能年玲奈の1stフォトブック『ぐりぐりぐるみ』を買っちゃったよ。
「あまちゃん」でもなく、「ホットロード」でもなく、バラエティに出るときのよそ行きの姿でもない、“全開の”能年玲奈が見れると思って。
恥を忍んで書店で買いました。
読みました。
確かに全開だわ。
去年の今頃、毎朝テレビで彼女の演技を見ながら「これは怪物だな」と感心していたのだが、やっぱり怪物だったとこの本で確信(再確認)した。
正確に言うと、たぶん能年は日本芸能史上(今の芸能界のことだけじゃなく)特筆すべき才能の持ち主なのだが、それが何の才能なのかが分からないというくらい規格外の存在だと思った。
片鱗だけ言うと、表情の演技。これがトップアスリート並み。
この頃テレビでよく流される「ホットロード」の断片だけ見ても、それはわかる。
この「ぐりぐりぐるみ」では、普通の女優やモデルなら背景に埋もれてしまうはずの、ものすごい奇抜なシチュエーションが、能年の表情の前にことごとく封殺されている。
インパクトのある顔というのは、不自然さと紙一重な部分がある。その意味で、能年は決してインパクトのある顔ではない。
しかし能年は、どんなシュールな風景の中に立っても、宇宙人の格好をしてUFOの中にいても、パンクロッカーの格好をしてキメても、不自然さなく、しかも背景のインパクトに負けることなく、場面を成立させてしまう。
これは天然ではない。天然ならこうはならない。
では何なのか?
天然ではないが、天性のものというしかない、ある才能。
同時にこの本は、強烈なメッセージ性を持っている。能年自身が繰り返し語っている。
女の子には色っぽさなんていらない。必要ない。
女の子のパワーっていうのは、もっと何ものにも動かされない強いものがある。
都合のいいだけの女の子なんて信じない。女の子はかっこいい。
この本から伝わってくるのは、世間一般のほんわかした能年のイメージとは真逆の、「女の子のかっこよさ」への強靭なこだわりだ。この本を読めば、能年がなぜ普段あれほど“突っ張って”いるのかが分かる気がする。
この本は、女の子の、女の子による、女の子のためのマニフェストだ。
世間一般の、ステレオタイプ化した「女の子」像に対するアンチテーゼでもある。
いくら幼い顔立ちをしているとはいっても、能年はもう21歳だ。この世界観を表現するには年齢的に今年が限界だったと思う。
“暴力的な可愛い”を突き詰めたいという能年の思いが一般の読者にどれほど理解されるかはわからないけれど、能年ファンなら楽しめる本だし、彼女の内面に潜む表現衝動のマグマがどんなものかを知るためには欠かせない一冊だろう。
(以下8月12日追記)
この「ぐりぐりぐるみ」の制作に関わったぬいぐるみ作家の方のブログによれば、
「ぐりぐりぐるみ」制作現場は、まず能年さんからの提案を受け、編集の篠崎さん、カメラマンの飯田かずなさん、スタイリストの大橋みずなさん、ヘアメークの清水恵美子さん、そして、たまに私とでそれぞれにアイディアを持ち寄ってぶぁっと作り上げていく感じでした。
ということらしい。
能年自身が基本的なコンセプトを立てて、その実現のためにスタッフが動員されたということだから、この本はまぎれもなく「能年ワールド」なのである。
よくあるアイドル写真集のように、大人(の男の人)が用意した枠組みに人形として収まってみました、という作品とは根本的に違う。
能年が企画者であり同時に演者でもあるということを念頭に置かないと、この作品の意味は十分に理解できない。
そして何より、能年が一番誇りにしているのは、「すみからすみまで、くまなく女の子であること」だという。
あとがきでは「日本では女の子の世界観を表現できる場所が少ない」という持論まで語っている。
実はこの作品は、日本の出版史上ものすごく画期的な作品なのかもしれない。
能年がそのことについて自覚的にこの作品を創作したのだとしたら、やはり底知れない才能というしかない。