夜営業でやっている居酒屋で軽く一杯飲み、明け方五時前に解散。
7.26(木)「根津権現裏」元本で読み返す。
7.27(金)「根津権現裏」完読し、儀式終了。ようやくウツボツたる創作意欲蘇る。
7.28(土)中編準備、全完了。此度の設計図は、「どうで死ぬ身の一踊り」のときと同様、やや大まかなもの。果たしてどうなるか。文春文庫「小銭をかぞえる」七刷の知らせ。
7.29(日)今回も掃苔に行かぬ。が、本日より中編書き出す。何に対してか知らぬが、いい感じに生じてきている身中の怒りが、何よりの援軍になってくれている。
7.30(月)夕方、楽しきことあり。
7.31(火)夕方、知人と銀座で合流。知人が奢ってくれるとのことで、丸の内東映にて映画「苦役列車」を見る。6時55分からの回。テケツの窓口に並んでいると、前に並んでいた方が小銭入れからジャラ銭をぶちまけてしまう。知人は条件反射みたくして、すぐさまそのほうへ行き、わざわざスカートの膝を折ってまでして、一緒に拾ってあげている。観客は30人ほど。四回目なので、終始仮眠タイム。終了後、共に信濃路へゆく。
8.1(水)雑用片付かず苛立ちがつのる。が、またもや夜に楽しきことあり。救われた思い。
8.2(木)中編はかがゆかず。酒に逃げる。
8.3(金)有楽町よみうりホールで日本近代文学館による藤澤清造についての講演。やっぱり苦手。来てくれた田畑氏、森、丹羽氏、田中光子編集長らと有楽町駅近くのビアホールにて軽く飲む。帰路の車中、古浦氏の姿が見えぬことを軽く抗議する。五時半過ぎに帰宅すると、うれしき手紙が届いており、俄然仕事に対してのやる気が出てくる。
8.4(土)朝日新聞BEが届く。インタビュー掲載号。
8.5(日)中編脇にのけ、「東京ものがたり」第八回に着手。
8.6(月)ノートに書きつけていた下書き、内容がまったく面白くない。夜手紙書いたり。
8.7(火)思うところあり、買淫を一時中止しているので、逃げ場と言えば、好きな私小説の復読以外になし。
8.8(水)テレビ朝日クイズ番組。信濃路。同人誌時代の作はこのカウンターでメモ作り。
8.9(木)サウナで高校野球ぼんやり眺む。スーパー。掲載「プレイボーイ」届く。
8.10(金)某誌より風俗についてのインタビュー依頼来るも、思うところあってお断りする。大河内常平「25時の妖精」(昭35,浪速書房)を復読。この無神経なまでに堂々としたヘタウマ文章がたまらない。英光、長太郎、大河内、そして石原慎太郎と、自分の好きな小説家の文章は、いずれもこの点で共通の深い魅力をもっている。自分が憧れつつも決して真似ることのできない、八方破れな捨て身の文体の輝きだ。
8.11(土)夕方散髪。テリー伊藤氏のコラムを見て涙が出た程に有難かった。
8.12なし
8.13(月)下書き進まず。杉本一文氏のポスター角川から届く。
8.14(火)ノート進まず。焦りが頂点に達する。朝日書林が送って来た特装本開封
8.15(水)田畑氏に電話で白旗。夜、氏から恐ろし気なFAX届く。
8.16(木)ワタナベエンターテイメント打ち合わせ。
8.17(金)東京会館へ。大森望氏に会う。四谷三丁目で田畑氏、古浦氏に謝罪。
8.18~19なし
8.20(月)朝日新聞に19歳の写真載っている。横浜の造園会社で働いていたときの。
8.21(火)暑すぎて具合悪し。「プンサンケ」パンフレット到着。
8.22(水)「小銭をかぞえる」七刷見本届く。水谷準「獣人の獄」20年ぶり再読。
8.23(木)「週刊文春宮藤官九郎コラムで苦役列車取り上げられている。一点気になったのは、「私小説を娯楽作品へと転化した」とあることで、自分は私小説を娯楽以外のものに思ったことは一度もない。深夜信濃路にゆくも、人手が足りなくなり二時で閉店と。
8.24(金)終日在室。暑くて外出する気にならず。田中英光私小説を「娯楽」として復読。未完のまま終わった「狂気の太陽」と「愛と青春と生活」を途中まで。
8.25~26なし
8.27(月)体調悪し。
8.28(火)深夜黄桜五合パック開栓するも、何やら持て余して、少し残る。
8.29(水)依然体調悪く、終日無為。
8.30(木)サウナ帰宅後、何もする気起こらず。朝日書林から届いていた段ボール開封
8.31(金)終日無為…に近き状態。仕事やったり、やらなかったり。
9.1(土)業者がガス台所警報機取り換えに来る。フジテレビ「アウトデラックス」収録。
9.2なし
9.3(月)体調すぐれず、気分がふさぐ。仕事やったり、やらなかったり。
9.4(火)廊下の段ボール七箱程整理。苦役列車関係多し。「本当にコケてどうすんだよ」。
9.5(水)テレビ朝日クイズ番組。夕方六時過ぎ帰宅。
9.6(木)体調、なかなか復さず。
9.7(金)テレビ朝日クイズ番組。午後二時から午前〇時過ぎ。仕事はかどらず気分も重い。
9.8(土)東京芸術劇場「東京福袋」催し。本谷有希子氏との自作朗読と対談。その後、田畑氏、森氏と合流し、四谷三丁目で焼肉。午前〇時過帰宅、仕事に取り掛かるもはかゆかず。
9.9(日)仕事進まず。だが体調はだいぶ良くなってきた。
9.10(月)テレビ朝日クイズ番組。午前〇時過ぎ終了。帰宅後仕事もはかがゆかず。
9.11(火)円谷プロ怪奇大作戦」DVDボックスどうでも購入することを決める。
9.12(水)武田武彦の詩集「信濃の花嫁」届く。四谷三丁目で森、丹羽、大川、田中光子氏。風花。一一時半過ぎ帰宅。日曜の夜に一寸気まずくなった知人と電話で和解す。
9.13(木)信濃路でENTAXI田中陽子氏と。短編と対談の件。
9.14(金)ワタナベエンターテイメントから見ることを義務付けられていた某番組DVD三本眺む。
9.15(土)仕事やったり、やらなかったり。もう一つ、覇気が出ず。
9.16(日)終日在宅、終日無為。少々痛風の兆候。
9.17(月)終日在宅、終日無為。痛風は発症前に波が去ってくれた。
9.18(火)クイックジャパンに雑文二枚。送稿するも返事なし。田畑氏に今月も謝る。
9.19(水)気持ち千々に乱れ、落ち着かず。夜、浅草に赴き、演芸ホールで時間を潰す。吉野家で牛丼を食し帰宅。買淫がしたし。
9.20(木)新潮文庫「どうで~」見本届く。酒井順子「この年齢だった!」読む。
9.21(金)夕方、銀座松屋の<ベルサイユのばら展>に赴く。期間中、見に来られぬ知人(全くべるばら世代ではないのだが)に頼まれ、会場限定グッズを入手するため。オスカルグッズを百点近く購入。汗みずくとなる。三人の女性の方に握手を求められる。
9.22(土)急遽「文學界」用の短編を起稿。ノート下書き開始。
9.23(日)いっとき「野性時代」で散発的に採ってもらった、やや軽めの秋恵もの。往時、この筆致のものを純文学系の媒体でやってみたくてたまらなかったが、丁度その時分はどこからも門を閉ざされていた状態だったので、それを叶えることはできなかった。
9.24(月)TOKYO MXのP、構成作家らと打ち合わせ。来月からの生放送の件。
9.25(火)ノート28頁で完成。
9.26(水)清書、35枚で終了。引き続き全体を音読しながらの訂正作業。
9.27(木)ゲラ。来月7日発売なのにかなり無茶。「豚の鮮血」完成。
9.28(金)クイックジャパン短文ゲラ返送。
9.29(土)「毎日新聞」鈴木記者がちくば文庫で出す飲み屋エッセイに以前のインタビュー記事収録したいと連絡。無論、快諾す。銀座で「週刊アサヒ芸能」松尾氏と打ち合わせ。
9.30(日)田畑氏と四谷三丁目で焼肉。釈明と謝罪。
10.1(月)「どうで死ぬ身の一踊り」(新潮文庫)見本。ズレがあり半数を返品。
10.2(火)「ニッポン・ダンディ」生放送レギュラー出演開始。ダイヤモンドユカイ氏と。
10.3(水)木内昇「ある男」読む。さり気ない力作。
10.4(木)羽田より、夕刻発つ。小旅行。
10.5なし
10.6(土)「豚の鮮血」掲載号(「文學界」11月号)届く。一昨年の「陰雲晴れぬ」「落ちぶれて~」「苦役列車」「腐泥の果実」と四作立て続けに書いた辺りで固めた小説へ対する悪度胸(五流の私小説書きとして生きる諦観、といってもよい)が、我ながらいよいよ板についてきた自覚あり。
10.7なし
10.8(月)次の短編二本のネタ繰り。一本は例によっての秋恵もの。
10.9(火)TOKYO MX控室でフジテレビとWOWOW打ち合わせ。「東京物語御徒町編。
10.10(水)明日収録の番組の虫食い問題に埋める言葉の用意。意外に手間取る。
10.11(木)フジテレビ番組収録。前室で大竹まこと氏とお話。信濃路で反省会。
10.12(金)WOWOWでの回答となるストーリー作る。分不相応で手間取る。
10.13(土)ゴミが一つ片付いたらしい。(丸谷才一のことか?)「新刊ニュース」アンケート。
10.14なし
10.15(月)新潮社で雑誌取材。終了後田畑氏と四谷三丁目。
10.16(火)帰宅後、小不快事あり。気分悪し。取り掛かっていたゲラを放棄。馬鹿馬鹿し。
10.17(水)不快は続く。夕方、浅草に赴き演芸ホールにて時間を潰す。
10.18(木)大森望「新編SF翻訳講座」読む。四谷三丁目で幻冬舎打ち合わせ。
10.19(金)郵便局にて、特別区民税払い込む。延滞利息込みで170万。
10.20(土)砂場で田畑氏と文庫の者と和解、のつもりであったが、激昂して追い払う。
10.21なし
10.22(月)WOWOW特番収録。「したてに居丈高」第一回書く。
10.23(火)右膝に痛風発症。「ニッポン・ダンディ」の後、かねてから予定の入っていた、絶対に外せぬ野暮用。タクシーで浦安へ。
10.24(水)午前中から、銀座で買い物。午後二時半過ぎに空港までゆき、夕方、タクシーで一人帰室。痛風の痛み止め飲みながら。
10.25(木)新潮文庫の部長からFAX。非礼な者に対してはそれに合わせてあげた返答。
10.26(金)痛風まだよくならず。文庫担当者から留守電。
10.27(土)依然、痛し。
10.28(日)TUTAYA横溝正史原作映画の十作品」。
10.29(月)病院処方の強い痛み止め飲む。新宿一丁目で本谷有希子氏と対談。風花。
10.30(火)ニッポン・ダンディ。原稿はかがゆかず。
10.31(水)テレビ朝日Qさま。原稿はかがゆかず。
11.1(木)田中慎弥「夜蜘蛛」読む。面白い。原稿はかがゆかず。
11.2(金)テレ朝「中居正広の怪しい噂の集まる図書館」。満寿屋から原稿用紙いただく。
11.3(土)フジテレビ「ほんまでっかTV」。
11.4(日)東北新幹線で仙台へ。東北大学の学園祭トークショー出演。夕方そのまま帰京。
11.5(月)フジテレビ「ソモサンセッパ」。
11.6(火)ニッポン・ダンディ。
11.7(水)都庁で石原慎太郎と対談。「クロストーク
11.8(木)NHK放送センターで生活保護討論会的な番組。
11.9(金)entaxi用短編。「したて」三回目。
11.10(土)夜、雑用にて外出。ノート8頁。
11.11(日)短編清書。
11.12(月)「形影相弔」送稿。ゲラ。
11.13(火)ニッポンダンディ。買淫がしたし。
11.14(水)京都の高校の図書部から来ていた、読書アンケートに回答。
11.15なし
11.16(金)新年号用短編のうち一本を断念す。「したて」第四回。
11.17(土)短編の構成を立て、何とか設計図を作れるところまで持ってゆく。
11.18(日)短編書き始める。が、五十枚見当は目測誤りである気配ヒシヒシ感じる。
11.19(月)新潮社で毎日新聞取材。田畑氏と砂場。短編別の筋を立て直したい希望伝える。
11.20(火)新潮用の新たな三十枚、おおむね筋まとまる。設計図でき、書けたも同然。
11.21(水)ノート4頁。
11.22(木)「したて」第五回。ノート3頁。昨年母から届いた手紙引き写し。手が止まる。
11.23(金)一日が、雑用にて潰れる。ノートは触れもせず。
11.24(土)ノート7頁清書。ノート12頁。
11.25(日)痛風左足踝に発症。ストレスの故か。清書。ノート6頁。ひとまず完成。
11.26(月)清書。訂正。きっかり三十枚にて終了。「感傷・・」。
11.27(火)ゲラ。
11.28(水)テレビ朝日QさまSP。百田氏と話す。
11.29(木)町田康「スピンク合財帳」読む。十条で初めて入った中華で満腹。
11.30(金)仕事の予定立て直す。来月は随筆が立て込んでいる。
12.1(土)月末の払い一式を忘れていた。第三期分住民税83万円。理不尽。
12.2(日)「したて」六回。
12.3(月)岩井志麻子とアサヒ芸能の対談。「女ができました」と冒頭に発言。
12.4(火)ニッポンダンディ。水道橋博士「芸人春秋」読む。まことに滋味深き名文。好著。
12.5(水)「したて」7回。
12.6(木)「したて」8回。
12.7(金)ホテルオークラ文芸春秋忘年会にゆく。森、丹羽、田中光子氏と四谷三丁目。
12.8(土)日本テレビ年末クイズ特番。「東京ものがたり」。
12.9なし
12.10(月)東スポ正月用随筆。
12.11(火)ニッポンダンディ。朝日新聞用随筆。味覚エッセイ。
12.12(水)「したて」。「文學界」用短編。ノート7頁。
12.13(木)夜、赤羽の病院で痛風の薬をもらい、十条の駅前で唐揚げ定食を食べて帰宅。
12.14(金)サウナから帰室後、昨日分の下書きを清書。ノート8頁。
12.15(土)エッセイ三本、対談のゲラ。ノート9頁。
12.16(日)清書。きっかり四十枚。欄外の書き込み入れて42,3枚になってしまう。
12.17(月)痛風。フジテレビクイズ番組。ゲラ。「破鏡前夜」完成。
12.18(火)ニッポンダンディ。信濃路で田畑氏と打ち合わせ。来年上半期までの予定打診。
12.19(水)痛みは続く。朝日新聞エッセイ第二回。
12.20(木)東武デパート内の伊東屋でプレゼント用の万年筆を買う。随筆第三回。
12.21(金)夜、大塚の萬劇場に芝居を観に行く。「したて」第九回。年末進行一段落。
12.22なし
12.23(日)「平成教育委員会」。ビートたけしとその取り巻きとの一夜。
12.24(月)織田啓一郎「谷中ゲリラアーチスト」帯文。
12.25(火)京都府立綾部高校図書館から図書館だより送られてくる。ニッポンダンディ。
12.26(水)新潮田畑氏、矢野氏と忘年会。桜井氏は来ず。勢いが止まると冷たいもの。
12.27(木)「ニッポン・ダンディ」忘年会。水道橋博士からたけしとの写メいただく。
12.28(金)郵便局にて、年賀状四十枚買う。
12.29(土)「東スポ」コンビニで買う。「魔の期間」掲載。
12.30(日)年賀状二十六枚書いて投函。
12.31(月)近所の銭湯に行ったのち、池袋東武デパート。明け方東宝版「獄門島」DVD。

 

2013年(平成二十五年)
1.1(火)何やら気だるく。終日無為の状態となる。珍しく食パンが欲しくなる。
1.2(水)「日乗」ゲラ。コンビニで食パン。
1.3(木)朝日新聞エッセイ。
1.4(金)賀状着四枚、発一枚。
1.5(土)TOKYOMXで石原との対談番組。色々な意味で自己嫌悪に陥る。
1.6なし
1.7(月)年内の仕事の予定を細かくたてる。
1.8(火)「ニッポン・ダンディ」今年最初の生出演。
1.9(水)水道橋博士「芸人春秋」の書評を書いて週刊現代へ。
1.10(木)四谷三丁目で田端氏ら。風花。
1.11(金)「日乗」カバー案ピンとこず、信濃八太郎氏にお願いすることにする。
1.12(土)六本木「サライ」仕事で日本酒。
1.13(日)「苦役列車」DVD送られてくる。知人に配る分が間に合った。一人寄せ鍋。
1.14(月)大雪。「新潮」三月号用の八十枚書きだそうとするが収穫ゼロのまま飲酒。
1.15(火)「ニッポン・ダンディ」終了後、神保町でエロ本を買う。
1.16(水)「新潮」はかがゆかず厳しい。
1.17(木)白旗。田畑氏あれこれ食い下がってくるが書けないものはかけない。「坂本龍馬はいなかった」好もしき暴論。
1.18(金)玉袋筋太郎と「僕らの時代」で初対面。テレビで見るよりも甚だしくガラの悪い男である。玉、明日午前生放送があるのに深夜まで本気の焼酎ピッチ落ちず。楽しき一夜。
1.19なし
1.20(日)田畑氏より何度か電話がくるも、怖くて出ることができず。
1.21(月)八十枚の、四月号にスライドさしていただく。夕方、気分を変えるべく浅草にゆき、演芸ホールにて過ごす。お寿司を食べて帰室。
1.22(火)「ニッポン・ダンディ」終了後、神保町でエロ本とDVDを買う。買淫がしたし。
1.23(水)返事を要する手紙二本投函。「ゴールデンで何やってんだテレビ」収録。
1.24(木)夜、連続手淫。たまには良し。
1.25(金)四谷三丁目で幻冬舎打ち合わせ。
1.26(土)シナリオ作家協会から五枚原稿依頼あったが断る。書評以外で断ったのは初めて。
1.27なし
1.28(月)台湾語版「苦役列車」見本七冊届く。
1.29(火)「言わせろダンディ」のコーナーで清造忌のことを話す。
1.30(水)日中、返事を要する手紙を三本書いて、夕方投函。
1.31(木)明日の早起きに備え、夕方までに雑事を片す。
2.1(金)七尾で第十四回「清造忌」挙行。
2.2(土)日乗再校ゲラ。信濃路。
2.3(日)日乗再校ゲラ。
2.4(月)夕方より浅草。演芸ホールから安寿司屋へと、お定まりコース。
2.5(火)確定申告の準備始める。ニッポン・ダンディで先週の清造忌挙行の件話す。
2.6(水)江戸川区教育研究会の記念講演で発言の訂正を求められ激怒。
2.7(木)「したて」14回。
2.8(金)「東京ものがたり」12回。
2.9(土)短編ネタ繰り。
2.10(日)新宿紀伊国屋サザンシアター高田文夫の舞台見に行く。玉袋と連絡先交換。
2.11(月)崔氏より話頂いた文庫(堀江貴文「拝金」)再読。
2.12(火)「ニッポンダンディ」終了後いったんまっすぐ帰室。深更改めて「信濃路」へ。
    コンビニでサンドイッチ四袋とエロ雑誌を買って三時半過ぎ帰宅。寝る。
2.13(水)何がなし体がだるく、帰宅後、寝室にて横になる。
2.14(木)夜、新宿に出張って末広亭松屋でカレーライスを食べて帰室。
2.15(金)「新潮」田畑氏に白旗。わりとあっさり引き下がる。
2.16(土)「したて」15回。短編集ゲラ。
2.17(日)赤羽まで二時間散歩。信濃路で「新潮」五月号短編三十枚ネタ繰り。
2.18(月)三度、上半期までの仕事の予定立て直す。短編集ゲラ。
2.19(火)ニッポンダンディ。信濃路で田畑氏。謝罪と予定相談。
2.20(水)夜七時、日比谷にてダイヤモンドユカイ氏とその義弟にあたるかたと飲む。
2.21(木)短編集ゲラ。
2.22(金)芥川賞パーティー中村航に声を掛けられる。四年前に一度挨拶したが忘却。43。
2.23(土)『一私小説書きの日乗』(文藝春秋)見本届く。23冊目の単著。信濃八太郎氏の装画が、これまでの拙著で最もいい。
2.24(日)「したて」16回。短編集ゲラ。
2.25(月)微熱あり。終日無為。
2.26(火)「ニッポン・ダンディ」終了しいったん帰宅後、深更二時タクシーで「信濃路」。
2.27(水)文芸春秋女性誌取材。大川、森、田中光子氏と四谷三丁目。「したて」17回。
2.28(木)日中、激しい胃痛。スリクムラブ真栄田氏エッセイゲラ読む。面白し。
3.1(金)体調まずまず。テレビ東京初めて行く。堀江貴文「拝金」解説書く。
3.2(土)知人上京。夕方より合流。
3.3(日)税理士事務所へ資料発送。再び知人と合流。休日らしい休日。
3.4(月)雑用にかかりきり。「棺に跨がる」カバーラフ数種眺む。
3.5(火)ニッポンダンディ(ND)。信濃路で幻冬舎有馬氏と。
3.6(水)「棺~」著者校11日まで待っていただけるよう連絡す。雑用。
3.7(木)「したて」18回。雑用。
3.8(金)また小説に取り組めるうれしさから久々に買淫。大いに愉快。かつ、気分爽快。
3.9(土)「棺~」ゲラ、ラストスパート。
3.10(日)日本テレビクイズ特番。
3.11(月)「棺~」ゲラ戻す。「あとがき」書いて送稿。
3.12(火)「週刊プレイボーイ」取材。ND。
3.13(水)病院に常用の痛風の薬をもらいにいく。そういえば今年に入ってからは、まだ激しい痛みは起きていない。去年の秋から暮れにかけては、ひどすぎた。
3.14(木)確定申告終了。住民税昨年の半額くらいで済みそう。
3.15(金)「したて」19回。
3.16(土)「オールナイトニッポンR」公開収録。
3.17(日)雑用すべて片付き、「新潮」五月号用短編に着手。
3.18(月)新潮社で「抒情文芸」取材。宮台真司氏と対談。田畑氏と四谷三丁目。
3.19(火)短編清書。ND。江上剛氏ゲスト。
3.20(水)清書。とりあえず一遍書き終える。
3.21(木)清書。最終的に三十枚前後か。「歪んだ忌日」とす。引き続き「跼蹐の門」。
3.22(金)虫歯で歯が痛い。ロキソニン飲む。下書き分清書。
3.23(土)終日、清書と下書き。
3.24(日)こちらもひとまず仕上がる。
3.25(月)「歪んだ忌日」手直しにかかる。バイク便。引き続き「跼蹐の門」手直し。
3.26(火)ND。ゲラ訂正。
3.27(水)「歪んだ忌日」著者校正。校了
3.28(木)伊吹隼人「トキワ荘無頼派 漫画家・森安なおや伝」読む。
3.29(金)「したて」21回。夜、佐伯一麦氏の新刊「還れぬ家」を読み始める。
3.30(土)浅草、演芸ホール。握り寿司を食べて帰室。
3.31(日)短編ネタ繰り。夜、買淫。
4.1(月)丸十年ぶりに歯医者にかかる。佐伯一麦「還れぬ家」読了。労作。
4.2(火)祖母の祥月命日。ND。小島政二郎「緑の騎士」読み返しているうち寝てしまう。
4.3(水)ダイアモンドユカイ氏との対談。田中陽子編集長、ライター橋本氏で軽く飲む。
4.4(木)新宿に出張って末広亭で夜席を聞く。回転寿司食べて帰宅。小島政二郎「緑の騎士」と十菱愛彦の戯曲「小栗上野の死」を復読。
4.5(金)夕方より歯医者。四谷三丁目で田畑氏、桜井氏と打ち合わせ。
4.6(土)「したて」22回。
4.7なし
4.8(月)夕方、歯医者。当然、長引くとの由。Entaxiの短編書き出す。
4.9(火)清書。ND。眠くてどうにもならず、ノート1頁弱。
4.10(水)「したて」23回。ノート7頁、都合15頁で終了。
4.11(木)清書終了。合計21枚。全体の訂正作業。「朧夜」、一応の完成。
4.12(金)ゲラ。「東京ものがたり」13回。
4.13(土)歯医者。左上の一本を抜歯。その隣の、最も痛んでいたやつの治療が厄介だそうで、それとは別に、あと二本抜く必要があるそうな。抜いたとこよりも、その隣の歯がズキズキ疼く。
4.14なし
4.15(月)歯の疼きで、終日在宅するも、本を読む気にはなれず。江戸川乱歩DVD。
4.16(火)痛み止め飲んでND。「根津権現裏」アタマから読み返す。
4.17(水)歯の疼きは続く。痛み止め連用で頭がフラフラする。性欲すら起きぬまま、寄贈されて読まずにたまっていた週刊誌を種々拾い読み。夜、浅草に出張り、演芸ホール。お寿司はやめて、王子に戻ってからつけ麺を食す。
4.18(木)次の短編ネタ繰り。「新潮」大正13年2月号拾い読み。
4.19(金)夕方、歯医者。残しておく方針だった左上の一本も疼きが酷いのでやはり抜いてもらうことにする。これで左上の奥歯、二つ並んで空洞と化す。
4.20(土)新刊『棺に跨がる』(文藝春秋)発売日。24冊目の単著。 
4.21なし
4.22(月)終日在宅。終日無為。
4.23(火)「したて」25回。夕方歯医者。ND。
4.24(水)文芸春秋社で「MORE」取材。森氏、田中光子氏と焼肉。風花。
4.25(木)エンタクシー38号、小説現代(「旧花園町」)届く。
4.26(金)歯医者で抜糸。「歪んだ忌日」著者校ゲラ開く。
4.27(土)TBS「リンカーン」収録。ゲラ。
4.28(日)佐伯一麦氏の最新刊「光の闇」を読む。佐伯氏の端正な文体の後で自分のゲラを読むとイヤになってきて、田中英光全集第七巻に手を伸ばす。勇気が湧いてくる。
4.29(月)ゲラ。痛風のためビールを避け、カルピスサワーが口開けの一杯に定着。
4.30(火)ND。話題の女性タレント(中島知子)出演で報道関係者詰めかける。
5.1(水)信濃路で田畑氏と打ち合わせ。
5.2(木)大手町で所用済ませ、早稲田の古本屋街。新潮カセットブックで松本清張短編。
5.3(金)寄席に行きたいが、GW期間とあっては、やはり人ゴミ嫌いな自分の足は渋る。
5.4~5なし
5.6(月)短編集ゲラ。信濃路。
5.7(火)午後一時、所用で日本橋に赴く。三時過ぎにいったん帰宅し、少し寝る。
    夜「ニッポン・ダンディ」生放送終了、神保町でラーメンすすり帰室。
5.8(水)短編集ゲラ。夜、買淫。喜多方大盛。永瀬三吾「売国奴」十数年ぶりに復読。
5.9(木)「新潮」と「文學界」の書評、阿部公彦藤野可織氏、両誌編集者に感謝。
5.10(金)宮台氏対談ゲラ、「抒情文芸」インタビューゲラ。夕方歯医者。短編集ゲラ。
5.11(土)短編集ゲラ。
5.12(日)よく買いに行く肉屋の女主人に頼まれた色紙二枚書く。「東京ものがたり」14回。
5.13(月)短編集ゲラ、最後の念入れ確認作業。「東京ものがたり」ゲラ。
5.14(火)思うところあり、「本の話WEB」といういい加減な媒体での日記連載を取りやめる。現編集長とかいうサラリーマンの、必死な保身の検閲がやかましいので致し方なし。移転先は、この日記の原型となった「松の内抜粋」(「随想集一私小説書きの弁」収録)を掲載していた「野性時代」が理想だが、過去に不義理しているので頼み辛い。ND生放送。
寝床にて岡田虎彦「予告殺人」読む。
5.15(水)テレビ朝日Qさま収録。本日記に関することも含む雑用一束。
5.16(木)引き続き、日記その他に関する雑用一束。「したて」27回。
5.17(金)玉袋氏のラジオ聞きつつ雑用一束。スーパー。四谷三丁目で田畑氏と。
5.18(土)夜七時浅草へ。演芸ホール、清造スポット、安寿司屋。この日は少し気分を変え、川崎長太郎気分で、握りをチラシ寿司へと変更。
5.19(日)サウナのあと買淫。今日は外れ。「俳句界」エッセイ。英光「よいどれ船」復読。
5.20(月)新宿末広亭で夜席を聞く。牛丼特盛を食べて帰室。また段々と小説が書きたくなってくる。
<一私小説書きの日乗 野性の章>
5.21(火)TOKYOMX「ニッポン・ダンディ」生放送出演。昔、厭ったらしいアルバイト先に不貞腐れながら出勤していたときの感覚と、だんだん似てきた。旧講談社文庫の、佐藤さとるの児童物二冊を読み返す。
5.22(水)返信を要する手紙二本をイヤイヤ書く。先般角川書店に赴き、これまでの数々の非礼を謝罪し、なんとか「野性時代」で連載を引き継いでもらう形に漕ぎつけていた。「日乗」第一回分の原稿を送信。夜十一時、買淫。さして必要に迫られてもいなかったが、明後日に一本の親知らずの抜歯を控えているので、その前にこちらも一本抜いておく。
5.23(木)夜七時、四谷三丁目に向かい、知人と焼肉。十時半解散。「したて」第二十回。
5.24(金)左下の親知らずの抜歯。根っこの先端が骨を巻き込んでいるとかで、二分割したのちに骨も少しく削り、結句一時間程もかかる。深夜早々に飲酒を始める。
5.25(土)抜歯痕が疼く。「スーパー写真塾」「俳句界」。録画したテレビドラマ「3人家族」一気に十話分見る。昭和四十年代前半制作。大層面白い。
5.26なし
5.27(月)昨日より抜歯痕痛、酷し。後頭部にもズキズキ痛みが走る。ボルタレン連用。
5.28(火)「ニッポン・ダンディ」出演しても全く面白くなし。二月ごろから、本当につまらなくなった。毎週、わざわざ赴くほどの意味を感じず。幻冬舎有馬氏と打ち合わせ。
5.29(水)能登へは行かず、室内墓地の方に香華を手向く。痛みは続く。何も書けず、何も読めず。賑やかしに低音量でCDをかけ続け、横臥して溜息とともに過ごす長の時間。
5.30(木)ボルタレンを服み、夕方六時に浅草に向かう。かねて約束していた、知人との演芸ホール行。夜席を最後まで聞き終えたのち、安寿司屋にて一献。
5.31(金)夕方、待ちに待った歯科医院の予約日。ドライソケットの状態と告げられる。医院側のミスではないかと強く詰る。
6.1(土)タウンページで土曜日も診療している歯科医院を探して電話し、夕方赴く。ここでもドライソケットは痛み止めを飲んで時を経てるより術がないと告げられる。帰途、最近よく利用する室の近くの魚屋に寄り、鯨肉の塊を丸ごと買う。五分割してフライパンでソテーし、今半のステーキ醤油をかけて食す。
6.2(日)北区の休日緊急歯科診療所というのに電話予約を入れ、三時半に赴く。最早あの歯科医院は信用できぬので、ともかく消毒と薬の注入をしてもらう。で、その甲斐あってか、痛みが夕方頃よりやや薄らいだ感じ。結城信一の短編集「青い水」復読。
6.3(月)TBS「ゴロウ・デラックス」収録のあと、久方ぶりにお会いした友川カズキ氏と一杯飲む。新潮社近くの中華店へ。明日「言わせろ」コーナーのネタを考えろと携帯メールに連絡が入る。放送時間の五分短縮も知らされず。一事が万事、この調子。
6.4(火)TOKYOMX「ニッポン・ダンディ」降板。帰室後、清造の世界にどっぷり浸かる。
6.5(水)~6.6(木)玉袋筋太郎と九州ロケ。ホテルで各々の部屋でデリバリー買淫。
6.7(金)ワタナベプロ取締役からND降板の件で厳重注意を受ける。
6.8(土)抜歯痕痛、ようやく消え去った雰囲気。「抒情文芸」第147号に載っていた「煉瓦」同人の方の私小説を楽しむ。夜、買淫。
6.9(日)小谷野敦川端康成伝」読む。夕方六時、新宿に赴き、知人と末広亭の夜席。最後までは聞かず、「かに道楽」。
6.10(月)NOTTV「#エンダン」生放送。
6.11(火)要返信の手紙書き。四通書いて投函。信濃路で田端氏。
6.12(水)「MORE」インタビュー受けたが送られてこないので自分で買う。
6.13(木)ダウンタウンの番組収録。昨日今日と、知り合いから4日の件で同じような問いの電話が数本来る。何か野次馬根性みたいなものを感じて、少しく不愉快。
6.14(金)「アサヒ芸能」コラム第三十一回。
6.15(土)夜、二時間弱サウナの後、買淫。今日は何ともいわれぬ大ハズレ。
6.16(日)小説の書き出しうまくいかず、「新潮」持ち込み、間に合わなさそうな雰囲気。
6.17(月)またぞろ、ダメな方の周期に入った感じ。自分の場合、その負のバイオリズムは年に二、三度も巡ってくるから、甚だ困る。買淫がしたい。性欲の方は、ここのところやけに旺盛。が、一昨日に行ったばかりなので、自重して二度の手淫で済ます。
6.18(火)創元推理文庫版「大坪砂男全集」三冊届く。この寄贈は何とも嬉しい。三か月ぶりに病院に痛風予防とコレステロール下げる薬をもらいにいく。
6.19(水)「新潮」田畑氏に電話し、白旗。田畑気色ばむ。ドライソケットに負けたかたち。
6.20(木)さんまのスーパーからくりTV
6.21(金)夜、買淫。
6.22(土)「歪んだ忌日」(新潮社)見本を開く。25冊目。寄贈用六十枚作成。
6.23(日)下北沢でトークライブ。久方ぶりに吸う<下北>の空気は不味い。やはり自分にとっては、日本で甚だけったくその悪い地域の一つであることを再確認す。終了後、田畑氏と新宿の寿司屋。夕方六時過ぎにタクシーで帰宅。
6.24(月)夜、買淫。
6.25(火)信濃路で柴崎氏ご婚約祝杯。早々に就寝。
6.26(水)テレビ東京の六角精児氏の番組収録。夜、クーラーの効いた寝室にて彌生書房版の旧「村山槐多全集」を拾い読みで読み返す。十六歳時の気持ちが蘇る。
6.27(木)玉袋筋太郎の月例ライブ「スナック玉ちゃん」出演。さんざんイジられ、光栄の至り。玉袋氏のいいところは、客席に、ご自身の奥さんと二十歳の息子さんもいる上で、共に買淫した実話を披歴する点である。また父親に関しては、実こそ氏の方が自分なぞよりもはるかに痛ましく、辛い経験をされているのだ。打ち上げ六本木で鯨飲。楽しき一夜。
6.28(金)ホテルオークラの新潮三賞パーティー西加奈子氏と少しお話。
6.29(土)室内墓地に香華を手向く。夜、浅草へゆく。演芸ホール、清造スポットたる久保田万太郎旧居跡、安寿司屋、のいつものコース。
6.30(日)フジテレビのバラエティーで串揚げ五十二本食べる。
7.1(月)新潮の矢野編集長と原稿提出期日のことで口論。予定表投げつける。
7.2(火)夕方六時に高円寺へ。水道橋博士フリーライターの荒井香織氏と駅前で落ち合い、近くの居酒屋へ。深更十二時まで、一店のみにて延々の四方山話。博士氏に奢ってもらい、駅前で解散す。帰途、王子で牛丼の特盛を食べ、帰室するなり床に就く。
7.3~7.4 記載なし
7.5(金)二日ぶりに室に戻りて、雑用。思うところあり、「新潮」田畑氏を「信濃路」に呼び出し、深更一時まで矢野編集長への不平不満を述べる。
7.6(土)終日無為。平田俊子「スバらしきバス」読む。
7.7(日)七夕入札会で芥川龍之介書簡落札。年に二度墓参して敬意を払うことにしている。
7.8(月)水道橋博士と六本木で対談した後に帰宅。
7.9 記載なし
7.10(水)Qさま!収録。参議院選挙について朝日新聞インタビュー。
7.11(木)池袋リブロ本店にて「歪んだ忌日」サイン会。百名超える。感謝。
     矢野編集長と「かに道楽」で険悪な雰囲気となるが、しばし休戦に落とし込む。
7.12(金)誕生日。既知と未知のかたからの贈り物、有難し。夜、買淫。
7.13(土)「ベスト・エッセイ2013」(「韓国みやげ」所収)パラパラめくる。
7.14~15 記載なし
7.16(火)トイレで腰を捻る。痛み段々激しくなる。鶴巻町「砂場」で田畑氏。
7.17(水)藤野可織芥川賞受賞のお祝いへ。「人もいない春」書評してくれた恩。
7.18(木)本日は眠らず、酒も飲まず。宿題の番組同録DVD眺める。
7.19(金)フジテレビ朝の生放送で学歴に関するミニ討論。夜、買淫。当たり。
7.20(土)終日室にて、雑用一束。
7.21(日)坪内祐三新刊「総理大臣になりたい」読む。
7.22(月)夕方、浅草にゆき、演芸ホール。いつものコースで帰室。
7.23(火)フジテレビクイズ番組収録。これでしばらく外出仕事がないので痛風恐れず。
7.24(水)私小説絡みの仕事の依頼の手紙が二つ、同時に届く。
7.25(木)おこもり状態で雑用一束。
7.26(金)手紙二本書いたのち、神保町へ。所用を済ませ、夜七時に新宿五丁目へ。徳間書店の崔氏と四年ぶりに飲む。
7.27(土)夜、買淫。大外れ。死球
7.28 記載なし
7.29(月)室内墓地に香華を手向く。「季刊文科」次号用の随筆五枚書き、ファクシミリ
7.30記載なし
7.31(水)出演した「玉袋筋太郎の競輪場へ行こう」同録DVD眺める。番組自体面白い。
8.1(木)「新潮」十月号用の創作「やまいだれの歌」にとりかかる。「苦役列車」の続編。
8.2(金)「やまいだれ」ノート11頁。いつになく、まずますの滑らかな辷りだし。
8.3(土)ノート10頁。すこぶる快調。横溝正史「獄門島」DVD見返す。
8.4(日)下書きノルマ11頁と定める。順調すぎて不安になる。
8.5(月)ノート8頁。
8.6(火)玉袋筋太郎中野坂上で飲む。宇多丸も合流。「すばる」清田編集長呼びつけ。
8.7(水)はかがゆかず3頁で断念。
8.8(木)ノート4頁。横溝正史悪魔の手毬唄」。
8.9(金)ノート5頁。ひとまず下書き中断。
8.10(土)ノート60頁分の清書開始。ほとんど全改稿に近き修正施しながら。
8.11(日)清書28枚目で頭が文章を考えることを全く拒否。買淫がしたし。
8.12(月)今手を付けている拙作は、十九歳の頃の横浜時代における一断片だが、その中でわが分身である北町寛太は、昼食は決まって二百五十円のカレーピラフ弁当であり、それをエネルギー源として、造園会社の土方仕事にいつになく励んでいる。方や二十七年後の彼たる自分は、豚のように肥え太りつつ、二千三百円の上天丼を一寸昼飯にかき込んでいるのだから、何とも顔向けできぬ気持ち。
8.13(火)清書80枚。下書き続き始める。3頁。
8.14(水)清書原稿読み直し。加筆訂正多すぎで清書の意味なし。一時間三枚弱のペースにての、真っ黒な「完成原稿」の仕上がり。
8.15(木)残り四十枚の推敲に取り掛かる。午前六時に計八十枚の完成稿を揃え、まずはバイク便にて「新潮」編集部に送る。今回は「前編」のうちの、百五十枚分の約束なのだったが、書き始めがあまりにも遅れたので、月末の校了までに半分ずつ、二回に分けてお渡しする約束。
8.16(金)サウナから帰宅。夜「信濃路」で田畑氏に妙におだてられ、逆に疑心暗鬼に。
8.17(土)後半部分の下書き開始。ノート5頁。
8.18(日)微熱。下書き分の清書。
8.19 記載なし
8.20(火)昨日終日寝ていたことが功を奏したらしく、平熱に復している。クーラーの送風口の真下で長時間作業していたことが此度の発熱の因であろう。下書き13頁。
8.21(水)「コレクション私小説の冒険」内容見本への推薦文書いて送稿。下書き清書16枚、下書きノート15頁。やはり遅れを取り戻すことはできず。
8.22(木)深夜特番収録。石田衣良氏とご一緒。「やまいだれの歌」前編部分の下書き終了。
8.23(金)芥川賞赴き断念。信濃路に田畑氏呼びつけ。
8.24(土)終日清書。70枚完成。先週の80枚と合わせ、計150枚が揃う。しかし、ここからが真の正念場。
8.25(日)70枚分訂正開始。朝六時半、訂正作業終えてバイク便を呼び発送。
8.26(月)先週渡した80枚の著者校に取り掛かる。最後の詰めの、第一弾。
8.27(火)夕方、よんどころなき用にて外出。深夜残り70枚分の著者校届く。
8.28(水)午前五時過ぎ、全行程完了。「やまいだれの歌」前編完成。
8.29(木)室内墓地に香華を手向く。久々に手淫。二度。気絶するほど心地よし。
8.30(金)WOWOWの番組で鳥居みゆきと共演。真っすぐ帰宅。
8.31(土)夜、買淫。当たり。「季刊文科」大河内氏の追悼短文を書く。
9.1(日)小山田浩子氏の「歪んだ忌日」書評読む。まことに有難き、過分の高評。
9.2(月)紀伊國屋サザンシアター高田文夫主宰ライブ観覧。水道橋博士玉袋筋太郎宇多丸の四人で「風花」へ。午前三時解散。
9.3(火)玉袋文庫解説文書く。
9.4(水)テレビ朝日クイズ番組収録。宿題DVD見る。AKBの。
9.5(木)新潮社、矢野挨拶謝絶。四谷三丁目で田畑氏と焼肉。風花。
9.6(金)「新潮」十月号「やまいだれ」掲載号。信濃路で山田氏。
9.7~9.10 記載なし
9.11(水)新潮社で藤野可織氏と対談。終了後神楽坂の中華料理店へ。風花。
9.12(木)池袋の喫茶店にて関西テレビのスタッフのかた二名と打ち合わせ。来月収録の番組の件。わざわざ大阪からご足労なさったことに恐縮す。
9.13(金)新潮社で宝島インタビュー。「砂場」で田畑氏と。斉藤緑雨全集第三巻拾い読み。
9.14~15 記載なし
9.16(月)堀江貴文氏との対談。こちらが勝手に抱いていたメディアイメージと違い、大層に繊細で生真面目な人物とのご印象。きっかり二時間、お話しさして頂く。
9.17(火)四谷三丁目で角川書店との打ち合わせ。風花。
9.18(水)『けがれなき酒のへど 自選短編集』(幻冬舎文庫)見本。26冊目。夜、買淫。当たり。
9.19(木)玉袋氏から召集されるも先約があるため断る。夜外出。
9.20(金)「したて」44回。「獄門島」DVD。
9.21(土)横溝正史人形佐七捕物帳>シリーズ拾い読み。
9.22(日)フジテレビで大臣らと貧困問題について討論する生放送。夜、買淫。当たり。
9.23(月)「日乗」二十枚FAX。「新潮」十一月号用随筆手を付けるもうまくゆかず。
9.24(火)玉袋「新宿スペースインベーダー」見本。名著。
9.25(水)「コレクション私小説の冒険」(勉誠出版)届く。
9.26(木)終日在宅、雑用片し。
9.27(金)「したて」45回。「月刊宝島」インタビュー掲載号届く。
9.28(土)TBS生放送番組。終了後「信濃路」。
9.29(日)室内墓地に香華を手向く。終日、雑用一束片し。
9.30(月)四谷三丁目でen-taxi田中陽子氏。
10.1(火)小説現代「東京者がたり」第十六回。二か月続けて落としてしまったので甚だ書きにくい。半分書いたところで激しい自己嫌悪に陥り、酒に逃げる。
10.2
10.3(木)「週刊アサヒ芸能」連載コラム第46回書く。玉袋から買淫成功メール。羨まし。
10.4~10.7 記載なし
10.8(火)関西テレビ出演のため日帰り出張。中江有里。「やまいだれ」続き書き始める。
10.9(水)清書4枚弱、ノート6頁。まだまだ辷りが悪い。
10.10(木)夜、買淫。が、外れ。ノート9頁。
10.11(金)清書、15枚で断念。ノート5頁。
10.12(土)清書15枚、この時点で小計34枚。
10.13(日)清書4枚、ノート10頁。
10.14(月)清書10枚。ノート6頁。進行、だいぶ遅れている。
10.15(火)読売新聞「本のソムリエ」回答書く。ノート6頁。ひとまず、第七章までを書き上げる。飲酒のお供に「悪魔が来りて笛を吹く」DVD。
10.16(水)清書に専心。16枚、これで計64枚。
10.17(木)文庫「寒灯・腐泥の果実」、「日乗二巻」の著者校届く。「やまいだれ」第七章まで手直しに入る。またもや全改稿に近い激しい訂正となり、朝までかかって64枚のうち40枚を出荷可能の状態へと持ってゆく。
10.18(金)稲垣潤一所属事務所から送られたカバー曲集「男と女4」エンドレスでかけながら残り24枚の訂正。
10.19(土)小谷野敦最新刊「面白いほど詰め込める勉強法」を読む。感心しきり。信濃路で田畑氏。「やまいだれ」後編を十二月号にまとめて掲載の予定を短期連載のかたちに切り替える。
10.20(日)仕事の予定表を新規に書き直す。今月末から再来月まで、各種仕事が目一杯立て込み、有難い限り。書きたくても発表の場を得られず、意図的に干され続けてきた数年以前のことを思えば、現時途切れず仕事の依頼がくるのはまことに恵まれた環境である。だからこそ、そのどれをも嘗めたり手を抜くなぞということは出来ようはずがない。自明な話だ。
終日在宅のつもりが夕刻雄心勃発。仕方なく買淫に赴く。口開け。大当たり。
1021.~22 記載なし
10.23(水)渋谷タワーレコード稲垣潤一とのトークショーを見に行く。お誘い受けて。
10.24 記載なし
10.25(金)「やまいだれ」第二回六十枚のゲラに手を入れ始める。
10.26(土)夜、些か不快な連絡あり。
10.27(日)午後一時起床後、布団上にて手淫。心地よし。夕方、雑用絡みのものを角川書店に発送。仕事であれば大歓迎だが、無駄な雑事を増やす馬鹿がいて困る。度し難し。
10.28(月)日乗第六回ゲラ。
10.29(火)室内墓地に香華を手向く。フジテレビ深夜特番で披露するネタを考える。
10.30(水)石橋貴明氏の深夜帯トーク番組収録。
10.31(木)「ワイドナショー」収録の後、帰宅。
11.1(金)中野坂上で玉袋氏と飲む。「風花」で取っ組み合いとなり絶交宣言。
11.2(土)玉袋氏とメールで謝罪しあう(こちらからのメールは送れてなかった)。羽田空港から佐賀へ。
11.3(日)佐賀のホテルにて起床。「あぶさん」へ。
11.4(月)Jwave南沢奈央ラジオ特番生放送。終了後すぐフジテレビクイズ番組。土曜日に玉袋氏に送ったはずの携帯メールが未送信BOXに入っていることに気づく。
11.5
11.6(水)フジテレビクイズ番組。
11.7(木)「新潮」十二月号、「やまいだれ」第二回掲載号。「アサヒ芸能」コラム第51回。
11.8(金)玉袋ラジオ「たまむすび」聞いて笑う。ラスト二分で少し泣く。信濃路で田畑氏。
11.9(土)中野坂上で玉袋氏と手打ち式。風花ママにも謝罪。やはり、離れがたき悪友。
11.10(日)en taxi用の短編、初めてノート下書きなしで原稿用紙に書く。
11.11(月)短編「酒と酒の合間に」一応完成。二十七枚。
11.12(火)「酒と~」ゲラに専心。
11.13(水)夜、買淫。当たり。
11.14なし
11.15(金)講談社稲垣潤一氏と対談。同社に行くのは実に七年ぶり。
11.16(土)「アサヒ芸能」コラム52、「憤怒」ゲラ
11.17(日)「すばる」新年号用「寛太、激怒す」
11.18(月)夕方、魚屋へ晩酌用のお刺身(真鯛とムツ)を買いに行った以外は終日在室。
11.19(火)「文學界」新年号用の随筆。「サイン」と題して七枚。「やまいだれ」第三回にようやく着手するも、少し間があいてしまって、はかがゆかず。
11.20(水)「日乗」「やまいだれ」
11.21(木)「日乗」「したて」「やまいだれ」ノート5頁。十九歳時の、田中英光との出会いのくだりである為、往時をじっくり思い出しながら書く。感傷的にはならぬよう、慎重に。
11.22(金)集英社へ。7,8年ぶり。「プレイボーイ」の風俗関連のインタビュー。
11.23(土)フジテレビの「面白いVTRを作る」番組から、バイク便で届いた完成VTRをチェックする。
11.24(日)終日「やまいだれ」。ノートへの下書き終了。
11.25(月)ツイッター偽アカウント問題をワタナベサイドと協議。
11.26(火)玉袋氏と中野ブロードウェイへ。風花に坪内夫妻に、重松清氏らも。楽し。
11.27(水)中国語版「苦役列車開封。今年8月に北京で出ていた。これが26冊目で、「けがれなき~」は27冊目ということになる。これで、一昨年の韓国語版、昨年の台湾語版に続き、アジア四か国揃い踏みとなった。
11.28(木)『寒灯・腐泥の果実』(新潮文庫)見本。28冊目。中江有里氏の解説ありがたし。夜七時、新宿へ出ばり、知人と合流。末広亭で夜席を聞いたのちに、焼肉を食べて解散。玉袋からメール。素人と五反田ホテル奥さんにバレた。
11.29(金)引き続き「やまいだれ」ゲラ。信濃路。
11.30 記載なし
12.1(日)夜、買淫。まあまあ、当たり。ソフトオンデマンドのAV賞用に鑑賞。オナ金で。
12.2(月)田中慎弥「燃える家」、AV一本鑑賞。新潮社。砂場。帰室してAV三本。
12.3(火)「燃える家」読了。AVこの日も三本。あと十五本。いい仕事といえばいい仕事。
12.4(水)AV一本審査、フジテレビクイズ番組収録。帰室、再びAV三本。
12.5(木)AV四本。やはりオナ金がきつくなる。夜、買淫。大当たり。
12.6~12.9 記載なし
12.10(火)毎日新聞「この三冊」自分に与えられた課題は「無頼派」。
12.11(水)女性誌「DOMANI」十二月号、女優高田聖子の連載コラム自分の記事面白い。
12.12(木)ソフトオンデマンド西村賢太賞を決め、ワタナベ土井氏に連絡。
12.13(金)東スポ新春エッセイ。「文學界」短編。
12.14(土)高田文夫、玉袋の三人で忘年会。
12.15(日)「文學界」短編。
12.16(月)「やまいだれ」連載第四回、田畑氏に連絡し白旗を掲げる。
12.17(火)帝国ホテルの野間三賞パーティーで、矢野編集長に謝罪。
12.18(水)「文學界」短編三月号でよかったと知り脱力。夜、買淫。外れといえば外れ。
12.19(木)『一私小説書きの日乗 憤怒の章』(角川書店)見本。29冊目。
12.20(金)紀尾井町ホテルニューオータニソフトオンデマンド大賞のパーティー
12.21(土)BSフジ「原宿ブックカフェ」収録。今年最後のアルバイト仕事。
12.22(日)毎日新聞「この3冊」和田誠氏イラスト、藤澤、葛西、田中の似顔絵と共に、自分の姿も書かれていることに感激す。夜、買淫。今日は会心の当たり。気持ち良し。
12.23(月)西新宿ヒルトン東京、招待され稲垣潤一ディナーショーへ。奥様にご挨拶。
12.24~12.26 記載なし
12.27(金)出先より帰室後、一眠りして西新宿へ。「かに道楽」で新潮忘年会。年に一度の矢野編集長との休戦日。但し、この会は今年で取りやめるつもり。やはり不快。風花も忘年会。島田正彦氏に、いつホテトルを奢るのか、と難詰される。
12.28(土)佐伯一麦「渡良瀬」読み始める。
12.29(日)新潮社から届いていた小島慶子エッセイ、予想外の壮絶な内容。
12.30(月)「渡良瀬」読了。滋味深し。
12.31(火)池袋東武地下で食料調達。豪華お刺身パック(大トロ入り)と筋子、焼鳥二十五本、焼肉用の味付け牛肉600グラム、キムチ、崎陽軒シウマイ弁当三個等。
今年は去年よりも、仕事の量の上でははるかに勝っていた。そこそこ、よく働いた方だと自画自賛しつつ、深更より晩酌。最後の最後で、「やまいだれ」第四回を落としたことのみ、返す返すも残念。

 

2014年(平成二十六年)
1.1(水)真梨幸子「憤怒」書評が何とも面白く有難い。夜、「やまいだれ」ネタ繰り。
1.2(木)年賀状、着十六枚、発十五枚。今年から二日にも配達されるようになったものか。
1.3~1.5 記載なし。1.3は新幹線のホームにいたと1.9の日記に記載あり
1.6(月)出先から帰室後、二時間弱サウナ。信濃路で田畑氏と新年会。
1.7(火)小説現代「東京者がたり」第十九回築地市場編。
1.8(水)滞納していた国民健康保険料、百七万何千何百円かを、区役所に払いにゆく。一昨年来、依然自分の国保の毎月の額は、最大限度の七万七千円に設定され続けている。収入が増えるのもいいが、所得税や予定納税のほかに年四回、一回につき七十万も八十万も特別区民税を払い、その上毎月七万七千円もの国保料を巻き上げられ、更にその他諸々の徴収では、何かしら割り切れぬ思いが残る。実に馬鹿馬鹿し。
1.9(木)テレビ朝日「お願いランキング」のロケ撮影。低家賃部屋を巡る。
1.10(金)三省堂本店で「日乗 憤怒の章」サイン会。「新潮」田畑氏も普通に並んでいる。
1.11(土)中途で放置していた「文學界」短編ようやく最後までこぎつける。
1.12(日)山本周五郎青べか物語」を文庫本で読み返す。江戸川の風景を思い出す。
1.13(月)四谷三丁目でエンタクシー田中陽子編集長と。険悪な空気になり激昂して席を立つ。
1.14(火)「邪煙のみちゆく」一応の完成。
1.15(水)終日在宅。雑用片し。
1.16(木)夜、買淫。ちょっと遅めの姫はじめ。大当たり。
1.17(金)「アサヒ芸能」第60回、「日乗」
1.18(土)「文芸春秋」三月号用随筆「受賞後第一作」と題して四枚弱書く。
1.19(日)フジテレビ朝の生番組出演。「邪煙」ゲラ。「やまいだれ」イメージ。
1.20(月)体調悪し。雑用、「日乗」。すべては、順々に手を付けてゆくより他はない。
1.21(火)「やまいだれ」第四回書き始めるも、はかがゆかず。
1.22(水)小島慶子エッセイ帯文三十字送る。「やまいだれ」下書き、エンジンかかり悪し。
1.23(木)清書9枚。下書き続き。
1.24(金)何となく手淫したのち、「やまいだれ」下書きの稿を継ぐ。
1.25(土)「やまいだれ」ようやく下書き終える。ひとまず安堵。
1.26(日)清書合計37枚。バイク便。ヤレヤレ。
1.27(月)夜、買淫。やや外れ。
1.28(火)ゲラ。都知事選アンケートに答える。
1.29(水)フジテレビクイズ番組。岩井志麻子のエロパワーに圧倒。
1.30(木)アサヒ芸能第62回。
1.31(金)夜、ライトでポップな方の買淫。新鮮。たまには良し。「病だれ」5回仕込み。
2.1(土)夜七時、十年ぶりに会う知人と一杯。暫時東京に転勤になった為、再会が叶った。
十時半に「風花」に向かっている途中で玉袋氏と合流。週刊誌の女性記者二名にチヤホヤされ、連絡先を聞き、期待と股間を膨らませる。
2.2(日)山本周五郎長編小説全集第二十五巻末エッセイを書き始める。
2.3(月)女性記者のうちの一人にショートメールを送ってみる。事務的で素っ気ない文言で返信来る。馬鹿馬鹿し。玉袋氏とメールのやり取り。
2.4(火)相馬泰三短編復読。もっと評価されて然るべき。
2.5(水)BSジャパン収録に天王洲スタジオに向かう途中、電車中づり「週刊現代」に自分の名前が大きく掲げられているのに驚く。
2.6(木)「新潮」に載っていた木村友祐の「日乗 憤怒」の書評見て呆れる。
2.7(金)神田の古書会館の即売展で「根津権現裏」自筆書き込み版首尾よく入手。信濃路で文學界の森氏と密談。売文渡世も、なかなかに世知辛きもの。
2.8(土)雪、雪、雪。寒し。文芸春秋芥川賞関係の随筆所載号届く。
2.9~2.11 なし
2.12(水)支払調書もおおむね揃った感じなので、確定申告の準備を始める。
2.13(木)ダウンタウンDX収録。本橋信弘「鶯谷」自分も取り上げられていると仄聞し、購入し読む。砧のTMCスタジオの楽屋から持ってきた仕出し弁当二個を肴に飲む。
2.14(金)雪、雪で終日在宅。
2.15(土)十日ぶり掃除機。夜、買淫。まあ、当たりといって差し支えなし。
2.16(日)信濃路で田畑氏相手に悪口大会。田畑氏は終始困惑気味の苦笑い。
2.17(月)夜、浅草で演芸ホール、清造スポット、安寿司屋のいつものコース。
2.18(火)三軒茶屋坂上忍の飲み会に参加。
2.19(水)夜、買淫。辛うじて当たり。「やまいだれ」第五回下書き開始はかゆかず。
2.20(木)「やまいだれ」から作業を「日乗」に移す。
2.21(金)「お願いランキング」AKBメンバーと狭小物件を巡る。
2.22(土)「やまいだれ」身を入れて専心す。下書きノート6頁。
2.23(日)清書、ノート8頁。
2.24(月)清書、下書きノート8頁。「鬼畜」サントラ聴きながら飲む。
2.25(火)清書、ノート8頁。とりあえず第五回分をしとめる。
2.26(水)終日在宅。ひたすら清書。合計四十一枚。入浴して訂正作業。バイク便。
2.27(木)田畑氏より無事採用の連絡。ゲラに真っ赤になるまで書き込み加え返送。
2.28(金)田畑氏より責了の連絡。今回は珍しく再疑問点は出ず。
3.1(土)久方ぶりに床屋。急に頭が軽くなった感じ。室に籠りて古い邦画の鑑賞三昧。
3.2(日)夜、買淫。一応の当たり。アサ芸コラム67回。この連載もあと一回で終了。
3.3(月)ソフト・オン・デマンド社でインタビューの後、中野坂上で玉袋氏と飲む。九時に一件目を終えたのち、ともに買淫。玉袋氏はいろいろいろな意味で大当たりだったそうだが、自分の方はいろいろな意味で、やや外れ。男のヒナ祭り。
3.4(火)日中、雑用を片したのちに、夜六時に室を出て浅草で知人と合流。演芸ホールへ。文芸家協会の女性から声を掛けられ、会費を六年分滞納していること思い出す。
3.5(水)田畑氏より左肩を骨折したとの連絡。見舞い袋に少なからぬ紙幣を封入し送る。
3.6(木)千葉の幕張へ向かう。この方面に行くのはかれこれ十年ぶり。放送大学講義。
3.7(金)税理士事務所へ。昨年とほぼ変わらぬ年収額。田中陽子氏と一応の和解。
3.8~3.9 記載なし
3.10(月)終日無為。
3.11(火)終日無為。東京ものがたり青山編送稿。
3.12なし
3.13(木)五日間無為に過ごしてたまった雑用一束を順々に片づける。
3.14(金)夕方、駅のほうまで下りてゆき、回転寿司十五皿。帰室後、再び雑用一束。
3.15(土)たけし氏の番組収録中に「肩先に花の香りを残す人」と「腐泥の果実」の内容を褒めてもらい感極まって目頭が熱くなる。行って、本当に良かった。
3.16(日)対談集ゲラ。
3.17(月)対談集ゲラ。上原善広「差別と教育と私」迫力に気圧される。傑作。こういう作を読むと、自分の、例えば現在書き継いでいる「やまいだれ」なぞ、つくづく甘な、情けないものだとの意欲減退が起きるが、それが所詮は自らの身の丈に合ったものだと思えば、致し方なし。清造短編集読む。
3.18(火)朝方、玉袋の生番組中に携帯メール送る。二往復。毒性高い。
3.19(水)信濃路で柴崎氏、講談社文庫秋元氏。
3.20(木)お願いランキングで、アイドルと激安食べ物屋を巡る。
3.21(金)「やまいだれ」最終回、ノート4頁。まずまずの立ち上がり。
3.22(土)よみうりホール「高田文夫ラジオビバリー昼ズ」イベント。打ち上げ不参加。
3.23(日)清書。「日乗」。
3.24(月)ノート3頁。長編の最終回で慎重になりすぎ、ペース上がらず。久しぶりに新潮カセットブックの松本清張の短編を立て続けに四本ききつつ飲む。
3.25(火)7日発売の文芸誌で、こんな25日にもなって台割も確定してるのに、まだその半分も書けていないというのは、確かに大概な話ではある。今回はギリギリで30日一杯までを設定してもらっているものの、これは「新潮」だからできる芸当であろう。下書き続き。焦りと慎重さが悪い感じにクロスして、3頁しか進まず。いよいよまずい感じになってきたが、とりあえず今日は諦めて酒に逃げる。
3.26(水)清書。ノート6頁。
3.27(木)清書。ノート6頁。だいぶ調子が上がって来た。
3.28(金)清書。ノート5頁。あと少しで終わるところだが、結句仕留め損ねる。
3.29(土)「やまいだれ」都合五十枚の清書ようやく仕上げる。
3.30(日)書き上げた五十枚の訂正。バイク便。
3.31(月)フジテレビクイズ番組。モニターに映る自分の姿にギョッとなる。全出演者で自分の背が極端に低く見えたが、女性タレントが恐ろしく高いヒールを履いていた。五時半過ぎ終了。夜十時まで一眠り。最終回ゲラ訂正十一時半から開始。朝八時、同行数での加筆を施し終え、これにて長編「やまいだれの歌」、一巻の完了と相成る。合計380枚。ホッ一息。
4.1(火)田畑氏より「やまいだれ」責了の知らせ。藤野可織「ファイナルガール」読む。
4.2(水)昭和五十二年に没した祖母の祥月命日。「お願いランキング」激安店巡りロケ。信濃路で野性時代の山田編集長、榊原氏と打ち合わせ。現今の売れっ子作家、角川的タブーのベールの奥に鎮座まします当今スター(?)作家への悪口罵倒大会に乗ってこず、歯痒し。
4.3(木)新井紀一「雨の八号室」復読。
4.4(金)夜、買淫。辛うじて、当たり。久しぶりだったことが幸した感じ。
4.5(土)夕方新宿末広亭夜席。松屋に寄って真っすぐ帰室。
4.6(日)対談集ゲラ最終確認。スーパーで食料の買い出し。
4.7(月)少々頭がボンヤリする。「お願いランキング」ロケで巣鴨、高円寺など回る。
4.8なし
4.9(水)「東京ものがたり」ゲラに訂正をいれて返送。
4.10~13 
4.14(月)本日より、「日乗」。夕方、初めて入るチェーン店で、ヘンにスープのこってりしたラーメンを食べてみたらそのあとまるで腹が減らなくなる。一日の唯一の楽しみである晩酌もする気にならず。甚だ、つまらなし。
4.15(火)「新潮」次号、創刊百十周年記念号に書く短編のネタ繰り。期限23日。
4.16(水)「かに道楽」新宿本店で新潮田畑氏と打ち合わせ。矢野編集長悪口大会。
4.17(木)「新潮」用短編を「人工降雨」の題で書き始める。随筆でお茶を濁す気になれず。こうした記念号に、えらそうな顔見せ気分の随筆でもって登板する役割は、バカな編集者から大家扱いされている、その辺の便利屋ゴミ作家に任せておけばよい。もし、過去に清造が書いてなかったら、こんなクソ雑誌には、一片の思い入れとてもない。
4.18(金)短編はかがゆかず。諦めて、飲酒。
4.19(土)清書。下書きノート5頁。
4.20(日)頭が薄ぼんやりしているので仕方なくサウナ。清書、下書き7ページ。
4.21(月)発熱37.8.ルルアタックIB飲んで寝る。清書。
4.22(火)発熱でルルアタックIB飲みつつ原稿終了。バイク便呼びヤレヤレ。
4.23(水)池袋で明後日のテレビ打ち合わせ。東武デパ地下で崎陽軒、焼鳥、かき揚げなど
4.24(木)「人工降雨」責了の知らせ。「山本周五郎長編全集第十四巻」贈られたのを読む。
4.25(金)天王洲スタジオ「たけしのニッポンのミカタ」周五郎読み続ける。
4.26(土)夜、買淫。当たり。帰室後、何がなし相馬泰三の長編「荊棘の路」(大7新潮社)の冒頭を復読していたら、結句寝床に移動して最後まで読んでしまう。
4.27(日)届いていてそのまま放っておいた「共感百景」はぐる。「すばる」長編シノプシス。
4.28(月)すばる長編題名考える。信濃路、清田編集長と新連載打ち合わせ。風花に行くと、先客に、自分もその名前ぐらいは知っている或る老大家が、大手出版社の文芸編集者4,5名に囲まれて飲んでいる。無論、自分はこんな「繰り上げ大家」の作にも人にも全く興味はなく、これからも一作も読むつもりはないので、丸無視しながら、「文壇」的には不様で孤立無援だった藤澤清造田中英光のことを考える。
4.29(火)週末に収録があるCSスカパー番組で必要な関根勤監督映画の脚本とDVD見る。
「独語」ゲラ。
4.30(水)先週の「お願いランキング」に清造の写真が出ていたというのでDVD見る。写真に「石川近代文学館所蔵」のキャプションがあり眉を顰める。これは元々自分が内容見本の表紙にするため「文章倶楽部」(大正13年、新潮社)から発掘したもの。内容見本再録にあたっては新潮社の許可も取っている。自分に一言問い合わせてくれればもっと鮮明な写真を提供できたのだと思うと、やはりこれは、甚だあきたりない気分が残る。
5.1(木)サウナの帰りに気まぐれを起こし徒歩で三十分程かけて帰室。汗だくとなる。夜、赤羽にゆきて安エロ本をもとむ。珍しく、西口の赤提灯にて一杯。手淫を一度挟みつつ朝までゲラ修正。
5.2(金)代田橋貸スタジオでCSスカパーの映画紹介番組収録。「新潮」六月号届く。
5.3(土)古本屋で藤森淳三評論集「文壇は動く」二万円で入手。
5.4(日)古い邦画のDVD眺めて過ごす。「独語」ゲラやったりやらなかったり。
5.5(月)終日無為。DVD.
5.6(火)終日無為。「独語」ゲラ少し行う。
5.7(水)雑用一束。体調すぐれず、晩酌は割愛。久方ぶりの休肝日。
5.8(木)「ダ・ヴィンチ」なる何だかよく分からぬ雑誌の、「記憶に残るカレー店」的なアンケートの依頼が、何故か自分のとこにも来たので一応回答し(謝礼に五千円を振り込むというので)、ファクシミリにて送り返す。
5.9(金)「独語」ゲラ。信濃路で田畑氏。珍しく小説談義なぞを少しする。
5.10(土)夜、買淫。会心とは言えず。
5.11(日)「独語」ゲラ。
5.12(月)「恩人 横溝正史」厚顔極まりない題名を付してしまったが偽らざる心境である。
5.13(火)雑用が次から次にやってきて閉口す。次第に苛立ちに。終日在宅。
5.14(水)帰室後、雑用一束。鰻が食べたい。女を買いたい。
5.15(木)小説が書きたい。女を買いたい。
5.16(金)ロケ撮影。秋葉原、神田、下北沢を回る。
5.17(土)『対談集 薄明鬼語』(扶桑社)見本開く。30冊目。夜、買淫。当たり。
5.18なし
5.19(月)「すばる」長編のネタ繰り。
5.20(火)「やまいだれ」初校ゲラ見始める。風花。酒井順子「女を見る歌舞伎」読む。
5.21(水)終日在室。仲代達矢版「野獣死すべし」DVD見る。
5.22(木)来月からの予定立て直し。
5.23(金)信濃路で徳間書店崔編集長と。「アサヒ芸能」コラム単行本化とアンソロジー
5.24(土)痛風状態。四谷三丁目でentaxi田中陽子氏。ゲラ。
5.25(日)痛風痛し。ゲラ。
5.26(月)痛風痛し。信濃路、柴崎氏。
5.27(火)終日在宅。織田作之助「二十歳」復読。
5.28(水)「独語」あとがき二枚。自分のような五流のエッセイ集が三度、まことに奇蹟事。
5.29~6.1 記載なし
6.2(月)一昨日に捻った首の痛みがひどく一睡もできず。病院へ。レントゲン異常なし。
6.3(火)痛風に加え首肩の痛みがひどく、違う病院でレントゲンを撮ってもらう。麻酔薬のトリガーポイント注射も三時間ほどで効果切れ、四十七歳にして、思わず「痛いっ、ああ痛いっ!」との情けない独り言が洩れ出てしまう。
6.4(水)病院でMRI検査。全身脂汗にまみれる。「やまいだれ」ゲラ返送。
6.5(木)「すばる」新連載着手しなければならぬが痛みで脳が働かずボールペン握れず。
6.6(金)神宮球場は雨で中止。信濃路で憂さ晴らし。
6.7(土)痛くて横になれない。五年前のぎっくり腰は布団に腹這って「膿汁の流れ」完成させたが、今回の頸椎の痛みは横臥の姿勢も無理。とてもでないが文章組み立てられぬ。
6.8(日)寝室のクーラー壊れる。池袋ビックカメラで七万円台の新品買う。
6.9(月)「お願いランキング」溝の口、神田、銀座、新橋、赤坂でロケ。
6.10(火)MRIの結果を聞きに行くが、診断については大学病院を紹介するからそこで聞くようにと言われる。トリガーポイント注射と、新たに精神安定剤を出してもらって帰室。
6.11(水)「すばる」再度挑戦かけるも、書き始めると激痛。どうにもならぬ。徒に焦る。
6.12(木)有楽町三省堂で対談集サイン会。玉袋氏との合同。
6.13(金)「すばる」清田編集長に電話し、新連載開始に白旗を掲げる。自己嫌悪と苛立ち。
6.14(土)「文学界」提出期限伸ばしてもらいネタ繰り。
6.15(日)痛みが引かず、自分はもうダメかもしれぬと思う。
6.16(月)大学病院の整形外科で、頚椎症性神経根症の軽度と病名を告げられる。手術やブロック注射の必要はなく、そのうち自然に治ると言われる。「菰を被りて夏を待つ」着手。
6.17(火)「文学界」下書き清書。
6.18(水)「文学界」続き。痛み軽くなる。
6.19(木)信濃路で田畑氏。痛みは治まったが、連載を落とした手前、頸椎神経症を力説。
<一私小説書きの日乗 遥道の章>
6.20(金)「菰を被りて夏を待つ」清書。痛みのためリビング食卓で。
6.21(土)スーパーへ買い出し。面倒。
6.22(日)のぞみで新大阪へ。紀伊国屋でサイン会。終了後、知人と新大阪構内で小一時間喋り、のち、駅弁三個買い込んで帰京。
6.23(月)「こもを」清書に訂正入れる。
6.24(火)病院首のリハビリ治療始める。現時点ではあまり必要ない感じ。「こも」完成。
6.25(水)「こもを」ゲラ。
6.26(木)「随筆集 一私小説書きの独語」見本開く。単著31冊目。
6.27(金)新潮社関係で不快なことが続き、新潮三賞の授賞式行くのをやめる。信濃路に田畑氏を呼び出す。
6.28(土)夜、買淫。外れ。
6.29(日)終日在宅、雑用。
6.30(月)七尾の西光寺へ。
7.1(火)午後帰京。「文学界」で人事異動。当分干されることになりそう。バカバカしい。
7.2(水)新潮社で中日新聞インタビュー。「やまいだれ」カバーと帯の件打ち合わせ。
7.3(木)テレビ朝日「お願いランキング」ロケ。丸一日かかる。
7.4(金)角川書店の新しいビルに初めて行く。「独語」サイン本110冊。「志満金」。
7.5(土)首、肩、腕、ほぼ痛みがなくなる。「下手」初校ゲラ。夜、買淫。辛うじて当たり。
7.6(日)七夕古書入札会。清造関連なし。多々羅四郎「臨海荘事件」(S11春秋社)落札。
7.7(月)記載なし
7.8(火)日中、ブラブラ。夕方スーパーに買い出し。「一九七七年の横溝原作映画」
7.9(水)日中、ぶらぶら。古本屋で織田作之助「猿飛佐助」無理矢理つまむ。
7.10(木)夜までブラブラ。魚屋に行ったり。帰室後、発熱。三十八度。
7.11(金)午前九時起床。平熱に復す。夜、サウナ。帰途十条でラーメン。
7.12(土)誕生日に新潮社と角川書店から宝の「純」二十五度一ケース。少したまっていた、先週分の雑用片し。
7.13(日)「すばる」、やはりスタート切れず。
7.14 記載なし
7.15(火)夜、買淫。当たり。
7.16(水)「すばる」の新連載「蠕動で渉れ、汚泥の川を」を書き始める。ノート6頁。
7.17(木)「蠕動」下書き分清書。ノート6頁。
7.18(金)ノート6頁。順調。
7.19(土)「蠕動」冒頭二十枚を完成原稿として先に渡す。
7.20(日)「日乗」進める。「したて」ゲラ
7.21(月)「蠕動」第一回残りの分を書き継ぐ。
7.22(火)「蠕動」第一回四十枚、一応の完成。
7.23(水)「日乗」送稿。
7.24(木)「したて」ゲラ。連載時は行数が決まっていたので読みづらさを直す。
7.25(金)夜、買淫。大当たり。
7.26(土)久しぶりの神宮球場。山田、榊原両氏と。四谷三丁目焼肉。
7.27(日)新刊「やまいだれの歌」見本開く。単著32冊目。晩酌時、表紙の、村山槐多のデッサン「のらくら者」を飽かずに眺め続ける。この作を書く以前から、いつかこの絵をカバーに使わせてもらいたいと願い、そして該作はこの絵をイメージして書き進んでいた部分もある。
7.28(月)明日に備えて午前三時早々に就寝。
7.29(火)西光寺墓前に次の長編連載を報告。
7.30(水)帰京。「したて」ゲラ。
7.31(木)新宿六丁目で稲垣潤一ハコバン・ライブへ。
8.1(金)「下水に流した感傷」下書き開始。
8.2(土)「水曜日のダウンタウン」収録。「下水に流した感傷」ノート6頁。
8.3(日)「下水」清書、ノート8頁で下書き終了。
8.4(月)約四十枚で終了。
8.5(火)Eテレ「SWITCH」対談後、稲垣潤一と初のサシ飲み。
8.6(水)「下水」送稿。
8.7(木)「下手に居丈高」ゲラを徳間書店に宅配便で送る。
8.8(金)「東京ものがたり」言問い通り編送稿。近所ブラブラ。魚屋、スーパー。
8.9(土)夕方ブラブラ、ホームセンターへ行ったり、知人の子供用への玩具を買ったり、回転寿司を食べたり。
8.10(日)「東京ものがたり」26回ゲラ、「下水」ゲラ
8.11(月)リブロ池袋本店にて「やまいだれ」サイン会。「かに道楽」
8.12(火)中野坂上で玉袋氏と二十代の女性二人組をナンパ。難なく成功。歌舞伎町。
8.13(水)神楽坂で「新潮」矢野編集長と出くわし気まずい空気。
8.14(木)「日乗」、信濃路で「すばる」清田編集長と。風花。
8.15(金)「日乗」と雑用一束。
8.16(土)結果的に、終日無為。晩酌の酒も、甚だ不美味。
8.17(日)ワタナベお笑いライブにゲスト出演。「蠕動」第二回下書き。
8.18(月)「蠕動」下書きノート3頁。さらに7頁。未だまったく物語は進まず。
8.19(火)清書。下書き6頁で第二回分は終了。
8.20(水)「日乗」、雑用。テレビ朝日でクイズ番組収録。清書つづき。
8.21(木)テレビ朝日深夜番組ロケ撮影。激安グルメレポーター。汗みずく。
四谷三丁目で文学界の森氏、田中美津子氏、豊田氏と打ち合わせ。捨てる神あれば拾う神あり。有難い限り。
8.22(金)芥川賞パーティーは行かず「蠕動」清書のつづき。
8.23(土)「蠕動」清書訂正。加筆に次ぎ加筆。どうしても省略して削れない。送稿。
8.24(日)夜、買淫。ハズレ。川崎長太郎の長編「地下水」復読。
8.25(月)「蠕動」ゲラ。信濃路で柴崎氏。
8.26(火)「蠕動」ゲラ。「新刊ニュース」アンケート返送。今月中にやるべきことは一応のかたがつく。七月末から怠惰な自分としては随分働いた感じ。どこからも随筆一本求められなかった四年前あたりのことを思えば、実に有難い話だ。
8.27(水)日中、外出。帰宅後、短編のネタ作り。
8.28(木)終日無為。ホームセンターに行き、スーパーに行き、回転寿司に行く。
8.29(金)回転寿司
8.30(土)回転寿司
8.31(日)終日無為。
9.1(月)ダイヤモンドユカイ氏より電話。テレビゲスト出演要請。二つ返事で受ける。
9.2(火)回転寿司
9.3(水)別の回転寿司。キンメダイが気に入ってしまう。
9.4(木)第四エッセイ集「下手に居丈高」見本届く。単著33冊目。そろそろ買淫の必要にも迫られているが、腰が痛く断念。水上勉フライパンの歌」。作中に田中英光
9.5(金)インド大使館へ。バンガロールの文学フェスの招待を受ける。
9.6(土)腰痛悪化。予定を大幅に変更の必要に迫られる。
9.7(日)腰が痛くて原稿にも手を付けられず、インド行き中止する。
9.8(月)「季刊文科」勝又浩氏と対談。
9.9(火)激安グルメロケ。これで終了。
9.10(水)ダイヤモンドユカイ氏ゲストロケ。
9.11(木)終日ネタくり。
9.12(金)回転寿司。「蠕動」第三回下書き始めるも全くはかがゆかず早々に諦めて、飲酒。
9.13(土)夜、知人からスマホを差しだされる。ネットニュースで自分のことが、久方ぶりに話題になっているとのこと。<西村賢太、初長編が「全然売れない」!「お願い!ランキング」出演も効果なし?>なるもの。「蠕動」下書きノート4ページ。
9.14(日)「蠕動」下書き3ページ。回転寿司
9.15(月)「蠕動」下書き8ページ。
9.16(火)「蠕動」下書き7ページ。終了。
9.17(水)ほぼ一日、外出状態。夜、次の短編のネタくり。
9.18(木)「蠕動」第三回清書。信濃、風花
9.19(金)「蠕動」清書、夜、田畑氏に電話し、「新潮」十一月号短編の題名伝える。
9.20(土)「日乗」ゲラ、「蠕動」清書、午前四時半、洗濯物をベランダ物干しへ。
9.21(日)清書終了。原稿段階で最後の手直し。
9.22(月)「日乗」「蠕動」ひとまずヤレヤレ。
9.23(火)「夢魔去りぬ」下書き3ページ。
9.24(水)文芸春秋ダイヤモンド社ワンカップ大関インタビュー。四谷三丁目。
文芸春秋社とは、「本の話WEB」検閲の件で縁が切れていたが、文学界の森氏や田中光子氏のお心遣いにより、また僅かに修復の兆しが見え始めている。有難いことだ。
9.25(木)「夢魔」まったく気乗りせず、こんなのは放り出し、早く「蠕動」の四回目を書き始めたい。DVD「網走番外地」(第一作)と「県警対組織暴力
9.26(金)玉袋氏を初めて「信濃路」に案内する。銀座、新宿と流れ歩く。
9.27(土)「夢魔」一気に残り10ページ書いて下書き終了。
9.28(日)「SWITCH」でNHK金沢の映像見る。痩身。「むま」清書気乗りせず終了。
9.29(月)「夢魔」訂正難儀せず。何ら感慨もなし。
9.30(火)「夢魔責了。どうでもよし。当分「新潮」には書かない。夜、買淫。当たり。
10.1(水)荒木町の寿司屋で「野生時代」山田氏、榊原氏と打ち合わせ。
10.2(木)ネタクリに専心。考えすぎて頭痛。
10.3(金)「文学界」豊田氏、武藤編集長と四谷三丁目、風花。有意義な一夜。
10.4(土)「東京ものがたり」大森編。
10.5(日)終日在室。「日乗野性」ゲラ。
10.6(月)岡村靖幸氏と対談。「GINZA」誌の企画。「日乗野生」ゲラ。10日まで。
10.7(火)「文芸春秋オピニオン2015論点100」用の原稿。
10.8(水)結果的に終日無為といった感じ。
10.9(木)久方ぶりに回転寿司
10.10(金)魚屋で焼き物用のアジ、中トロのサク、アワビ。
10.11(土)回転寿司
10.12(日)「蠕動」四回目下書き。はかがゆかず。
10.13(月)雑用の片し。
10.14(火)回転寿司。無為にうち過ごす。晩酌、甚だ不美味。
10.15(水)終日無為。頭に靄のかかった状態で、些細なことにやたらいら立つ。
10.16(木)知人の姪っ子用の、幼児向け学習ドリル七冊と、「アナ雪」のぬり絵を買う。
「蠕動」四回目書き出す。4ページ進む。何とかスタートを切れた格好。回転寿司。これでまた、しばらくの間は「禁回転寿司」となるであろう。
10.17(金)「信濃路」「風花」坪内祐三、現れ、例によって風のように去る。
10.18(土)右膝裏に痛風発祥の兆し。
10.19(日)「日乗」まとめ。「蠕動」四回冒頭清書、下書き続き6ページ。
10.20(月)「蠕動」下書きノート4ページで断念。
10.21(火)「蠕動」下書き5ページ。とりあえず四回分は終了。
10.22(水)「蠕動」清書。バイク便で「すばる」編集部に送稿。
10.23(木)夜、買淫。外れ。朝山蜻一短編復読。「死霊」「ひつじや物語」「僕はちんころ」「人形はなぜ作られる」何回繰り返して読んでも、三十二年前の初読のときの驚きを覚える。「天人飛ぶ」と「くびられた隠者」も復読。
10.24(金)「信濃路」にて「小説現代」柴崎氏と打ち合わせ。
10.25(土)夜、一昨日行ったばかりだったが、雄心勃発したので、買淫。今日は当たり。
10.26(日)「蠕動」第四回ゲラ訂正。深更、雑文一本書く。
10.27(月)終日在室、終日無為。藤澤清造田中英光の短編小説をひたすら復読。
明け方、痛快事あり。午前六時より、清造の位牌を前に一人で祝杯。
10.28(火)四谷三丁目焼き肉店。角川打ち合わせ。
10.29(水)鶯谷、風花、「文学界」豊田氏。
10.30(木)「東京ものがたり」第二十九回。
10.31(金)鶯谷で「新潮」田畑氏と面談。天敵から唾棄すべき存在に格下げとなった矢野とかいう社員の恒例の悪口大会は、最早してやるだけの価値もなし。日暮里で一人で仕上げ。
11.1(土)玉袋氏と「信濃路」へ。柴崎氏を呼ぶ。風花から坪内祐三と「猫目」へ。
11.2(日)『一私小説書きの日乗』(角川文庫)見本開く。34冊目。帯に名前上げてくだすった六名の小説家のかたがたにしみじみ感謝。夜、買淫。当たり。ここのところ調子がいい。
11.3(月)Eテレの番組スタッフと打ち合わせ。今後はテレビラジオ出演のアルバイト仕事は基本受けないことにする。NHKラジオビブリオバトル公開生放送。
11.4(火)Eテレ「オイコノミヤ」ロケ撮影。
11.5(水)信濃八太郎氏との対談。名前のイメージと違い爽やかな青年。楽しき対談。
11.6(木)新潮田畑氏と「砂場」。
11.7(金)「蠕動」第五回書き始めようとするもはかがゆかず飲酒に逃げる。
11.8(土)回転寿司。「蠕動」下書き3ページ。
11.9(日)「蠕動」4ページ。
11.10(月)「蠕動」5ページ。
11.11(火)「蠕動」6ページ。
11.12(水)回転寿司。「蠕動」5ページ半、終了。
11.13(木)「蠕動」清書。
11.14(金)「蠕動」清書、計35枚にて終了。
11.15(土)日中やむなく外出。帰室後、届いていた「文芸春秋オピニオン」を開く。「蠕動」訂正胃痛ひとく半分でやめる。四百五十円の白ワイン二杯半。
11.16(日)「野生時代」の短編一週間後期限に青ざめる。「蠕動」第五回完成。
11.17(月)「文学界」「野生時代シノプシス作る。あとは書くだけ。
11.18(火)「蠕動」第五回原稿バイク便。「文学界」用短編「無線横丁」下書き開始。
11.19(水)「無銭」清書。ほぼ全面改稿。
11.20(木)「無銭」清書と下書き5ページ。
11.21(金)「無銭」7ページ。「日乗」整理。
11.22(土)ノート8ページ。
11.23(日)清書、計四十三枚で終了。「野性時代」一月号短編下書き開始。ノート13頁。
11.24(月)昨日の下書きを「畜生の反省」のタイトルで清書。「蠕動」ゲラ。
11.25(火)「畜生」三十一枚で終了。訂正。次いで「無銭横丁」の訂正。
11.26(水)二作ゲラ。
11.27(木)『一私小説書きの日乗 野性の章』(角川書店)見本開く。35冊目。今回のこの本は、帯文を寄せて下すった稲垣潤一氏と、ダイヤモンド・ユカイ氏に尽きる。
11.28(金)久しぶりに回転寿司。美味。「小説現代」一月号「痴者の食卓」」開始。
11.29(土)魚屋へゆき、中トロとアジ。
11.30(日)「痴者」ノート8ページ。
12.1(月)清書。ノート3ページ。
12.2(火)回転寿司
12.4(木)日中、仕方なく外出。帰室後、また少したまっていた雑用一束片付け。
12.5(金)フジテレビ特番収録。
12.6(土)信濃路、豊田氏。新宿で解散。池袋で魚介ラーメン大盛すすって帰室。
12.7(日)信濃路、田中光子氏、豊田氏、再度の打ち合わせ。日暮里。
12.8(月)「痴者」残り分清書。計四十一枚。
12.9(火)「痴者」バイク便。信濃路、すばる清田氏。田端で仕上げ。
12.10(水)日中雑用一束。「東京ものがたり」白金台編。
12.11(木)中野で玉袋氏、宇多丸氏と忘年会。
12.12(金)東スポエッセイ、東京物語、痴者ゲラ
12.13(土)「日乗」整理。夜、久方ぶりに買淫。大当たり。
12.14(日)雑用、「蠕動」第六回
12.15(月)しなのじ、田畑、大曾根。27歳の大曾根に「ゆとり」とからかい不機嫌に。
12.16(火)「蠕動」清書
12.17(水)野間賞はいかず、しなのじ柴咲、田畑。日暮里で札幌ラーメン。
12.18(木)年内の原稿仕事はすべて終了。自分へのご褒美として買淫に赴きたいが、何やら外出が億劫になり、手早く手淫
12.19(金)テレ朝クイズ番組。ぶっ続けで十四時間スタジオにいたことになるが、引っ越し会社の作業で半日フルに働いて得る日当の軽く二十倍。小遣い稼ぎに悪くない。最も来年は話が来ても断るであろうが。
12.20(土)「信濃路」で高田文夫、玉袋氏と忘年会。玉袋が隣の客に切れ、宥める。
12.21(日)酒井順子「オリーブの罠」坪内祐三「続・酒中日記」
12.22(月)夜、買淫。外れ。不甲斐なし。
12.23(火)歌舞伎町で玉袋トークライブ出演。西新宿ヒルトンで稲垣潤一ディナーショー。
12.24(水)渋谷でグラミー賞生中継番組の番宣ロケ。信濃、豊田氏忘年会。風花。
12.25(木)年賀状43枚。信濃、山田、似田貝氏。
12.26(金)四谷三丁目で田畑氏と忘年会。
12.27(土)夜、改めて外出。仲代達也「切腹」DVD。
12.28(日)床屋で散髪、イトーヨーカドーへ衣類の買い出し。回転寿司
12.29(月)回転寿司。仕事せず無為。
12.30(火)午後一時半に、やむなく外出。モチつきを見学する。帰宅後に、「日乗」進める。
12.31(水)帰室後、体調悪くなる。


2015年(平成二十七年)
1.1(木)「日乗」整理。人並みに鴨肉入りの雑煮なぞを作って食べてみる。短編集「無銭横丁」ゲラ。
1.2(金)日中無為。夕方、小一時間散歩す。静かなり。
1.3(土)友川カズキ氏のエッセイ帯文。夕方、小一時間の散歩。
1.4(日)「無銭」ゲラ
1.5(月)回転寿司
1.6(火)終日無為。
1.7(水)「無銭」ゲラ宅配便。外をブラブラ。うたたねとDVD。
1.8(木)終日在室。
1.9(金)日中、外出。いったん帰室ののち、四谷三丁目へ。田中、森、豊田。
1.10(土)そろそろ小説を、と思うも、何かすっかり全部のタガが外れた感じ。仕方なく、一時間程サウナへ行ったのちに、買淫。一応の当たり。
1.11(日)夜、黒カビだらけだった浴室を清掃。
1.12(月)東海テレビの番組収録。「ニホンゴ三壇蜜活用」
1.13(火)夕方、久しぶりに浅草へ。演芸ホール、清造スポット(久保田万太郎生家跡)、安寿司屋、の王道コース。
1.14(水)「風花」に久世光彦夫人が入ってこられ、厚く感謝を述べさせていただく。
1.15(木)サウナでテレビの大相撲に熱中。スーパーで食料買い出し。
1.16(金)信濃、田畑。日暮里で仕上げ。
1.17(土)未だ、終日無為。困ったものだ。
1.18(日)そろそろ三月号用の仕事を始めないと、全部が時間的に間に合わなくなってくる。なので今日のうちに、買淫。一応の当たり。
1.19(月)ようやく「蠕動」第七回書き始める。信濃、柴咲氏。
1.20(火)「無銭」再校に専心。
1.21(水)信濃、山田、似田貝氏。「日乗」再延長決まる。めでたし。キモ貝命名
1.22(木)「蠕動」ノート6ページ。
1.23(金)清書、13枚分。ノート7ページ。
1.24(土)清書、ノート5ページ半。
1.25(日)送稿、第八回シノプシス作り。
1.26(月)「日乗」「蠕動」ゲラ
1.27(火)夜、買淫。大当たり。調子良好。
1.28(水)友川カズキ氏エッセイ届く。中上健司やたこ八郎とのエピソードが楽しい。
1.29(木)能登空港から七尾入り。第十六回清造忌。野次馬はすっかり去り、元の静かな状態に復して何より。
1.30(金)能登から真っすぐ帰京するつもりだったが、つい新大阪までの切符を買ってしまい、寄り道を決め込む。
2.1~2.2 記載なし
2.3(火)帰京し、雑用一束。「微笑崩壊」書き始める。
2.4(水)稲垣潤一氏とマネージャー氏と飲む。
2.5(木)「微笑崩壊」下書き。
2.6(金)下書き6頁。ひとまず終了。
2.7(土)全体の手直しし、一応完成。大曾根氏に連絡しバイク便手配していただく。
2.8(日)何年かぶりで、宅配ピザを取って食べてみる。「東京ものがたり」日暮里後編。
2.9(月)「微笑」ゲラ。信濃、豊田氏。
2.10(火)「微笑」ゲラ戻す。神保町ですばる清田編集長。
2.11(水)稲垣潤一のライブと打ち上げの後、自身の知らず知らずの不心得を直視。
2.12(木)夜、外出。種々思いを改め、予定を立て直す。
2.13(金)回転寿司
2.14(土)「日乗」整理。
2.15(日)回転寿司。古い邦画のDVDひたすら眺める。
2.16(月)帰室後、急に体がだるくなってそのままダラダラ過ごす。
2.17(火)日中、やむなく外出。帰室後、届いていた「友川カズキ独白録」開く。
2.18(水)テレビ朝日クイズ特番。優勝しハワイ旅行獲得。
2.19(木)芥川賞いかず、信濃路に田畑氏呼び出す。柴崎氏も。
2.20(金)「蠕動」第八回ノート8ページ、今まで合わせて11頁半。
2.21(土)「蠕動」下書き続き。
2.22(日)日中、やむなく雑用片し。「蠕動」終了。
2.23(月)下書き分清書しながら訂正。送稿。
2.24(火)ゲラ。真梨幸子氏の未読分を一日一冊のペースで読む。
2.25(水)確定申告の準備始める。
2.26(木)確定申告の準備。
2.27(金)新刊「無銭横丁」見本開ける。単著36冊目。夜、買淫。一応の当たり。
2.28(土)終日在室、終日読書。
3.1(日)サウナから帰室後は、読書とうたた寝の繰り返し。
3.2(月)確定申告の書類を揃えて、税理士事務所に発送。六畳の書庫の整理。
3.3(火)夕方、外出。「日乗」の昨日分までの整理。
3.4(水)終日無為。藤木靖子の中編二作復読。これぞ元祖イヤミス作家。
3.5(木)魚屋でアワビとシマアジ
3.6(金)三か月ぶり散髪。回転寿司。「新仁義なき戦い」DVD。
3.7(土)日中、無為。夜、回転寿司。
3.8(日)「蠕動」第九回ネタクリ。
3.9(月)回転寿司
3.10(火)ひたすら真梨幸子を読む。
3.11(水)四谷三丁目焼肉店田中光子氏らと。種々有難きことあり。
3.12(木)税理士事務所へ。
3.13(金)真梨幸子氏との対談。
3.14(土)「一日」ゲラ開く。
3.15(日)江上剛氏の著作を集中的に読み始める。
3.16(月)信濃、田畑氏。田端で仕上げ。
3.17(火)信濃、山田氏、キモ貝氏。満腹となり真っすぐ帰室。
3.18(水)短編ねたくり。シノプシス作る。これでもう書けたも同然。信濃、豊田氏。
3.19(木)「蠕動」第九回手をつける。高田文夫トークショーの聞き手を務める。
3.20(金)原因の思い当たる動作なしに起きたらいきなり腰に違和感。初めてのこと。
3.21(土)腰痛でヨチヨチ歩きしかできぬ状況。
3.22(日)仕事手につかず、DVDぼんやり見て過ごす。
3.23(月)「蠕動」今月校了号白旗。敗北感に打ちひしがれ、女体を買いに行きたくなるが、この腰の状態ではどうにもならぬ。仕方なく宅配寿司三十六貫。
3.24(火)ドラッグストアで高価な湿布。ひたすら読書。
3.25(水)右足親指の付け根に痛風の兆し。弱り目に祟り目。『辻潤全集』の各巻を、調べ事を兼ねて復読。
3.26(木)『辻潤全集』と、大泉黒石の全集から「人間廃業」の復読。
3.27(金)湿布、横臥で、朝方まで今東光三昧。
3.28(土)また今東光の著作のあれこれに耽る。
3.29(日)雑用片し。湿布、横臥、今東光
3.30(月)痛風もほぼおさまってきた。有難し。今東光
3.31(火)日中、外出。
4.1(水)テレビ朝日でクイズ番組収録。
4.2~4.3 記載なし
4.4(土)帰室後、無為。
4.5(日)終日無為。完全にダメな方の周期に入っている。これはこれで、また仕方なし。
4.6(月)回転寿司
4.7(火)「一日」のゲラ、書名を「小説にすがりつきたい夜もある」に変更。
4.8(水)深更、九十枚もののネタ繰り。これだけは、今どうしても書いておきたい。
4.9(木)日中、やむなく外出し、夕方にいったん帰室す。
4.10(金)テレビ東京番組収録。「たけしのニッポンのミカタ!
4.11(土)「男 アラーキーの裸の顔」開く。夜、久方ぶりに買淫。当たり。
4.12(日)日中、無為。清造調べもの。
4.13(月)台所掃除。日本テレビスタッフと池袋で打ち合わせ。
4.14(火)信濃、山田氏、キモ貝氏。
4.15(水)川崎生田スタジオでAKBINGO収録。信濃、柴崎氏。
4.16(木)何やら全く気力が出ず。仕事も全くする気がせず。終日、無為に似たりの雑用片しに時間を潰す。
4.17(金)「小説にすがりつきたい夜もある」再校確認。
4.18(土)夕方、「すばる」清田編集長に電話し、「蠕動」の白旗をまたもや掲げる。さすがに温厚な清田編集長も気色ばむ。ひたすらに詫びて、何とか電話を切ったのち、とりあえずサウナへ向かう。
4.19(日)もろもろ深省。いるのかいないのかサッパリ分からぬ「読者」のことを念頭に置いたためしは一度もないが、よくよく考えてみれば、自分のような書き手を起用して下さる清田氏に対しては、甚だ申し訳なし。夜、気を取り直して買淫。それなりに当たり。
4.20(月)サウナから帰室後、根津権現裏を読み続ける。
4.21(火)何やら「イナズマン」でいうところのサナギマン状態の心境。ダメな周期が明けるのは、もう近いはずなのだが。
4.22(水)雑用を二つ片したのち、何とはなしに名古屋に行ってみる。買淫。大当たり。
気分よく一杯やって、タクシーで駅前のビジネスホテルに戻り、早々に寝る。
4.23(木)名古屋から新幹線に乗り、広島で降りてみる。夜、買淫。中当たりといったところか。吉田類気取りで居酒屋で一杯飲み、ホテルに戻ってすぐと寝る。
4.24(金)広島から新幹線、博多で降りてみる。午後三時までブラブラしたのち、ビジネスホテルへ。夜、中州で一杯。のち、買淫。一応の当たり。再び居酒屋で一杯飲み、最後に屋台でとんこつラーメンもすする。美味悦楽。
4.25(土)博多から新幹線で帰室。久方ぶりにウツボツたる創作意欲が身中に蘇る。
4.26(日)回転寿司
4.27(月)未だ、サナギマン状態。清造の墓前に、ぬかずきたし。
4.28~4.29 記載なし
4.30(木)帰京。午後二時帰室。四谷三丁目。風花。
5.1(金)信濃、田畑氏。
5.2(土)信濃徳間書店崔氏。文壇よもやま話。
5.3(日)知人のお子さんへの、「こどもの日」用の玩具を買いにゆく。発送も済ます。
5.4(月)NHKラジオの公開生放送。昨年十一月にも出演した書評バトル。終ってつきあいのある各誌の編集者男七人で新宿の寿司屋、新宿二丁目蕎麦屋
5.5(火)よく寝たせいか、気力充実。が、仕事は未だ進められず。困ったものだ。
5.6(水)終日在室。藤沢周「界」、田中慎弥「宰相A」。共に面白し。
5.7(木)「すばる」清田編集長との打ち合わせ。ひたすら詫びる。先の白旗を掲げた電話の際に苦し紛れで少し大げさな仮病を装ったせいか、快気祝い的な手土産をいただく。
5.8(金)東京ものがたり第三十四回。
5.9(土)夜、買淫。外れ。深更ノート広げて「芝公園六角堂跡」書きだす。
5.10(日)下書き。この二月(2.11)の出来事をもとにしているが、どうでもこれは、今書いておかなければならぬものだ。だが意気は上がれど、手が追い付かず。ノート2頁で今日は店じまい。
5.11(月)ノート4ページ。
5.12(火)清書。銭湯にいき、帰途につけ麺。ノート3頁。
5.13(水)ノート8頁。少し、感覚が戻ってきた感じ。書けてうれしい。
5.14(木)神保町、集英社会議室で、西加奈子氏と対談。ノート7頁。
5.15(金)8頁。どうやらダメな方の周期から脱することができた感じ。今回二か月程度で回復しえたのは、以前の八か月とか半年なぞかかった長きを思えばむしろ有難い。
5.16(土)清書。ノート4頁。少しくペースダウンす。焼酎、苦し。
5.17(日)寝室クーラー今日から19度設定へ。寝室で万年床に腹這い、下書きノート広げる。5頁。まあこんなものか。
5.18(月)スーパーで買い出し。コンビニで飲料。面倒臭くてかなわぬが、やむなし。
5.19(火)病院に通風の薬もらいに行く。帰途魚屋でまぐろとカツオのお造り。「痴者の食卓」装幀案届く。中にとびぬけてよいのが一点あり。
5.20(水)ノート8ページ。もう一息。
5.21(木)ノート8ページ。計67枚にて下書き完了。
5.22(金)下書き清書。提出期日は25日夜十時。その間に「蠕動」のほうも、今月はどうしても間に合わせる必要がある。
5.23(土)「芝公園」ほぼ全改稿に近い直し。
5.24(日)訂正作業。バイク便。続いて「蠕動」第九回下書き7ページ。完全にダメなほうの周期が明けた感じ。
5.25(月)下書き3ページ。清書。送稿。
5.26(火)この駄作(「芝公園六角堂跡」)に限っては、人様に読んでいただく目的は一切ない。今の自分の為にどうしても書く必要があっただけである。即ち、アマチュア気分の「いい気な愚作」に他ならない。久方ぶりに、同人誌時代の初心に立ち戻った思い。
5.27(水)信濃、豊田氏。日暮里で仕上げ。
5.28(木)夜、外出。
5.29~5.30 記載なし
5.31(日)スーパーに買い出し。「痴者」初校ゲラ。
6.1(月)夜、久方ぶりに会った知人と、焼肉。過去に二度入ったことのある店だが、今日のはどれもが、ひどく不美味。こちらの舌が肥えたせいなのか。
大下宇陀児の初期(大正期から昭和期)の短編を復読。
6.2(火)少々体がだるい。夕方散歩。少し具合よくなる。回転寿司
6.3(水)回転寿司。宇野浩二の初期作四篇拾い読み。「痴者」ゲラ続き。
6.4(木)少しく体調復した感じ。「痴者」とりあえず全部の訂正を終える。
6.5(金)午後より、やむなく外出。夜は休肝日とし、読書三昧。
6.6~6.8 記載なし
6.9(火)たまっていた雑用片し。東京ものがたり、次が最終回となる。
6.10(水)「小説にすがりつきたい夜もある」(文春文庫)見本開く。37冊目。
6.11(木)38度超えの発熱。ルル、アイスノン、横臥。
6.12(金)熱下がるも体だるし。「松永延造全集」からあれこれ復読。
6.13(土)やや回復。「傑作絶望シネマ88」(拙文「悪意の奔流 松本清張原作映画「黒い画集第二話寒流」所収」開いて拾い読み。
6.14(日)回転寿司。橘外男「ある小説家の思い出」中公文庫30年ぶり復読。
6.15(月)田中英光「姫むかしよもぎ」復読。
6.16(火)体調悪く打ち合わせ日延べして頂く。岡田虎彦「犯罪の足音」、橋本五郎
6.17(水)体調復す。種々予定の立て直し。夕方一時間ほど散歩。先般入手した今東光「極道辻説法」レコード面白し。書籍版も復読。
6.18(木)風呂場の掃除。清掃後、甚だ気分良し。手紙の返信二本。天知茂江戸川乱歩の美女シリーズ」DVD2本眺めつつ晩酌。
6.19(金)日中、外出。「蠕動」第十回下書きノート広げる。
<一私小説書きの日乗 不屈の章>
6.20(土)「文学界」豊田氏に異動内示でたとのメールに気づく。「蠕動」十回清書。
6.21(日)午前九時起床。入浴。日中、外出。「日乗」整理、「蠕動」残りの下書き清書。
6.22(月)全体的な訂正作業。近所の銭湯。「痴者の食卓」再考ゲラ。
6.23(火)「蠕動」「日乗」ゲラ。「痴者」最高ゲラ。
6.24(水)ゲラ。痛風の兆し。発泡酒にきりかえる。
6.25(木)痛風、ハッキリと痛みが出ている。とりあえず痛み止めのロキソニン。午後、やむなく外出。短編下書きノート進まず。
6.26(金)痛風のため終日在室。
6.27(土)トイレで腰を捻る。腰と足の激痛。どうもここ数年、自分は六月になると体がおかしくなる。昨年の六月は頸椎症性神経根症で苦しみ、一昨年の六月は、親知らずの抜歯痕がドライソケットになって七転八倒していた。このデンでゆけば、来年の六月には心臓でも止まってしまうのではなかろうか。
6.28(日)尿瓶代わりの二リットルペットボトルトイレに流して痛み止めを飲み、湿布を貼り換えてひたすら横臥。ひたすら読書。
6.29(月)不思議と性欲もなし。かれこれひと月半以上、買淫せず。食欲もたいして沸かず。ただ外を散歩したい。
6.30(火)右足痛風八割がた収まる。短編下書きノート2ページ。
7.1(水)今度は左足小指付け根とその裏に少し痛風が出る。医療用テープを縛り付け冷やす。終日在室、読書。
7.2(木)終日読書。
7.3(金)左の痛風未だに痛むが、やむなく外出。
7.4(土)玉袋氏と一献。久しぶりの鯨飲。足、腰の痛みをすっかり忘れ去った感じ。
7.5(日)明治古典会で藤澤清造自筆書簡を無事落札。手紙の出品は2001年以来実に14年ぶり。気分よくサウナ、買淫。大当たりの場外ホームラン。先々月以来なので、気持ち良さすぎる。
7.6(月)江上剛氏と対談。
7.7(火)信濃路で柴崎氏と打ち合わせ。
7.8(水)四谷三丁目で文芸春秋の異動に伴う引継ぎの会。
7.9(木)「東京ものがたり」最終回送る。
7.10(金)池袋喫茶店で生放送報道番組打ち合わせ。新潮社。信濃路で田畑氏。
7.11(土)明朝の朝番のため飲まず眠らずで横溝正史悪霊島」読み通し夜を明かす。
7.12(日)生放送の報道番組で石原慎太郎と共演。新潮社から「純」ワンケース届く。
7.13(月)水道業者が来て浴室の修繕。
7.14(火)夜、買淫。当たり。
7.15(水)角川十一月予定文庫版「田中英光傑作選」ゲラ。再スタート。
7.16(木)「痴者」献呈リスト。「蠕動」11回下書き。
7.17(金)「英光」ゲラ。「蠕動」下書き。
7.18(土)「田中英光傑作選」のゲラ。「すばる」清田編集長に含むところあり。
7.19(日)「週刊文春」コメント書く。電話よりギャラが多額になる気がしたので。
7.20(月)「蠕動」下書き仕上げるが送らず。ノートを引き出しにしまう。
7.21(火)たまっていた手紙の返事書き。信濃路で山田氏、キモ貝氏。
7.22(水)病院で痛風の薬もらう。英光ゲラ。本文校訂。楽しい作業。
7.23(木)英光ゲラ。
7.24(金)新潮社で「週刊現代」インタビュー。「痴者」について。信濃路田畑氏。
7.25(土)新刊「痴者の食卓」(新潮社)見本開く。単著38冊目。
7.26(日)雑用、スーパー。汗みどろ。英光ゲラ。
7.27(月)夜、買淫。一応の当たり。
7.28(火)雑用。英光ゲラ。
7.29(水)玉袋氏と東京者対談。柴崎氏らと風花。島田雅彦と遭遇。
7.30(木)信濃路で、先々月より感情的に含むところがあった、「すばる」清田編集長との手打ち式。こちらも非礼の段を詫び、「蠕動」の連載再開を約す。
7.31(金)英光ゲラ。一生これをやっていたい幸福な時間。
8.1(土)雑用、日用品買い出し。英光ゲラ。
8.2(日)リビングと寝室のエアコンフィルター水洗い。ゲラ。「離魂」。たまらぬ。
8.3(月)池袋喫茶店BS11打合せ。「生命の果実」ゲラ。生原稿所蔵。怖いものなし。
8.4(火)「月刊宝島」インタビュー。田畑氏と砂場。校訂つづき。
8.5(水)夜、買淫。普通に当たり。「風はいつも吹いている」
8.6(木)小学館の新書の編集者からの非常識なショートメールに怒る。
8.7(金)「風はいつも吹いている」
8.8(土)英光傑作選の全校訂終了。
8.9(日)夜、買淫。大当たり。英光「雲白く草青し」が読みたく原本で復読。
8.10(月)終日無為。ひたすら古い邦画DVD。
8.11(火)日中、外出。
8.12(水)夕方、久しぶりに回転寿司。室内の片づけ。
8.13(木)日中、外出。
8.14(金)夜、またぞろ回転寿司。
8.15(土)終日、無為。夜、少し散歩なぞしてみる。
8.16(日)「日乗」整理。「蠕動」11回分清書始める。
8.17(月)日中、外出。夜、魚屋でアジのお造り。
8.18(火)珍しく、スパゲッティーなぞ食べて帰室。届いていた週刊現代開く。痴者の食卓に関するインタビュー所載。
8.19(水)日中外出。
8.20(木)日中、仕方なく外出。
8.21(木)BS11宮崎美子氏MCによる本に関する番組収録。
8.22(土)「野性時代」短編下書き。はかがいかず。
8.23(日)万年床でノート広げるも気分が乗らぬ。大藪晴彦「復讐の掟」読み上げる。
8.24(月)「かに道楽」「風花」
8.25(火)町田康「常識の路上」読む。見事なエッセイ。手紙の返信一本投函。
8.26(水)BS朝日ドキュメント撮影。買淫。当たり。
8.27(木)「野性時代」山田編集長に、今回提出の短編について白旗を掲げる(あまりに気まずいので、携帯メールにて掲げる)。しみじみ自己嫌悪に駆られ、とりあえずサウナへ。
何やら、遠くへ行きたし。
8.28(金)TBSラジオ生出演。玉袋氏と。「日乗」ゲラ訂正。
8.29(土)「東京ものがたり」ゲラ訂正。英光傑作選再校。
8.30(日)短編重圧逃れ胃の痛み半減。「東京ものがたり」ゲラ。英光傑作選再校。
8.31(月)新宿ロフトプラスワンで玉袋トークライブ観覧。
9.1(火)湯島で「すばる」清田編集長と。体調悪そう。
9.2(水)壇蜜氏との対談。田中光子氏らと四谷三丁目へ。
9.3(木)「東京ものがたり」ゲラつづき。英光ゲラ再校。
9.4(金)池袋の喫茶店でSPAインタビュー。下流中年の孤独と向き合う術的な内容。自分の場合、下流中年というのは全くその通りであるが、常に藤澤の小説が身近にあり、自らもまたヘタな私小説を書き続けているこの状況は、精神的にはまるで孤独とはかけ離れている。なので、その辺を話してみる。いったん帰室し、信濃路。ENTAXI田中編集長。
9.5(土)痛風の前兆。歩き動けるうちに日用品の買い出し。
9.6(日)痛風で終日無為。古い邦画のDVDあれこれ眺めで気を紛らす。
9.7(月)何とか歩行可能。英光。信濃路、清水氏。風花。池袋「富士そば」。
9.8(火)神宮球場中止。湯島で山田氏、キモ貝氏。妙な表情。
9.9(水)「東京ものがたり」ゲラ。英光再校。
9.10(木)足の具合八割がた回復。「東京ものがたり」ゲラ。英光再校。
9.11(金)夜、買淫。中当たり。
9.12(土)真梨幸子「アルテーミスの采配」読む。「東京ものがたり」ゲラ。
9.13(日)「アルテーミス」読了。ひたすらに面白い。英光追い込み。
9.14(月)払い忘れていて最終通告の来ていた水道料金を十条の営業所まで支払いにゆく。英光再校終了。何やら、奇妙な寂寥感を覚える。虚脱状態にも近し。しかしまだ解説がある。
湯島で「別冊文芸春秋」森編集長と打ち合わせ。
9.15(火)壇蜜氏との対談ゲラに手を入れて、別冊文芸春秋に送る。ゲラが片付いたせいか、俄かに小説を書きたい意欲がよみがえる。
9.16(水)「日乗」整理。
9.17(木)スーパー。回転寿司。「文学界」随筆。英光のことなので慎重になる。
9.18(金)回転寿司。「日乗」整理。
9.19(土)夕方魚屋に行って、カワハギの肝付お造りを買う。夜、大衆レストランみたいなところで、チャーシュー麵とドライカレー。「日乗」整理。「蠕動」第十二回下書き。何やら作中の「貫多」に会うのが、久しぶりの感じ。
9.20(日)日中、ほぼ無為。ノート3ページ。白ワインなぞ飲んでみる。
9.21(月)回転寿司。5ページ。
9.22(火)回転寿司。日中、ほぼ無為。
9.23(水)病院に薬をもらいに行って、帰室後に下書き分の清書。最後まで興が乗る。
9.24(木)珍しくライスバーガー美味。うんざりするほど手直し多い。
9.25(金)午後一番で、やむなく外出。雨で二十五日の金曜だけあって、道路の渋滞甚し。
9.26(土)「東京ものがたり」再校とそれ関連の確認作業。夜立ち上がった瞬間腰痛める。
9.27(日)「東京ものがたり」再校最終確認終え返送。「蠕動」12回ゲラ。「日乗」ゲラ。
9.28(月)返信を要する手紙書き。信濃路で柴崎氏。細やかな心配りに頭が下がる思い。
9.29(火)雑誌整理。田中英光の朝鮮赴任時代の短編を立て続けに六編復読。
9.30(水)夜、買淫。外れ。人間、こういうときもある。雑誌整理、パラフィンがけ。
10.1(木)坪内祐三と「ダメ人間作家コンテスト」対談。坪内氏のおかげで、「本の雑誌」の杉江氏、マトグロッソの山口氏と不和氷解。
10.2(金)ひたすら読書。
10.3(土)室内の不要物売っていきばくかの金子を得る。英光短編歴史小説復読。
10.4(日)結果的に、終日無為。やむなし。仕方なく本を読んで、ひたすらに時間を潰す。
10.5(月)夜、買淫。一応の当たり。が、今宵は何となく虚しい感じが残る。
10.6(火)能町みね子氏との対談。イラストのお礼。風花。
10.7(水)対談集「風来鬼語」ゲラ届く。湯島で清水氏。種々予定変更していただく。
10.8(木)「日乗」整理。英光解題続き。
10.9(金)解題続き。
10.10(土)解題。十九歳から二十九歳までの丸十年を、寝ても英光、覚めても英光の時を経てていた自分には、なんともうれしく、泣きたいほどに懐かしい作業。
10.11(日)解題清書。送稿。脳内の興奮状態を持て余し小一時間散歩に出る。
10.12(月)坪内祐三「人声天語2」途中まで読む。
10.13(火)夜、やむなく外出。
10.14(水)回転寿司「蠕動」第十三回下書き少し早めにノートに書き始める。
10.15(木)ノート5ページ。
10.16(金)10ページでひとまず終了。
10.17(土)無為。寝そべってDVD。
10.18(日)夜、久方ぶりに散髪。スッキリしたが、髪を切ったら二か月前に染めた白髪がやけに目立つ。
10.19(月)「蠕動」清書。明け方三時過ぎに終了。全体的な訂正作業は明日からのことにして、一本手淫したのちに、晩酌の支度にとりかかる。
10.20(火)回転寿司
10.21(水)日中、しょうことなしに外出。夕方六時前に帰室。「蠕動」第十三回の原稿を持参したところ、清田氏目を丸くして大いに驚く。
10.22(木)新刊第六エッセイ集「東京者がたり」(講談社)見本開く。39冊目。
10.23(金)英光三校。新潮文庫「歪んだ忌日」初校。
10.24(土)別冊文芸春秋、WEB版を非売品で紙本にしたもの開く。壇蜜との対談。
10.25(日)コンビニで「週刊文春」買う。壇蜜とのモノクログラビア。
10.26(月)夜、買淫。まずまずの当たり。
10.27(火)「東京者がたり」出版記念の、玉袋氏とのトークショー、サイン会。高田文夫も。
10.28(水)テレビ朝日クイズ番組収録。
10.29(木)信濃路で「本の雑誌」杉江氏。捨てる神あれば拾う神あり。有難し。
10.30(金)「田中英光傑作選」が手を離れた寂しさに耐えかねて、月曜日に行ったばかりの買淫の場へ。一応の当たり。
10.31(土)武田武彦のミステリ短編を「宝石」誌からあれこれ読み返す。
11.1(日)町田康「スピンクの壺」読む。
11.2(月)文化放送大竹まことのゴールデンラジオ」生出演。講談社日刊ゲンダイ
11.3(火)四谷三丁目で山田氏、キモ貝氏。
11.4(水)新宿の居酒屋で玉袋氏と対談。「すばる」二月号での企画。
11.5(木)信濃路で清水氏。
11.6(金)「誰もいない文学館」第一回書き出す。
11.7(土)夜半、手紙の返信書き。結句内実の伴わぬ、無為の一日。
11.8(日)夕方、やむなく外出。移動中、「蠕動」次回分のネタクリ。帰宅シノプシス
11.9(月)回転寿司
11.10(火)邦画DVD。「拝啓天皇陛下様」「家族ゲーム」どちらも三十年ぶり。
11.11(水)日中、外出。週刊ポストから電話インタビュー。
11.12(木)日中、外出。回転寿司
11.13(金)「終われなかった夜の彼方で」下書き5ページ。
11.14(土)魚屋で真鯛の頭と皮ハギのお造りを買う。
11.15(日)スパゲッティー食べて帰室。「追われなかった」下書き。些か憮然の体で晩酌。
11.16(月)夕方、やむなく外出。夜半に帰室。
11.17(火)TBSバラエティー収録。
11.18(水)「週刊ポスト」ハロウィンについての談話が反響というが良く判らぬ。
11.19(木)短編清書一応終了。午前四時洗濯物をベランダに干し晩酌。
11.20(金)「日乗」整理。信濃路で田畑氏。
11.21(土)夜赤羽方面一時間半散歩。短編ゲラ訂正。
11.22(日)「蠕動」第十四回下書きを始める。ノート5ページ。
11.23(月)「蠕動」下書き続き。ノート6ページ。
11.24(火)阿木燿子氏との対談。「白昼の死角」サントラのジャケットにサインを頂く。
11.25(水)「蠕動」下書き分清書。送稿。
11.26(木)深更一時、「蠕動」のゲラ終了後、何やら疲れて、手淫して再入浴したのちには、早々に晩酌の支度を始めてしまう。
11.27(金)インタビュー収録「日刊ゲンダイ」買う。DVD「竜馬暗殺
11.28(土)夜、買淫。大当たり。「パタリロ!」94巻95巻を続けて読む。姉の書棚から第一巻を読んだ時の自分はまだ小学五年であったことを、ふと思う。
11.29(日)「田中英光傑作選」をようやくに開く。感無量。
11.30(月)夜、久々に浅草の寄席へ。いつものゴールデンコースを巡って午前零時過ぎに戻る。
12.1(火)夜、外出。深更、帰宅。
12.2(水)「寿司乞食」下書き始める。ノート3ページ。
12.3(木)「寿司乞食」下書き分清書。ノート7ページ。
12.4(金)ノート11ページ。
12.5(土)清書。ノート7ページ。
12.6(日)四十三枚完成。送稿。
12.7(月)「誰もいない」第二回。サウナの後、夜まで外で用足し。
12.8(火)日中、しょうことなしに外出。夕方四時に帰室。
12.9(水)夕方、用足しのために外出。夜八時に終了し、その足で芝公園に回って、清造終焉の跡地へ。「蠕動」次回分のシノプシスつくり。
12.10(木)東スポ用エッセー。
12.11(金)村西とおるトークイベント。ナイスなお人柄に強く魅かれる。
12.12(土)「蠕動」第十五回下書きノート広げるもはかがゆかず。
12.13(日)『風来鬼語 西村賢太対談集3』(扶桑社)見本。40冊目。
「蠕動」下書き。ノート3ページすすんだところでやめる。
12.14(月)「蠕動」下書きの続き。ノート5ページ。
12.15(火)「蠕動」ノート6ページ。あと一息。
12.16(水)「誰もいない」ゲラ。「蠕動」清書。「日乗」整理、送稿。
12.17(木)「蠕動」ひとまず全体が仕上がる。
12.18(金)訂正作業続き。「日乗」ゲラ。
12.19(土)「風花」ですばる清田編集長と悶着。
12.20(日)清田氏を呼びつけたときの手土産「かねふく」がリビングにある。
12.21(月)高橋三千綱「お江戸の姫君」読む。スーパー。
12.22(火)「サンデー毎日」開く。阿木氏との対談。
12.23(水)午後の飛行機で能登へ。19日に亡くなった住職の母堂のお悔み。
12.24(木)西光寺。フランス在住の住職の兄上と初めてお会いする。午後の航空便で帰京。
12.25(金)生活上の方の雑用片し。「日乗」整理。
12.26(土)慈眼寺で芥川龍之介の墓参。夜、買淫。当たり。心おきなく済ます。
12.27(日)某骨董品店のかたと会い、「根津権現裏」元版函付きを買い取る。
12.28(月)やむなく外出。途中、少々胃痛が起こる。夜半に帰宅。
12.29(火)内藤誠監督「明日泣く」DVD見る。「大泉黒石全集」復読。真鯛のお造り。
12.30(水)知人宅に行って餅つきを見学したのち、軽くビール。餅を十個ばかり貰って帰る。「誰もいない文学館」第三回書く。
12.31(木)スーパーで何となくパック詰めのおせちなぞ買う。栗塚旭主演「新撰組血風録」DVD見直す。高木彬光読み返す。


2016年(平成二十八年)
1.1(金)夕方から夜にかけて散歩。
1.2(土)「深更の巡礼」改めて書き出す。
1.3(日)スーパー。下書き清書。ノート4ページ。
1.4(月)回転寿司。大変な混みようでネタはほとんど品切れ。
1.5(火)ノート4ページ。
1.6(水)ノート6ページ。
1.7(木)古本屋で「歴史読本」と高木彬光。ノート3ページ。
1.8(金)計三十八枚。全体的な訂正。送稿。
1.9(土)夜まで外ブラブラ。帰室後、高木彬光
1.10(日)回転寿司。大海老がやけにうまく、これだけ四皿食べる。「本の雑誌」連載を「文豪ばかりが作家じゃないと~」とする。書くのが楽しみでならない、ありがたき仕事。
1.11(月)髪を切ったらまた白髪が目立つので、深更の入浴時に、ワンプッシュのを使って染める。が、二回目となるこの髪染めは、もう、早くも面倒臭さを感じてきた。これが最後か。
1.12(火)しょうことなしに外出。夕方、帰室。
1.13(水)「かに道楽」ですばる清田編集長との新年会。
1.14(木)夜、買淫。外れ。まあ、こんなこともあろう。「蠕動」次回用のシノプシス作り。やむなく過去五回分をさかのぼって読み返し、流れを確認。
1.15(金)湯島で野性時代キモ貝氏、山田氏と新年会。
1.16(土)六月までの予定立て直し。高木彬光「大東京四谷怪談」三十年ぶり復読。
1.17(日)日中、外出。
1.18(月)ふと気まぐれが起こり池袋へ。ライトな方の買淫。たまには一興。
1.19(火)また雄心起こってしまい、昨日とは別の、ライトで簡便なる放液の場へ。が、前回程良くはない。勇み足。「蠕動」第十六回下書きに、ようように手を付け始める。
1.20(水)クイズ番組収録。帰室後、「蠕動」第十六回下書き続き。が、ノートに2ページ書いたところで、昨日の収穫分の三ページ弱と合わせて読み返し、全部破り捨てる。別段、作家の良心的意味ではなし。単に、余りにつまらなさすぎるというだけの理由による。
1.21(木)「蠕動」下書き再着手。ノート3ページ強。今度はまずますの感じ。
1.22(金)信濃路で柴崎氏と打ち合わせ。坪内祐三氏が美女を伴い風のように現れ、二十分ほど一緒に飲むと、風のように去りぬ。
1.23(土)熱が三十八度を超える。
1.24(日)「蠕動」下書きノート3ページ弱。
1.25(月)平熱に復す。夜十時に赤羽に赴き、野菜ラーメンと餃子ライス。「蠕動」下書きノート4ページちょっと。今回はこれで提出。
1.26(火)全体的な訂正。「日乗」ゲラ。「棺に跨る」初校ゲラ訂正。
1.27(水)スーパー。「蠕動」ゲラ。高木彬光「能面殺人事件」復読。
1.28(木)夜、買淫。中当たり。
1.29(金)お寺の都合により清造忌日延べ。やむなし。日本テレビナカイの窓」収録。
1.30(土)宝島社の酒場のムック本インタビューを「信濃路」で行う。なぜか田畑氏同席。
1.31(日)「誰もいない文学館」第四回。またもや田中英光について書けることが、うれしくてならない。
2.1(月)日中、外出。
2.3(水)日中、たまっていたところの、返信を要する手紙書き。封書四通、葉書二枚。
2.4(木)「蠕動」第十七回シノプシスつくり。
2.5(金)夜、ライトな方の買淫。気持ちは良し。
2.6~8 なし
2.9(火)入院中の知人の見舞い品にポータブルDVD再生機買う。
2.10(水)昨日の家電量販店にまた行き、空気清浄機フィルター買う。
2.11~15 なし
2.16(火)日中、やむなく外出。夕方帰室。「かに道楽」腰が痛く余り道楽できず。
2.17(水)「信濃路」で「散歩の達人」企画のインタビュー。不思議に重なる。
2.18(木)確定申告の書類一式、税理士事務所に発送。「蠕動」17回下書き。
2.19(金)東武デパート地下で食料品買い出し。ノート4ページ。
2.20(土)清書。
2.21(日)「日乗」整理。送稿。ノート5ページ。
2.22(月)ノート3ページ弱でひとまず区切り。
2.23(火)「蠕動」送稿。夜、些か浮足立たせられる事態の出来。また作戦を練って、奔走せねばなるまい。
2.24(水)「藤澤清造短編集」の「刈入れ時」は百数十回読み返しても面白い。
2.25(木)「蠕動」第十七回ゲラ手を入れ戻す。次がいよいよ最終回となる。信濃路柴崎氏。
2.26(金)夜、買淫。中当たり。一応、心地良し。
2.27~28なし
3.1(火)日中、外出。夕方いったん帰室。信濃路、田畑氏と密談。
3.2(水)自分の痛風発症は27歳で、爾来今日までサロベール(尿酸を抑える処方薬)を一日も欠かすことができない。欠かすとてきめんに足が腫れ上がる。が、服用していても、腫れるときは容赦なく腫れる。四谷三丁目、清水氏、田中光子氏。豊田氏。
3.3(木)池袋喫茶店でテレビ打ち合わせ。石原慎太郎「天才」拾い読みで再読。
3.4(金)信濃路で「すばる」清田編集長。
3.5(土)TBSで石原慎太郎と共演。終了後誘いにより夕食を同席。約束に遅れて「信濃路」で鈴木詩子氏と対談。「アックス」企画の「女ヒエラルキー底辺少女」映画化記念。酔払って支離滅裂なことをしゃべりまくる。
3.6(日)湊かなえ「望郷」読む。
3.7(月)夜、買淫。当たり。好調。町田康「人生パンク道場」読む。快刀乱麻。
3.8(火)夕方、久しぶりに浅草演芸ホール。夜九時に出て、清造スポット(久保田万太郎)、安寿司屋。午前零時帰室し、そのまま寝てしまう。
3.9(水)「誰もいない文学館」第五回、今回は朝山精一「キャバレー殺人事件」。
3.10(木)「文豪ばかりが」第三回。
3.11(金)「蠕動」最終回のシノプシス作り。着地よければすべてよし、となるか。
3.12(土)六畳の初版本と全集類を知人古書店に送る。段ボール五箱。
3.13(日)夕方、ライトな方の買淫。「蠕動」最終回の下書きを始める。
3.14(月)魚屋で真鯛のお造り。
3.15(火)久しぶりの晴天。一寸散歩なぞしてみる。
3.16(水)夜、十条に行き、豚の生姜焼きライスと餃子を二人前。
3.17(木)深更「蠕動」下書きノートを広げるも興が乗らず。三時半過ぎに何となく手淫したら、もう今日はすべて終了という気分になり、リビングに戻って晩酌の支度を始める。
3.18(金)ノート2ページ弱で酒に逃げる。
3.19(土)「蠕動」下書きノート2ページ。未だエンジンかからず。
3.20(日)「蠕動」ノート6ページ。ようやく調子が上がる。
3.21(月)「蠕動」ノート7ページ。もう一息。
3.22(火)「蠕動」下書き。計25ページ。ひとまず終了。気分よく晩酌。
3.23(水)「蠕動」清書。加筆に次ぐ加筆。最終回37枚が仕上がる。で、これにて該作、全編の完成。合計470枚。ファクシミリにて「すばる」編集部に送稿。すぐと晩酌。
3.24(木)夜、ゲラが届くも些か不快なことあり。抗議す。
3.25(金)「蠕動」最終回のゲラにつき、先方より謝罪があったので訂正工程に入る。
「俳句界」四月号。駄句十句所載号。何かうれしい。
3.26(土)夜、買淫。普通。
3.27(日)夜、外出。深更、帰宅。
3.28~3.31 記載なし
4.1(金)回転寿司
4.2(土)「日乗遥道」ゲラ。
4.3(日)所用で広島へ。夜、帰宅。
4.4(月)自宅でチーズ入りのフランスパンと、インスタントのコーンスープの夕食を済ませたのち、二時間弱うたた寝。朝方、晩酌を終え寝ようかという頃合いに、知人の姪っ子(保育園児)から突然に電話がくる。バカな話だが、うれしくて目頭が熱くなる。
4.5(火)スーパーに買い出しにいったあと、ふと近所の桜まつりへ。屋台で焼き鳥や貝焼をたべ、四十数年ぶりに綿アメと林檎アメも口にしてみる。ともに歯には悪そうだが、なかなかの美味。
4.6(水)夜、散髪。サッパリする。腰をひねる。自分の腰は、もう完全に何かの悪い癖がついているようだ。加えて風邪の兆候も現る。
4.7(木)やむなく外出。夕方、帰室。腰痛酷し。風邪悪化。取りあえず、寝込む。
4.8(金)夜九時に、仕方なく池袋に行き所用をこなすも、これは結句の無駄足となる。
4.9(土)38度超えの発熱で終日寝たり起きたり。
4.10(日)「誰もいない」第六回大木雄二。
4.11(月)まだ熱はあれど、信濃路で田畑氏と密談。
4.12(火)坪内祐三「昭和にサヨウナラ」読む。「誰もいない」ゲラ。
4.13(水)先々週に別途消費税を納入したと思ったら、ふいに昨年の特別区民税・都民税の、第四期分未納督促の電話がかかってくる。憂鬱。四谷三丁目で清水氏。
4.14(木)一時間だけサウナにゆき、そののち一時間だけ買淫。手早く済まして、早々に帰室。「十二月に泣く」の下書き開始。
4.15(金)次々と雑用片づけた後、「十二月に泣く」の下書き再開。このシリーズだけで自分の為に、いずれ私家本ででも一本にまとめたい。
4.16(土)清書、ノート8ページ。
4.17(日)清書、ノート9ページ。
4.18(月)清書、全体の直し。五月雨式に直しが済んだ分から送稿。信濃路。
4.19(火)「日乗」整理。
4.20(水)「十二月~」ゲラ訂正。
4.21(木)夜、買淫。此度も普通。藤沢周サラバンド・サラバンダ」読む。
4.22(金)信濃路で朝日新聞取材。田中光子氏と打ち合わせ。
4.23(土)『棺に跨がる』(文春文庫)見本開く。42冊目。カバー背色が違うことに違和感を覚える。
4.24(日)信濃路で「アックス」対談者鈴木氏らと出来上がった雑誌を肴に一献。
4.25(月)文春田中光子氏から、カバーのみ刷りなおして順次かけかえてゆくとの連絡。
4.26(火)夕方、富士見方面から少々不快な連絡あり。軽く一喝しておく。編集長なぞといっても礼儀を知らず、エチケットもわきまえぬ馬鹿はいるものだが、どうであの会社ではすぐに首がすげ替えられるだろうし、その後のキャリアにさして役にも立たぬことが滑稽である。夜、買淫。当たり。
4.27(水)随分と久しぶりに、神保町の古書店をパトロール。収穫も昔日の楽しさも、共に無し。
4.28(木)「げんぱち」で「本の雑誌」杉江氏と打ち合わせ。
4.29(金)四谷三丁目で清水氏。
4.30(土)夕方、外出。深夜、帰宅。バスクリン浴槽に長々と浸かる。心地よし。
5.1(日)終日、無為。回転寿司。集英社七月刊『蠕動~』の初校ゲラを見始める。が、一説ずつ読み返していくと、どうも文章に気になるところが多く、約四時間もかけて僅々12ページのみの訂正ペース。
5.2(月)壊れた掃除機を買いに、家電量販店に赴く。「蠕動」ゲラ。第二章まで終える。
5.3(火)ゲラ続き。すき焼き。ホタテお刺身。
5.4(水)サウナの帰途、知人の二人の姪っ子用の、こどもの日のプレゼントを買う。アンパンマン系と妖怪ウォッチ系。何やら楽し。回転寿司。
5.7(土)魚屋で中トロとシマアジのお刺身。
5.8(日)「蠕動」初校、全部をどうにか終える。丸一週間かかったが、ひとまずは肩の荷が下りた感じ。
5.9(月)「蠕動」初校ゲラを、宅配便で集英社に戻す。回転寿司。かねて気になっていたウインナーの握りをオーダー。案外なる美味。「誰も~」第七回。今回は村山かいた。
5.10(火)床屋で散髪。すっきりするも、髪を切るとてきめんに白髪が目立つ。なので夜半の再入浴時に、またぞろ「ワンプッシュ」で染めてしまう。この多分無意味なる週間からは早く脱却したいものだ。
5.11(水)日中、やむなく外出。夕方前に帰室。四谷三丁目、清水氏、田中光子氏。
5.12(木)信濃路「すばる」清田氏。
5.13 なし
5.14(土)夜、ライトな方の買淫。町田康「ギケイキ」、湊かなえユートピア」読む。
5.15(日)「文豪ばかりが~」第五回大河内常平。
5.16(月)明日に備えた予習読書。
5.17(火)眠らず、集英社へ。湊かなえ氏と対談。うなぎ屋、信濃路。
5.18(水)信濃路、「すばる」清田、佐藤氏。
5.19(木)甚だ体調悪し。気分もすぐれず。日中、リビングに座して、ただボンヤリとテレビの大相撲を眺む。「文学界」八月号用短編のネタ繰り。
5.20(金)バイク便で「蠕動」再校ゲラ届く。夜、外出。深更零時過ぎに帰宅。
5.21(土)夜、食料の買い出しに出かけて一度帰宅し、二時間後に改めて外出。ラーメン食べて帰室。「蠕動」再校ゲラ。
5.22(日)日中、ほぼ無為。
5.23(月)回転寿司。
5.24(火)日中、無為。
5.25(水)日中、所用で神戸へ。夜十時に帰宅。「蠕動」再校ゲラ続き。
5.26(木)スーパーで、今まで見たこともないような巨大な焼物用のアジを買う。「蠕動」ようやく全ページの終了。
5.27(金)日中、やむなく外出。夕方に戻る予定が、空港で何か問題が起こったとかで、帰路は在来線と新幹線を乗り継ぐ手段を取った為に、夜十時過ぎになって、ようよう帰室。バイク便にて、「蠕動」再校ゲラを集英社に戻す。これにて本文関連は一件落着。
5.28(土)池袋メトロポリタンホテルで日本テレビバラエティ撮影。湊かなえ氏がゲスト出演される回のお手伝い的役割。僭越至極と同時に、大変なる光栄。
5.29(日)藤沢清造・造月命日。午前八時起床。入浴。室内墓地に線香のみ手向けたのちに外出。泊まらずに夜九時に帰室。
5.30(月)『一私小説書きの日乗 遥道の章』(角川書店)見本開く。43冊目。江國香織氏の帯文に感謝。
6.1(水)単行本「蠕動~」関連の雑用。
6.2(木)夜、買淫。中当たり。
6.3(金)胃の辺り重し。神保町の古書店を一回りしてから、浅草へ。演芸ホールで時間を潰したのち、清造スポット(久保田万太郎)へ。安寿司を軽くつまんで帰室。我知らずのうちに何とはなし、永井荷風気取りの散歩となる。
6.4(土)胃の不快感昨日よりも酷し。夕方、外出。深更、帰宅。お土産で大量に焼き鳥を頂戴してくるも、本日は余り食指も動かず。入浴剤「草津」。
6.5(日)胃の重さ変わらず。山本禾太郎「小笛事件」復読。
6.6(月)回転寿司。
6.7(火)回転寿司。入浴剤菖蒲。
6.8(水)体調ままならず、終日寝たり起きたり。本日は酒飲まず。
6.9~11
6.12(日)少しく体調回復す。なので、日中外出。夕方に帰室。
6.13(月)四谷三丁目、清水氏。
6.14(火)病院で通風予防薬。
6.15(水)KADOKAWAに赴く。「志満金」に引っ張って行かれる。先月携帯に「日乗」連載終了にあたって新編集長が挨拶がしたいので当社まで来てくれとのメールがあった。これにカチンときて怒りの返事をしたが、おいしい料理で懐柔され愉快で幸福な気持ちになる。
6.16(木)スーパー。古本整理、段ボール一箱処分。夜赤羽方面に散歩。短編「写真」
6.17(金)日中、外出。帰途、浅草に回って一時間だけ演芸ホール。またぞろ清造スポットに立ち寄ってからこの日は寿司ではなく牛丼の大盛と味噌汁を食し、夜七時過ぎに帰室。
町田市民文学館の自分の展示写真を見て、思ったよりちゃんとした展示だったので、不愛想な非協力性が何だか申し訳なくなる。
駒場日本近代文学館には、かつて評議員だかをしていた大学教授に姑息な妨害を受けたことがあり、何も協力する気が起こらない。清造に関する講義だけは引き受けた。
6.18(土)夕方、中野方面に用足し。なぜかたい焼きを買い込んで帰室。
6.19(日)「文豪ばかりが~」第六回石浜金作。「写真」下書き続き。
6.20(月)「すばる」清田編集長から、神保町で栄転の由告げられる。目出度し。

<一私小説書きの日乗 新起の章>
2016年(平成28年
6.21(火)「文学界」八月号用短編「写真」下書きを清書。
6.22(水)夜、よんどころない用事で三時間程外出し、帰室後に酔いを醒ます為に二時間半眠る。下書き終了。
6.23(木)清書。三十枚で終了。全体的な手直し。十枚ずつ送稿。
6.24(金)「松永延造全集第二巻」拾い読みで復読。ゲラ。「まむしの兄弟」DVD。
6.25(土)夜、買淫。中当たり。小島政二郎「木曜座談」復読。
6.26(日)サウナを出た足で浅草に出張り、天丼を食べてから演芸ホール。のちいつものコース。
6.27(月)「日乗」ゲラ。駒込方面散歩。汗だく。
6.28(火)『蠕動で渉れ、汚泥の川を』(集英社)見本開く。44冊目。湊かなえ氏の帯文がなんともありがたし。カバーのイラストもしゃれた味わいでよい。これが全くもって売れないであろうことは、わが身の不徳の致すところ。止むなし。
6.29(水)夕方、能登空港から七尾入り。西光寺本堂で法要。
6.30(木)午前七時半起床。九時過ぎに常宿を出て、能登空港から帰京。「誰もいない~」第八回を書く。今回は倉田啓明。
7.1(金)体調悪し。上原善広「一投にかける溝口和洋」読む。人称のスタイルに瞠目。
7.2(土)胃の不快感。終日DVD。
7.3(日)一日中在室。終日無為。昔テレビ通販で買った足裏マッサージ使ってみる。
7.4(月)総合病院に出かけ、胃痛用の薬をもらう。だいぶ具合よくなる。
7.5(火)体調、ほぼ回復。なので日中、外出。夜、帰宅して清造資料の整理に没入。これだけをやって、余生を過ごしたい。
7.6(水)スーパー。まだ次の短編に手を付ける気にならず、清造資料の整理。
7.7(木)未だ無為。夕方散歩。サーティーワンでアイスクリーム三個なめる。
7.8(金)日中、無為。清造資料。「抒情文芸」創刊四十周年エッセイ五枚。
7.9(土)インディーズバンド、OLEDICKFOGGY のドキュメンタリーDVDにコメント書く。その音楽に大いに魅かれるところあり。
7.10(日)明治古典会大市の開札日。清造関連なし。落札ゼロ。
7.11(月)サウナを出た足で用足しに赴き、夜、帰室。
7.12(火)八重洲BCで六角精児氏とのトークショー
7.13(水)「げんぱち」で「本の雑誌」浜本編集長らと。文芸誌編集者とはまた違った角度からの「出版界よもやま話」に舌なめずりする。
7.14 なし
7.15(金)思うところあり、文芸春秋より九月刊行予定の「芝公園六角堂跡」の刊行期順延を、同社出版局の田中光子氏に申し込む。四谷三丁目で柴崎氏らと。
7.16(土)首の違和感酷く短編書けず。「イナズマンF」DVD。
7.17(日)二年前の頸椎狭窄症がぶり返し、首、左肩、腕の痛み甚だし。
7.18~7.20 記載なし
7.21(木)首、肩の痛みでほとんど眠れず。
7.22(金)夕方、所用で大阪へ。梅田の喫茶店で知人と一時間程面談。次の連載小説を準備するにあたって、できれば会っておきたかった人物。終了後すぐ新幹線で帰京。
7.23~7.26 記載なし
7.27(水)「小説新潮」に短編提出を一か月延していただく。他にも種々の話を断る。我ながらどうにも不甲斐なし。が、自身の痛みには滅法弱くできてる質だけに、致し方なし。
7.28(木)痛みを紛らわせるために神保町をパトロール
7.29(金)能登・西光寺本堂にて法要。
7.30(土)正午前に帰京。夕方近くに再び室を出て、中野ブロードウェイをフラフラする。古CD一枚買う。夜CDかけながら自分関連の新聞、雑誌記事の切り抜き作業。
7.31(日)買淫したいが、首の痛みが鬱陶しく、やむなく手淫。これはこれで気持ちよし。
8.1(月)四谷三丁目、清水氏。異動がなかったことに祝杯をあげる。
8.2(火)病院に痛み止め薬。湊かなえ氏の最新刊「城崎へかえる」読む。週間ベストセラーで「蠕動」が書籍総合一位になったという神戸新聞の切り抜きも同封して下すった。
8.3(水)信濃路で徳間書店崔氏。
8.4(木)痛みだいぶ和らぐ。が書き始めようとすると痛む。終日無為。
8.5(金)三省堂本店で真梨幸子氏との合同イベント。
8.6 なし
8.7(日)痛みほぼ治まる。「誰もいない~」第九回田畑修一郎
8.8~9 なし
8.10(水)大阪でのバラエティー番組収録。終了後、梅田で知人と会食。最終の「のぞみ」で戻る。結句、無為と同義の一日。
8.11(木)夜、シネマート新宿へ映画を見にゆき、帰途に一杯ひっかける。
8.12 なし
8.13(土)体の不調、種々ぶり返す。精神的にも「ダメな方の周期」に入ったものらしい。流れのままに長期療養へ気持ちを切り替える。夜、滅多にゆかぬファミレスで生ビールに安サーロインステーキなど。案外に美味。
8.14~8.15 記載なし
8.16(火)引き続き無為の時間の中、「日乗」整理、アンケート返送。回転寿司。生ビール。悪しき習慣。
8.17~8.20 記載なし
8.21(日)帰室後、少しくたまっていた雑用を止む無く片す。そのうちの手紙の返信書きが、何とも苦痛。
8.22(月)雑用、清造復読。或る意味、脳のリハビリ。
8.23~24 なし
8.25(木)日中、やむなく外出。いったん帰ってから、夕方六時過ぎに改めて神宮球場へ。角川書店の山田氏らとヤクルト中日戦。かれこれ二年ぶりナイター観戦。四谷三丁目。
8.26(金)酒井順子「朝からスキャンダル」読む。夜、買淫にゆきかけるも、ここのところ仕事をせず、懐中が乏しいところから手淫で我慢す。
8.27~28 なし
8.29(月)台風の影響で能登日延べ。
8.30 なし
8.31(水)午後の航空便で七尾。西光寺本堂で読経。途中より藤澤本家の二男の方が合流。
9.1(木)暑くてたまらず、空港からタクシーで帰室。定額割引きで、王子まで一万弱。
9.2 なし
9.3(土)夜、買淫。大当たり。
9.4(日)「横溝正史研究」第六号巻頭言書くにあたり復読。読みだしたら止まらず。
9.5(月)OLEDICKFOGGY のボーカル、伊藤雄和氏とサシ飲み。久しぶりに痛飲。久々に愉快。
9.6(火)読売新聞8.28付岡ノ谷一夫氏による「蠕動~」書評読む。有難し。
歌舞伎町で田中慎弥氏、徳間書店の崔氏と一献。遅ればせながら、慎弥氏東京移住の歓迎会。一同で「風花」に流れ、先客に中森明夫氏。「明夫ワールド」に浸る。
9.7(水)テレビ朝日クイズ番組。一人で信濃路。
9.8(木)日中早稲田の古本屋。四谷三丁目で清水氏。
9.9(金)所用で神戸へ向かう。そのまま新神戸駅前のホテルに宿泊。
9.10(土)新幹線で岡山へ移動。OLEDICKFOGGY のライブへ。スタンディング形式のライブは初めて故、些か身構える格好となる。が、実に楽しく、有意義なひとときを過ごす。
9.11~12 なし
9.13(火)角川文庫「独語」ゲラ。このご時世に文庫化してもらえるのは本当に有難い。
9.14(水)「横溝正史研究」巻頭言を版元に送稿。書いているときは何とも幸せな気分。
9.15(木)やむなく外出。午後四時前に帰室し、六時前に改めて外出。文芸春秋でオープン講座「人生に、文学を」の説明を受ける。四谷三丁目。風花。
9.16(金)「独語」ゲラ。ほとんど直しはなし。
9.17(土)日中神保町。独語ゲラ。今回はただ一字一字読み返すだけなのでつまらない。
9.18(日)浅草演芸ホール。いつものコース。
9.19~20 なし
9.21(水)「文学界」用エッセイ「或る不遜」六枚弱。
9.22(木)テレビ東京バラエティー番組収録。短編ネタくり。
9.23(金)夕方近くに外出、夜九時過ぎに帰宅。
9.24~9.27 記載なし
9.28(水)午後、所用で京都へ。駅前のホテルで一泊。買淫はせず、安居酒屋でムヤミと焼き鳥を食す。
9.29(木)京都から金沢経由で能登へ。西光寺本堂で読経。
9.30(金)正午帰京。「文学界」十二月号から始める連載小説のネタ繰り。題名は予定通り、「雨滴は続く」とす。
10.1(土)渋谷でライブ眺め、神宮前でアベマTV生出演。
10.2~4 なし
10.5(水)夜七時半に歌舞伎町へ。OLEDICKFOGGYの伊藤氏と飲む。途中二時間ほど、氏の友人である俳優の渋川清彦氏が合流。
10.6~9 なし
10.10(月)「誰もいない文学館」第十回宇留野元一、送稿。
10.11 なし
10.12(水)四谷三丁目、清水氏、田中光子氏。
10.13(木)「信濃路」でOLEDICKFOGGYの伊藤氏、スージー氏ら五名との飲み会。
10.14~15 なし
10.16(日)「雨滴は続く」第一回の下書きに着手。北町貫多、三十七歳時の不様な岡惚れ(私小説と女への)の物語。
10.17(月)ノート6ページ。
10.18(火)ノート8ページ。
10.19(水)清書。ようよう十三枚仕上げたところで頭の電池が切れる。不甲斐なし。
10.20(木)清書。全体的な訂正。送稿。
10.21(金)サウナ出て新宿三丁目末広亭。「富士そば」でカツ丼セット食べて帰室。
10.22(土)夜、外出。十一時前に帰宅。「旅の湯」の草津投入し眠くなり寝る。
10.23 なし
10.24(月)「雨滴」ゲラ訂正し戻す。「芝公園」単行本初校ゲラ。これは直し多い。
10.25(火)「芝公園」ゲラ。
10.26(水)「独語」文庫あとがき送稿。ゲラ。
10.27(木)回転寿司。ゲラ。
10.28 なし
10.29(土)金沢経由で七尾入り。西光寺本堂で読経。終了後にやってきた本家二男のかたと駅前で一献。朗報あり。
10.30(日)午後三時前に帰宅。ゲラ再開。
10.31(月)ゲラ終了。右足くるぶし辺にまたぞろ痛風の前兆。が、晩酌は生牡蠣ポン酢。
11.1~11.3 記載なし
11.4(金)日中、外出。夕方、帰室。溜めていた雑用片す。同人誌に振り込み用紙同封。微苦笑。
11.5(土)「雨滴」第一回所載「文学界」のみ封を開き保存用段ボールに入れる。
11.6(日)本郷の東京大学オープン講座。阿部公彦氏と。
11.7 なし
11.8(火)「誰もいない文学館」第十一回大坪砂男「閑雅な殺人」送稿。
11.9(水)四谷三丁目で清水氏。
11.10(木)夜、買淫。だいぶインターバルを置いた故か、大当たり。「雨滴」シノプシス
11.11(金)真梨幸子イヤミス短編集」読む。すべてに驚愕、すべてに震撼。
11.12~14 なし
11.15(火)「げんぱち」で「本の雑誌」浜本編集長らと。「燭台」と「風花」。
11.16(水)読売新聞エッセイ三枚。
11.17(木)『随筆集 一私小説書きの独語』(角川文庫)見本。45冊目。
11.18(金)「雨滴」二回ノート6ページ。
11.19(土)清書、ノート6ページ。
11.20(日)ノート8ページ。
11.21(月)「雨滴は続く」第二回完成。
11.22(火)「芝公園」再校。最後に今一度音読し、つっかかったところをチェックする。
11.23 なし
11.24(木)OLEDICKFOGGY の伊藤氏と飲む。
11.25(金)テレビ朝日中居正広のミになる図書館」。「雨滴」ゲラ。
11.26~27 なし
11.28(月)所用で大阪に向かう。宵の口に飛田新地を一回りしたのち、ミナミ串カツ屋。
11.29(火)大阪から金沢行き特急で七尾入り。西光寺本堂で法要。
11.30(水)空港で午前中の便が締め切ったといわれ、七尾に戻って健康ランドで過ごす。午後一時の特急で金沢へ。初めて北陸新幹線「かがやき」に乗ってみる。あっという間に富山、長野、大宮に着いたのに度肝を抜かれる。カルチャーショック。
12.1~4 なし
12.5(月)水道橋博士「はかせのはなし」読む。
12.6(火)年賀はがき60枚買う。町田康「珍妙な峠」読む。装幀装画も素晴らしい。
12.7 なし
12.8(木)松本徹「三島由紀夫の時代」読み始める。「誰もいない」第十二回久鬼高治。
12.9 なし
12.10(土)体調悪く寝たり起きたり。東スポ用の正月エッセイ。OLEDICKFOGGYと題して三枚。
12.11(日)体調悪い。「雨滴」3回下書き興が乗らず。四谷三丁目、清水氏、田中光子氏。
12.12(月)胃痛のような腹痛。ゲラ。スーパー。「日乗」整理。
12.13(火)「雨滴」ノート6ページ。
12.14(水)やや体調回復。病院で痛風薬。ゾッキの安エロ本6種類仕入れる。
12.15(木)体調悪くてこずった「雨滴は続く」第三回清書。
12.16(金)どうにか下書き、清書終わる。後半部分のくだらなさに自分で辟易しながら。
12.17 なし
12.18(日)「雨滴」ゲラ。
12.19(月)校了の連絡を聞き、後慮なく買淫。会心の大当たり。「芝公園六角堂」色見本、黒インクが手に付着。ダメだししたら神経質ぶりを言外に詰られるも、その点は自分も、どうでも譲ることはできぬ。
12.20(火)OLEDICKFOGGY の伊藤氏、俳優の渋川清彦氏らとの飲み会。ここ数日の憂さを忘れる、楽しき野郎酒。
12.21(水)「芝公園六角堂」カバー修正色校が前よりも酷くなっている。やむなく刊行の中止を伝える。どうにも、致し方なし。
12.22~12.24 記載なし
12.25(日)「芝公園」関連の折衝を完全に放棄し、本日より早めにサナギマン状態に入る。信濃路で青林工芸社高市氏と打ち合わせ。翌日からの旅の支度。
12.26~12.28 記載なし
12.29(木)旅先の宿を出て、とりあえず博多から新幹線で大阪に出る。特急サンダーバードで金沢へ。結句七尾に到着は夜八時近く。
12.30(金)健康ランドからお寺へ。本堂で法要。終了後、午後三時半の特急で、まずは京都に向かう。再び旅を開始す。
12.31 なし


2017年(平成二十九年)
1.1~8 なし
1.9(月)サナギマン状態での、約二週間の流浪を終えて、正午過ぎに飛行機でもって帰京。つくづく航空便は早いことを思い知る。
1.10~1.11 記載なし
1.12(木)新宿に所用で出たその足で信濃路。柴崎氏、群像佐藤新編集長。
1.13(金)徳間書店の崔氏と打ち合わせ。よき話を頂く。
1.14 なし
1.15(日)四谷三丁目、清水氏。
1.16(月)四畳半の「売っても金にならない」全集類を廃棄処分のため段ボールへ。角川編集者と木内昇氏で「かに道楽」。風花。
1.17~19 なし
1.20(金)夜、買淫。一応の当たり。が、息切れ激しく、発汗甚だし。最後のシャワーで頭まで洗う。
1.21(土)終日無為。
1.22(日)完全にお尻に火が付いた状態で、ようやく「雨滴」下書きに取り掛かる。
1.23(月)ノート8枚。
1.24(火)清書。BGMは「病院坂の首縊りの家」サントラ完全盤。
1.25(水)夜、安価でライトな方の買淫。これは、これで良し。
1.26(木)所用で川崎へ。夜十一時に帰室。
1.27~28 なし
1.29(日)夜七時から、七尾西光寺にて第十八回「清造忌」。本年の参集者は三名。これで良し。清造を追慕するだけのこの日に、物欲しげな自称文学愛好者の野次馬の存在は、一切不必要である。
1.30(月)午後四時前の「かがやき」で帰京。夜十時に改めて室を出て、芝公園へ。終焉地跡に小一時間佇む。
1.31~2.5 なし
2.6(月)文芸春秋で東大「講義」の同録を見る。ネット配信前の確認とのこと。「芝公園」の件で田中光子氏と手打ち。非礼をお詫びする。
2.7(火)夜、買淫。当たり。好調。
2.8~9 なし
2.10(金)「下手に居丈高」のゲラを読み、そのくだらなさに自分で呆れながら読み返す、この苦痛。
2.11(土)確定申告の準備。領収書の山の仕分け。チンケな額のレシートも。
2.12(日)確定申告の書類税理士事務所に送る。「雨滴」第五回のシノプシス作り、すでに百枚を超えたので、そろそろ物語は本題に入る、といったところ。
2.13~15
2.16(木)『芝公園六角堂跡』(文藝春秋)見本。46冊目。「芝公園」は思いがこもっているので、これがわかる読者しか必要ないという気持ち。夜、買淫。中当たり。まあ、年相応。
2.17~19 なし
2.20(月)「雨滴」第五回ノート7ページ。
2.21(火)清書。下書き4ページ。
2.22(水)所用で大阪へ。夜九時半近くの東京行き最終で戻ってくる。
2.23(木)また例の、悪いほうのバイオリズムになっている以上、その周期が明けたときのために、今はサナギマン状態でひたすらにネタくり。
2.24(金)「雨滴」第五回、活字に組まれたかたちで再度読み返してみると、どうにもくだらなくて、どうでもいいような記述のオンパレードになっている。が、今回は話の流れ上、やむなし。しかし、未だ物語は本筋に入っていない点については、自分でも何とも歯痒し。
2.25~2.27 記載なし
2.28(火)七尾西光寺にて法要。
3.1(水)能登空港から正午前に帰京。夕方、つまらぬ相手に無意味な連絡ごとを一件。上司も上司なら部下も部下。
3.2(木)「芝公園」取材。東大の講義のネット配信確認。田中光子氏、清水氏と近場で。
3.3(金)夕方、浅草へ。演芸ホールで夜席、スポット、安寿司屋、のいつものコース。
3.4(土)尾形亀之助詩集「美しい街」読む。尾形は好きな詩人のひとり。
3.5(日)住居のマンションの水道管の一斉高圧洗浄日ということで、仕方なく風呂の掃除をする。
3.6(月)腰痛のため一日横臥。寝床で久方ぶりに外村繁の全集から、あれこれ拾い読み。
3.7 なし
3.8(水)腰痛続く。八重洲ブックセンター南沢奈央氏とのトークイベントとサイン会。
3.9(木)仕事する気がせず、ひたすら読書。川口松太郎の仙花紙本、創元推理の高城高
3.10(金)夕方、腰をさすりさすり税理士事務所へ赴き、今期の確定申告額の説明を受ける。まだ課税業者であることは、どうにも痛し痒し。税理士の言によると、もの書きは年収一千万に一寸届かないくらいの線を、五年、十年と継続した方が結局の得になるとのこと。成程と思う。いくつかの意味で、自分もそこを目指したいものだ。別途消費税の払込票をもらって、帰室。
3.11 なし
3.12(日)腰痛悪化。えらく厭世的な気分。
3.13(月)文芸春秋で「芝公園」取材日。四谷三丁目で田中光子氏、森編集長と。
3.14~16 なし
3.17(金)腰の調子戻るが、仕事は「ダメな方の周期」に入ってしまったらしい。
3.18 なし
3.19(日)夜、買淫。少し間が開いていた故か、会心の大当たり。深く深く、気持ち良し。
3.20~22なし
3.23(木)今月の「雨滴」に白旗。不甲斐なし。居たたまれぬ思い。買淫に出かける。普通に当たりであったことに、またふと自己嫌悪に陥る。
3.24~28 なし
3.29(水)昨夜は眠らぬまま能登空港へ。藤沢本家二男の方に車で迎えに来てもらい、清造関連の調べごとのため、午前中に穴水町を二か所回って、お二人の方に面会。午後からもうひとかたを訪う。いずれも収穫あり。ついでに加能作次郎文学碑(横川巴人)へ。
六時過ぎに西光寺に行ってみると、北國新聞社七尾支部の記者が来ている。まったく予定にはなかったが、お寺の立場もあるので取材に応じる。
初めてこの寺を訪ねたのは平成九年の三月だったから、今年はちょうど二十年目の法要であったことにも思い当たる。我ながら、このキ印ぶりも堂に入ってきたものだとの感慨もよぎる。終了後、二男の方と駅前に行って一献。朝から一日中運転手役に徹して下さり感謝。
3.30(木)金沢に寄り、清造文献の追加での調べごと。夜八時過ぎに帰京。
3.31(金)「下手に居丈高」(徳間文庫)見本。47冊目。勝目梓鮎川哲也中島河太郎と同じ文庫に入ったことに感慨。
4.1(土)四畳半の書庫整理をつい明け方まで続けてしまう。探していた尾崎一雄展の図録が出てくる。正宗白鳥の旧版「全集」の内容見本も。
4.2(日)日中、板橋方面へ散歩。近藤勇の墓へ。「不屈の章」のゲラ。小男の記述多く苦笑。
4.3 なし
4.4(火)夜、買淫。当たり。好調。
4.5~4.11 記載なし
4.12(水)四谷三丁目で清水氏に種々のお詫び。
4.13(木)伊藤雄和氏と飲む。信濃路から新宿。
4.14(金)「新代田FEVER」でOLEDICKFOGGYのライブを見る。木内昇氏を囲むメンバー八名同行。終了後下北沢の居酒屋に歩いて移動。さらに風花へ。
4.15~16 なし
4.17(月)朝日書林の荒川氏と藤澤清造資料入手の打ち合わせ。
4.18(火)「雨滴」6回下書き分清書。
4.19(水)神保町で清書用ペン30本。パイロットの製図イラスト用ドローイングペン03。筆圧の異様に強い自分は、四百字詰め三十枚で一本消耗。「揚子江菜館」で焼きそば。
4.20(木)スーパー。「日乗不屈」再校確認。
4.21(金)所用で外出、で、やむを得ぬ流れで飲酒。深更一時前に帰室。
4.22(土)
4.23 なし
4.24(月)町田康「関東攘夷焼煮袋」抜群の面白さ。
4.25 なし
4.26(水)処分する古本の整理。段ボールで朝日書林に発送。
4.27~28 なし
4.29(土)お寺の都合で日延べ。小島慶子「ホライズン」に没入。素晴らしい作。
4.30 なし
5.1(月)西光寺で法要。二男のかたも参加。常宿で自販機の酒でボンヤリ飲み直す。
5.2(火)十時に宿を出て、大阪へ。図書館での調べ事。のち、飛田新地。当たり。
5.3(水)十時にビジネスホテルを出て、久方ぶりに高知へ向かってみる。二十代の頃の、田中英光追尋でかの地に赴いていた頃を思いだす。今の自分には、あながち無駄な回顧には堕さぬはず。
5.4 なし
5.5(金)下関のビジネスホテルを出て、博多に向かう。古本屋巡り。夜、買淫。ビジター戦。辛勝といったところか。
5.6 記載なし
5.7(日)新幹線で大阪まで戻り、とりあえず図書館へ。夜はミナミに移動。買淫はせず。串カツ屋で揚げ物三十本。
5.8(月)新幹線で帰京。夜、知人がまとめて送ってくれた、「芝公園」の書評や紹介記事のコピーなどを眺めてみる。そのうち文芸誌所載のものは、いずれも的外れで、どうにも眠い。木村友彦(群像)と越川芳明(新潮)が共に零点。論外。阿部公彦(文学界)、豊崎由美(すばる)は、此度は両氏らしからぬキレの悪さで、前者が四十点、後者が三十点といったところ。今回は文芸評論家風情にはちと難しすぎたかと、作者として些少の反省。
今夜は早々に晩酌を行い、明日よりサナギマン状態から脱することを期す。
GW期間は、甚だチンケな好き放題をやり過ぎた。
5.9(火)巻頭言を書いた『横溝正史研究』第六号が届く。熟読。
5.10(水)「誰もいない~」第十五回川村花菱。送稿。
5.11(木)サウナを出て、そのまま浅草へ。演芸ホールで夜席を八時まで聞き、清造スポット(久保田万太郎生家跡)を回ったのち、久方ぶりに吉原に赴き、店舗型での買淫。さすがに濃度が違う。大当たり。が、懐中は乏しくなり、帰途に鶯谷の「信濃路」にて、安酒を飲むのが精一杯となる。
5.12(金)献呈本リストの改訂版を作って、KADOKAWAに郵送す。それをポストに投函しにいったついでに、この「日乗」の、「本の雑誌」今月号連載分までを、コンビニのコピー機で複写。手元保存用。所載誌は、これにて処分す。
5.13~14 なし
5.15(月)所用で鎌倉へ赴く。二十代後半以来。夕方、帰途につく。
5.16~17 なし
5.18(木)病院で通風予防薬。湯島で崔氏。入籍祝杯。
5.19(金)スーパー。上原善広「カナダ歴史街道をゆく」読む。
5.20~21 なし
5.22(月)「雨滴」七回手を付けるがはかがゆかず。ノート5ページ。
5.23(火)清書。「週刊現代」〈いま日本で信用できる人〉記事、アンケートの趣旨と違う。
5.24(水)「雨滴」全体を直し、送稿。
5.25(木)『一私小説書きの日乗 不屈の章』(角川書店)見本開く。48冊目。
5.26(金)所用で外出。夜半に戻り、留守中にバイク便で届けられていた、「雨滴」第七回のゲラにすぐと取り掛かる。隙間のなくなるほどびっしりと訂正の文字を書き込む。
5.27(土)新宿に出て、末広亭で夜席を聞いたのち、買淫の場へ。中当たり。まあ年相応に、こんなものであろう。
5.28(日)町田「ホサナ」読む。「日乗」整理。何年かぶりバファリン
5.29(月)お寺の都合により七尾への掃苔は順延。百枚ものの書き直し始める。
5.30~6.6 記載なし
6.7(水)夜、ファミレスに入って生ビールと、アラビアータという、ヘンなパスタみたいなのを食べてみる。美味。パンツェッタというのがベーコンの意味であると初めて知る。
6.8 なし
6.9(金)もう自然のなすがままに任せるつもりだった白髪を、やはりワンプッシュで染めてしまう。両横のとこだけがひどく目立つので、どうにも気になってくる。
6.10~11 なし
6.12(月)四谷三丁目で清水氏。
6.13(火)伊藤雄和氏と飲む。風花で明夫ワールド。
6.14 なし
6.15(木)夜、買淫。大当たり。いつもこうありたいものだ。
6.16(金)「青湯麵」(群像)下書き始める。
6.17(土)赤羽東口ラーメン屋。「日乗」整理。「青タンメン」ノート8ページ。大収穫。
6.18(日)ノート7ページ。
6.19(月)下書き終了。
6.20(火)日中、所用でやむなく外出。夜七時半に帰室。四十五枚一応完成。
6.21(水)全体の訂正多い。「雨滴」八回。
6.22(木)病院痛風薬。川島雄三「わが町」DVD。
6.23(金)「雨滴」二十一枚完成。
6.24(土)所用で今日と明日東京に来ている知人と焼肉。深更零時過ぎに帰室。
6.25(日)「青タンメン」狂的に直しを入れる。
6.26(月)「群像」八年ぶりとなる「青タンメン」ゲラ戻す。合評会禁じている。
6.27(火)KADOKAWAに「志満金」で懐柔される。<不屈の章>のミスの件。
6.28(水)上原「路地の子」読む。圧倒される。百二三十枚のに久しぶり手を付ける。
6.29~7.9 記載なし
7.10(月)「誰もいない」第十七回城昌幸。明治古典会結果聞く。
7.11 なし
7.12(水)「週刊東洋経済」借金に関するインタビュー。編集後記に苦笑。
7.13(木)夜、安価なるライトな方の買淫。まあ、悪くはなし。
7.14(金)新宿三丁目田中慎弥氏、崔氏と久々に一献。「風花」で明夫ワールド。勝目梓氏が店に入ってこられたので、自分は舞い上がる。「小説家」や「老醜の記」は愛読措くあたわずの二書であるし、近作の書下ろし長編「異端者」にも、読み終えて他の誰にも真似できぬ、昏く深い味わいに陶然となったばかりであった。自分にとっては、他の繰り上げ大家みたいな老人たちと違い、小説家として雲の上の存在の人である。御年八十五歳になられる勝目氏は、石原慎太郎氏と共に、自分が敬する数少ない現役長老小説家のお一人だ。
7.15(土)清水氏、田中光子氏と打ち合わせ。風花、猫目へとクルージング。
7.16~17なし
7.18(火)サウナを出た足で浅草へ赴き、演芸ホール。スポットから今回も吉原に流れてみる。大当たり。ここでの外れはほとんどなし。
7.19(水)高橋三千綱氏の最新刊「がんを忘れたら、余命が延びました」を読み、満身創痍で書き続ける三千綱氏に思いをはせる。
7.20~21 なし
7.22(土)「文学界」エッセイゲラ、「日乗」ゲラ、「雨滴」9回ノート6ページ。
7.23(日)ノート6ページ。
7.24(月)十九枚。全体訂正。送稿。信濃路。
7.25(火)木内昇氏を囲む<昇会>と神宮球場でナイター観戦。伊藤雄和氏も。四三、風花。
7.26(水)「雨滴」ゲラ。真梨「祝言島」読み始める。
7.27(木)一人でもって、何故かまた神宮球場に赴く。タクシーで江戸川橋まで戻り、「日高屋」に入って餃子やニラレバを肴に、ダラダラ緑茶ハイを飲む。五十代独身男の、正統的な一人晩酌の図。これがやりたくって、五十歳になったようなものだ。
7.28(金)「二度はゆけぬ町の地図」重版見本。ちょうど「雨滴」で、最初にこの作を「群像」に提出し、不採用になったこと書いているときなので、些かの感慨あり。「潰走」は当初「二度はゆけぬ町の地図」の題であり、これを提出したのである。で、不採用になったものを、その翌年「野性時代」に取ってもらったときに(無論、「群像」での経緯を申告した上で)「潰走」と改題し、これを含む短編集を刊行してもらった折に、かの原題を総題として蘇らせたものだった。それが文庫本にもなり、十刷目を数えたのだから、所詮は一部で押されたダメの烙印も決して当てになるものではない。その「群像」十月号用中編は棚上げしていたのだが、そろそろ取り掛からないと間に合わなくなる感じになってきた。今一度前半六十枚分を読み返し、再訂正を入れながら流れを掴む。タイトルは「夜更けの川に落葉は流れて」とする。
7.29~8.10 記載なし
8.11(金)この十日間ほどかかりきりになっていた「夜更けの川に落葉は流れて」がひと段落し、今宵は買淫。まあまあの当たり。こんなものだ。
8.12(土)スーパー。ドラッグストア。アイスチョコモナカ10個。「夜更け~」後半部分下書き開始。ノート6ページ。
8.13(日)清書。これで七十一枚。下書きの続き。今回から下書きもリビングで。6ページ。
8.14(月)清書。八十枚。「群像」佐藤編集長に猶予頂き、前半六十二枚先に送稿。
8.15(火)清書。九十二枚。6ページ。
8.16(水)百枚となる。ノート8ページ。
8.17(木)百七枚。眠くてはかがゆかず。ノート8ページ。
8.18(金)百二十枚。ノート4ページ。
8.19(土)百三十一枚。ノート3ページ強。
8.20(日)百三十七枚。ノート6ページ弱で下書き終了。
8.21(月)これにて「夜更け」の原型百四十六枚が完成。今回も、いつも通りのもの。無論、卑下ではない。その逆だ。「いつも通り」のものを、これで十三年間、コンスタントに書き続けていること―書き続けられることの、自負と誇り。こういうのは、なかなか余人に真似できまい。大抵の書き手は世評を気にし、いつも通りと呼ばれることを恐れて無理にもヘタな試行錯誤をしてしまう。そして結句は自身の持ち味を見失い、作風も無意味にブレてゆく。それを作家の挑戦だの進化だの新境地だのの月並みなくだらぬ言でもって、良しとするのが現今の一部の馬鹿な編集者であり、読者であり、文芸評論家であるのだが、果たして本当に良しなのかどうかは、いずれ時が経てば答えも明確にでるであろう。
8.22(火)ひたすらに訂正作業。繰り返し音読しては語句を入れ替えていく。
8.23(水)前半部分ゲラ。
8.24(木)時間がないため、「雨滴」第十回は下書きなしでぶっつけで原稿用紙に書いていく。慣習を破る。十三枚。
8.25(金)「夜更け」後半ゲラ。
8.26(土)あと一息。
8.27(日)~28(月)「雨滴」ゲラほとんど全改稿。「夜更け」ゲラ。どちらも戻す。
8.29(火)「夜更け」が手を離れ、女を買いに行く。平生の自分は、藤澤清造の命日には控えているのだが、今日は良しとする。大当たり。良し良し。
8.30~9.4 記載なし
9.5(火)体調悪し。風花で明夫ワールド。三半規管を破壊され、トイレで三度えずく。
9.6~7 なし
9.8(金)体調悪く仕事する気せず。清造復読。
9.9~11 なし
9.12(火)体調すっきりせず、仕事できず。信濃路で崔氏らと打ち合わせ。根津権現復読。
9.13(水)テレビ朝日クイズ番組。相変わらず体調すぐれず。
9.14(木)「日乗」整理。先月はずいぶん元気に仕事をこなしていたものだ。湯島で清水氏。
店内の若い女性から写真撮影所望され、清水氏を見てプライベートのところと恐縮される。
9.15~16 なし
9.17(日)38度近く。夜9.2度まで上がる。DVD「アクマイザー3」延々眺める。
9.18(月)7.6度、食欲なし。「アクマイザー3」と吉田類の酒場放浪記交互に。
9.19(火)熱は引くも鼻水と咳。
9.20~21 なし
9.22(金)風邪が治らず、「雨滴」白旗。不甲斐なし。ここしばらく続いている体調不良は、長年気にすることもなかったおのが健康を省みる、絶好の機会なのかもしれぬ。
9.23 なし
9.24(日)体調八割方回復。
9.25(月)神宮球場へ。<昇会>。木内氏不参加。四谷三丁目。風花。
9.26~27 なし
9.28(木)夜、買淫。少しく間が空いたためか、会心の大当たり。入浴時白髪染める。
9.29~10.1 記載なし
10.2(月)湯島天神下で柴崎氏と。来年一月の文庫の件。
10.3 なし
10.4(水)神楽坂で山田氏。
10.5(木)歌舞伎町で崔氏らと。
10.6~9
10.10(火)「文芸春秋」の<小さな大物>欄のため、幼少期の写真、十九歳、二十五歳、二十六歳(田中英光未亡人と映っているもの)、三十一~三十五歳までの写真を提出。田中光子氏はじめ編集者諸氏が予想以上の反応を示すのに複雑な心境。
10.11(水)「誰もいない~」第十九回藤森淳三。
10.12 なし
10.13(金)文春文庫「無銭横丁」に「一日」を創作として収録した思い。
10.14(土)「無銭横丁」初校ゲラのつづき。手淫したのち仮眠。
10.15(日)ゲラ。阿部公彦「名作をいじる」拾い読み。
10.16 なし
10.17(火)歌舞伎町で崔氏らと。
10.18(水)四谷三丁目で柴崎氏、「群像」佐藤編集長。
10.19 なし
10.20(金)雑事重なり、一つずつ処理しているうちに深夜となる。「日乗」整理、送稿。
10.21(土)「雨滴」11回。下書きは飛ばして原稿用紙へぶっつけ。9枚。
10.22(日)「雨滴」計23枚。送稿。
10.23(月)夜、買淫。当たり。調子良し。「夢野久作の少女地獄」ブルーレイ。17歳の時、洋食屋に住み込んでいた時に見た。日本の探偵小説を映像化した中でベスト20に入る。
10.24
10.25(水)「雨滴」ゲラ。存分に手を入れる。
10.26(木)伊藤雄和氏と飲む。
10.27~29なし
10.30(月)十時に常宿を出て、正午過ぎ航空便で帰京。文庫「夢魔」ゲラみ始める。
10.31(火)「夢魔」初校続き。
11.1(水)次の短編のシノプシス作り。
11.2(木)池袋の家電量販店へ。歌舞伎町で崔氏ら。
11.3なし
11.4(土)夕方の早い時間より、買淫。当たり。
11.5(日)「夢魔」ゲラ仕上げる。「夜更け」初校ゲラ。
11.6なし
11.7(火)町田「スピンクの笑顔」心して読む。「誰もいない」二十回。佐々木味津三
11.8(水)高田文夫新刊拾い読みし、またゲラ。
11.9
11.10(金)「群像」用短編ノートに書きだす。題名は「陋劣夜曲」としてみる。
11.11(土)夜、買淫。中当たり。
11.12~11.15 記載なし
11.16(木)十時にビジネスホテルを出て、東北新幹線で帰京。
11.17なし
11.18(土)OLEDICKFOGGYの2マンライブを<昇会>メンバーで楽しむ。
11.19(日)ノート8ページ。再び初めて5ページ。頭の電池切れる。
11.20(月)ノート6ページ。改めて5ページ。
11.21(火)ノート9ページ。下書き終了。清書作業へ。
11.22(水)出来上がった四十一枚をバイク便で。
11.23(木)~11.24(金)二十四時間ぶっつづけで四十枚書く。「黄ばんだ手蹟」と「雨滴」第十二回。これまでの自分の記録(「小銭をかぞえる」のときの十八枚)を大きく上回る。
11.25(土)三種のゲラ届く。
11.26(日)「黄ばんだ」ゲラ終了。「雨滴」12回ゲラ終了。ひとまず晩酌して寝る。
11.27(月)11.28(火)「陋劣夜曲」ゲラ。これは手間取る。午前十時過ぎようやく終わる。しばらく放置していた「夜更け」初校ゲラを見始める。僅かに右足親指辺に痛風の予兆。
11.29(水)ゲラの追い込みのため菩提寺への掃苔は日延べ。
11.30(木)「無銭横町」(文春文庫)見本。49冊目。伊藤雄和解説が有難し。
12.1(金)伊藤雄和氏、イラストレーターのナオトラダムス氏と飲む。
12.2~12.4 記載なし
12.5(火)サウナを出た足で浅草演芸ホール。清造スポットは割愛して逆方向の吉原へ。いわゆる「高級」店を張り込む。大当たり以上の出来。タクシーで信濃路。
12.6~7なし
12.8(金)「げんぱち」で「本の雑誌」打合せ。
12.9なし
12.10(日)「誰もいない」第二十一回相馬泰三。
12.11(月)講談社PR誌「本」用のエッセイ「野暮な看板」四枚。
12.12なし
12.13(水)仕事のため田中慎弥氏、崔氏との飲み会欠席。「夜更け」「日乗」。
12.14(木)「雨滴」十三回、6枚はなから書き改める。
12.15(金)足指を深ツメ出血甚だし。やむなく十三枚。
12.16(土)「群像」用エッセイ「寒夜粛粛」九枚。他紙より2,3枚多い指定。
12.17(日)足指化膿痛み酷し。「雨滴」ゲラ。
12.18(月)西新宿「かに道楽」で<昇会>。風花。
12.19(火)足指の痛みが脳天に響く。エッセイ2本ゲラ。
12.20なし
12.21(木)足指の痛みで病院の皮膚科へ。薬と軟膏処方してもらう。
12.22~12.25 記載なし
12.26(火)湯島天神下で清水氏、田中光子氏らと。二件目で坪内氏風のように現れて去る。
12.27(水)高橋三千綱氏エッセイ「楽天家は運を呼ぶ」に一章まるまる言及して下すっている。有難い限り。ご自身の生命の危機に関する重き事柄も、いたって軽やかな筆致で描かれる氏の文章の妙に脱帽す。
12.28(木)上野から北陸新幹線。石川県入りをする前に、本日は富山に泊まってみる。
12.29~12.30 記載なし
12.31(日)十時に宿を出て、鹿児島駅から広島へと向かう。着後、早い時間帯に今年の買淫納め。大当たり。

 

2018年(平成三十年)
1.1(月)広島から高知へ。することといって何もないが、この途方もない退屈感が実に良し。早めに宿に入って、中短編のネタ繰り。
1.2なし
1.3(水)正午過ぎに岡山に到着。藤澤清造資料で朗報の電話がくる。舞い上がる。
1.4(木)Uターンラッシュで東京、大阪方面の指定席取れず。自由席で新幹線を乗り継ぎ、米原までゆく。そこから「しらさぎ」で金沢に出て、「かがり火」で七尾に舞い戻る。昨日の清造資料の「朗報」の、お礼参りのために戻ってくる。が、この日は菩提寺には行かず、七尾市立図書館で時間を潰す。入口のすぐのところに、いろいろとくだらぬコーナーができている。一瞥して通り過ぎると、「藤沢清造西村賢太」コーナーもできていて、これは一寸眺め入る。十数年以前の、自分のこの図書館に送った私信(添え状程度のものだが)までを無断で閲覧可能にしているのはいただけないが、この図書館が馬出町にあった自分には、あれで随分とよくしてもらったこともある。なので、まあ良しとしておく。
1.5(金)健康ランドで時間調整して三時過ぎに西光寺へ。本堂での法要。四時半過ぎの「花嫁のれん号」で金沢に出て、大阪方面へと向かう。尚旅を継続す。深更近くに淫の買い始め。大当たり。
1.6~1.8 記載なし
1.9(火)正午過ぎの航空便で帰京。年末年始のチンケな放浪を終了す。夜、朝日書林の荒川氏と会う。清造資料(掲載誌)で、衝撃の奇蹟が起こる。まさかの逆転ホームラン。荒川氏に神のイメージが重なる。この件はまたいずれ、「芝公園」から連なるシリーズの一篇として小説化したいが、差し障りも多いか。室に戻ったのちも興奮さめやらず、一人で祝杯。
1.10なし
1.11(木)『夜更けの川に落葉は流れて』(講談社)見本開く。50冊目。
1.12(金)久方ぶりに黒のワイシャツと黒のスーツを着て、午後十二時半に室を出る。紀尾井町ホテルニューオータニへ。石原慎太郎氏と対談。「群像」三月号での企画。同誌から六十年にわたって締め出しを食っていた氏と、昨年前の八年間と、その前の第一次干され期間の二年を加えて計十年間締め出されていた自分との、「恩讐の彼方に」対談。佐藤現編集長に感謝。一体、前編集長のあの人物は何を必死に守り、何を必死に排斥していたのか。それを思うと、しみじみ諸行無常というものを感じてしまう。
1.13(土)神保町で藤澤清造関連の古雑誌を受け取る。
1.14(日)『夢魔去りぬ』(講談社文庫)見本開く。51冊目。カバーの装画は、横溝正史文庫のそれで知られる杉本一文氏に手がけて頂いた。少年期に、かの横溝文庫で小説の面白さを知った自分としては、やはり感無量。夜、その杉本氏の新刊画集を眺める。
1.15なし
1.16(火)NHKから本日選考会の芥川賞についてインタビュー。
1.17~18なし
1.19(金)山本周五郎「五弁の椿」の解説を書き、送稿。
1.20~21なし
1.22(月)八重洲BCで伊藤雄和氏との「夜更けの川に」トークイベント。大雪の中大勢の方がいらして下さる。終了後タクシーが走っていないため九名でぞろぞろと大手町駅への地下道を歩く。石原慎太郎氏からの留守電に気づく。「きみ、小説うまいね。特に会話文がうまいよ」との過分のメッセージ。その場にいた人に順に聞かせる。
1.23(火)石原対談、日乗ゲラ。「雨滴」ぶっつけで七枚。
1.24(水)「雨滴」ぶっつけで書いた第十四回、十四枚で提出。忸怩たる思いを買淫と飲酒で紛らす。一応、当たり。
1.25(木)サウナ、そのまま電車で用足し。夜十一時過ぎ帰室。「雨滴」ゲラ朝まで。
1.26(金)「げんぱち」で坪内祐三氏との「週刊スパ」対談。
1.27なし
1.28(日)角川文庫山本周五郎「五弁の春」解説ゲラ。真梨幸子「ご用命とあらば」
1.29(月)ゲラのやり取りがあるため「清造忌」は日延べし、芝公園で三十分ほど「一人清造忌」。
1.30~31なし
2.1(木)歌舞伎町で「本の雑誌」浜本氏と打ち合わせ。
2.2~5なし
2.6(火)伊藤雄和氏と対談。「音楽ナタリー」配信予定のもの。帰途、一人になって拙作「芝公園」を思う。少し、あの時期の繰り返しのようになっている。なれば伊藤氏と飲むのも、今夜が最後となるか。
2.7(水)夜、買淫。外れ。こんな日もある。
2.8~9なし
2.10(土)下北沢ライブハウス「SHELTER」前で、講談社文庫部の柴崎氏、文春出版局の田中光子氏、風花女子軍団の三美女と合流。計七名にて、かねてよりの予定のライブを眺む。
終了後、一同で四谷三丁目に移り、焼肉。午前零時半に「風花」へ流れる。
2.11なし
2.12(月)四谷三丁目、清水氏。
2.13(火)体調甚だ悪し。「誰もいない」第23回武田武彦。
2.14なし
2.15(木)あのケチなKADOKAWAが「志満金」で接待してくれる。風花で六、七人の編集者らしき一群と入ってこられた佐伯一麦氏と四、五年ぶりの邂逅。編集者の一群が解散したのちも、佐伯氏は一人残ってくださる。これ幸いと、話し込まさせて頂く。
2.16(金)崔氏と歌舞伎町から四谷三丁目。
2.17~18なし
2.19(月)「雨滴」白旗。ダメな方の周期が巡り来たとみえ、まったく頭が働かぬ。
2.20~21なし
2.22(木)今は買淫と酒で気分を紛らわせ、ダメの周期が明けるのを待つより他なし。
2.23(金)精神のサナギマン状態つづく。不義理も重なる。夜七時に末広亭へ。知人と夜席を聞く。その後、鶏料理で一杯。二人で四万八千円と、まるで祇園なみの高料金だが、滅法美味。が、気分は晴れず。
2.24なし
2.25(日)未だ周期は明けず。確定申告の資料一式を揃え、宅配便で税理士事務所へ送る。
2.26~28なし
3.1(木)信濃路で角川山田氏と風花勤務の田辺姉妹と。騒ぎ飲んだのち風花へ。
3.2~4なし
3.5(月)夕方五時半に税理士事務所へゆき、今年の申告額についての説明を受ける。税金は高し。いったん自室に戻り、夜八時前に改めて外出、渋谷へ向かう。
KADOKAWAの山田氏、大学講師の某氏と「ユーロスペース」で映画。「風花」勤務の女性が出演。終了後、歌舞伎町の寿司屋で、某氏がプロポーズ失敗。
3.6(火)未だ気力漲らず。夜、買淫。当たり。体調のほうは良し。深更、拙作「芝公園」を読み返す。自作の復読はめったにせぬことだが、今はこの必要に迫られている。これを書いたときの気持ちを思い出し、改めて胸に刻み込む。
3.7(水)夜七時より、駒込にて一人で飲む。山田氏を電話で呼び出し、風花で合流。反省。
3.8(木)サウナから池袋の店舗型買淫。当たりではあるが、心は虚し。
3.9(金)夕方まで完全無為。またチンケな旅に出ようかという気にもなったが、金が惜しくて思いとどまる。夜七時、一人信濃路。またぞろ誰かと喋りたくなる。心当たりに呼び出しのショートメールを送り、風花に行くと田中光子氏、崔氏、山田氏が待って居て下さる。泥酔状態の自分は、これにツンと目頭が熱くなりながらも、そのほうは無視するようにして、奥の席で編集者と飲んでいた田中慎弥氏のところに割り込んでゆき、下卑た話をベラベラ喋りまくる。師・藤沢清造の霊が乗り移ったみたいな一夜。
3.10(土)昨夜の数々の無神経な振舞いを深省。外出する気もせず。終日無為。
3.11なし
3.12(月)夜十時、芝公園で佇む。
3.13(火)22時、伊藤雄和氏と仲違い。以降会うことなし(伊藤氏の追悼文による)。
3.14(水)昨夜も泥酔し、山田氏を呼び出して多大な迷惑をかけたのをメールで詫びる。
3.15(木)また風花に編集者を呼び出す。一昨日メールで暴言を吐いた田中光子氏も。
3.16(金)四谷三丁目で清水氏。風花。
3.17なし
3.18(日)浅草へ。バッティングセンターの後に演芸ホール。スポット、安寿司屋。信濃路。
3.19なし
3.20(火)夜、買淫。当たり。ようやく回復の兆し。
3.21(水)「雨滴」15回書き始める。先月落としている。10枚。
3.22(木)~3.24(金)休み休み午後四時までの約11時間でさらに11枚。計26枚で送稿。夜七時半に改めて室を出て、知人と馬肉料理で一杯やる。
3.24(土)四時に所用で外出。結句、一日仕事となる。
3.25(日)ゲラ。
3.26(月)某氏(花澤哲文氏?)壮行会開く。この一か月だけで従来の二年分くらい「風花」に来ている。しばらくはもう十分であろう。その間に周期が明けてくれたのが幸いであった。
3.27(火)六月までの仕事の予定を立て直す。久しぶりにDVD「八つ墓村市川崑版。
3.28(水)上野から東北新幹線。金沢で資料探し、福井泊。夜、買淫。外れ。止むなし。
3.29~30なし
3.31(土)中野へ用足し。首尾よい結果を得た。「誰もいない文学館」第二十四回島田清次郎他「晶玉集」。
4.1(日)「人もいない春」角川文庫重版見本開く。有難い限り。夜給湯器の調子が急に悪くなる。昨日書いた「誰もいない文学館」読み返して気に染まず、書き直す。送稿。
4.2(月)今日が納付期限の消費税数十万支払い。課税業者も痛し痒し。給湯器の浴室パネル故障で業者に来てもらうため、久しぶりに清掃。平生の入浴はほとんどシャワーで済ませているので、洗うのに一時間半もの手間を要し、掃除で汗みずくになる。
4.3(火)修理業者来たのち、二時間弱サウナ。汗をかきすぎてぐったりと疲れ果てる。「雨滴」第十六回、ぶっつけで書くが良い習慣。
4.4(水)冒頭二枚がダメな作文の見本で破棄。信濃路で「群像」佐藤氏。新宿。
4.5(木)夜に買淫。当たり。このところ妙に性欲強し。良きことといえば、そうもいえるか。川崎長太郎の葉書を二十一枚も持っていた。
4.6(金)<昇会>神宮球場
4.7(土)仕事する気起きず手持無沙汰で橘外男「艶魔地獄」読み、手淫し再々入浴。
4.8なし
4.9(月)腰に張りを覚えフェイタス二枚。新宿、末広亭。帰途池袋でライト買淫。
4.10(火)早稲田古書店街、池袋で昨夜同様に本番なしの安価な買淫。
4.11(水)浅草演芸ホール。スポット回らず吉原。店舗で買淫。大当たり。マラは絶好調。
    今日も無意味な一日。が、かような時間と金の無駄遣いに伴う自己嫌悪が「雨滴」を書き継ぐ意欲と変わってゆくから、致し方なし。
4.12(木)信濃路で知人と一献。ここの異常に濃い焼酎は身に応える。
4.13(金)「雨滴」第十六回に取り掛かるが進まず。18日に二十六枚で送稿。
4.14(土)「雨滴」続きに取り掛かるも、前回とのトーンを意図的に変える必要がある場面なので、なかなか思うようにはかがいかない。入谷で清水氏と打ち合わせ。
4.15(日)「雨滴」昨日までの五枚を頭から全改稿することとす。
4.16(月)病院に通風の予防薬をもらいにいく。
4.17(火)「二度はゆけぬ町の地図」重版見本開く。十一刷目。小ロット重版とはいえ、有難い限り。「雨滴」馬力をかけて朝六時半まで十二枚を書き、計二十六枚で今回の区切りとする。
4.18なし
4.19(木)「雨滴」ゲラ修正。一説ごとに何度も音読して言葉を入れ替えてゆくので、一時間に一枚、完了に十時間かかる。
4.20~22なし
4.23(月)COCO壱で野菜カレー食べて帰室後、真梨幸子氏の最新刊「向こう側の、ヨーコ」を読み始める。
4.24(火)夜、野暮用で外出。桜鍋が美味。深更帰室。風雨強くバルコニーに干せず。
4.25(水)神保町古書店トロール。「本の雑誌」浜本編集長らと打ち合わせ。
4.26~5.6 記載なし
5.7(月)夜、外出。深更、ラーメン屋で珍しくウイスキーハイボールを飲む。焼酎や日本酒を置いていない店であったため、しょうことなしに三杯飲む。午前二時半、タクシーで帰宅。
5.8(火)午後一番で病院へ。夕方、スーパーに寄って帰室後は、何やら疲れて寝たり起きたりを繰り返す。
5.9~5.12 記載なし
5.13(日)午前九時半起床、すぐと外出。帰途に東京駅の地下で食料買い午後五時過ぎ戻る。
藤澤清造田山花袋に宛てた書簡に、本名の「田山録彌」と記したものもあるのを確認。腹案の短編中に使える。
5.14~5.15 記載なし
5.16(水)来週収録テレビ打ち合わせ。埼京線で十条にゆき、ラーメン屋で一杯。麺はすすらず、COCO壱で野菜カレーを食して帰室。「群像」七月号用の「乃東枯なつかれくさかかる」を書き始める。
5.17(木)「乃東枯」つづき。講談社文庫部柴崎氏と打ち合わせ。
5.18(金)「乃東枯」つづき。タクシーで四谷三丁目。「文学界」清水氏。
5.19(土)オリジン食堂で食べて「乃東枯」つづき。合計二十四枚で終了。
5.20(日)「誰もいない文学館」第二十六回。岩崎英重「坂本中岡両先生遭難顛末」。「雨滴」第十七回、七枚書いたところで頭より目の方が限界となる。
5.21(月)「雨滴」3枚半、2枚半、都合6枚。
5.22(火)病院にゆく。
5.23(水)Eテレの番組収録。太宰治を取り上げる回。四時終了、局からのタクシーで帰室。
5.24(木)「雨滴」二十五枚で第十七回の終了とす。これが片眼の状況で書く、最後の原稿となろう。その状況下でものした前々回からの「雨滴」そして「乃東枯」は、自分にとって忘れられぬ作になりそうである。
5.25(金)「雨滴」ゲラ訂正。一行ごとに訂正を入れてゆくという、どうしても一発で文章を決められぬ己の痴愚を露呈しての作業。清水氏には本当に申し訳なし。
5.26(土)オリジン食堂。「乃東枯」ゲラ訂正。これはこれで、内容的にナーバスにならざるをえず、文章のそちこちに神経質な修正を加えまくる。
5.27なし
5.28(月)サウナからいったん帰室し、夜、改めて外出。深更零時にまた前回(5.7)の、生ビールとウイスキーハイボールしか置いていないラーメン屋に寄る。一時半に帰宅。二週間ぶりに、ゆずの香りのバスクリン入りの風呂に入ってから就寝す。
5.29~6.7 記載なし ※右目白内障人工レンズ挿入手術。地方都市の彼女マンション。
6.8(金)午後二時起床。入浴。湊かなえ氏最新刊「未来」読了。
6.9(土)午後八時半起床、入浴。すぐと家を出て、病院へゆく。回転寿司。いろいろと運転を再開す。
6.10なし
6.11(月)DVD「タンポポ]。三十年ぶりだが案外細部まで覚えていた。
6.12(火)終日無為。夜十一時過ぎに、例のウイスキーハイボールのみのラーメン屋にゆきて、一杯やる。メニューも少なく、味もさして良くはない。だが、店内がやけに広々としていて、午前二時まで営業している。それが取り柄で、また何となく足が向いてしまう。
6.13なし
6.14(木)二週間ぶりにサウナにゆく。一応、用心のために六回で切り上げて、そのまま買い物へ。フードコートで、タピオカ入りの白ごまミルクスムージーというのを、生まれて初めて飲んでみる。半分以上残す。深更、状況がまた悪く変わってしまったので、原稿の予定を立て直さざるを得なくなる。厄介。
6.15~16なし
6.17(日)外出後、夕方ようように帰室。「群像」九月号用の、百五十枚もののシノプシスを作っておく。タイトルは、「羅針盤は壊れても」とす。
6.18なし
<一私小説書きの日乗 堅忍の章>
6.19(火)四谷三丁目、清水氏。
6.20なし
6.21(木)「雨滴」第十八回を書き始める。白内障手術の効果で、原稿用紙の升目がやけにクッキリと見える。が、依然集中力の方は向上せず。
6.22(金)「雨滴」つづき。十条の日高屋。朝六時半まで書き続ける。送稿。
6.23(土)夜、久々に―およそひと月以上ぶりに買淫。もう再開してもよかろう。さすがに、当たり。松本徹「西行 わが心の行方」読む。
6.24(日)「雨滴」のゲラに病的な量の訂正をびっしり入れる。この「活字になってみないと、自分の文章の不備なところが判らぬ病」は、我ながら全く困ったものだ。
6.25なし
6.26(火)神保町古書店本収穫なし。「野獣死すべし」のサントラCD。げんぱち浜本氏。
6.27(水)松本徹氏の最新刊「松本徹著作集第一巻 徳田秋声の時代」拾い読み。
6.28~6.30なし
7.1(日)高橋三千綱「作家がガンになって試みたこと」全編読む。氏の最近の一連の随筆は、自分の中では正岡子規のそれと比肩しうるものに近づいている。
7.2(月)木内昇「火影に咲く」大好物の幕末もの短編集。うますぎる会話文に魅了される。
7.3(火)四谷三丁目、群像佐藤編集長。新人賞の剽窃問題は関心なし。
7.4(水)夜、店舗型買淫。一応、当たり。が、会心の手ごたえとまではゆかぬ感じ。
7.5(木)酒井順子「百年の女」を藤澤清造資料室内の大正期参考文献に並べる。
7.6(金)病院で通風予防薬。松尾スズキ「もうはいとしか言えない」面白い。
7.7(土)仕事始めるつもりがグズグズ。ブックオフで漫画文庫十冊仕入れる。
7.8(日)中編書きだそうとするも興が乗らず、池袋に行ってライトな方の安価な買淫。気持ちは良いが、心は虚し。
7.9(月)明治古典会で七点中四点が落札。田中英光の自筆書簡、葉書三点一括など。支払いが大変也。今日も創作に取り掛かれず。
7.10(火)<昇会>神宮球場
7.11(水)夜、買淫。まあまあ当たり。
7.12(木)「群像」九月号用「羅針盤は壊れても」(百五十枚相当)を書き始める。下書きを取らずにぶっつけで原稿用紙に書いていく。
7.13(金)「羅針盤」続き8枚、まあまあ進む。
7.14(土)日中、無為。「羅針盤」6枚。
7.15(日)「羅針盤」小計26枚。
7.16(月)「羅針盤」小計34枚。
7.17(火)夕方から夜にかけて神保町。「羅針盤」9枚。
7.18(水)痛風予防薬もらいに行く。8枚。
7.19(木)9枚、計60枚。八日間もかけてこの枚数はペース遅し。下書きなしにぶっつけで書くと自分では意識しなくとも萎縮が生じるのか。
7.20(金)夜やむを得ず外出。「群像」佐藤編集長から連絡来る。遅延詫び、出来上がってる分から61枚を先に送稿。
7.21(土)6枚。計72枚。
7.22(日)「日乗」ゲラ、「羅針盤」6枚。やっと全体の半分量か。
7.23(月)「雨滴」白旗。この間ずっと「羅針盤」にかかりきり。
7.24(水)酷い暑さで頭がフラつきサウナで強制発汗。「羅針盤」6枚。計90枚。
7.25(水)ようやく調子上がる。計107枚。
7.26(木)区役所と病院。計117枚。あと33枚。
7.27(金)~29(日)「群像」待つと伝えてくれる。逆に底知れぬ不気味さ。徹夜体制で臨み、最後の最後にきてやっとドーパミンが出て「降りてきた」状態となったが、7日発売の文芸誌で29日の朝に手書き原稿159枚を渡すというのは大概な話である。渡すほうも渡すほうだが、受け取るほうも受け取るほうだ。ゲラ見る。のっけから訂正しまくり。
7.30(月)~8.1(水)訂正作業続け、「羅針盤」完成。ほうぼうに迷惑をかけすぎたので満足感や達成感なし。佐藤辰編集長、最後まで立派な態度であった。
8.2~8.4 記載なし
8.5(日)九月公開の映画「愛しのアイリーン」サンプルDVDを見てコメント書く。
8.6(月)神保町パトロール。収穫なし。「げんぱち」で「本の雑誌」浜本編集長と打ち合わせ。久方ぶりに西片町に寄って、ネギラーメンを食べて帰室。
8.7(火)「群像」九月号が届く。「羅針盤は壊れても」のゲラを戻したのは先週の水曜。よく間に合ったものだと感嘆し三省。
8.8(水)台風のため<昇会>の神宮観戦中止。暑気払いに変更し四谷三丁目で一献。
8.9(木)佐々木青年から友川カズキ氏の「先行一車」を贈られる。有難し。
8.10~8.11 記載なし
8.12(日)「誰もいない文学館」第二十七回田中英光。四谷三丁目で清水氏。
8.13~8.15 記載なし
8.16(木)湯島の天神下へ向かう。「群像」佐藤編集長と打ち合わせ。
8.17(金)夜、久しぶりの知人と、王子で一献。
8.18~8.19 記載なし
8.20(月)神楽坂「志満金」で角川山田氏。鰻。
8.21(火)原稿用紙を広げるも、どうにも苛立ちが募る。
8.22(水)夜八時に入谷へ。講談社文庫柴崎氏。ドジョウが旨し。
8.23~8.24 記載なし
8.25(土)「雨滴」二か月連続の白旗。夕方、苦し紛れに東京駅から新幹線に乗りて、名古屋に行ってみる。買淫ののち、安チェーン店で飲酒。栄町に泊まる。
8.26(日)朝十時に宿を出て、とりあえず大阪に行ってみる。「サナギマン状態での地方小徘徊」を続けることとす。但し、これも少し習慣化してきたので、さして面白くなし。
8.27~8.30 記載なし
8.31(金)帰京後、少しく向日的な気分となれる連絡あり。すべては一つ一つの積み重ねであろう。
9.1 記載なし
9.2(日)「日乗新規」ゲラ確認。室に戻りて雑用一束。
9.3(月)十一月号で、との流れになっていた某誌への小説の件、未だ連絡なし。仕方なく予定を変更す。
9.4 記載なし
9.5(水)夕方、浅草に出張って演芸ホール。スポットから寿司屋のルーティン。
9.6(木)神宮球場。昇会。四谷三丁目から風花。胃痛のため先抜け。
9.7(金)四畳半の書庫で種々の準備。「新規」ゲラ続き。
9.8(土)中野ブロードウェイに不用品を売りに行く。その足で買淫。当たり。
9.9(日)サウナから帰室後、リビングの掃除。
9.10(月)入谷で柴崎氏、群像佐藤編集長。風花で田中慎弥氏。
9.11(火)夕方、携帯メールに二つの朗報。二十年来の課題。ようやくに門戸が開かれた。腕の鳴る思い。そしてもう一つの方の実現は―これは半ばダメ元のところがあったので、一寸拍子抜けの感もあり。が、この上なくうれしい。
9.12(水)「誰もいない文学館」最終回を書く。自分にとって実に有難い仕事であった。
9.13(木)四谷三丁目、清水氏。「雨滴」二カ月休載を謝罪。
9.14~9.17 記載なし
9.18(火)五百円玉貯金を二十四万円分銀行で入金。病院で通風予防薬。『東京人』十一月号用のエッセイ「片隅の町」送稿。
9.19 記載なし
9.20(木)前夜に異様に吸いすぎた煙草のニコチンをサウナで発汗。「雨滴」第十九回書き始める。朝八時までで五枚。
9.21(金)~9.22(土)昨日の五枚を破棄して書き直し。計二十一枚書いて送稿。ファクシミリ調子悪い。「新起の章」カバー、信濃氏の仕事は間違いない。
9.23~9.24 記載なし
9.25(火)夜、外出。例の、ウイスキーハイボールのラーメン屋。深更二時前に帰宅。
     約三か月ぶりに、バスクリンを投入した浴槽に浸かる。
9.26 記載なし
9.27(木)午後、病院。経過良好。夜、回転寿司。
9.28~9.30 記載なし(※この間に七年間付き合った女性から絶縁される)
10.1(月)午後帰京。先週金曜日に捻った腰の痛み甚だし。
10.2(火)腰の痛み全く引かず。タクシーで講談社。一度室に戻り、神宮球場
10.3(水)「新起の章」ゲラ。
10.4(木)ゲラ。新刊「北國文華秀作選」開く。インタビュー再録も見本送られず。
10.5なし
10.6(土)九年前の人生最大のぎっくり腰も十日で痛みは引いたが、今回のはまるで快方に向かう気配なし。
10.7(日)食卓で清造関連メモの整理。
10.8(月)腰、まだ痛し。「片隅の町」ゲラ。単行本「羅針盤~」初校ゲラ。
10.9(火)腰は痛むが、六日ぶりにサウナ。帰室後、山田花子の著作をあれこれ復読。読むとぐったりと疲れる。心奥のデリケートな部分を搔きむしられる故にであろう。
10.10(水)腰が痛くてサウナに行けず。清造関連の雑用一束。山田花子自殺直前日記改」文庫版解説書き送稿。
10.11(木)腰痛いが無理してサウナに行く。
10.12(金)なかのゼロで「村西とおる狂熱の日々」のプレミア上映会とトークショー
10.13 記載なし
10.14(日)「羅針盤」ほぼ全改稿的な直しを入れる。
10.15(月)四谷三丁目、文春田中光子氏、清水氏。
10.16(火)腰、まだ痛し。左側にも張りが出ている。「羅針盤」ゲラ。
10.17(水)「羅針盤」ゲラつづき。自分では、直した個所はそれなりにバージョンアップしたつもりでいるが、果たして傍目にはどうなのだろうかと、作業をしつつ考える。
10.18(木)「新起」再校ゲラ。「文学界」十二月号用エッセイ「清造忌二十回」送稿。
10.19(金)腰痛、激しくぶり返す。眠っている間に、何かが起きたものらしい。夕方出かける予定を取りやめてシップを張って食卓に着く。
「はいしつかかえて」「そうはん旅行」のゲラ確認。「羅針盤」に収録予定。
10.20(土)エッセイのゲラ。「雨滴」第二十回書き始める。
10.21(日)腰、変わらず。日中はエンジンがかからず、食卓で雑用こなし。
10.22(月)「羅針盤」とエッセイ渡す。
10.23(火)腰は痛むが、煙草と食料と日用品の仕入れに外出とサウナ。帰途、スーパーで冷凍食品。「雨滴」、「新規」。
10.24(水)一通り仕事片付いたので近所の中華料理屋で満腹になって帰室。韓国映画金子文子と朴烈」のサンプルDVD見てコメント書いて送稿。暢気といえば暢気な一日。
10.25(木)腰痛続くが二時間弱サウナ。蕎麦屋でもりを二枚食べて帰室後、松本徹氏の新刊「松本徹著作集第二巻 三島由紀夫の思想」を拾い読み。夜になって少しく腰の患部がラクになる。
10.26~11.4 記載なし
11.5(月)ビジネスホテルという名の安宿を出て、今一度の調べ事に回る。外地の銭湯に口開けで浸かったのち、夕方、帰京の途に就く。
11.6(火)夕方、富士見町、即ちKADOKAWAから朗報―「藤澤清造短編集」復刊の了承来る。万々歳。この初夏から続けてきた折衝の良結果については、自分の執念の賜物。祝杯。
11.7(水)「日乗」整理。湯島天神下で「群像」佐藤氏。
11.8(木)「羅針盤」再校ゲラ。頂きもの芋焼酎で晩酌。自分は甲類の方が合う。
11.9(金)夜、買淫。少し間が開いたせいか、かなりのインパクトでの大当たり。
11.10(土)新刊書店の何かのフェアで使う文章を書く。
11.11(日)久方ぶりに室内の片づけと掃除。清造資料整理。充実した一日。
11.12(月)病院で痛風予防薬。「羅針盤~」関係確認作業。献本リスト作り直す。
11.13(火)四谷三丁目で清水氏。
11.14(水)「羅針盤~」挟み込み付録の作業。
11.15(木)付録用原稿。飲みながら「ロボット刑事」DVD。
11.16(金)知人と一献。のどぐろのお刺身が美味。
11.17(土)『一私小説書きの日乗 新起の章』(本の雑誌社)見本。52冊目。
11.18なし
11.19(月)「羅針盤」浅妻健司氏によるデザイン、レイアウトが素晴らしい。
11.20(火)函の用紙も急遽の変更が叶い、一切こちらの手から離れる。「雨滴」21回。
11.21(水)~11.22(木)コンビニで菓子パン、飲み物を仕入れておこもり態勢に入る。「雨滴」続き。四枚。八枚。八枚。計24枚で終了。バイク便に渡す。
11.23なし
11.24(土)夜、買淫。外れといえば、外れ。来年一月刊「蠕動で渉れ~」の初校ゲラを見始める。親本は集英社だったが、思うところあり、角川文庫で面倒を見てもらうことを強く希望しての移籍。同レーベルには小ロット重版がある。他社のように、すぐに品切れ絶版にはならぬ。
11.25(日)「雨滴」ゲラ。
11.26(月)山田花子解説と帯文書いた文庫開く。「扇動」文庫ゲラ続き。
11.27(火)「扇動」ゲラ終了。
11.28(水)砂場で山田氏。
11.29~12.2なし
12.3(月)『小説集 羅針盤は壊れても』(講談社)見本十冊届く。53冊目。投げ込み付録付きの函入り本。結句定価は三千円と、一見思い切った感じのものになった。が、この価格は止むを得まい。実際に手に取ってみれば、その値段も決して高くはないことが分かるであろう。分からない者は、買わなければいいだけのことだ。そしてその種の者は、本質的に拙作とは無縁の衆生であるに違いないのだから、向後も引き続き近付かないでもらいたい。
過去に拙作に目を通した経験があり、それでいっぱしの〝読者〟を自称していたとしても、
これを機に、もう二度と読んでくれなくて結構である。自分としては、かような手合いに
伝えたいことは何もない。ここまで飽くことなく自著をひねくり回すのは、十二年前の最初の著書「どうで」以来のこと。
12.4(火)講談社で「羅針盤」署名入れ。砂場。
12.5~6なし
12.7(金)「扇動」文庫関係の雑用片し。深夜二時やっと清造資料整理へと移る。
12.8なし
12.9(日)夜、買淫。外れ。無念。敗北感にうちひしがれながら喜多方ラーメン大盛り。
12.10~11なし
12.12(水)「雨滴」白旗。酒に逃げる。
12.13(木)八重洲BCで喜国雅彦氏とのトークショーサイン会。日下三蔵氏、国樹由香氏とも打ち上げの席で探偵小説話で盛り上がる。
12.14(金)講談社会議室で「文學ユーチューバー」なる肩書の女性との対談。砂場。
12.15(土)「四冊目の根津権現裏」書き始める。原稿用紙にぶっつけ。
12.16(日)二十七枚。
12.17(月)「降りてきた」状態で夜七時半に50枚きっかりで終了。
12.18(火)東京堂書店坪内祐三氏とのトークショーサイン会。
12.19(水)~12.20(木)「四冊目の根津権現裏」ゲラ。文庫「扇動」ゲラ。
12.21(金)病院で向こう一か月分の痛風予防薬もらう。
12.22(土)飛行機で香川の高松へ。某病院の合宿(二百人程)で講演。「どうで死ぬ身の一踊り」と題し、一時間。講演は基本的に断っているが、今回は止む無し。年内の仕事はこれでひとまず片付いた形なので、このままここ数年の年末年始恒例であったところの、呆けた旅へとなだれ込みたくなる。
12.23~1.11 記載なし


2019年(平成三十一年)
1.12(土)十一時に室を出て、上野駅に。能登七尾へと向かう。昨年末に日延べし、年明け早々の歩くのもままならぬ腰痛が小康するのを待っていたら、この日までずれ込んでしまった。本堂で読経。本年はいろいろと、この墓前に報告することが多くなりそうだ。
1.13(日)金沢の図書館で夕方までを過ごす。夜、「かがやき」で帰京。
1.14なし
1.15(火)昨日の夜から、また痛みがブリ返してきた腰部にフェイタスを貼る。
1.16(水)「大竹まことゴールデンラジオ」のコーナー出演。
1.17(木)表参道で取材後、立山墓地にお参りしたい衝動に駆られるが断念。
1.18(金)三月刊行予定角川文庫「どうで~」の初校ゲラを見始める。まさかの三次文庫化。
1.19(土)まだ腰の痛みは続いているが、とりあえず買淫。一応の当たり。
1.20~23なし
1.24(木)「雨滴」またもや白旗。どうにもならず。まったく興が乗らない。夜、買淫。この方は今宵も当たりとなるので、自分の浅ましさも大概である。
1.25(金)『蠕動で渉れ、汚泥の川を』(角川文庫)見本。54冊目。解説を書いて下すった湊かなえ氏に感謝。今回もまた信濃八太郎氏の装幀画が素晴らしい。
1.26(土)夕方六時に室を出て、阿佐ヶ谷へ小遣い稼ぎに赴く。BS朝日ロケ。
1.27なし
1.28(月)深更一時にタクシーで芝公園に行き、四十分たたずむ。
1.29(火)上野から「はくたか」で金沢、「かがり火」で能登へ。第二十回「清造忌」。
1.30(水)健康ランド。かがやきで帰京。
1.31~2.1なし
2.2(土)寒いせいか、昨日より妙に雄心が起こっていたので、仕方なく夜に買淫。当たり、不思議と最中は腰の痛み感じず。角川文庫「二度はゆけぬ~」十二刷目。有難し。
2.3~2.9 記載なし
2.10(日)自分にとって東京で最も不快な地、下北沢で木村綾子氏とのトークショー
2.11(月)清造資料整理。
2.12(火)入谷で柴崎氏と打ち合わせ。
2.13~15なし
2.16(土)夜、買淫。外れ。不甲斐なし。清造資料整理。
2.17なし
2.18(月)確定申告資料税理士に発送。清造資料整理。
2.19なし
2.20(水)自分資料の整理。「雨滴」22回書き出すべく今までの読み返す。
2.21なし
2.22(金)三か月連続「雨滴」に白旗。
2.23~24なし
2.25(月)夜、ライトで安価な方の買淫。現実逃避の一環ながら、心地は大層によし。
2.26(火)午後、病院。レントゲンと検尿。清水氏と打ち合わせ。どうにも合わせる顔がなし。嘉村磯多ではないが、終始うなだれ気味で斜め向きに座す状態となる。
2.27(水)午後二時起床。入浴。サウナ。清造資料整理。
2.28(木)七尾西光寺本堂で法要。今月も師への報告多数。
3.1(金)健康ランド。金沢で調べ事。はくたかで帰京。清造資料整理。
3.2(土)病院で検査結果聞く。現時点で炎症もおさまり、特に異状なし。サウナの後浅草演芸ホール久保田万太郎生家跡を巡って、安寿司屋。
3.3~5なし
3.6(水)毎日新聞のインタビュー。清造資料整理。
3.7(木)砂場で柴崎氏。「藤澤清造追影」カバー装幀、その他について。
3.8なし
3.9(土)「FLASH」の企画で吉原のソープ街散策。「有意義」との感覚を堪能した一夜。
3.10(日)松本徹「著作集第三巻」拾い読み。洗濯物ベランダ。清造資料整理。
3.11(月)夜、買淫。当たり。喜多方の席が塞がっていたため回転寿司。
3.12なし
3.13(水)神保町。手紙書き。三通。
3.14(木)スーパー、ドラッグストア、魚屋。高橋三千綱「ハート型の雲」読む。
3.15(金)『どうで死ぬ身の一踊り』(角川文庫)見本開く。55冊目。これが決定版。
3.16~17なし
3.18(月)書庫整理。清造資料整理。
3.19なし
3.20(水)砂場で角川山田先生を、叱る。「どうで~」進行時の凡ミス。
3.21(木)「雨滴」22回、9枚、5枚。14枚を送稿。
3.22(金)「雨滴」14枚、計28枚。安堵。書けて本当によかった。
3.23(土)ゲラ。
3.24(日)ゲラ。
3.25(月)病院で痛風予防薬。酒井順子「家族終了」読む。清造資料整理。
3.26(火)講談社文庫「藤澤清造追影」初校ゲラみ始める。
3.27(水)FLASH吉原記事届く。クズ芥川賞作家と。クズ雑誌のクズ記者が。
3.28(木)七尾で法要。一日早い、いわゆる逮夜参り。30日朝からよんどころない要件が入ったが故のやむなき処置。
3.29(金)午前十時に常宿を出て、清造の墓へ今一度進み出る。夜九時過ぎ帰京。
3.30~4.1なし
4.2(火)<昇会>神宮球場。滅法に寒い。四谷三丁目、風花。
4.3(水)角川文庫「人もいない春」三刷目。阿部公彦氏の漱石についてのEテレ番組テキストを読み、二十九歳のとき暴行で十二日間留置されたときに朝日書林の荒川氏に頼んで漱石の文庫本五冊と藤沢周平の「用心棒」シリーズを差し入れしてもらい、夢中で読んだことを思い出す。この折は、結句「坊ちゃん」に最も強く慰められたものだった。
4.4なし
4.5(金)清造資料整理。「文学界」用エッセイ「地続きの記憶」六枚。
4.6(土)エッセイの続き、計十枚。送稿。
4.7(日)「俳句界」六月号用エッセイ。清造生原稿「乳首を見る」のカラーコピー荷造り。
4.8(月)清造資料整理。角川の清造短編集初校ゲラの再校訂。
4.9~10なし
4.11(木)夜、買淫。当たり。良し。真梨幸子「猫を飼う」
4.12(金)「清造負の小説集」収録作19編の底本コピーを荷造り。
4.13なし
4.14(日)「雨滴」第二十三回書き始める。はかがゆかず酒に逃げる。
4.15(月)無為。邦画DVD。8枚。どうにかエンジンがかかった様子。
4.16(火)「雨滴」8枚。
4.17(水)計二十七枚にて終了す。「週刊現代」の特集用俳句三句作る。
4.18(木)エッセイ、「地続きの記憶」のゲラ修正。
4.19(金)「雨滴」ゲラ、今回も全改稿に近い訂正となる。
4.20~4.28 記載なし
4.29(月)七尾西光寺本堂法要。
4.30(火)七尾から特急の直通で大阪へ。清造関連の調べ事の確認。現地に泊まるも、女体は割愛。
4.30~5.3 記載なし
令和元年(2019年)
5.4(土)「瓦礫の死角」書き始める。書き直しの末、冒頭五枚固める。
5.5(日)短編集ゲラ。「瓦礫」11枚。
5.6(月)四谷三丁目で群像佐藤編集長。異動で第三次干され時期か。
5.7(火)「瓦礫」16枚のうち7枚破棄。
5.8(水)清造関連の用向きで外出。夜七時半帰室。
5.9(木)清造資料整理。「瓦礫」続き。
5.10(金)清造関連の用で外出。「瓦礫」続き。
5.11(土)「瓦礫」。魚屋で晩酌用お造り拵えてもらう。
5.12(日)清造資料整理。「瓦礫」枚数的には収穫なしも不思議と焦りはない。
5.13(月)「瓦礫」70枚となる。あと少し。
5.14(火)「瓦礫の死角」八十八枚、一応の完成。
5.15(水)「群像」七月号に本目の短編「病院裏に埋める」と題して書き始める。こちらは七十枚検討で、「瓦礫の死角」よりかは「雑」な感じに仕上げたい。
5.16(木)『藤澤清造追影』(講談社文庫)見本開く。56冊目。うれしくてひねくる。
5.17(金)清造資料整理。「病院裏」続き。
5.18(土)ドラッグストア。魚屋でお造り。清造資料整理。「病院裏」。
5.19(日)夜、やむなく買淫。外れ。自嘲。
5.20(月)病院で痛風の薬、別の病院で新しい眼薬。視力検査は両眼1.2だが眼圧高し。
5.21(火)~5.22(水)「雨滴」白旗。「病院裏に埋める」のつづき。
5.23(木)清造「乳首を見る」の解題書き始める。八枚書くも読み返して全部破棄。
5.24(金)解題。今度はスムースに流れる。「瓦礫」ゲラ。
5.25(土)「乳首を見る」解題、二十二枚で終了。はなの約束は十枚前後とのことだったが、とても収まりきらない。やむなし。辰氏編集長交代の内示。今回の清造新発見原稿翻刻の件は、あと一が月遅かったら立ち消えになっていたかもしれぬ。実現がギリギリ間に合ったかたち。やはり自分は「清造運」だけは異様にいい。
5.26~5.28 「瓦礫」「病院裏」「乳首」のゲラ根詰めて首が痛くなる。
5.29(水)久しぶりに寛いだ気分でもって、ダラダラ過ごす。
5.30(木)サウナ、居酒屋。すき屋で牛カレー。
5.31(金)角川文庫「二度はゆけぬ~」重版見本十三刷目。有難し。夜、買淫。大当たり。さもありなん。角川文庫「清造短編集」再校を見始める。
6.1(土)新潮文庫苦役列車」重版見本。五刷目。刷数は少ないが、こちらは一回の重版部数が大きいので、これで累計は十六万部弱となる。他の拙作も、中身は読まれなくていいから、せめてこの半分くらいは売れてもらいたいものだ。
6.2~6.5 記載なし
6.6(木)「群像」七月号に藤澤清造「乳首を見る」と拙作三篇掲載。文芸誌に載ってこんなにうれしく思ったのは、十五年前に初めて創作が「文學界」に転載されて以来。態(ざま)あみろとの気分でもって、所載号をひねくりながら延々と晩酌。愉快。
6.7~6.10 記載なし
6.11(火)日中、清造関連の作業。文芸文庫「負の小説集」初校ゲラがようやく届く。しかし、まだ手が付けられず。四谷三丁目で清水氏と打ち合わせ。異動ない様子。何より。
6.12~6.13 記載なし
6.14(金)日中、外出。夜九時に四谷三丁目に赴く。文芸第一出版部に異動になった講談社佐藤辰氏と打ち合わせ。編集長が替わっても、「群像」の合評会では拙作は一切取り上げぬよう強く依頼す。帰室後、角川文庫「短編集」カバー廻りの最終作業。
6.15~6.23 記載なし
6.24(月)「雨滴」今月も白旗。「負の小説集」校正に専心。自作など書いている場合ではない。
6.25~6.26 記載なし
6.27(木)神楽坂で角川山田氏と打ち合わせ。「根津権現裏」文庫カバー装幀希望伝える。
6.28~7.3 記載なし
7.3(水)神保町パトロール。収穫なし。買淫。当たり。
7.4(木)根を詰めすぎているのであろう、首の痛みがまた甚だしいものになってくる。
五年前を思い出す。不穏。
7.5なし
7.6(土)首の痛みで結句眠れず。「負の小説集」校正、校訂続けるも、痛みに気を取られてはかがゆかず。
7.7(日)神経根症、やはり再発した感じ。こんな状況など文字を見落としかねないので、一行三度読みを繰り返すこととす。さすがに性欲も起こらず、マラを握る気もしない。こうなると四日目に一本抜いておいたのは、まことに正解であった。廉価版で再発売された、NHK少年ドラマシリーズなぞの転校生」九話すべて眺める。
7.8(月)朝日書林から大市の開札結果を聞く。まずは上首尾。夜、首肩の痛み、限界に達する。とりあえず作業をやめて、痛みを紛らわすことに腐心す。痛み止めのつもりで缶ビール一本、四百面の赤ワイン一本。新刊の「仮面ライダーDVDコレクション」十話分を延々と眺める。
7.9(火)やむを得ず病院へ。採血とレントゲン。帰室して「負の小説集」続き。平生に読んでいるときと違い、この種の校正作業は異様に神経質にならざるを得ないが、実に幸福な時間也。首は痛いが、まことに有難く、そしてうれしい作業也。
7.10(水)「負の小説集」十九編のうち、十五編をバイク便にて講談社に戻す。「治療」と称して、二時間弱サウナ。たまっていた私的雑用の片づけ。家賃を払うのも忘れていたので、ATMに振り込みにゆく。十条の、来月閉店することになったラーメン屋にビールを飲みにゆく。十一時過ぎに帰室し、寝室で布団に一寸横になったら、そのまま朝六時半まで眠り続ける。
7.11~7.12 記載なし
7.13(土)首の激痛、左の肩にも広がる。軽いしびれもあり、いよいよ本格化。残り四編のゲラ、サッパリはかがゆかず。痛みで一行こなすごとに中断。
7.14なし
7.15(月)痛みは酷いが、師の校訂作業は楽しく、幸福感しか存在しない。腹をくくって、もう進行の焦りを念頭から消し去る。
7.16~17なし
7.18(木)朝日書林荒川氏来宅。先日の七夕大市の落札品をもってきてくれる。代金計七十万弱を支払う。「雨滴」三か月の休載となる。清造「負の小説集」の方が大切。
7.19~7.24 記載なし
7.25(木)週一本が基本のトリガー注射を四日に一本打ってもらっているが、気休め以上の効果が得られぬのが困ったもの。
7.26(金)サウナを出た足で中野ブロードウェイへ。古本屋とフィギュア。
7.27~7.28 記載なし
7.29(月)七尾への墓参、今回は日延べして「不屈の『負』」に専心す。角川の新刊「清造短編集」の見本をひねくる。七年前の新潮文庫版そのままの再刊本なのだが、うれしくて痛みを忘れて冷酒が進む。角川文庫には小ロット重版のシステムがあるため、品切れ絶版の措置を最も避けられそうなレーベル。このためにパワハラに耐え根回しに次ぐ根回しをしてきた。
7.30(火)痛みで眠りが浅く、三時間ほどで目が覚めてしまう状態が、三週間以上も続いている。頭痛は起きていないのだけが、不幸中の幸い。雑用済ませたのちに病院。首にもブロック注射をしてもらう。
8.1(木)清造解説のゲラ訂正、痛みのせいで思考ができず一ページに二時間も三時間もかかる。それでも仕上げていかなければ終わらないので、ここも今一度腹を括って、数文字ごとにダウンを挟みつつ、ノロノロと訂正を進めていく。
8.2(金)病院で首と肩にブロック注射。もう、さしたる効果も得られず。しかし藤澤清造に関する事柄だから、これはこれで楽しく得難い時間に違いあるまい。自分のやりたいことを、仕事として行えるありがたさ。もしかしたら自分は、今、とてつもなく幸福な境遇にあるのかもしれぬ。その自覚は自身でも、確かにふとこっているところがあるのだ――なぞ、殊勝とも幼稚ともつかぬ感慨を抱きつつ、顔を顰めながらの作業を続ける。
8.3(土)解説ゲラ続き。外から聞こえる神輿担ぎの掛け声、うるさし。痛みにも響く。
8.4(日)痛み止めの飲みすぎで頭朦朧。終日、訂正。朝七時半ようやく前頁終了。
8.5(月)「負の小説集」ゲラ午後四時終了。作業と首肩痛でそれどころではなかったが、これでほぼひと月ほど、まったく女体に接していないことに気づく。そろそろ年齢相応に枯れてきたものか。
8.6(火)病院で肩甲骨下にブロック注射。角川文庫「一私小説書きの日乗」重版見本。過般「日経新聞」で、未知の学者のかたが読書随筆中に取り上げて下すったそうで、それで一気に在庫がなくなったものらしい。有難いことだ。
8.7なし
8.8(木)「日乗」整理。
8.9~8.12なし
8.13(火)KADOKAWA山田氏と打ち合わせ。打合せ一か月ぶり。
8.14(水)書庫整理。持っているのを忘れていた本が続々と出てくる。橋本五郎「疑問の三」後版函付き、守友恒「幻想殺人事件」。予約していた中川信夫「地獄」ブルーレイ。
8.15(木)夜、久しぶりの友人と、焼肉。これも良き気分転換となる。
8.16(金)午後から病院。痛み、また甚だし。
8.17(土)崔氏と神宮球場。四谷三丁目。気分転換。感謝。
8.18(日)「雨滴」24回手を付けるが文章を書こうとすると致命的に痛む。
8.19なし
8.20(火)今月も「雨滴」休載さして頂く。どうにもならず。
8.21(水)「文芸春秋」用随筆「藤澤清造生誕一三〇年」五枚弱送稿。
8.22~23なし
8.24(土)荻窪と高円寺の古本屋、中野ブロードウェイを一巡り。
8.25(日)清造資料、宅配便で到着。喜びで痛みを忘れる。
8.26(月)午後、病院。ブロック注射はせず、リリカとロキソニンの湿布。
8.27~9.1なし
9.2(月)東京新聞エッセイ十篇揃えて送稿。藤野可織木内昇新刊。
9.3(火)神宮球場。昇会。昭和52年5月家族四人で同じヤクルト広島戦を観戦したのを思い出す。
9.4(水)高橋三千綱氏の最新刊「和三郎江戸修行脱藩」を読む。面白い。
9.5(木)田中慎弥「ひよこ太陽」読む。見事な短編集。砂場で浜本氏。
9.6~8なし
9.9(月)首、肩の痛み、だいぶ良くなっている。八割方近く快復といった感じ。
9.10(火)東京新聞本社で来月末からの十回連載用の写真撮影のあと、国会図書館に寄って、清造関係一点複写を取る。…余程のことがない限りは公共機関の利用は避けてきた。申請、請求すれば誰でも等しく見られる同じ資料に当たっているだけでは、到底その作家の、「歿後弟子」を名乗ることなぞできはしない。
9.11(水)夜、近所のとんかつ屋へ酒を飲みに行くも、今月から店内禁煙になった旨を告げられたので、本日を最終回とする。左肩甲骨の痺れ、リリカ、ロキソニン
9.12なし
9.13(金)夜、約ひと月半ぶりに買淫。試運転のつもりが大当たり。さすがに長の禁欲の果ての、その効果は絶大也。プレイ中は肩の痛みを完全に忘れる。
9.14(土)夕方、不要なビンテージ玩具(超合金とキカイダーバットマン等のフィギュア)を売り払いにゆく。全部で十三万円程で買い取ってもらう。
9.15なし
9.16(月)また首の左側から肩にかけての痛みが強く出る。気分が塞ぐ。
9.17なし
9.18(水)首、肩に依然として火傷したときみたいなヒリつく痛みあり。鬱陶しい。
9.19なし
9.20(金)サウナを出た足で買淫。一応、当たりなところが、我ながら浅ましき限り。喜多方ラーメンはやめて、居酒屋に入る。酒は苦し。「富士そば」で春菊天そばをすすって、零時過ぎにタクシーで帰宅。随分と奢侈贅沢な五十二歳、独身の無職者也。
9.21なし
9.22(日)何やら心寂しく、夜、またぞろ買淫。年増なれど、大当たり。マラだけは好調なのが、また悲し。帰途、本日も焼きとん屋に寄りて、一杯。
9.23(月)左首、肩の痛みがまた甚だし。「根津権現裏」再校訂作業も手を付けず。
9.24~25なし
9.26(木)火曜日に行きそびれた病院にゆく。新聞切り抜きと古本パラフィンがけ。
9.27(金)書庫整理で出てきた「俺の新選組」コミックス一気読み。
9.28~10.1なし
10.2(水)町田「記憶の盆をどり」読む。切れ味凄まじき。
10.3(木)早稲田鶴巻町で「本の雑誌」浜本編集長と打ち合わせ。そろそろ、自分も「社会復帰」せねばなるまい。
10.4なし
10.5(土)書庫整理。ようやくの、ブルペン入りといった心境。
10.6(日)夜、再入浴後に外出し、買淫。当たり。肩も充分あたたまってきた感じ。帰途、喜多方ラーメンの大盛り。
10.7(月)九割近く回復。リビングの清造写真など清掃し、再校訂に戻る。
10.8(火)風花で久方ぶりに魔の<明夫ラビリンス>をさ迷う。
10.9なし
10.10(木)サウナの帰途、染井の慈眼寺に寄りて、芥川龍之介の墓を訪う。年二回の墓参を恒例としているが、夏は首肩の痛みで失念していたので、遅ればせながらのかたち也。谷崎潤一郎谷崎精二の墓石にも一寸会釈す。
10.12(土)夜、久方ぶりに店舗にて買淫。当たりなれど、いつぞやのFLASHでの自分の駄弁を読んでいた嬢だったので、些か気がさす。連載再開に備えて、「雨滴は続く」を第一回から読み返す。十五回目まで読んだところで、二時間程眠る。
10.13(日)スーパー、ドラッグストア、再肯定つづき。
10.14(月)再肯定続き。
10.15(火)四谷三丁目で<昇会>。二件目は「風花」に流れる。午前三時に解散。
10.16(水)再肯定続き。
10.17なし
10.18(金)夜、買淫。但、ライトで安価な方の。
10.19なし
10.20(日)日中雑用、夜完全無為。深更二時より「雨滴」第二十四回を書き始める。五か月ぶりの再開。
10.21(月)八枚。久しぶりに「興が乗る」感覚を得る。
10.22(火)~10.23(水)二十七枚。送稿。五か月ぶりに小説書けたうれしさ。
10.24(木)新刊アンソロジー届く。「乃東枯」収録。
10.25(金)「瓦礫」初校ゲラ。
10.26(土)「瓦礫」装幀まわりの雑用。
10.27~29なし
10.30(水)十時前に定宿を出て、まっすぐ帰京。上野駅からサウナにより、夕方六時前に帰室。
11.1(金)「瓦礫」ゲラ戻す。
11.2なし
11.3(日)「瓦礫の死角」のあとがきファクシミリで送る。自分で言うのも何だが、「崩折れるにはまだ早い」(初出「乃東枯」)は「墓前生活」や「芝公園」シリーズと共に、自身の本然の資質がよくあらわれていると思っている。
11.4(月)夜、ホームグラウンドにて買淫。当たり。完投。帰途、喜多方焼豚ラーメン。大盛にせずとも、ウンザリする程の枚数が入っているチャーシューで、腹が一杯になる。読者が十年くらい前に送ってくれたいましろたかしの函入り漫画本を読んでみたらとてつもなく面白い。
11.5(火)眼科定期検査。両眼とも1.2。眼底神経も異状なし。浅草に出張って、久しぶりに演芸ホール。夜九時過ぎに出て、スポット巡礼のち、タクシーで田端のラーメン屋へ。
11.6(水)四谷三丁目で「文學界」清水氏に「雨滴」五か月連続休載を詫びる。
11.7なし
11.8(金)「瓦礫」雑用。清造資料整理。
11.9(土)神保町で、佐藤春夫編集の雑誌「古東多万」の昭和七年の号を二冊拾う。朝日書林に寄って、打ち合わせ。
11.10なし
11.11(月)ドラッグストアで、もう止めようと思っていた、ワンプッシュの白髪染めをついつい購めてしまう。「日乗」整理。
11.12なし
11.13(水)早稲田鶴巻町で山田氏と。
11.14なし
11.15(金)夜、買淫。一応の当たりと言えば当たりの出来なれど、しかし不甲斐なしといえば、そうも言えそうな気配。帰途、喜多方ラーメンの大盛り。室に戻ったあとは何やらぐったりとなり、寝床で水守亀之助の「我が墓標」(大正15年大阪屋号書店)を、まるまる読む。
11.16なし
11.17(日)「瓦礫」再考ゲラ。
11.18(月)「瓦礫」あとがきを書き直す。二枚。これを決定稿とす。
11.19(火)「瓦礫」ゲラ戻す。夕方病院で痛風の薬。赤提灯。ラーメン屋。
11.20(水)随筆「遁走の季節」五枚。「雨滴」二五回。四枚。
11.21(木)昨日の四枚破棄。頭から書き直す。
11.22(金)十五枚で書き終える。
11.23(土)午後から外出。
11.24なし
11.25(月)午前九時起床。入浴。午後、帰京。
11.26なし
11.27(水)「遁走の季節」ゲラ訂正。
11.28なし
11.29(金)清造造月命日。が、今月はわけあって掃苔は延期。改めて外出。
11.30なし
12.1(日)深更、処分用の古本を箱詰めしたのち、晩酌の支度。
12.2(月)随筆「底翳の目」
12.3(火)午後から病院(眼科)。定期健診。新しい目薬二種もらう。
12.4(水)眼科の定期検診。新しい目薬二種もらう。随筆九枚で終了。
12.5(木)講談社から、新刊「瓦礫の死角」の見本が届く。57冊目となる単著。今回も、信濃八太郎氏の装画が素晴らしい。それだけに、カバー(帯も)の紙質はまことに残念。これでは折角の装画の白と黒との不穏なコントラストが映えずに沈むし、書名文字のデザインも眠くなる。実に勿体なし。が、刊行はうれしく、有難い。携わって下すった、すべての方々に感謝。夜、買淫。大当たり。
12.6(金)講談社本館会議室にて、書店用のサイン本作り、有難し。次の作業へ、頭を完全に切り換える。
12.7(土)「文學界」二月号用の短編を「人糞ハンバーグ」と題して書き始める。五十枚見当。
12.8(日)「人糞ハンバーグ」続き。
12.9(月)続き。スーパー。鴨鍋。
12.10(火)夕方、やむを得ず外出。夜半に帰室し、二時間程も寝て酔いを醒ます。
12.11(水)「日乗」整理。
12.12(木)「人糞ハンバーグ」五十三枚で終了。
12.13(金)「雨滴」白旗。サウナに出かけ、その足で買淫。まだ辛うじて陽のあるうちからの雄心解消は、何やら久方ぶりのこと也。原稿を落としたその直後のくせして、当たり。我ながら浅ましい限り。
12.14(土)午前中、病院へ。一昨日辺りから妙に舌が痛むので、耳鼻咽喉科で診てもらう。
12.15(日)平生は「落とした」ことは顧みない方だが、珍しく今回は、その結果に再びの悔いを覚えつつの飲酒。すべては自身の不手際によるものだが、あと一日あれば何とか間に合っていた事態に、どうにも思いが残る。今後の戒めとせねばなるまい。
12.16(月)「日乗」ゲラ。「底翳の目」ゲラ。
12.17(火)午後、病院。舌の痛みの原因、依然ハッキリとせず。
12.18(水)夜六時に室を出て、八重洲BCへ。「瓦礫の死角」刊行イベント、日下三蔵氏とのトークショーとサイン会。喜国雅彦氏と奥様の国樹由香氏も見える。装幀で面倒をかけた浅妻健司氏も。楽しき一夜。
12.19(木)舌の痛みが続くので、別のクリニックに行ってみる。
12.20(金)別の病院の、脳神経外科を受診。リリカを処方してもらう。
12.21(土)夜、不要のビンテージ玩具を持って中野へ。全部で二十七万円で売れる。予想額より十万円とこが高い。有頂天。その足で池袋に回って、店舗型買淫。用心のため舌は使わず。が、当たり。さすがに先様の技が違う。
12.22なし
12.23(月)病院。但、本日は痛風の方の。尿酸抑制薬の処方箋をもらう。
12.24(火)風邪の症状顕著になる。清造資料整理。
12.25(水)区役所と郵便局。そののち病院。「かに道楽」で<昇会>忘年会。
12.26(木)サウナの帰途、慈眼寺で芥川龍之介墓参。
12.27(金)四谷三丁目で清水氏、田中光子氏と忘年会。風花で先夜の痴態を謝罪。
12.28(土)新聞切り抜きと貼り付け作業。角川山田氏と忘年会。
12.29~1.5 記載なし


令和二年(2020年)
1.6(月)前夜から眠らず、午前九時に都立病院へゆく。単なる口内炎にしては長引きすぎているということで、生体組織診。ガラケーで「舌ガン」を検索すると、何だかいちいち、その症状があてはまる気がする。不穏。痛みで、呂律も怪しい状況。
1.7(火)田中英光の全集未収録作を掲載誌で復読。
1.8~10なし
1.11(土)夜、買淫。今年最初なれど、味覚が鈍いと性の感度も鈍し。限りなく外れに近き放液。帰途、それでも喜多方ラーメン大盛りのルーティンを守るも、予想した通りに味気なし。三分の一程残す。
1.12なし
1.13(月)夕方まで無為。五時過ぎに室を出て、わが心の故郷、下北沢に向かう(下町の生まれ育ちを謳っている自分も、先般までの本籍地は、実は世田谷区である)。「B&B」で真梨幸子氏とのイベント。
1.14~16なし
1.17(金)眠らず、午前九時に都立病院へ。14日の朝一番だったが起きられず変更。舌ガン、口腔ガンの疑いはなし。傷口に奥歯がたまさか触れていることが長引きの一因とて、少しく歯を削り取る。午後、口腔外科のクリニックでマウスピースを貰う。
1.18(土)九時に空港へゆき、福岡へ。藤澤清造関連の遠征。夜、買淫はせずに中州で一杯。
1.19(日)夕方帰京。
1.20なし
1.21(火)藤澤清造関連で朗報のメールくる。長の根回しの甲斐あり。また一つ、目標達成の流れ。「雨滴」第二十六回、清造の位牌を卓上の眼前に置いて稿を継ぐ。内容的に、今回はそうせざるを得ない。
1.22~23なし
1.24(金)前夜から眠らず、午前十時に都立病院。
1.25(土)東京新聞に販促写真掲載のOKを出す。
1.26(日)体調悪く終日在室。
1.27(月)サウナの帰途、駅で北陸新幹線の往路の切符のみ買う。
1.28(火)午後、公共機関で清造資料探し。
1.29(水)十時半に室を出て、上野駅へ。午後四時ちょうどに能登・七尾着。常宿に入る。
     第二十一回「清造忌」。仏前での報告事多し。好ましき状況也。
1.30(木)十時に常宿を出て、特急で金沢へ。夕方まで公共機関で調べ事をしてから、新幹線で帰京。
1.31(金)都立病院に行ったのち、公共機関で清造資料の探り。一度帰宅してから、改めて小遠方のラーメン屋に出張って、飲酒。早々に就寝。
2.1なし
2.2(日)夕方、中野へ。一時期集めていた、七十年代のプロ野球カードをすべて売り払う。併せて、十二万八千円程になる。
2.3~5なし
2.6(木)ひと月半続いていた鼻風邪、ようやくおさまりつつある。短編シノプシス
2.7~8なし
2.9(日)清造資料整理。「季刊文科」用随筆「京城とソウル」六枚。
2.10(月)帯コメント書いた「どくヤン!」第一巻開く。根津権現裏の文字に喝采
2.11なし
2.12(水)朝日書林。「本の雑誌」浜本氏と打ち合わせ。「日乗」整理。
2.13(木)公共施設で資料探し。
2.14(金)公共施設で資料探し。
2.15~17なし
2.18(金)公共施設で資料探し。そろそろ小説を書かなければならないが、頭の中は依然、明治期「清造追尋」で一杯の状態。なかなかその気にならず。困ったものだが、仕方なし。
2.19(水)「コーポ・ア・コーポ」帯コメント。
2.20なし
2.21(金)「雨滴」白旗。昨年購入してまだ手を付けずにいた、少なくとも日本近代文学館には所蔵のない演劇雑誌の、大正十一年から昭和四年までのほぼ揃いを調べ始める。中に一か所でも清造の名前の記載があれば書誌記録をつけたのち、〈清造文献資料棚〉の方へと移す。一行一行活字を追っていると、時間がアッという間に過ぎてゆく。
2.22~23なし
2.24(月)夜、買淫。新型ウイルス云々でこの種も何かと不穏だが、久しぶりのこととて大当たり。
2.25~26なし
2.27(木)公共機関に資料探し。夜七時前に終了し、上野に寄り道して鯨料理で飲酒。
2.28(金)午後から公共機関。夜まで過ごす。江戸川駅で下車し、ラーメン屋で飲酒。二十代前半時に煩々と通っていた店。タクシーで帰室。明日の清造命日の掃苔に備えて、早々に寝る。
3.1なし
3.2(月)わが心のふるさと、下北沢OFF・OFFシアター前で講談社の佐藤氏、風花の田辺氏、扶桑社の田中陽子氏と合流し、同劇場で本日まで公演の「風花」アルバイト大場みなみ氏出演作を見る。本来は<昇会>の行事であったが、会長の木内昇氏は欠席。終了後、四谷三丁目、風花。午前三時解散。良き一夜。
3.3~6なし
3.7(土)古書の通販でとんでもない清造資料。自分のこの「清造運の良さ」だけは、今年も依然持続しているようだ。本当に、この点だけは我ながら神がかっているとでも自賛したい程だ。
3.8(日)各種古書目録で資料の大量発注。代金は今年に入ってすでに六十万円を超えている。ダイレクトな清造資料ではないが、間接的に使えるのでやめられぬ。
3.9なし
3.10(火)コロナ騒動で買い占められ、久しく入手が叶わなかったトイレットペーパーが店頭に出ている。十八ロール入りのを確保す。
3.11なし
3.12(木)夕方、歯科医院。口内の傷も完全に治ったので、歯石の除去と虫歯一本の治療。
3.13(金)勝目梓氏の追悼文を三枚弱書いて、「読売新聞」文化部へファクシミリ。十八日付朝刊に所載予定のもの。
3.14(土)「日乗」整理。清造資料整理。
3.15なし
3.16(月)坪内祐三氏の追悼文を八枚書き、「ユリイカ」編集部にファクシミリ。「雨滴」第二十七回を今度こそ仕上げるべく、原稿用紙を広げる。
3.17(火)咳と鼻水の頻度が増す。咳は煙草と古書の埃が原因で、鼻水は花粉によるもの。時節柄もあって外でゴホゴホやると肩身が狭し。買い占められたマスクも依然手に入らぬし、甚だ困ったものだ。
3.18なし
3.19(木)「雨滴」二十三枚送稿。
3.20なし
3.21(土)勝目梓氏の追悼文書いた「読売新聞」
3.22(日)青木正美氏の最新刊「古書と生きた人生曼陀羅図」(日本古書通信社)読む。同人誌「煉瓦」時代の、大先輩となるかたの御著。実に面白くてたまらず、七百ページの大冊を五時間ぶっ通しで没頭し、読了。
3.23(月)口腔外科への通院の用がある都立病院に行きたいが、万が一の(ではなく、わりと高確率でもらいがちな)新型ウイルスの院内感染がイヤなので、しばらくは予約を延期す。サウナも危険といえば危険だが、頻繁に水シャワーで鼻を洗い、うがいをしているので、今しばらくは続けてみる。買淫は、さすがにしばらくの間は自重。五十を過ぎてのエロ本買いも甚だ虚しいが、これは止む無し。性病に対する恐れは鈍麻しているくせに、妙なもの也。
3.24(火)「雨滴」ゲラ訂正戻す。布団に入って、すぐと意識が飛んだみたくして眠る。
3.25(水)家事雑用。ボックスティッシュとトイレットペーパー入手。FAXリボンも。
3.26(木)高橋三千綱「和三郎江戸修行」読む。
3.27なし
3.28(土)夜、今週購入した某雑誌の約百五十冊一括、(これも文芸誌に非ず)明治四十年からの号を調べ始める。朝方五時過ぎにやめて、晩酌。
3.29(日)清造造月命日。本日の、能登七尾への月参り掃苔は休みとす。ここは自覚症状は一切なくとも、流行の「自粛」をするのがエチケットというものであろう。
元より根がエチケット尊重主義にできているが、こんなにして他者の思惑に配慮するようになった辺り、自分も少しは人間的に成長をしたような感じ。――と、思う反面、それをわざわざここで手柄顔でもって書きつけてしまうから、五十を過ぎても冴えない人生のままなのだとも感ず。まあ、所詮はこんなものだ。
3.30(月)古雑誌すべて見終える。追加収穫は一点。
3.31(火)日中無為。「本の雑誌」浜本編集長と会って、所用を済ます。
4.1(水)税理士事務所から書類と納付書が届く。些少の還付金すら、別種の税金と相殺される馬鹿馬鹿しさ。夜、何年ぶりかで古雑誌の補修。紙用のボンドとペーパーナイフでもって、大正期文芸誌四十冊程のほぐれた背を直す。CDをかけながらやっていると、時の経つのを忘れて没頭できる。
4.2なし
4.3(金)何人かに携帯メールを送ったのち、各室の大掃除。夜、青木正美氏の「文芸春秋作家原稿流出始末記」(H30本の雑誌社)を読む。ここから流れた原稿のうち、今、自分の手元には田中英光の「生命の果実」と、川崎長太郎の「女色転々」がある。
4.4(土)補修した古雑誌のノリが乾いたので、保護のパラフィン紙をかける。雑誌の形状に合わせて折り込み、鋏を入れて貼ってゆくこの作業も、実に楽しい。古書店でのアルバイト時代に連日こなしていたその工程は、四半世紀が過ぎても手先の方で覚えているから大したものだ。
4.5(日)浴室の大掃除。これをやると大抵の場合に腰を痛めてしまうのだが、どうにもやむなし。青木正美氏の「古書市場が私の大学だった―古本屋控え帳自選集」(R1日本古書通信社)を読む。(この日から「納豆二パック」(白飯代わり)が始まる)
4.6(月)もういい加減に目の定期検診にゆき、眼薬を貰ってくる必要があるのだが、耳鼻咽喉科と待合室が一緒なので、今は気休めでもマスクがないと、一寸気味が悪い。
で、そのマスクがどこにも売ってないから、いつまで経っても眼科にゆけぬ。難儀なもの也。誰かに頼んで一枚なりとも分けて頂きたいところだが、その貴重なる一枚を割いてくれる程の友人、知人の類が自分には皆無であるのが無念なところだ。こんなときだけは、その事実に些かの痛みと、ほんの少しの悔いを覚える。
4.7なし
4.8(水)講談社から届いていた新刊「平沢計七先駆作品集」(講談社文芸文庫)を開く。編集その他にはかかわっていないが、自分が強く薦めた結果で通った企画。平沢計七の霊の為に目出度し。何やらうれしくて、夜までひねくる。
4.9(木)「風花」の田辺氏から分けて頂いた、未開封三十枚入りのマスクが届く。感謝。
4.10(金)利用していたサウナ、当面の間は自粛で営業休止するらしい。まあ、やむを得ないであろう。しかし、色々と窮屈なものだ。日中、少し慎重を要する手紙書き。三通(うち、一件は葉書)。
4.11~12なし
4.13(月)マスクをつけて病院へ。ようやくに眼の定期検診を果たす。
4.14(火)「雨滴」第二十八回、全く興が乗らず。結句、古書店から届いたばかりの中里迪弥「マロース ロシア・ソヴェト文学反古籠」の拾い読み。
4.15(水)~4.16(木)「雨滴」今回は全くに悪い意味での書き飛ばし、書き殴りの回。
4.17~18なし
4.19(日)寝起き体温チェック、34.8。不安を覚える。「雨滴」思ったほど雑でない。
4.20~22なし
4.23(木)夕方、マスクをつけて板橋方面に散歩に出る。久しくサウナに入っていないせいで発汗甚だし。また矢鱈に小便がつまり、随所随所の公衆便所にて尿を放つ。
4.24~26なし
4.27(月)浴室の鏡を見ながら、自分で散髪。後ろだけは手が付けられぬが、仕方なし。髪を切ると、途端に白髪が目立つ。
4.28(火)古雑誌調べ。収穫なし。
4.29(水)先月に続いて、能登七尾への掃苔は取りやめる。芝公園に佇み、これをもって今月のお参りとなす。清造資料の整理。
4.30(木)久しくサウナに入れず体に水分がたまっている。一昨年の今頃に右目の白内障手術をした際にも、術後感染を恐れて医者の指示通りに一週間顔を洗わず、二週間サウナも我慢したものだが、それが限度也。色々と禁断症状みたようなものがピークを迎えている感じ。
夕方から、百五十枚見当の作に手を付け始める。自身にとって必要な、自己定点観測記である「芝公園六角堂跡」シリーズの一篇としてのもの。まずは冒頭の五枚を固める。
5.1~2なし
5.3(日)コンビニで清造作品複写。六枚以降が定まらず。
5.4~5なし
5.6(水)三部屋分エアコン清掃。五枚の随筆書き。「dancyu」用。
5.7(木)夜、うっかりと新デザインによる、マジンガーZのプラモデル作りに没頭。
5.8(金)「日乗」整理。本日より百五十枚ものに少しく馬力をかけることとす。
5.9なし
5.10(日)日中、清造資料の整理。夜、近所の銭湯にゆき、熱い湯に浸って汗を出す。営業規制中のサウナ代わり。
5.11(月)日中無為。何となく物憂く、DVD視聴。
5.12(火)銀行の所用で外に出たついでに、とんかつ屋で昼酒。ポークソテーが美味。
5.13なし
5.14(木)夜七時過ぎに、銭湯。この時間帯は、わりと空いている。
5.15~16なし
5.17(日)清造資料整理。百五十枚もの、少しく興が乗り始める。
5.18(月)ウイルス的なものの院内感染が怖く、久しく行かなかった病院へ。痛風の薬の処方箋をもらう。
5.19(火)~5.20(水)夕方、銭湯。「雨滴」二九回。送稿。
5.21(木)四時から、エアコンの設置工事。いよいよ調子の悪くなった、リビングのクーラーを取り換えてもらう。さすがに新品は冷えが違う。
5.22なし
5.23(日)日中、ほぼ無為。「雨滴」29回ゲラ訂正。いつもにもまして直し多い。
5.24(日)夕方、散歩に出る。マスクを付けての一時間以上の徒歩は、かなり息苦し。
5.25(月)百五十枚もの、中途までのを読み返してみる。自己採点で、十五点。困った。進むに進めぬまま、時は過ぎゆく。
5.26なし
5.27(水)五十三枚目まで書き進んでいた百五十枚もの、思い切って捨てる。完全に流れがおかしな方向に行ってしまっているので、どうにもやむなし。急ぐ旅でもなし、こんな無駄足もたまには良し。清造資料の整理。
5.28なし
5.29(金)今月も、能登への掃苔は断念。しかしもうそろそろ自分の気持ちの方が限界。ここまで不参が続いて良いわけがない。夕方、芝公園。これをもって追善となす。
5.30(土)バルコニーの鉢植えの紫陽花―その一番遅れていた一房が、ようやくに開いてくれる。計八房の、雨の花。夜、古雑誌(四十六冊)調べ。即ち清造資料の整理。
5.31なし
6.1(月)上原善広氏の最新刊「断薬記 私がうつ病の薬をやめた理由」を読む。自分などは捨て身のようでいて、まだまだ甘な自己愛が強すぎる。で、その自己愛の醜き塊は、今夜も清造資料の整理をこなしたのちに、早めの晩酌をしてしまう。
6.2(火)自分では鋏の届かぬ後ろ髪を切りに床屋へ。散髪後は白髪頭の初老男と化す。
6.3~4なし
6.5(金)随筆所載の「dancyu」七月号、「一人飲みのお勧め本」三冊(清造二冊、英光一冊)の書影がイラストであるのが素晴らしいので保存。
6.6~7なし
6.8(月)眼科定期検診。えらく空いていて、受付から薬を貰って出てくるまでのトータルがわずか三十分弱で済む。
6.9(火)日中、無為。もはや真夏並みの暑さ。日が暮れてから散歩。改めて、百五十枚ものを一から書きだす。「芝公園」シリーズ物との意識に捉われ、少々構えすぎていた。こんなのは、いつも通りに筆をつければ良し。

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<一私小説書きの日乗 這進の章>

令和三年(2021年)
3.9(火)夕方歯科医院。処分用古雑誌まとめる。大正、昭和初期の文芸誌中心。「新青年」「ぷろふいる」も。藤澤清造資料の整理。
3.10 記載なし
3.11(木)四時過ぎ室を出て某所で某氏らとソーシャルディスタンス会合。此度もまた、ソーシャルの上にもソーシャルを重ね、極めてソーシャルなソーシャルに徹す。久しぶりに、鯨飲馬食の一夜。
3.12(金)日中、銭湯。「コンドールマン」DVD、1~12話をぶっ通しで眺めてしまう。藤澤清造資料の整理。
3.13(土)四畳半書庫の片づけ。藤澤清造資料の整理。
3.14 記載なし
3.15(月)藤澤清造関連の調べごとで外出。藤澤清造資料の整理。ひたすらの書き込み作業。
3.16(火)夜、外出。外飲み。
3.17 記載なし
3.18(木)夜、銭湯。「忍者キャプター」DVD延々と眺める。
3.19(金)午後、外出。朝日新聞インタビュー。オピニオン面での、コロナかに卒業シーズンを迎える若者に贈る言葉的な内容。小一時間喋る。藤澤清造資料の整理。書込み作業。
3.20(土)「雨滴」第三十八回。全くはかがゆかず。例の駄目の周期に入ったか。
3.21(日)原稿用紙を広げるがどうにもならぬ。
3.22 記載なし
3.23(火)午後一時、「雨滴」白旗。そそくさと支度して東京駅へ向かう。文字通りの、苦し紛れの逃避。取り合えず、西の方角を目指してみる。
3.24(水)午前八時半起床、十時にホテルを出て日中ブラブラ。今回は古書店系、図書館系、文学系をすべて割愛。飛田新地も割愛。夕方近く、新幹線で更に西へと移動。
3.25 記載なし
3.26(金)夜十一時帰京、帰室。改めて、いろいろな点で出直しを期す。
3.27 記載なし
3.28(日)湊かなえ氏新作「ドキュメント」読む。藤澤清造資料の整理。晩酌も睡眠も割愛。
3.29(月)能登へ。北陸新幹線、先月までと変わって混雑。五時過ぎ西光寺。本堂読経、四十分弱。正座の苦痛は増すも、有難い限り。宿に戻り、飲酒のため外へ。大酔し、ふいと人恋しくなる。毎年この時期の自分は、妙にかような不甲斐なき状態に陥る。そしてヘンに突拍子もない言動を取り、恥の数を増やす。これも持って生まれた宿疾の一つなのであろう。止む無し。
3.30(火)特急で金沢へ。公共機関で夕方まで地元新聞を調べる。
3.31~4.1 記載なし
4.2(金)祖母の命日。平成二十年晩秋以来墓参せず。生きているうちに、自家の菩提寺をもう一度訪う機会の、有りや無しやを。
4.3(土)インタビュー所載の朝日新聞が送られてくる。発言中に藤澤清造を練り込めなかったことが残念。夜、銭湯。洗濯のち、藤澤清造資料の整理。
4.4 記載なし
4.5(月)藤澤清造資料の整理。
4.6(火)藤澤清造文献の重要な古書を二十四年越しに手に入れる。昭和四十年代の小説雑誌、いわゆる中間雑誌。
4.7(水)神宮球場。貴重なる息抜きの一夜。
4.8~4.9 記載なし
4.10(土)一括で購入した大正後期から昭和初期の演芸雑誌届く。五十七冊全ページ、全行を確認。収穫、すなわち藤沢清造の記載は皆無。まあ、たいていはこんなものだ。
4.11(日)仕事机代わりの食卓につく。思うようには進まぬが、とりあえず原稿のマス目は埋めてゆく。松本清張の初期短編四編復読。以前に読んだときほどの感興がわかず。
4.12~4.14 記載なし
4.15(木)「雨滴」第三十八回書き出す。二十五枚書いてファクシミリで走行。
4.16(金)手のほうはほとんど進まず。「忍者キャプター」DVD見てしまう。午後神保町。筑摩版樋口一葉全集第三巻の下をつまむ。残るは第四巻の下のみ。藤澤清造資料の整理。
4.17(土)昼間そろそろ暑くなってきたので、三室分のエアコン掃除。夕方外出し、一人しゃぶしゃぶ。
4.18(日)日中、無為。「忍者キャプター」DVD残り。
4.19~4.21 記載なし
4.22(木)藤澤清造資料の整理。原稿用紙広げ作業。
4.23~24 記載なし
4.25(日)原稿用紙広げる。大泉黒石の全集内容見本入手。全二巻コミックス版「コンドールマン」も再入手。藤澤清造資料の整理。
4.26 なし
4.27(火)某所で今夏刊行というムック本でのインタビュー。一時間ほど喋る。帰途、心当たりのラーメン屋に入ってビールを注文するも、昨日だか一昨日だかから国のコロナ対策の命令で終日酒類提供禁止になったという。呆れて、ものが言えぬ。やむなく、そのままラーメン屋を出る。
4.28(水)眼科定期健診。常用の二種の眼薬もらう。藤澤清造資料の整理。
4.29(木)能登七尾へ。北陸新幹線なかなかの混みよう。夕方五時前西光寺へ。六時半から、本堂で読経。久しぶりに外で大酒を飲むつもりでいたが、なんとこの県内の飲食店も、営業時間、酒類提供時間が前倒しとなっている。石川県なんか時短関係ねえだろ、と、根が大の―病的なまでの石川県嫌いにできてる自分は心中大いに鼻白み、呆れもしたが、まア、これは実際にコロナ罹患者が出ているが故の、当然たる措置なのであろう。仕方なく、小一時間程生ビール一杯と冷酒五合を詰め込むバカ飲みをやってのけ、常宿に戻る。
4.30(金)十時宿を出る。師の月命日墓参という、必要不可欠、火急当日限りの大切な用を済ましたので、あとは真っ直ぐ東京に戻る。帰室後は、藤澤清造資料の整理で時を経てる。
5.1~5.4 記載なし
5.5(水)夕方まで机上作業。今はまだ、黙々と走り込みを続ける感じ。阿部公彦「英文学教授が教えたがる名作の英語」拾い読み。アルファベットの配列も意味も理解しえぬ自分には、畢竟拾い読みしかできぬ類の書。我流で楽しむ。藤澤清造資料の整理。
5.6 なし
5.7(金)日中、外出。夜九時前に帰室。本当に、どこも酒類を出さなくなっていることに一驚。「辻潤全集」第五巻拾い読みで復読。そののち田中英光の長編「青春の河」を元版で途中まで読む。久方ぶりだが、やはり面白い。藤澤清造資料の整理。
5.8(土)夕方中野へゆきて不要のビンテージ玩具を売り払う。今回は予想額をかなり下回る。古本屋で水谷準のゴルフ本を一冊つまむ。本来ならば、このあとは新宿三丁目に廻って一人焼肉を楽しみたいところだが、酒がなくてはどうにもならぬ。なのでやむなく、中野駅前のラーメン屋で中華丼と春巻きを食べ、地下鉄を乗り継いで帰室。リビングの床に寝っ転がり、「青春の河」復読の続き。本当に面白い。良い作也。この一編を知っている自分は幸せ者だ。
5.10(月)取り敢えず、仕事机代わりの食卓に就く。はかがいってもいかなくても、この習慣は断たぬことが肝要。藤澤清造資料の整理。
5.11~12
5.13(木)コンビニへ煙草と菓子パンをもとめに出かけたのち、机上作業。夕方前に集中力が切れ、なんとなく読書。旧角川文庫の坂口安吾安吾港談」「私の探偵小説」共に二十年以上ぶり。藤澤清造資料の整理。
5.14(金)午後、上野ステーションへゆき、とりあえず新幹線に乗る。
5.15~16 
5.17(月)十時にホテルを出る。夜十一時前に帰京。
5.18
5.19(水)午前八時半起床。入浴。日中、机上作業。そろそろ、ブルペン入りといった雰囲気。夜、「雨滴」第三十九回を書き始める。
5.20(木)「週刊SPA」企画で髭男爵山田ルイ53世氏と対談。貴重、かつ有意義な時間。「雨滴」二十三枚ファクシミリで送稿。
5.21(金)「雨滴」ゲラ。藤澤清造資料の整理。
5.22~23
5.24(月)「雨滴」、対談ゲラ
5.25(火)銀行と郵便局で用を済ませ、ついでに食堂にも寄って、鯖味噌と鶏のから揚げでご飯を食べる。帰室後、先述のムック本ゲラ。藤澤清造資料の整理。新入荷分雑誌調べ。結句、収穫ゼロ。朝方四時半から晩酌。すでに外は明るし。この、夜明けの早くなる時期は本当にイヤなものだ。秋の来るのが待ち遠しい。
5.26
5.27(木)「文学界」清水氏と電話でのリモート打合せ。肩も温まり、どうやら目処がついてきたので、種々予定の立て直し。夜、処分する古書の荷造り。段ボール一函。藤澤清造資料の整理。
5.28(金)眼科定期健診。常用の二種の目薬出していただく。酒井順子「鉄道無常 内田百閒と宮脇俊三を読む」宮脇俊三というのは自分には未知の著者であったが、これは未知のままでいては損をしそうだ。面白くて一気に読了。
5.29(土)北陸新幹線で金沢へ。車内は普通に混んでいる。西光寺。どうも先々月くらいから住職の読経が長くなった。二十分が三十分に延びている。有難いことではあるが、しかし正座の足が、その分きつい。また先月に引き続き小一時間のうちに生ビール一杯、冷酒五合を胃の腑に収める。常宿でそろそろ眠気を覚え始めた午前一時過ぎ、突如ドアの外で女性の怒号が響き渡る。もしか狂人で、刃物でも持っていたらいけない故、自分は室の内側にて耳をそばだてたが、どうやら一人で暴れているらしく、声高に叫びつつ(男の名を)他室の扉を殴っているか蹴っているかしてる様子。程なくして宿の人が複数で「確保」した気配に、そこで初めてドアを開け、首だけ廊下に出してみる。見れば、まだうら若き女性である。依然として男の名を叫びながらの、何とも哀れを催す姿で階下のロビーへと連れられていったようだが、人それぞれ、いろいろとあるもの也。翌朝、出立の際には宿の人から、かの女性の狼藉は大酔してのことであり、今朝早々に去っていったとの話を聞いたが、この時短営業下のどこでそんな遅くまで、そこまで我を失える程の大酒にありつけていたのか、その点は甚だ羨ましき限り。真っ直ぐ帰京、帰室。夜は藤澤清造資料の整理にあてる。
5.29~6.2
6.3(木)SPA届く。山田ルイ氏の真摯でナイスなお人柄に感謝。リビングの卓につきて、作業の続き。此度はいよいよの「本番」としての登板。早めの提出を肝に銘ずる。
6.4~6.9
6.10(木)作業止まる。焦らずに引き返す。引き返すよりも無理にも進んだほうがよい、というのは小説書きの定石だが、今回に限ってはスタートに戻って一から書き直したほうが良い気がする。何度でも、自分の納得行くかたちを試したほうがよいように思う。夜は気分転換に読書三昧。山村正夫の初期短編四本と、「上林暁全集」第十六巻の随筆を拾い読み。
6.11(金)銀行、郵便局、スーパー。帰室後、真梨幸子「まりも日記」一読驚倒。傑作。深夜になっても興奮さめやらず。
6.12~6.14
6.15(火)日中、散髪。後ろが自分では切れぬぐらいにグチャグチャになってきたので、やむなく床屋へ。約半年ぶり。帰室後、いまだ作業は中止状態のまま、とりあえず藤澤清造資料の整理。深夜、心ならずも携帯ゲームに時を浪費す。事後に猛省。
6.16
6.17(木)日中、処分する古書の荷造り。持つべきものは、古書組合加入業者の知人也。夜はこの一年近くの間にたまったコミックス本を携えて、ブックオフへ。全部で七百数十円。そのお金で、松屋で牛丼を食す。藤澤清造資料の整理。年譜への転写と、ルーズリーフへの記入作業。
6.18
6.19(土)届いていた新潮文庫苦役列車」重版見本開く。六刷目。併せての累計は三十五万部となる。拙作で最も恵まれ、そして奇跡的に稼いでくれた福の神的一遍。が、愛着はなし。夕方、歯科医院。治療再開。夜、藤澤清造資料の整理。この方の肩も、十分に温まっている。
6.20~21
6.22(火)「雨滴」第四十回書き出す。明治古典会の七夕大入札市とプレミア市の目録が届いたので、いったんそちらに頭を移す。清造関係出品物ゼロ。ヨタ札を投じたい物も特になし。どちらの目録にも、自分の委託出品物がやけに目立つ。朝日書林と電話で話したのち、「雨滴」に戻る。夜七時過ぎに、二十三枚で終了、ファクシミリで送稿。確か昨日から飲食店での酒類提供は再開しているはずだが、出かけるのが億劫になったので室にて晩酌。
6.23
6.24(木)「雨滴」ゲラ。午後四時に銭湯。帰室後、藤沢周世阿弥 最後の花」。
6.25
6.26(土)夕方から外出、外食。外で飲む酒は、やはりうまい。
6.27~28
6.29(火)能登七尾に向かう。今月も北陸新幹線は、普通に混んでいる。五時に西光寺入り。八時過ぎに辞去し、いったん常宿に戻ってから居酒屋にゆく。藤澤清造の故郷での、この独りの夜は大いに好むところ。雑事を忘れて師との対話にいそしむ。
6.30
7.1(木)リビング作業。依然思うように進まず。まさに一歩進んで二歩下がるの感覚。が、焦りはなし。深夜は藤澤清造資料の整理に移行。
7.2
7.3(土)午前十一時起床。入浴。すぐと作業の続き。夕方、来客。宅配寿司を取って酒を飲む。
7.4
7.5(月)昨日の大市開札の結果を聞く。三点ばかり入れたヨタ札は、どれも届かず。自分の委託出品分、ほとんど売れ残る。が、数点の小化けしたものあり。「獄門島」映画資料一括(昭和24年の東横映画版)と乱歩の色紙の他、一か百かの両極になるだろうと予測していた、太宰治の会葬礼状がうまいこと化けてくれた。自分も伊達に、古物商の鑑札は所持しておらぬ。夜半まで、本業の原稿作業に没頭。
7.6(火)日中、少し作業。午後四時半に家を出て、神宮球場へ向かう。某氏らと、ヤクルト阪神のナイター。場を移し、合流者とソーシャルな小宴。久方ぶりに、セクハラなぞも嗜ませていただいた一夜。
7.7(水)引き続き原稿。夕方歯科医院。帰室後なんとなくまた入浴、BSで「刑事コロンボ」眺めてから作業再開。明け方四時にやめ、はがきを二枚書く。
7.8(木)床の修繕業者が来るので、やむなく待機。作業ができず、フラストレーションがつのる。夜八時半に室を出て、某所に向かう。某誌の編集者氏らと打ち合わせ。縁は続く。
7.9~7.10
7.11(日)日中、作業。突如の雷雨凄まじき。今宵は神宮球場のナイターを一人で見に行く予定だったが、グラウンド不良のために試合前中止となる。折角にシーズンシート用のチケットを頂いていたのに、無駄になって残念。球場のカレーライスも食べられなくて、残念。仕方なく、夜は連載「日乗」の整理と、藤澤清造資料の整理に充てる。
7.12
7.13(火)日中、別の作業。某所に提出する資料作り。事前提出を要するケースは初めて也。角川文庫「人もいない春」重版見本開く。五刷目。有難し。夜、仕事進まず。またぞろ笹沢左保木枯し紋次郎シリーズをあれこれ復読して時を経ててしまう。
7.14
7.15(木)午前九時起床。入浴。日中、外出。夜八時半帰室。再入浴してから、仕事机替わりの食卓につく。
7.16(金)日中、無為。夕方、歯科医院。夜、久しぶりに銭湯へ行ってみる。
7.17~18
7.19(月)角川文庫版「一私小説書きの日乗」の重版見本が届く。四刷目。こんな益体もない駄文が四版とは。殆ど奇蹟。有難し。ラーメン屋で中華丼を食したのち、室で「怪傑ズバット」DVDを六話分立て続けに見返す。
7.20
7.21(水)日中、外出。夜七時半帰室。再入浴。
7.22(木)~23(金)日中、やむを得ず外出。夜八時過ぎに戻って、再入浴。「雨滴」第四十一回を書き出す。朝八時過ぎリビング床で三時間眠り、夜八時に終了。FAX送稿。
7.24(土)午前七時半起床。入浴。入浴中に、昨日は葛西善三、本日は芥川の松月命日だったことを思い出す。
7.25
7.26(月)前夜は眠らず、「雨滴」ゲラ訂正。
7.27
7.28(水)午前十時起床。入浴。日中、外出。夜八時半に帰室。
7.29(木)清造造月命日。本日の月命日掃苔は日延べとす。原稿作業に専心。夜九時から床で二時間程眠り、うっかり首の筋を寝違える。ここのところ根を詰めすぎていたのが、原因の一つか。二年前の、やはりこの時期に見舞われたところの頸椎神経根症の苦痛を思い出し、暗澹となる。あれは妙に長引いた。そして本当に痛くて辛かった。あの苦しみを再び―特に大事な作業中たる今は、絶対に繰り返したくなし。往時に処方された、ロキソニン成分配合の湿布が未だ残っていたのは不幸中の幸い。早速首肩に貼付し、痛風時の痛み止めを頓服。原稿を早めに切り上げて晩酌し、本日は寝室にて布団で寝る。
7.30
7.31(土)首の痛み、何となく薄れている。作業の続き。右腕が上がらず。とりあえず指で押して痛いところに、ロキソニン入りの湿布を貼る。
8.1(日)現在の首の痛みが、ちょうど今書いている原稿の内容と合致することに苦笑。ただし、今回は時を経てるごとに痛みが軽減している。夕方近くに、芝公園の六角堂跡に赴く。此度の原稿は、これも自分にとっては「清造資料の整理」の範疇に入るとの気がする。
8.2(月)出口が見えてきたが、本日の内には仕留めきれず。
8.3(火)終章、というか結末部分を保留のかたちとして、とりあえず室にて飲酒。いつの間にか、首肩の痛みは雲散している。此度は大事に至らず。
8.4(水)郵便局で用足しをしたのち、病院に痛風予防の薬を貰いにゆく。
8.5(木)上野から北陸新幹線。一週間遅れの清造造月命日掃苔。午後四時に能登七尾着。駅前の、長らく空テナントだらけであった商業施設に「ドン・キホーテ」がビッグオープンしている。六時前に西光寺入り。七時半から本堂で法要。住職の読経、今月は更に長くなる。三十五分。有難いが、正座の足痛し。
8.6(金)常宿にて午前八時起床。今月も真っ直ぐ帰京。暑いので、タクシーで帰室。再入浴後、歯科医院。清造の随筆の読み返し。
8.8(日)日中、外出。ソーシャルに会食。夜に帰室のち、寝床で読書三昧。椎名麟三祭り。
8.10(火)角川文庫版「田中英光傑作選」の重版見本を開く。三刷目。前回、二刷目のときも述べたが、これは自著の重版よりも、はるかにうれしい。次の短編のネタ繰り。
8.14(土)午後、神保町朝日書林へ。嘉村磯多の自筆葉書一枚を受け取る。内容良。他に開いてる古書店がないので、立ち食いの春菊そばを食べて早々に帰室。夜、手紙の返信を一通書いて投函しにいったついでに、冷凍食品と缶詰類の買い出し。台風が来ているらしき、ひどく涼しい風の夜。
8.15(日)藤澤清造資料の整理。夜、銭湯。少し遅めの時間に行ったら、日曜日にもかかわらず大層にすいている。気分良し。帰室して惣菜パンを食してから、再び藤澤清造資料の整理。パラフィン紙掛けがメイン。深夜二時半より早めの晩酌。手製の納豆オムレツと、缶詰のイワシの味噌煮。この一缶99円のイワシは、美味の上に量もあるので、次はケース買いを決める。
8.16(月)病院へ通風予防薬処方箋もらいにゆく。疫病の院内感染は怖いが、薬の予備も切れかけているのでやむなし。リビング床で二時間眠って作業開始。思うように捗らず。
8.17(火)日中、外出。五時半過ぎに帰室。夜七時過ぎ改めて外出。某所で某氏らとソーシャルに会合。今宵もソーシャル精神を遵守し、ソーシャルにソーシャルを重ねる。
8.18(水)日中、外出。「雨滴」第四十二回。
8.19(木)日中、外出。夜九時に帰室。何やら疲れて頭も気力も停滞状態。
8.20(金)「雨滴」続き。夜七時終了。ファクシミリにて送稿。「快傑ズバット」DVD。
8.21(土)日中、俄かに涼しくなっているので、リビングの拭き掃除をす。ゲラ。
8.22~24
8.25(水)十年ぶりぐらいで「まんが道」第一巻から読み返す。
8.26(木)日中、外出。この調べ事での用も、あと一息。
8.27(金)午後一時半起床。入浴。夜まで、作業。藤澤清造資料の整理。ガスレンジの調子悪し。三口あるうちの二つと魚焼きコーナーはすでに死んでいる。些かのストレス覚える。
8.28(土)午後一時起床。日中作業。夜、藤澤清造資料の整理。本日はどちらも順調。
8.29(日)北陸新幹線、今月はまたガラ空き状態。金沢でカレーパン。五時過ぎ西光寺。夜七時より本堂で法要。今回の住職の読経、四十分強にも及ぶ。ここのところ、何だかどんどん長くなっている。途中で辛抱たまらず、前に手をつき尻を持ち上げて、正座の膝を伸ばしてしまう。
8.30(月)午前八時起床。常宿を出て、今月も真っ直ぐ帰京。車中で作業。作家気分。
8.31
9.1(水)ガスコンロの不調を東京ガスに見て頂く。結果、完全に寿命とのことで交換が決まる。引き続き、作業、殆ど全部が書き直しみたいな様相を呈す。コンロでの煮炊きができなくなってしまったので、冷凍食品と電子レンジに頼る。
9.2~3
9.4(土)日中に作業の根を詰めたら、その反動か夜は無為に打ち過ごす流れとなる。「快傑ズバット」のDVDを眺め、「まんが道」の第九巻から十二巻を読み返す。
9.5~6
9.7(火)眼科。新しい目薬二種もらいにいく。作業の続き。
9.8(水)日中、外出。本日からは、次の調べ事。夜七時前帰室。
9.9(木)日中、外出。夜七時帰室。藤澤清造資料の整理。
9.10(金)日中、古本の整理。夜七時から四時間程も眠り、そののち作業。
9.11(土)終日、作業。深夜三時半に頭の働きが止まる。で、その止まった頭を晩酌に隔離。
9.12(日)午前十一時起床。作業。夜八時半いったん休止、別件に没入。無事に終了し、まずは目出度し。深夜一時前から、作業再開。
9.13(月)作業の合間の仮眠。午後、業者がガスレンジの交換に来る。この新品を得られたことで、これからは自室で焼き魚が食べられる。飲酒、入浴よりも仮眠を欲しつつ、作業を進める。
9.14(火)午前七時に二時間弱眠り、入浴。卓について作業。遅くとも夕方六時までには仕留めたかったが、結句夜九時過ぎに終了。「文学界」編集部にFAXで戻す。これにて、「文学界」十一月号用の中編、「蝙蝠か燕か」のゲラ戻しまでが全終了。夕方から某氏らと、神宮球場の予定だったが叶わず。やむなく十時過ぎに出て、ソーシャルな会合のみに顔を出す。小説なんかよりはるかに大事な野球を奪われ、無念至極。憤懣やるかたなし。
9.15(水)「日乗」整理。一時間強だけ、藤澤清造資料の整理。
9.16(木)「日乗」を「本の雑誌」に送稿したのち、外出。調べ事作業。
9.17(金)調べごとで外出。「蝙蝠か燕か」再校ゲラ届く。初校での直しがいつもにも増して多く、ひどく煩雑になったために、例外的に著者二校をいただく。
9.18(土)宅配便で段ボール二箱分の荷物が届く。四畳半の書庫の棚を二段分空ける。
9.19(日)朝日書林の仕入れを久方ぶりに手伝う。元大学教授が蔵書の一部を処分するに際しそのうちの雑誌の内容を調べるのが目的。夕方六時までかかって、全部を調べ終わる。都合、五点の大収穫。公共機関にも入っていない大正昭和初期の文芸誌も数十点引き取らせて頂く。相馬泰三のあの作の初出も知ることができた。先週の肉筆ものに続いて今週もまた清造資料の新入手。しかも大漁。生きてて良かった。今年の運は、これをもって全部を使い切ったことであろう。
9.20(月)昨日の興奮は引かぬが、再校ゲラようやく手を付ける。ところが再訂正を入れたい箇所が意外なほど多く、次第にスローな感じとなる。
9.21(火)やむなく外出。夜十時近くに帰室。結句、仕事のほうは何もできず。
9.22
9.23(木)前日から引き続いて作業。「蝙蝠」は責了となったが、まだ「雨滴」第四十三回を書いていない。午後四時まで待っていただく。送稿後、また別口で届いていた段ボールの整理。こちらで使えそうなのは個人全集の端本のみ。自分で金を出して手に入れようとは思わぬ。初出版の「太宰治全集」別巻なぞも一応資料用にはねておく。
9.24~26
9.27(月)「雨滴」四十三回のゲラを戻す。心置きなく藤澤清造資料の整理。三週間程も陰干ししていた、特に臭気の強かった古雑誌四冊の黴の匂いがようやくに許容範囲まで抜けていたので、パラフィン紙をかけて書架に収める(正確には、床に積んである方の山に乗せる)。
9.28(火)掌編「煙草屋一景」のゲラ訂正をして、メディアハウス編集部に返送。郵便局、銀行、スーパー。「日乗」半月分整理。
9.29(水)北陸新幹線、今月も車中ではノートと資料を広げて多忙な小説家気取りの態。金沢駅で恒例のカレーパン。七時から本堂法要。今月も読経三十分超える。自分の正座の膝も限界を超える。
9.30(木)金沢で少し調べ事し、夕方の新幹線で帰京。来月からはこのガラ空きの車中もまた混雑状態に復すのであろう。
10.1
10.2(土)不要のビンテージ玩具をもって中野へ。ゲッターロボ関連のソフビ、超合金を売り払う。八万円弱になる。帰途、新宿に廻って久方ぶりに一人焼肉。
10.3(日)右足親指の付け根に不穏な痛み。苛烈なものに変じる。今回は神経の部分を腫れがかすめているらしく、痛み止め飲んでも横臥していてもとにかく痛い。禍福はあざなえる縄のごとし。このところ清造資料の入手がえらく好調だったことによる幸運の反動か。
10.4(月)痛みにより浅いうたた寝で夜を明かし、昼に至る。入浴もできず、悪いことに。煙草もあと一箱しかない。けれど依然、室内歩行もままならならぬ状態。やむなく朝日書林荒川氏に電話して、拙宅まで来ていただく。買い物を依頼。四時間おきに痛み止めをのみ続け、夜になって少しく軽癒。何とか、遅ればせながらの入浴もこなす。五十四歳、ほぼ無職、の境遇でも全然不自由なく生きているが、こういうときのみヤモメ暮らしの我が身の行末といったものを、少しく案ず。
10.5~6
10.7(木)痛風の具合八割がた回復。午後、外出。藤澤清造関連の調べ事。帰室して、一通り届いた文芸誌十一月号の仕分け。中編「蝙蝠か燕か」所載の「文学界」と、読みたい記事のあった「文芸春秋」は脇によけ、その他は封もあけずにゴミ袋へ叩き込む。
(※「読みたい記事」はおそらく「ワーストヨットレース 石原慎太郎」)
10.8(金)午前十一時起床。起きてすぐ、突如出来した緊急事態に少しく取り乱す。有難き協力を仰ぎ、何とか無事に収束。安堵と共に、うれしさの興奮。清造運の良さだけは健在也。本日も調べ事で外出するつもりであったが、予定を変更す。入浴後、代金送付の手配。終日在宅し、三十年程前の古書目録類のチェック。先般の朝日書林の仕入れ手伝い時に、段ボール一箱分を分けてもらったもの。全部見るのにたっぷり二か月はかかりそうだ。
10.9
10.10(日)日中雑用、夜藤澤清造資料の整理。十一月公開の映画のサンプルDVDを見る。
10.11(月)昨日見た韓国映画「ファイター、北からの挑戦者」コメントを送稿。
10.12(火)調べごとで外出。戻って万年床で読書三昧。「久保田万太郎全集」第十一巻随筆編をひたすら復読。
10.13(水)待ちわびていた荷物が宅配便で届く。二十五年間探し続けていた一書。四月には、やはり二十五年探求の雑誌を入手していたが、この九、十月の清造資料運の良さは、我ながら些か異常のレベルだ。これだけ短期間のうちに連続して入手が叶うのは三回目。有難し。深夜、藤澤清造の位牌と件の書籍を前にし、祝杯をあげる。
10.14(木)夜九時、某所へ。某社の某氏と三か月ぶりの打ち合わせ。二件目は、これも久方ぶりに新宿五丁目へ流れてみる。午後三時に解散。外で大酔するのは、やはり気分良し。
10.15~16
10.17(日)「日乗」整理して送稿。「雨滴」第四十四回書き始める。
10.18(月)夕方歯科医院。帰りにスーパー。「雨滴」つづき。
10.19(火)「雨滴」少しく興が乗り、自動書記の状態に入る。二十三枚。
10.20(水)「雨滴」五十一枚で終える。送稿。銭湯。帰室して改めて飲みに出る。
10.21(木)午前九時起床。藤澤清造資料の整理。記述作業。夜打ち合わせ。
10.22(金)午前八時起床。喜国雅彦「ラストシーンは崖のうえ」読む。面白い。
10.23~25
10.26(火)調べごとで外出。夜八時前帰室。三十年ぶりに太田静子「あはれわが歌」復読。初読時同様、田中英光のエピソード部分以外は全く退屈。今はもう手元にないが、昭和24,5年頃の「文芸読物」誌に二つぐらい短編が載っており、それらは一寸面白かった記憶がある。続いて氷川瀧のちくま文庫短編種から四編ばかり復読。
10.27
10.28(木)松尾スズキ最新刊「矢印」読む。時を忘れて物語に没入。また復読したい傑作。
10.29(金)午前七時に清造資料の整理をやめ、上野駅へ向かう。新幹線なかなか混雑。金沢で乗り換えた特急はさらに混む。七尾の先の和倉温泉で遊ぶ者が多いのであろう。自分もたまにはかような湯宿に泊まってご馳走を食べたりマッサージを呼んだりした果てに、一寸小説家気取りで原稿なぞ書いてみたい気もしなくはないが、それをやったら何だか<師>に対して申し訳ないので、やめておく。清造墓に「蝙蝠か燕か」所載の文学界も供える。夜七時前から読経。痛風の残る足指に、正座でかかる負荷厳し。宿に戻り改めて居酒屋。大酔して、帰途歩きながら知人に電話。何がなし、人肌恋しき能登の夜。
10.30~11.1
11.2(火)午前九時起床。調べごとで外出。帰途赤提灯で一人寄せ鍋。木内昇「剛心」読む。
11.3~5
11.6(土)午前十時起床。終日、自室で調べ事。全集本のローラー作業。かような書籍は当然公共機関にも入っているが、煙草も吸えず、BGMも聞けずの窮屈な作業よりかは、古書店で購入して自室で調べた方が気が楽だ。今は全集類の揃いも嘘のように安価になっているし、収穫がなければないで即処分すればよいだけの話である。
11.7
11.8(月)終日在宅。終日無為。阿部公彦「病んだ言葉 癒す言葉 生きる言葉」を拾い読み。西脇順三郎を論じた章に、妙に興味を惹かれる。藤澤清造資料の整理。
11.9(火)午後、外出。調べ事。夜十時前に帰室。
11.10
11.11(木)午後から外出。調べごとの続き。大下宇陀児「奇蹟の処女」復読。三十七年ぶり。ストーリーも何も完全に忘れているので実質初読と変わらないのだが、何故か自分の場合は探偵小説に限っては、初読時以上に面白く感じたものは少ない。けれど、それはそれでよし。
11.12(金)夕方まで藤澤清造資料の整理。某所で某氏らと会合。二件目は新宿五丁目に流れ、そこからは些か狂宴の様相を呈す。なかなかに充実の一夜。
11.13
11.14(日)湊かなえ「残照の頂」読む。名作。夜、池袋に出張って軽く息抜き。ライトで安価な方で済ます。
11.15(月)気持ちが落ち着かず、気晴らしに横浜の伊勢佐木町に出かける。高島町で下車し、戸部を廻って野毛に出る。十九歳時に半年間住んでいた町。小学五年時にいっときだけ移住した船橋市に次ぐ、唯一東京以外の地に住んでいた時期。自分の創作に照らし合わせると「苦役列車」の直後の「やまいだれ」の時期。そして田中英光私小説を初めて知った町。といってもその後は界隈に全く無沙汰をしていたわけではない。現在に至るまで、実にしばしば訪れている。ある意味、自分にとっては浅草や錦糸町以上に、妙に懐かしさを覚える地。本日も一本抜いて飲酒したらだるくなり、ビジネスホテルに泊まることとす。
11.16~11.21
11.22(月)高橋三千綱氏の遺著「人間の懊悩 今は呑みたい」を手にする。と同時に氏が八月に亡くなられていたことを初めて知り、愕然となる。ニュースの類はプロ野球関連のそれしか見ない自分であれば、それも当然そうなるだろう。が、それにしても迂闊だったとの思いが残る。お会いしたのはただの一度きりのことであったが、決して忘れてはならぬ人だ。
11.23(火)「雨滴」白旗。あと一回で完結なのに、駄目な方の周期に入った。不甲斐なし。
11.24~25
11.26(金)夜八時過ぎ室を出て某所へ。某氏と打ち合わせ。新宿五丁目。某氏は一時過ぎに引き上げ、自分は三時過ぎまで粘る。帰路のタクシーで珍しく居眠りし、サングラスを置き忘れる。室に入って気づき、タクシー会社に慌てて電話。赤坂方面に向かっているという当該車に戻ってきてもらい、五時前に無事落手。申し訳なし。以前に社内で煙草が吸えた頃は、百円ライターを置き忘れてしまうことがよくあった。しかし、かようなケースは初めてのこと也。年を取って、いろいろなところが緩んできたか。
11.27(土)少しく思うところあり、本日から室を離れる。明後日の七尾行きも踏まえて、まずは上野から北陸新幹線に乗る。調べ事もあったので富山で下車。久方ぶりのチンケな流浪を開始す。
11.28~12.1
12.2(木)午前七時起床。入浴。やむなき用が出来し、秋田から飛行機でもって一時帰京、帰室。用件一束を片し、夜にまた外出。東京駅へ向かう。とりあえず今夜は名古屋を目指す。
12.3~6
12.7(火)午後帰京、帰室。気持ちの整理はついたものの、些か疲労が残る。散財の額も甚だし。藤澤清造の詠句を思う。雑用一束片し。夜九時過ぎより、「雨滴」最終回を書き始める。前回、完結一歩手前で休載したので、今度はどうしても仕上げなければならぬ。その為に十日間を費やし、あっちをウロウロ、こっちをウロウロしながら崩壊したモチベーションを立て直してきた。が、頭では整理がついても、手のほうが追い付かず。スタートダッシュはおろか、まったくスタートすらできぬままに、本日は晩酌に移行する。発泡酒一缶、月桂冠を冷で五合。ウインナーの中濃ソース炒めと、鯖の味噌煮缶。他に大根おろしと壜詰めのザーサイ。最後に納豆二パックと、インスタントのしじみ汁。
12.8(水)角川文庫「二度はゆけぬ町の地図」十六刷目。実態はともかく、刷数だけならなかなかの大作家。で、大作家らしく深夜からおもむろに執筆に取りかかるが、本日も小学生でも書かぬ文章しかものにできぬ。何より、元より怪しいテニオハが、今回はいよいよおかしなことになってくる。駄目の周期は続く。
12.9(木)一寸本格的な焦りが生じてきたので、すぐと仕事机がわりの食卓につく。しかし、まるで進まず。冒頭の五枚を、何とか固める。
12.10(金)夜までの十時間で、四十五枚を書きなぐるつもりでいた。が、結果は十枚しか書けず。いっかな、没入の自動書記モードに入れぬ。所謂、降りてこないという奴である。来週月曜ギリギリの線まで、期日を延ばして頂く。藤澤清造資料の整理。
12.11
12.12(日)~13(月)日中、「日乗」中途まで整理。お悔み状を一通書いてから、いつだったかに届いていた韓国映画「ファイター~」のパンフレットを開いてみる。夜から「雨滴」に取りかかるも、今回は何やら仕上げきる自信がなし。わずかに十五枚、一時間に一枚のどうしようもないスローペース。やむなく今月も休載し、次号に更に枚数を増やして完結させるよう指示を頂く。とりあえず「日乗」続きを整理して送稿。深夜に届いていた、ダイアモンド・ユカイ氏からのメールを読み返す。今でも気にかけて下さる、熱き人。
12.14(火)午後、外出。藤澤清造関連の調べ事。夜八時帰室。深夜、来年一月刊行という高橋三千綱氏の御遺著への一文を書く。きっかり四枚。元々は三枚の依頼。最長四枚までとのことだったので、上限の目一杯まで書く。ファクシミリで、青志社に送稿。本日の晩酌は、三千綱氏への献杯とす。
12.15(水)早稲田古書街をパトロール(パトロールと称するのは近年ほうぼうで目にするようになり陳腐になった感じなので今回で取りやめ)。収穫ゼロ。藤澤清造資料の整理。
12.16(木)真梨幸子「一九六一東京ハウス」読む。脱帽。藤澤清造資料の整理。
12.17(金)某氏らと忘年会。鯨飲馬食。
12.18(土)スーパー、ドラッグストアで買い出し。夜、古書の整理。処分用のものを仕分け。
12.19(日)掌編「煙草屋一景」を再修正する。作中で煙草を吸いまくる主人公の年齢が何やら問題になっているらしい。すでに原稿料は振り込まれ、全額費消してしまっているので、伏せ字という伝統的手法で問題を解消し、再提出。今回初めてスポンサー付きの小説を引き受けたが、厄介也。これで通ればよいのだが。
12.20
12.21(火)調べ事外出。400グラムビフテキ二枚食べたせいで全く腹が空かず、晩酌は割愛。布団の中で本を読む。島田一男「湖底の囚人」三分の一復読したところで寝てしまう。
12.22(水)銀行と郵便局。本年最後の処分本整理。
12.23(木)神保町で古書店を流したのち、すずらん通り「読書人」へ。新庄耕氏と対談。一時間程度の収録ということであったが、新庄氏には缶ビールとワイン、自分には宝をあてがって下すったので、結句五時間にわたって放談。「純」一本を空けてしまう。新庄氏のナイスなお人柄と、その隠しても抑えきれない反社的な闇の香りに、深く酔いしれたひととき。
12.24(金)日中、無為。池袋東武デパートでお布施袋十二枚、来年一年分の菩提寺へのお詣り用。ついでに来年のカレンダーと封筒類も買う。地下食料品売り場で買ったローストチキン二本と崎陽軒シウマイ弁当で晩酌。
12.25(土)藤澤清造資料の整理。慈眼寺に芥川の墓参。短編「年末の一日」気分を味わう。
12.26(日)洗濯物干したのち、夕方まで書き物作業。朝方まで藤澤清造資料の整理。自分的には充実の一日。傍目には一円の金にも変わらぬ、初老男の不毛の時間。
12.27(月)病院で痛風予防薬処方箋もらう。何やらここ数か月、血圧が低く(正常値には、まだ程遠いが)なり続けている。良いこと也。某社の某氏らと忘年会。二件目の新宿五丁目で自分のみ午前四時まで粘る。セクハラもなき、健やかなる一夜。
12.28(火)町田康「男の愛」読む。奔放不羈。本年の雑用の締めくくり。正月は留守にするつもりなので、年内のうちに済ましておくこととす。
12.29(水)一月初旬に七尾で他の所用ができたため、今月の掃苔はその際へスライド。本日から、またチンケな旅に出る。東京駅にゆき、東海道線に。まずは小田原を目指すことからスタートする。本日は、該地泊り。
12.30(木)十時に宿を出て、引き続き小田原市内。下曽我にも足をのばす。年末の、わが偏愛的私小説行脚。悪くなし。夕方、熱海に移動。予約済みの該地宿に泊る。
12.31(金)十時前に宿を出て、在来線を乗り継ぐ。あとはどこになんの目的もなく、立ち寄る施設も開いてないので、乗り鉄よろしくひたすら電車に揺られ続ける。泊まれる宿が見つからないと困るので、結句大阪までゆく。ビジネスホテルをおさえたあと、繁華街に出て早々に飲酒。雄心も起きぬまま、狭き室にて静かなる年越し。


2022年(令和四年)
1.1(土)午前八時起床、入浴。再び乗り鉄三昧のかたち。但し、東の方向へと戻る。
1.2
1.3(月)午前八時起床、入浴。御殿場線国府津まで出て、も一度小田原の海岸に足を向けたのち、横浜に向かう。
1.4
1.5(水)午前十一時半起床。入浴。日中、藤澤清造資料の整理。夜、八時過ぎに室を出て、某所へ。某社の某氏らと新年会。お会いするのは三か月ぶり。二件目は新宿五丁目に流れ、午前四時に解散。仕事上のあれこれを心に期す一夜。
1.6
1.7(金)午後七時起床。入浴。九日遅れで能登七尾へ。常より早めの新幹線に乗る。所用を済ませたのち、西光寺へ。(※七尾図書館に藤澤清造の著作と自著を寄贈)
藤澤家代々と清造墓を順々に掃苔。夜七時から本堂で法要。読経の終盤近くに、藤澤本家の二男のかたも加わる。終了後、駅前に行って二男のかたと一献。ガンの手術から一年近く経ち、お酒も少し復活させたとのご由。何より。

夢ねじ日記

今朝職場のPCのスイッチを入れたらmedia checking nantara kantaraとかいう表示が出てまったく起動しなくなり焦りまくった。

電源を入れたり切ったり1時間ほど繰り返しているうちに起動するようになったが、こんな風に突然クラッシュされると何もかも上がったりになって今日から路頭に迷いかねない怖さを感じた。

あらゆる場面でアプリとかパスワードとか要求され、時代についていけなくなっている感が強い。実家の母がやっていたファンドラップとかいうやつの残高報告を見て真っ青になる。慌てて証券会社の担当の人に電話したら、2022年の4月ころから下がっているのだという。それは国際情勢の影響ですか、と聞いたら回答されたが意味が分からなかった。年末あたりから毎月日用品や光熱水費がどんどん値上げされている。生活がどんどん追い詰められて気が付くと灯火管制で配給制とかになっている可能性が高い。

忌野清志郎の警告が現実となり、そんな時代にサヨナラするかのようにスタイリッシュなアーティストたちがあの世に旅立っていく(あの世なんてものは存在しないのだが)。

フロイトの夢判断を読んでいるので夢の分析をしたくて仕方がないのだが夢を見たのを全く覚えていないのがくやしい。書き留める前に忘れている。これ自体が何かの抑圧かもしれないと思う。自己の夢を分析することを無意識に抑圧している。

仕方がないのでつげ義春がラーメン屋の二階で昼寝しているときに見た夢を漫画にしたら大傑作と評価されて本人が戸惑ったという「ねじ式」を夢判断してみたい。

上半身裸の少年がメメクラゲに噛まれて海から上がって来る。空には黒い飛行機が飛んでいる。静脈が切断され血が流れているので右手で左腕を押さえながら海辺の道を歩いていく。医者を探しているのだと訴えても誰も耳を貸さない。不安は次第に高まる。

草むした線路沿いを歩きながら、腕の傷に蠅がたかり、腕が腐り始めているのを感じる。線路の向こうからやって来た、キツネのお面を被った子供の運転する機関車に乗せてもらうが、汽車は元の村に引き返してしまう。再び医者を探して村を彷徨うが、目につくのは眼科医の看板だけである。

少年は、金太郎飴を製造販売する一人の老婆と出会う。医者を探していることを告げると、老婆は自分のビルにも女医がいるという。少年は自分の母も金太郎飴を製造していたことから、自分の生まれる以前の母ではないかと問うが、訳は言えないと泣かれ、その秘密は桃太郎と金太郎のデザインにあると納得する。

暗い通路を通って、廃墟のような庭を抜けると、和服の女性が額帯をつけ、机の前で酒を飲んで座っている。窓の外には戦闘中の軍艦三笠が見える。少年は手術してほしいというが、女は私は女医だからと断る。

少年と女医は裸になって蒲団にくるまる。明らかに性交している場面の中で台詞は腕にねじをつける手術をしていることになっている。

少年はモーターボートの後部席に座って海を疾走する。背後に山々と海岸線が遠ざかっていく。少年は腕につけられたねじを見せて、これを締めると僕の腕はしびれるようになったと語る。

<解釈>

フロイトは夢の目的とは願望の充足であるという。たしかに「夢がかなった」という言い方をする。夢はおいかけるもの、その実現を追い求めるべきものとされている。

つげ義春は、この夢の中で、生命の象徴である<血>の流出を防ぎ、<生きる>という願望を充足させている。つまりこれを書いた時点で作者は、もはや<生きる>というだけのことが彼にとっての願望の充足であるような地点にまで死への誘惑に追い詰められていたことを作品自体が示しているのだ。

メメクラゲによって身体に空けられた穴(傷)を防ぐために主人公の少年(つげ義春自身)は海(母体のメタファー、つげが幼年期を過ごした千葉の海)から町(つげが少年から青年期を過ごした都会)へと彷徨う。

少年が医者を求めて彷徨う原因となった<血が止まらなくなる>状況は、つげが赤面恐怖症であったこととも関係しているのかもしれない。

少年が闇を抜けて出会った女医は癒すものとしての母の分身であるがそれ以上に性的欲望の対象である若い女性である。女性は主人公を性と死の世界に導き、流血する静脈の穴を塞いで<ねじ>を取り付ける。

<穴>を塞ぐ<ねじ>が象徴するものはフロイトならずとも明白であろう。作品のシーンの中でそれは隠喩ではなく明示されている。少年は女医との性体験を通じて生命感を再び取り戻すのであった。つげにとって、トラウマ(傷)の克服は性体験を通してなされる、という願望が夢の中で実現されている。対人恐怖症であったつげが、旅先の女性に対しては驚くほど積極的であったことを複数の友人が証言している。

つげにとっての性(=女性)は、美化したり偶像化したり妄想する対象ではなく、なまなましい現実であることが明らかにされている。血を止めるために、生命が肉体から流れ出ないようにするために切実に必要なものがつげにとっての女性という存在である。

女医に出会うまでに少年が遭遇するのはすべてよそよそしく不気味な他者ばかりで、裸のまま弱って彷徨う自分を睨みつけてくる無数の<眼>である。唯一女医のもとへ導く存在である老婆だけが少年に親しみを感じさせるのだが、老婆は少年の愛を受け入れることができない。フロイト流に言えば金太郎飴はペニスの象徴であり、老婆と少年が互いに金太郎飴を折るという行為が何を意味するかは自明であろう。少年と老婆の間に情愛を超えた性愛関係は成立しないのであり、それは少年(つげ)にとって救済とはなりえないのである。

過ぎ行く日々

気が付くと1月が終わっていた。先月だけで、ジェフ・ベック高橋幸宏ビング・クロスビー、アンソニー“トップ”トプハム(ヤードバーズの初代ギタリスト)、トム・ヴァーレイン、そして鮎川誠の訃報があった。ロックの全盛期である1960年代、70年代に活躍したミュージシャンが70~80代になっていることを考えれば、これからも大物ミュージシャンの訃報は相次ぐことになるのだろうが、ひとつの時代の終焉を感じる。

宮台真司を襲撃した犯人が昨年12月の公開捜査直後に自殺していたことが分かったとの報道。ビデオニュースで宮台本人からのコメントが公開されたが、どんな背景を持つ人物だったのか、動機は何だったのかなどまだまだ謎が多い。解決したとはいえないし、喜ぶべきことでもない。

気が塞ぐようなときに明るく元気をもらえるのはアイドル関係くらいしかないのだけど、昨日見て癒されたのはVIVIZウナさんの「リムジン・サービス」。

5歳の時に「デジモン・アドベンチャー」の歌を歌ったのが初舞台だとか。

一度は諦めて普通に進学しようとしたという話も。

天性のアイドルにしか思えない彼女にも色々あったのだと思うと感慨深い。

この「リムジンサービス」が今の歌番組で一番よい。

そしてわれらがラフ×ラフも2月11日の「オールナイトニッポン0」でのデビュー曲解禁に向けて特訓に励んでいる。

今日は永松さん以外のメンバーについて一言ずつ書いておく。

細かいプロフィールとかは興味ある方はぐぐってください。

齋藤有紗

リーダー。R-1予選に出場するなど「お笑い志向」が強い。佐久間Pに直談判した「元青春高校3年C組アイドル部」出身で、Twitterのフォロワー数も多い。性格の良さが伝わる前向きなオーラが魅力。

佐々木楓菜

高校生組。アイドル性が高く、思わず守ってあげたくなるような優しい感じのオーラが魅力。

高梨結

グループの中では年長で引っ張っていく役割を期待されているよに思う。身体能力高そう。齋藤とも共通する前向きなオーラが魅力。

永松波留

注目は彼女のオーディションの歌声から始まった。以前の記事参照。

夏目涼風

ルックス、性格共に正統派アイドルを思わせる。実はとんでもない天然の片鱗を覗かせている。

林未梨

特技が剣道、読書も好き。ちょっと変わり種の、媚びないアイドルという新しさを感じさせる。ひょっとしたら化けるかもという可能性を感じる。

日比野芽奈

もう一人の「元青春高校3年C組アイドル部」出身者。芸歴が長いせいか一番芸能界的な匂いを感じる。メンタルの弱さの克服が課題らしい。

藤崎未来

林さんと並んで、新しさを感じる高校生組。今ちょっと方向性に悩んでいる様子もあるが、いったん弾けると相当な飛距離がありそう。

吉村萌南

アイドル性高いルックスに、頭の良さ、育ちの良さも感じさせる万人受けしそうな存在。癒し系の魅力を発揮すればかなりのところまで行けそう。

 

まだまだ未知の部分が多くて先も見通せないが、Youtubeチャンネルは佐久間Pの人脈を駆使した豪華な企画が多く、アイドル・ドキュメンタリーとして面白い。

お楽しみはこれからだ、という時期が一番ワクワクする。

そう思って

やろう

物語のように

85(35)

つげ義春の海は、彼自身が「断片的回想記」で書いているように幼少時の記憶と分かち難く結びついているのだが、しかし、それは単に「幼少時の記憶」と呼べるものなんかではなく記憶よりさらになまめかしく喚起的な、ある別の、わたしたちの魂の構造に関する秘密の海なのである。

金井恵美子

引用した金井恵美子の一文は、この本(つげ生誕85年【休筆35年】を祝い捧げられた偏愛エッセイ・評論集)で見つけたつげ義春についての珠玉の考察のうち最もインパクトの弱い部類に属するものである。

先日調布市の主催で「つげ義春展」が開かれたのを会期が終了する日に知って、無念にも見に行くことができなかった。大盛況で、連日長蛇の列ができていたという。

リアルタイムでつげの作品に接したことはないが、もう読み返す必要がないほど彼のいくつかの作品は自分の身に染み込んでいると思う。

柄にもなく私小説を読み始めたのも、つげ義春が「私小説しか読まない」とどこかに書いていたのに影響を受けたからだ。

50歳で作品を書かなくなり、それ以後は奥さんを亡くしたり色々大変だったようだが85歳になっても健在ということは、他のマンガ作家たちが命を削って作品を生み出し続けて燃え尽きてしまった人も多いことを考えると、賢明な生き方だったと言えるのかもしれないなと思った。。