INSTANT KARMA

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Ice Age in a Warming Globe

厚生労働省が、2023年の1年間の出生数が75万8631人と8年連続で減少し過去最少だったと発表したことを受け、林官房長官は27日の会見で「少子化の進行は危機的な状況。若年人口が急激に減少する2030年代に入るまでのこれからの6年程度が少子化傾向を反転できるかどうかのラストチャンスであり、少子化対策は待ったなしの瀬戸際にあると受け止めている」とコメントした。

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日本は2008年の1億2808人をピークに人口減少に転じていて2023年には1億2242人だったと言われているんだよ

 

 

日本ってもう15年くらい人口が減り続けているんだよね 

 

もちろんこうなってしまったのは氷河期世代に原因があるんだけれど氷世代が子供を産まなかったからっていうこと

 

まあそういうことだよねやっぱり氷河期世代が子供を産まなかったのは日本にとって通婚の一撃だったね

 

そんなの分かっていたことだからなんとかできるはずだったと思うんだけれどねえ

 

日本が人口減少に展示始めた2008年と言ったら氷河期世代が続々と30代になり始めている頃だったんだよね

 

でもこの頃の氷河期世代は結婚出産どこではなかったから日本が人口減少に転じ始めちゃったんだよ

 

そうだったのか

 

女性の初婚率っていうのを見てみると20歳から24歳の女性の初婚率は1972年をピークにどんどん低下しているんだけれどまあ今時24歳までに結婚するっていうのはなかなかないよね

 

まあそうだね

 

ちなみに1972年がピークだったっていうのはこの前後で1970年から1973年の4年間に第2次婚姻ブームっていうのがあってこの4年間は婚姻数もすごく高かったんだよ

 

そんなことがあったのか

 

この頃は婚姻数が年間100万件を超えていて今の倍以上の婚姻数を記録していたんだよ

 

今の年間婚姻数ってどのくらいなの

 

うん今の婚姻数は2023年の推計値で約46万円っていうことなんだねえ

 

年間100万件あった婚姻数が今は46万円しかないの

 

そうなんだよねちなみにこの婚姻数はこれからの3年間で減少し続けることがほぼ確実と言われているんだよ

 

え なんでこれからの3年間は確実に減少するの

 

今日本では付き合ってから結婚するまでの期間が大体3年くらいっていうカップルが多いんだよ

 

ああ確かにそんな感じがするね

 

そう考えると2023年に結婚したカップルは2020年に付き合い始めたカップルなんだよね
でも2020年以降の3年間はコロナの影響で付き合い始めたカップルがどんどん減っていると思うんだよ

 

その影響が3年間に渡って続くということか

 

そうなんだよねそれで今の倍以上の婚姻数を記録していた頃に生まれたのが第2次ベビーブームの人たちでこの人たちが氷河期世代の戦闘にいる人たちなんだよね

 

それでこの人たちが続々と50代の仲間入りをしているんだね

 

そうなんだよそれでこの人たちが結婚し始める20代になってきたのが1990年代になるんだけれどこの頃まではなんとか婚姻数もそんなに減らないで横ばいできていたんだよ

 

本当だ確かに横ばいだね

 

ところが氷河期世代が20代後半になると婚姻数がどんどん減り始めちゃったんだよ

 

えそうなの だって氷河期世代の戦闘って言ったらすごく人数が多いわけでしょそれなのに婚姻数が減っちゃったの

 

うんそうなんだよ1番人口の多いボリュームゾーンが結婚的レキに入ったのに婚姻数が減るっていうのは異常なことだよね

 

当時はそんなことが起こっていたのか

 

この時は日本が景気良かったわけではないけれど90年代のバブル崩壊の生産にある程度目処がついた時期だったんだから本当は氷河期世代の対策をするべきだったんだよね

 

この頃なら氷河期世代の戦闘もまだ20代だからいろんなことが間に合ったはずだよね

 

そうなんだよところがこの頃政府が打ったっていうのがその真逆のことばかりだったんだよね

 

どんなことがあったの

 

うん まずは1997年の消費増税だよね1997年と言ったら人口ボリュームが大きい第2次ベビーブームの中でも1番人口の多い1973年1974年生まれが大学を卒業して社会に出る年だったんだよ 

 

ちなみに1973年1974年生まれの人ってどのくらいいるの

 

うん 1973年生まれは2030人いて1974年生まれは198人いると言われているんだよ

 

2023年の出生数は69000人だからいかに多いかっていう話だよね

 

氷河期世代は人数が多いとは思っていたけれどそんなに多いんだね

 

それでこの人たちが社会出るタイミングでこの消費税増税が地味に聞き始めるんだけれど

 

そういえば増税ってどんな影響があるの

 

ま普通に考えて買い物する時の値段が上がるわけだから実質的に物価が上昇して箇所分所得が減るっていうことだよね

 

でもその物価上昇よりも給料が上がればいいわけでしょう

 

んそうなんだけれどこの1997年の消費増税の時はお給料が上がるどころかこの消費増税の後からだらだらと給量が下がり始めちゃったんだよ

 

それじゃあ真逆じゃん

 

うん今も物価が上がっているいのにお給料が上がらなくて苦しいと思うんだけれど

 

え 今は物価も上がっているけれどお給料も上がっているんじゃないの増勢メガがそう言っていなかった

 

いや今も給料は減り続けているんだよ 内閣府が発表している家計科処分所得統計で見てみると物価上昇分を調整した税や社会保険料を差し引いた実質箇所分所得っていうのは2020年4月6月期からずっと下がり続けているんだよ

 

そうなんだおかしいと思ったんだよねお給料が上がっている人なんてそんなにいないよね

 

まあ大企業を中心に上がっているところもあるんだけれど物価上昇にそれが追いついていないっていうことだよね

 

それだったら意味ないじゃんね

 

それで1997年の消費増税の時も同じことが起きてこのことが引き金となって日本経済は一気にデフレスパイラルへと突入していくんだよ

 

ああそれでデフレになっちゃったんだね

 

だからこの頃に氷河き世代の人たちが社会人デビューしたってっていうことだから氷河期世代の人たちはお給料が下がり続ける中でのデビューとなってしまったんだよね

 

それは氷河機世代の人たちは何も悪くないじゃんね

 

そうなんだよねでも氷河き世代の人たちはこういう境遇だったから結婚的レキになっても結婚どころではなかったんだよね

 

それはそうなっちゃうよね

 

それで1997年の消費増税を境に出場率がぐんぐん上がっていってああ就職表書きっていうくらいだからと時氷河世代だった若者がその煽りを食らっちゃったのか

 

それで小泉内閣が成立した2001年には失業率の統計が始まった1953年以降の半世紀で初の失業率5%を突破したんだけれどこの頃仕事がなくて就職を諦めた人なんかを入れた実質的な失業率は10%を超えていたっていうことなんだよね

 

日本でも実質的な失業率が10%超なんてそんな時代があったんだね

 

こんな状況だったからこい内閣もどうにかしないといけないっていうことで製造量への派遣解禁なんかの規正規労働者を拡大する政策へと火事を切るんだよね

 

ああここで非正規雇用の人が生まれてしまうのか

 

そうなんだよもう普通に雇ってもらうことを諦めちゃって何でもいいから失業者を減らそううっていうことで正規雇用の人を大量に増やしたんだよ

 

竹中平蔵の顔がちらつくね

 

まあ今でもこのことを思って小泉竹中の構造改革が日本の格差を広げた日本を貧乏にしたっていう批判があるんだけれどその批判に対して竹中平蔵小泉内閣で失業率は下がったイ景気子への好景気を実現したって反論するんだけれどそんな正規雇用を増やして失業率を改善させたところでそんなのダメに決まってるじゃんね

 

やってることがマッドサイエンティストと変わらないよ

 

うんそうなんだよねそんな手口を使わずに最近ではデメリットばかりが注目されるけれど日本の雇用の特徴だと言われている就寝雇用のいいところを残したままなんとか立て直すのが本来やるべきことだったと思うんだよ

 

就寝雇用にいいところなんてあるの

 

そりゃなんと言っても将来への安心感が違うでしょいつ首になるかわからないなんていうところじゃ働けないでしょ

 

ああそれはそうだね

 

しかも当時は氷河機世代が結婚的レキになっているのに婚姻数が減っているっていう国家の危機的状況だったんだから

 

まその当時は国家の危機的状況なんていう認識がなかったんだろうね

 

この話で思い出すのが2012年の2チャンネル「今春の大学卒内定率80%8万人就職決まらず」っていうスレッドに書かれたコメントなんだけれど

 

なんて書いてあったの

 

本来ならお願いしてでも20代から40代なんて安定雇用で全員が働いていただいて結婚してもらって子供最低2人以上できれば3人4人と産んでもらわないと困ることになるのは少し考えれば分かると思うんだよ

 

もう全てがその通りだね今の令和の世の中みたいに少子高齢化に怯えて閉塞間満載の社会が待っていることなんて分かっていたことじゃんね

 

それなのにその現役世代が最初の就職ごときですら非想感漂わせながら必死に給食活動しないといけなくてつまづくような社会にしてしまった そして1度つまづいたら2度と戻れない社会を弱者を馬鹿にしてそのまま放置してきたってこのコメントは続くんだよ

 

全くその通りだね

 

それで現役世代に金の不安を与えたらそれが非婚化少子化に直結するのは当たり前のこと本当に馬鹿だよって書かれていたんだよね

 

この当時から非婚化少子化が問題になっていたのに何も手を打たなかったんだね

 

うん全く何の対策も取られていなかったんだよ

 

結局当時は就職できない人をニートとか派遣とか馬鹿にして笑い物にして自己責任だの甘えだのクだのゴミだのと叩くような社会だったんだよ

 

そうだったのか

 

それでさのコメントにはまだ続きがあって社会全体でニートだ派遣だと弱い男性を笑い物にしてク扱いしてこんな人間誰が取るよ笑とか言って余裕ぶっこいてた会社員様が超少子高齢化人口現象による内需の縮小で自分の所属してる企業が大赤で潰れるそして年金も破綻し国ごと崩壊

 

ああそんな未来がこの国には待っていそうだね

 

今自分がこの日本という豊かな国で豊かなインフラで幸せに生活できてるのはどこかの他人が子供を作ってくれてその国力によって維持されてるものなのに昔の異性者はそれが分かってた全員揃って豊かにならないと国は決して反映しないことを知ってただから底辺を見捨てなかったってコメントは続くんだよ

 

なるほどねでもこれって団塊の世代がダメだったっていうことなんじゃないかと思うんだよ

 

え ここで団塊の世代批判が出ちゃう

 

だって団塊の世代より上の世代は戦争を経験しているからどうどうやって復興してきたかっていうのが身にしみて分かっていたと思うんだよ

 

ああ戦後やけの原からの復興っていうやつだよね

 

ところが団塊の世代は戦争を経験していないから先人たちが作ったインフラとかそういうものがあって当たり前だと思っちゃっているんだよ

 

団塊の世代なんて上の世代へのリスペクトがないくせに自分たちを敬えっていう本当に自分勝手な人たちだもんね

 

だから氷河き世代が社会に出て困っている場面でも自分たちさえ良ければいいっていう本当に自分勝手な振る舞いに収支しちゃったから先々のことを考えて表書き世代をどうにかしようなんていうことにはならなかったんだよね

 

ああ団塊の世代がネックになっちゃっていたんだね

 

それでさっきのコメントでも同じようなことを言っていて自分だけ金持ちでいられるなんてそんな虫のいい話はないんだよね 金持ちになるには庶民に自分とこの商品を買ってもらってなんぼなんだから

 

ああ団塊の世代が自分勝手なのをミスかしているね

 

さらにその庶民をないがしろにして子供埋めないような状況になっても自己責任努力不足と吐き捨ててたら自分とこの商品買ってくれる人がいなくなるのは当たり前のこと それで今超一流企業様の自動車産業すら危機に瀕してるからねってこのコメントは続くんだよ

 

うんやっぱり氷河期世代は若い頃に救うべきだったよねそれで安泰と思ってた自分の企業がその報いを一心に受けて潰れる日が来るなんて夢にも思ってないんだろうね

 

人を大事にしなかった国は滅びる弱者を馬鹿にして見捨てた報いは全て自分に帰ってくる因果応報っていう言葉でこのコメントは終わるんだよ

 

このコメントには誰も何も言えないでしょ

 

うんそうだよね

 

2チャンネルのコメントで10年以上前にこういうことを書いている人がいるくらいだからこのことに気づいている人はいっぱいいたと思うんだよ でもこの国は氷河き世代を救う方向には一切向かわなかったんだよね

 

そうだよね今に至るまで表世代を救うなんていう話はどこにもないもんね

 

もちろん氷河期世代が結婚的レキになって婚姻数が下がっているところで手を打つのが良かったと思うんだけれどその機会を逃したとしてもこのコメントが出た2012年のタイミングでもまだ氷河器世代の多くは30代だったわけだからものすごい効果があったと思うんだよね

 

そうだよね人口ボリュームの大きい表書き世代が2010年代にたくさん結婚してたくさん子供を産んでいれば今頃日本の計は全然違ったはずだよね

 

そうなんだよそれなのにこの国はそこに目を向けないで2010年代に成立して長期政権になった安倍政権はデフレ脱却することだけを考えて氷河期世代を救うことなんて何も考えなかったんだよ

 

でも当時はデフレが長すぎてデフレ対策が重要だったんでしょ

 

それはそうだけれど結局日本経済なんて子供がたくさん生まれれば将来の不安が解消されて全て解決なんだから

 

えそうなの子供がたくさん生まれればそれで解決なの

 

だって今日本の現役世代を追い尽くしている不安の正体ってこれでしょう

 

んそうだね今の高齢者を現役世代が支えなくちゃならないのに自分たちが高齢者になったら支えてくれる人がいないっていうのは納得できないし不安だよね

 

日本でたくさん子供が生まれてこの状態が解消されるだけでもかなり変わってくると思わない

 

そりゃそうだよこの問題がなくなるなら安心できるっていうもんだよね

 

明るい未来が見えてくるよ

 

そうなんだよ ところが氷河期世代を救う最後のチャンスを持っていた安倍政権は少子化対策に力を入れるどころかさらに老後2000万円問題とか持ち出してきて現役世代の老後の不安を煽るようなことしかしなかったからね

 

もう全然真逆じゃん

 

そうなんだよ今になって岸田政権は少子化対策とかしているけれど人口ボリュームの多い氷河器世代が40代50代になってしまった今となっては完全に手遅れだよね

 

そうだよね人口ボリュームの多い世代が子供を生むことで効果が出るんだもんね

 

それでいて岸田政権は貯蓄から投資へなんてことを言い始めて老後のことまで自己責任へと話を徐々にずらし始めて不安を煽っているんだからどうしようもないよね

 

安心してもらうのが政府の役割なのに不安を煽っているのがあのクソメガなのか

 

でも岸田政権もどうしたら良いか分からないと思うんだよ 氷河期世代を放置しちゃったせいで日本国内で2極化が進んじゃったからうまくやらないと社会不安に繋がりかねないし下手したら本当に日本が崩壊するなんていうことも起こりうると思うんだよ

 

でもそれって全部今までの政府が氷河き世代をないがしろにしてきたからでしょ

 

そうなんだけれど岸田総理はこれって俺のせいって考えるタイプだと思うからなんとか自分のせいにならないようにすることだだけで正一ぱいだと思うんだよ

 

いやそこは戦闘に立って日の玉になってもらわないとね

 

もうすでに日本では大企業と中小企業都会と地方高齢層と若年層っていう規模地域年齢とかの諸々の2局分化格差の拡大と固定化が進んじゃっているからどうにもできないと思うんだよ

 

もう日本は分断されちゃっているみたいじゃん

 

その中でも人口の多い氷河き世代の問題っていうのは大きな問題だとも思うんだよね

 

氷河器世代は正規雇用のまま中年になってしまった人も多いから障害賃金格差が取り返しのつかないくらい広がっちゃっているんだよ

 

うんそれは間違いないね社員と非正規雇用の格差って老後に受け取る年金なんかも入れてトータルで考えると4倍くらいあるんじゃないかっていう話もあるんだよ

 

えそんなにあるのまずいじゃん

 

こういう格差性所得の再分配をするのが政府の仕事なんだけれどなんだかよくわからない補助金を出すだけで根本的な解決をしようっていう気が全く見えないのも問題だよね

 

そういえばなんだかよくわからない補助金って最近多いよね

 

それで氷河期世代の間では所得格差が広がって既婚化少子化なんかの様々な問題が起きちゃったけれどこれからも生活基盤の劣化過重な労働実態過労による労災件数の増大ワーキングプアの増加うつ病孤独なんかのリスクがこれから降りかかってくると思うんだよ

 

氷河世代は今までも大変だったけれどこれからも問題山積みだな

 

まあ氷河世代が社会に出てからずっとやばいのはみんな分かっていたのに誰も手を差し伸べなかったんだからしょうがないよね

 

うん氷河き世代が下に見捨てられてきた世代だったのかよく分かったよ

 

今更分かっても遅いんだけれどね

 

最後までご視聴ありがとうございました

君はそう決めた

朝目覚める前にいい夢(吉兆夢)を見たので忘れないうちに書く。夢の中で自分がなぜか小田原ドラゴンになっていて、北川景子から「こないだ出てた映画見ました。私あの原作好きなんで羨ましかったです」と褒められるという俺得しかない内容。

小田原ドラゴンのマンガに、ある冴えない中年男が突然石田ゆり子を妻にしようと決意して奮闘する『突然なにかに目覚めた男』という名作があるが、その影響ではないかと思ったりした(読んでないんだけど)。

病院から帰って来た猫は、手術跡を舐めるの防止用の帽子(エリザベスカラー)が不自由そうだったが、とりあえず無事な様子だったので一安心。

神経質で一日中毛づくろいしてる奴が入院中はまったくできなかったので体中がフケだらけだったとか。いろいろと不自由な思いはあると思うが、今しがた排尿したのを確認。しばらくはリハビリ期間。

オカルト日記

昨日図書館に言ったらリサイクル本のコーナーに『あなたもできる幽体離脱』みたいな本が置いてあったので、1回読んで捨てようと思って持って帰る(リサイクル本はブックオフに売っちゃいけないので捨てるしかない)。

ベルクソン『時間と記憶』を読んで発狂しそうになった頭で寝る前に幽体離脱本を読み始めたら、文章は脱力系だがグルジェフとかシュタイナーとか出てきて後半は著者の魔術修行(?)みたいなことも書いてありつい深夜まで読み耽ってしまう。

自分は幽体離脱みたいなことはしたくないが、こんな本を読んだ後だからしちゃうかもなという一抹の予感みたいなのはあった。

そうしたら案の定明け方にゴーッという耳鳴りがして、動悸がバクバクになった。このままだといっちゃうかもな、と思っていたらそこまでで終わった。あの本に書いてあったところによると、準備として自分の幽体を身体の外にイメージしてそこに気のエネルギーを充電しておかないといけないらしいが、そのパワー不足か、やはり恐怖心があったためかなと思った。

自分は金縛りにもなったことがなく、いわゆる霊的体質とは無縁である。ただ昔精神世界にハマっていたころに瞑想みたいなことをやっていたせいでほとんど目覚めている間はずっと眉間に持続的な圧迫感がある(ヨガではアジュナチャクラという場所)。別に不快な感覚ではない。時々棒の先をグリグリ押し当てられているように強くなる時がある。これ以上書くとどんどん変な方向に行くので止める。

 

読んでみて感じたのが、ベルクソンの哲学はほとんどオカルトである。妹のミナが入団した(ていうか夫が創始者だった)魔術結社「黄金の夜明け団」のウィキペディアによると、この団体では

アストラル投射と称される夢見技法も持てはやされていた。黄金の夜明け団はこの夢見技法をマニュアル化しており、かなりの個人差はあったがそれなりの確率で白昼夢の世界に入り込むことができたようである。アストラル投射の手順とは、特定の象徴物を凝視しながら意識を集中し自分自身がその象徴の中に入り込むように想像力を強く働かせるというものであった。熟達するにつれて始めはむりやり想像していたイメージの実感が徐々に明確になり、ついには立体化した想像空間が意識の集中を離れて自動的に脳内で織りなされるようになる。それがアストラル旅行の出発点となった。スクライング(水晶占い)との違いは、より能動的に幻視された世界を動き回れることである。凝視する象徴物の組み合わせを変えることで、アストラル旅行の内容も様々に変化するという奥深さが多くのアデプトを虜にした。前述の生命の樹を中心にした象徴照応教義はこの時に最大活用された。ただし情緒不安定を誘引するという副作用も指摘されており多用は戒められていた。

アストラル投射(アストラル・プロジェクション)とは幽体離脱のことで、図書館からもってきたリサイクル本はW・E・バトラーの「魔術入門」がテキストになっていた。

このリサイクル本の著者の名前でググるのはやめておいた方がいいと思ったのだがつい調べてしまう。

やっぱり調べない方がよかった。

明日は病院から猫が帰って来る予定だが、病院ではずっとキレ散らかしていたみたいで、家に戻ったら暴れまくるか人間不信になって人の手の届かない場所に籠るのではないかとの不安もある。暴れるくらい元気ならいいんだが。

徹子効果?

人類は、自ら成し遂げた進歩の重荷の下で、半ば押しつぶされて、呻吟している。

人類は自分の未来が自分次第だということを十分に知ってはいない。人類は、まず第一に、自分は生き続けようとしているのかどうかを考えてみなければならぬ。

次に、人類が自ら問うべきことは、自分はただ生きていくことしか欲していないのか、それとも、そのほかに、神々を作るための機関である宇宙の本質的な機能が、反抗的な我々の地球の上においてでさえ、十分に遂行されるのに必要な努力を提供しようと欲しているかどうか、ということである。

ベルクソン『道徳と宗教の二源泉』

ベルクソンの『物質と記憶』を読みながらあまりにも意味が分からなくて発狂しそうになる。ラカンのときもそうだったが、ラカンは知的詐術の匂いがしたのに対して、こっちはそういう感じはしない。しかしたぶん翻訳の問題(フランス語を日本語にするとどうしてもニュアンスが伝わらない)と、ベルクソンの考えていることがあまりに習慣的な思考と異質なので、厳密に表現されればされるほど掴むのが難しいのだと思う。

あるいは、あまりにも当たり前のことを微に入り細に入り語られるのでかえって分かりにくいということもあるのかもしれない。

そのうち自分の言葉で表現できるようになりたい。

ただでさえ難しいのに棋王戦第2局を観戦しながらなのでよけいわけわかめちゃんになっていた。何でか分からないがベルクソンを読めと誰かから命令されていると思い込むようにしている。そうとでも思わなければこんな読みにくい本を読むことなどできない。そうやって読んでいたらだんだんハイになってきた。

棋王戦は藤井八冠が快勝した。昨夜の『徹子の部屋』でタマネギ頭から猫の勝守りをもらっていたのでその効果かもしれない(そんなわけあるか。元々強いんじゃ)。

そういえば徹子の部屋羽生善治さんの昔の出演ビデオが流れていて、過去の対局を8割くらいは完全におぼえておるといい、一つの対局の棋譜をメロディーのように記憶していると語っていて、ベルクソン的だなと思った。

Funny Wars

今日から公開になったゴダールの遺作『奇妙な戦争』を見てきた。

さすがゴダールで新宿武蔵野間スクリーン1の客席はほぼ埋まっていた。

パンフレットは不備が見つかったとのことで販売延期になっていた。

帰りにラピュタ阿佐ヶ谷高峰秀子 生誕100年記念 少女スタア時代編」のチラシがあったので持って帰った。全部見たいが、特に「綴り方教室」と「馬」は見たい。

ゴダールの映画は、20分のコラージュ作品で、90歳を超えた彼が遂に作ることが叶わなかった映画の断片的な予告編のようなもの。ベートーヴェン弦楽四重奏が効果的に使われていて大音量で聴けたのがよかった。ゴダールの作品をよく知っている人が見ればそれぞれのシーンや写真、文章、セリフに込められた意味が分かるのかもしれないが、ゴダールのことを何も知らない自分のような人間が特に過去のゴダール作品を観たいと思わせるほどの感銘は受けなかった(ミニマルな小品だから当たり前といえば当たり前)。

だが精神の知的なツボが刺激されたのか、その後ベルクソンを読んだらかなりすんなり頭に入ってきた。

ベルクソンは『創造的進化』(1907)の中で映画を論じているが、芸術形式としての映画についてではなく、概念的思考(われわれの通常の認識のメカニズム)の比喩として取り上げている。

詳細は省くが、要するに映画で見られる動きというのは本物の「動き」の模倣に過ぎず、生きたものではないという意味でネガティブに論じているのだが、当然ながらそれは映画という芸術形式じたいが虚偽であることを意味しない。なぜなら、映画のメカニズムがどうであるかにかかわらず、映画を観る側は、映画上の動きを本物の動きとして知覚するのであるからだ。

しかし、もっと突き詰めて考えれば、映画を製作する側が、ベルクソンがいうところの創造性なしに概念的思考によって作品を作っているというケースはあり、実際世間で上映されている99%以上の映画はそうしたものだろう。そしてそれが映画というメディアそのものの特性であるのか(つまり映画というメディア自体が概念的思考に合致するのか)という問題は考察の余地があるのかもしれないと、今日のゴダールの作品を見て思ったりした。というのは、今日の作品を見て、ゴダールは非常に観念的に映画を作っているという印象を受けたからだ。もちろん何の問題意識も持たない凡百の映画作品よりはるかに「優れた」ものであるのは明らかだろうが、彼の表現からはあらかじめ超越性や神秘性といったものが知性によって封じられているような印象を受けた。それを批評性と言い換えてもいいのかもしれない。

もちろん今日見た作品だけで何かが分かったなどと言えるはずはないので、忘れないうちに第一印象を記しておくだけ。

どんときてみろ

小林秀雄が引用した有名なベルグソンの話に、こういうのがある。

 

ある偉大な医者で科学者でもある人物が、信頼のおける夫人から聞いたある話を紹介した。この夫人の夫は士官で、ある戦闘で亡くなったが、ちょうど夫が倒れたまさにその時に妻はその光景のまぼろしを目にしたという。そのまぼろしはあらゆる点で現実に合致しており、彼女はこれを透視あるいはテレパシーによるものと信じた。

「だが重要な点が一つある。つまり、夫が元気であるなのに死んだとか死にそうだとかいう夢を見る妻は世の中にたくさんいるということだ。まぼろしが正しかった場合だけを取り上げて、そうではない場合を考慮しないのは正しいとは言えない。一覧表を作ってみれば、その一致がただの偶然であったことが明らかになるだろう。」

この話を聞いた後で、ある若い娘がベルクソンに近づいてこう言ったという。

「お医者様のいまの論理は間違っているように思われます。どこに間違いがあるのかはわかりません。でも、きっとどこかに間違いがあります。」

 

ベルクソンは、確かにこの若い娘が正しく、大学者が間違っていたのだという。

学者は現象の中の具体的なものに目をつぶって、こういう論理を立てている。

「夢やまぼろしが身内の者の死や危篤を告げるとき、それは真実であるか誤りであるか、その人は死ぬか死なないか、そのどちらかである。したがって、そのまぼろしが正しかった場合に、それが偶然の一致でないことを確信するためには、〈真実の場合〉の数を〈誤りの場合〉の数と比較しなければならない。」

つまりこの学者は、具体的でありありとした光景の叙述、特定の時に特定の場所で特定の兵士に囲まれてその士官が倒れたという光景の叙述を、「その夫人のまぼろしは真実であって偽りではなかった」という干からびた抽象的な言い方に置き換えているのだ。

こうした抽象化はそこに見出されるべき本質的なもの、すなわちその夫人が知覚した光景を無視することで成り立っているのだが、夫人が実際にその日に参加した兵士たちの肖像を、彼らが行っていた動作や姿勢をそのままに描くことは不可能である、という事実を考慮するならば、そのようなことが偶然の一致でないことは明らかである。

すなわち、科学が「実験室で再現可能な現象でなければ真実とは認められない」というのは、ただ一つの具体的な事実を抽象化に移行させることによってそうした現象一般が「あり得ないもの」という結論を出すという誤謬に陥っているのだ。

 

この話を小林秀雄の本で読んだ時には、ずいぶんと感心した記憶がある。

しかし、この話をひっくり返すことも可能だ。

つまり、いくら一般的に「超能力は存在するのだ」「透視やテレパシーという現象は実際にあるのだ」と言われても、そういう抽象化された議論には意味はないということだ。

人はそうした「超常現象」を「具体的にここで起こっている現象」という形でしか確信することはできない。また、仮にそれが目の前で起こったとしても、それが自分にとって疑いの余地のない形で起こったものでない限り、自分の中にいかなる確信も生じさせることはできないのである。

 

1分で分かるベルクソン(嘘)

ベルクソンをなぜか読まされるようにして読んでいるのだが、畢竟、彼の時間論(持続としての時間)は人間の知覚の変容を促すものなのだということが分かった。

現在というものは過去を含んだ「持続」であり、変化であり運動であり固定化できるものではない。固定化することは空間化することであり、哲学の誤りは「流れ」である時間を静止し固定化した空間としてとらえようとすることにある。

持続というのは例えば「メロディー」のことであり、時間を空間化するとは、メロディーを一つ一つの音符に区切ってとらえようとするようなものだ。メロディーは全体として一つの「流れ」であって、個々の音符の単なる集合ではない。

ベルクソンがメロディーについて語るのは、父親が音楽家ショパンの弟子)だったことと関係があるのだろう。

カント哲学は、人間は時間と空間というカテゴリーを通して世界を知覚しており、「物自体」を知ることはできない、と言っているが、ベルグソンは、カントのいう「時間」は上で言う「空間化された時間」であって、世界を固定化してとらえており、勝手に限界を作っているだけだという。

実際の、ありのままの知覚はカントのいう時間と空間のカテゴリーをもとから超えたものであり、常に運動する「実在」である。

概念とは「知覚できない」ものを言葉で表現するために生まれたものであり、哲学とは概念を扱うものである。すべてが知覚できるならば哲学など必要はなくなる。

同様に、「言葉」は本来は「動き」である実在を静止した形でとらえたものであるため、言葉を使って実在を表現することはできない。

例外的に、詩人のような芸術家は言葉を使って実在を表現することができる。芸術家は実在を垣間見せることができる。実在を「動き」としてとらえる哲学は芸術家がたまに表現できるだけの生命の歓びを常に味わうことができる。

ムチャクチャな要約もいいところだが、大略ベルクソンはこんなことを言っているのだと理解している。

しかしこれだけのことを言うからには、ベルクソン自身がそのようなものとして世界を知覚していなければならない。つまり彼の知覚には変容が起きていないといけない。そうでないならやはり概念を弄んでいるだけということになる。

で、ベルクソンの言うような形で世界を知覚する人々が社会の大半を占めるようになったら、今の社会制度そのものが成り立たなくなるだろう。何せ固定したものは何もなく、常に変化し続けるのが実在なのだから、そのような事態を前提として個々人の生活をどのように規律すればよいのか。法律すら無意味だということになる。

ベルクソンに言わせれば、あるきまった枠組みを設けて、その中ですべての人間の生活を律しようという考え方自体を放棄すべきだということになるのだろう。そこで政治のようなものがあるとすれば、今われわれが想像するようなものとはまったく違うものになるだろう。

哲学の話を社会に持ち込むのは飛躍しすぎだと思われるだろうが、知覚を変えるとは要するにそういうことになるだろう。

結論から言えば、ベルクソンを真に理解する人間が多数派を占めるような世界はあり得ないだろうということだ。だが本当の哲学というのはそういうものだろう。