INSTANT KARMA

We All Shine On

unbeauty, therefore beautiful

はてなブログにしてから、いくつかのブログの読者になっているのだが、読者になったとたんにそれまで毎日更新していた日記が止まってしまって、一カ月以上たつので心配になっているのがある。

特にその人は、けっこう壮絶な過去の人生記録を晒しながらも、毎日ブログを書きながらこれからの生き方を模索したいという前向きな姿勢で取り組んでいただけに、更新がいきなり止まって一体どうしちゃったんだろうと思っている。

自分はとにかく毎日何か書いて(ただのコピペに近い日もけっこうあるが)、後で生活記録(メモ)として読み返す楽しみのために書いている。明石家さんまは自分の出演しているテレビを見て、こいつ私生活ではあんなことになってるのにようこんなことできるな、おもろい奴やな、と面白がるのが楽しいと言うが、自分のブログには自分にしか分からない楽しみ方がある。

理想的なのは、西村賢太のように、事実だけを淡々と書き連ねて、たまに感想めいたことをつぶやくというスタイルだが、自分がそれをやっても何の面白みもない。

昨日kindleから出た中原昌也「2021年Facebook生存記録」という本も、日々読んだ本や見た映画や聴いた音楽をひたすら羅列しているというタイプの日記だが、そこに出てくる作品が圧倒的なものばかりなので、ほとんど知識がないにもかかわらず感心しながら読めてしまう。

図書館で小谷野敦「美しくないゆえに美しい女たち」という本を借りた。著者が気になっている女性(主に芸能人だが作家やAV女優も含む)について個人的感想を綴るというだけのもので、こういうのが商業出版として流通に乗るのは流石だなと思う。

容貌で人を判断してはいけない、というルッキズム批判というのがあり、そういうことを口にするのをためらう人やたしなめる人がいる。だが、いくら口で言うのをやめても、美貌ゆえに人気があるという現象は止めることができないではないか。それくらいなら、もっと美の範囲を広げるようにすべきではないか、というのが本書の趣旨である。

なるほど、という気がするが、この本に取り上げられている女性のほとんどは、世間の基準で言えば美女に属するだろう。泉ピン子だって杉村春子だって樹木希林だって、いわゆる美貌を”売り”にしていないだけで、みんな(若い頃は)美人だったのだ(と思う)。

ここに選ばれた中で、別にブスじゃない、美人じゃないか、許せないという人もいるかもしれないが、その場合は、世間ではこの美が分からない人もいるだろう、程度にとらえてもらいたい。

なるほど。映画界ではそういう女優はfunny faceと呼ばれて、あのオードリー・ヘップバーンだって当時の美女の基準からは外れていたというのだから、世間の美女の基準なんて当てにならないし好みの問題というのは大きい。

縄文時代の美人彫像と平安美人と江戸の浮世絵の美人画を見比べて見るだけでも、時代によって全然違うことが分かる。

また個人的な好みも年齢と共に変わる。中原昌也

以前は池玲子好きを公表してきたが、やっと段々と杉本美樹っていい女やなぁというのがわかってきた。(中島貞夫『鉄砲玉の美学』を観て)

と言っている(自分はどっちも知らない)。

ついつい脱線してしまったが、おぅやまさん、お元気ですか。ブログの続き、期待しています。