INSTANT KARMA

We All Shine On

独語

娘が大学の春休みに寄生帰省して、ずっと銀魂のアニメを見ている(明日から韓国旅行に行くみたい)。

ふと思ったのだが、『銀魂』はあのマカロニほうれん荘と共通項があることに気づいた。

まず主役の三人組、銀さんはトシちゃんだし、神楽はきんどーさんだし、新八はそうじ

桂は佐々木小次郎。お妙さんはかおりさん。

新選組。ついでに言うとマダオはクマ先生かな。

ね?(誰に言ってる?)

もうとっくに誰かが言ってることだろうけど、一応思いついたので書いてみた。

「違いの分かる男」は令和的に不適切でないといえるか?

若い頃に読んだはずだが完全に中身を忘れている本を読み返す。

マックス・ウェーバー『プロ倫』『職業としての学問』『職業としての政治』

 

『職業としての学問』:「大学教師に学問以外のことを期待するな」以上。

『職業としての政治』:政治家とは、やりたくてやるもんじゃなくて、どうしても引き受けざるを得なくなって天職(Beruf)としてやる人のこと。それは悪魔との取引を受けれいることでもある。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』:近代資本主義はプロテスタントの宗教的エートスから生まれた。つまりルターの宗教改革により天の王国に至る為の宗教的実践が世俗的生活の中での倫理規範となったことによって禁欲的な富の蓄積と継続的な投下資本という近代資本主義の本質となる現象が生じた。

これじゃ読んだことにならないか。

マックス・ウェーバー1920年に56歳で死んでいる。

ナチスの台頭前夜である。ハイデガーが「存在と時間」を書く直前である。

幸いだったと言うべきなのだろうか。

しかし高校の時に「カルヴァニズム」の「予定説」について聞いたときには、こんな不合理な思想がどうして受け入れられたのか理解に苦しんだものだが、実はとてつもなく深い智恵なのではないかと思うようになってきている。

親鸞の思想にも通じる。親鸞のはすぐに深みを失って堕落したが。

わかるかなーわかんねーだろうな。なんてギャグもあったね。

お題の答え:ホテル・カリフォルニア

実家売却手続き無事終了。

でもこんな感慨はまるでない。

ザコンという心境が知りたい。ある意味羨ましい。

帰りの電車で『吉本隆明88の言葉』を読んで、やっぱりいいこと言ってるよなあ、と思う。いいことというか、かっこいい。

これを聴きながら。

youtu.be

大喜利お題:狩人の代表曲と言えば?(東出氏のことではない)

昨年から売りに出していた実家の売却先が年末に決まって、明日は決済のため朝一番の特急で現地の銀行に行く。自分だけならまだ楽だが、サコウジュにいる母も行くので、きちんと電車に乗ってくれるかが心配。本当ならホテルでも取って前日から行っておけば安心なのだがそこまでする気になれなかった。特急の座席もわざと別の車両にしたのでそのことで文句を言っていた。数時間同席してどうでもいいお喋りを聴くのが苦痛なのだ。そういうこともしておけばよかったといつか後悔する日が来るのだろうか。否、来ない気がする。昨年引っ越したサコウジュも1年経たないうちに別の部屋に移りたいと言い出し、丁度いい部屋が空いたので4月に引っ越すのだという。どうぞ自分でやって下さいという感じだが、どうせああだのこうだの手伝ってほしいと言ってくるのだろう。今年で87歳になるのに元気で、頭も一応動いているのがこちらとしては幸いなところ。それでもいつどうなってもおかしくない年齢ではある。とにかく今は無事に終わってほしいと願うのみ。

実家とは言っても自分が上京してから移った家で、たまに帰るだけで住んではいないので特段愛着も感慨もない。行き帰りの電車がやたら揺れて身体が疲れるのでその移動がこれでなくなると思うとほっとする。ただ家を処分したらその代金が母(と自分)の老後の生活資金となるが、当てにできる資金がこれ以上まとまって入る見込みはない。いいタイミングで売ったということになるのか、損したということになるのか分からないが、こればっかりはどうしようもない。

とにかく今は明日の決済が滞りなく終わってほしいと願うのみだ。あと明日までに週末に痛み出した腰痛が良くなって欲しい。

下さい下さいばっかで何も上げられてないね 生きていた意味なんか分からないまま

行けなかったけどラフ×ラフ週末リリイベお疲れ様でした

はるるん応援してます!

ぼやきと愚痴

今朝amazonでいつも買っているものを買おうとしてログインしようとしたらパスワード再設定しろと言われ変更したらログインできなくなった。PCからは再設定したパスワードでログインできるようになったが、iPadから有効なメールアドレスを入れろとかパスワードが間違っていると言われる。

こういう時に殺意に近いくらいの物凄い怒りを覚える。まったく非生産的な怒りとストレス。

何にでもアプリが必要でその度にパスワードを設定しなくちゃいけなくて、定期的にパスワードの変更を迫られて、そのうちに何が何だかわかんなくなって苛々する。

日常の苛々の大半はこうしたことに費やされている気がする。歳を取って適応力が失われているのかもしれない。しかしもっと高齢者だと余計にわけわかんなくなっている状況が容易に推察される。

Amazonやら銀行を騙った詐欺メールが何十通も来て、正常な判断能力があれば騙されないのだろうが、手口がどんどん巧妙化して被害も増えてくるだろう。

世の中は決して便利になっているわけではないことに気づいたのは10年くらい前からだと思う。自動改札ができてSUICAができたくらいがピークで、それ以降は個人的にはどんどん不便でややこしくなっているだけな気がしている。

気が付くとネットの檻の中の生活の囚人のようになっている。ネットとスマホとアプリなしでは何もできなくなっている。

脆弱なデジタルネットワークで形成された全世界的な電子網はいつか何かのきっかけで一瞬で崩壊するような気がしてならない。

 

たかだか数千円の買い物のための本人確認にここまでナーバスな一方で、6億円以上の振込が本人の承諾なしに可能だったとはちょっと考えられないし、可能だったとすれば今朝のバタバタに余計に腹が立つ。

末世

営利のもっとも自由な地域であるアメリカ合衆国では、営利活動は宗教的・倫理的な意味を取り去られていて、今では純粋な競争の感情に結び付く傾向があり、その結果、スポーツの性格を帯びることさえ稀ではない。将来この鉄の檻の中に住む者は誰なのか、そして、この巨大な発展が終わるとき、まったく新しい預言者たちが現れるのか、あるいはかつての思想や理想の力強い復活が起こるのか、それとも――そのどちらでもなくて――一種の異常な尊大さで粉飾された機械的化石と化することになるのか、まだ誰にも分からない。それはそれとして、こうした文化発展の最後に現れる「末人たち」(letzte Menschen)にとっては、次の言葉が真理となるのではなかろうか。「精神のない専門人、心情のない享楽人。この〈無のもの(ニヒツ)〉は、人間性のかつて達したことのない段階にまですでに登りつめた、と自惚れるだろう」と。

マックス・ウェーバープロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(大塚久雄訳)

1920年ウェーバーがこのような予言的な章句を残して一世紀が過ぎたが、資本主義の巨大な発展はまだ終わっていないし、その異常な尊大さも失ってはいない。

「精神のない専門人、心情のない享楽人」とは現代人の描写としてこれ以上に的確な表現を思いつかない。

そしてこの「末人たち」は、人間性のかつて達したことのない段階にまで――人工知能(AI)の力を借りて――すでに登りつめたと自惚れているではないか。

だがそのAIなるものも「粉飾された機械的化石」と化すであろうというウェーバーの予言もまた現実となるのだろう。

 

はてなブログの仕様が変わったのか画面遷移がこれまでと違って使いづらい。

 

ギャンブルと言えばドストエフスキーの「賭博者」を読むのが一番いいと思う。