図書館で『「罪と罰」を読まない』という本を読んで中々面白かった。
作家4人が「罪と罰」を読まないまま想像でああだのこうだの喋っている本なのだが、最終的に読んだ後のスヴィドリガイロフ(スビ)についての分析が自分とほぼ同じだったので共感した。
しかし、「罪と罰」を読まないで小説家になった人がけっこういるというのが驚きだった。
こだわるようで申し訳ないが(誰に)、スヴィドリガイロフは、もしかすると作者が考えている以上の人物なのではないか、と思ってきた。
スヴィドリガイロフについて他人が言っていることは当てにならないとすれば、
スヴィドリガイロフが自分で語ったことが概ね事実で、嘘や歪曲がないとすれば、
スヴィドリガイロフは、「絶望的なニヒリスト」ではあっても、悪辣な卑劣漢ではない。
それは原作を忠実に読めばそうなる。
以下は個人的な備忘録。
スヴィドリガイロフが過去に行った犯罪的行為は何か?
・いかさま師 ○ 理由:本人が認めている
債務を負い投獄されるとことをマルファに救われる
・妻マルファ毒殺 おそらく× ドーニャは最初否定、後断定 どちらを信じるか?
本人は否定(医師の診断)
鞭打ちとの関係は? 真相は不明 幽霊
・下男殺害(自殺に追い込む) × ドーニャが否定 但し周囲にはそう見えた 幽霊
・少女凌辱(自殺に追い込む) ○ 最後の悪夢に潜在意識の罪悪感が浮き出る 幽霊は?
レスリッヒ夫人の世話(飽きたら別の男に回す魂胆)
最後の夜に娘に1万5千ルーブリ渡したのは贖罪の意味
マルファに債務を救われ、少女の件を揉み消してもらい、二重に負い目があるため逆らえない。村を7年間一歩も出ずに過ごす。
しかしスヴィドリガイロフは、敢えて逆らう気もなかった。少女への罪意識(表面意識ではそれほど深刻には感じていない。だから召使には手を出し、上流階級の夫人とも不貞)に加えての虚無感(スタヴローギン的退屈、永遠の蜘蛛の巣)
そこにドーニャ出現。情欲の対象であると同時に、魂の救済(ソーニャ的)も求めていた?
表面意識では情欲のみ
魂の救済は最後まで明確に自覚できず
(もしかしたら彼女は叩き直してくれたかも)
「狂う程好きに」
駆け落ちを提案するも拒絶 ドーニャの潔癖主義、ラスコリーニコフ同様淫蕩への嫌悪
「かわいそうなパラーシャにかまわないでくれ」とのドーニャからの要求
⇒ 駆け落ち拒絶の後、パラーシャ含む召使たちとの「ソドム」=ドーニャへの愚弄
「哲学が苦手」 ラスコリーニコフとの違い
神秘主義的傾向 オカルト(降霊術)、催眠術等への興味(ラスコリーニコフへの暗示)
(「本を取り寄せるとマルファが怖がった」ドーニャの感じた恐怖の一因? )
死への恐怖はあるが、生への執着もない(憎悪や復讐心の欠如)
淫蕩は情欲からというよりむしろ退屈からの逃避という意味合いが強い
自殺する前の夜、アドリアノポールで女を要求せず(ぼろ服の男の不満)
ラスコリーニコフが告白の相手にソーニャを選んだのは、共に「踏み越えた」者だから
ドーニャは、スヴィドリガイロフが理解できないので、許すことも受け入れることも、まして愛することもできない
ドストエフスキーは明らかにスヴィドリガイロフに移入している。
この小説だけでは解決できず、その後の長編にテーマ持越し