昨日のGPS将棋VS三浦弘行八段戦の衝撃をまだ引き摺っている。
とにかくGPS将棋の実力が圧倒的過ぎた。東大のコンピューター670台を総動員して、1秒に2億5000万手読むというとんでもないマシンは、まるで一人の格闘家がマシンガンを構えた600人の部隊を相手にするような絵図を連想させた。
今後、電王戦がどういう形で継続するかはわからないし、コンピューターのハード面を制限したり持ち時間などの対局条件を変えたりして行われることになるかもしれない。だが、A級棋士相手にコンピューターが手合い違いの強さを見せつけたという事実はこれからも残る。
将棋の棋理を純粋に追及するという観点に立てば、プロ棋士はGPS同志を戦わせた棋譜を分析することに徹した方がいいのではないかとさえ思える。極端に言えば、それが現代科学が実験室の中で行っていることだ。
しかし、今回の電王戦は、果たしてそれでいいのか、という根本的な問いを突き付けた気がする。
これからの将棋界は、単なる勝ち負けを超えた精神的な価値観を打ち出していかざるを得ないのではないかと思う。それはもちろんこれまでも存在してきたし、将棋の主な魅力の源泉でもあったのだが、棋理追及の重視という風潮の陰に隠れて、軽視されがちだったものなのかもしれない。
以下の記事は、非常に示唆的である。
日本的美徳がファンを魅了した。将棋・電王戦