INSTANT KARMA

We All Shine On

Slightly Thursday

ちょっとこれ見ないうちは死ねない。というかこれ見ながら死ねたら最高じゃないか?

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こんなことばかり書いているとルッキズム塗れのキモいおっさんでしかないようだが、自分はルッキズム(人間の価値を外見の美醜で判断すること)には否定的である(キモいおっさんであることは認める)。

むしろ外見の美しさにしか自らの価値を示す縁(よすが)を持たない人には憐れみの感情を抱いている。

確かに美徳は美しい身体に宿るのが最良である。

美しいというのは姿形が繊細であるというのではない。

見た目の美しさよりも、全体として堂々とした存在感がある方がいい。

見目麗しい人が大きな美徳を持っているということはめったにない。それはあたかも、自然は卓越性を生み出すよりも間違いを犯さないことに忙しいためであるかのようだ。

だから彼ら(見目麗しい人々)は洗練されてはいるが偉大な精神は持たないケースが多いが、それは必ず当てはまるわけではない。

顔立ちの美しさは、皮膚の色の美しさにまさる。そして顔立ちの美しさよりも、端正で優雅な動作の美しさがまさる。それは美の最高の部分であり、絵画では表現できない。実物を一目見ただけでも分らない。

本当の美しさはいささか完全な均衡が乱れたところに見出される。

美しい顔でも部分部分はそれほどでもない。だが全体としてみれば美しい。

美の主要部分が端正な動作の中にあるとすれば、年を重ねた人の方がはるかに愛すべきものであることはもっともである。

若者が美しくあるのは、若さが美しさの一部であると考えることによって初めてそう感じられるのである。

美しさは夏の果物のようなもので、腐りやすく、長持ちしない。そしてほとんどの場合、美は放埓な若者を生み、老年の面目を失わせる。だが確かに、所を得た美は美徳を輝かせ、悪徳を赤面させる。