今日発売の『週刊文春』に、能年玲奈と事務所との軋轢問題が大々的にスクープされている。
これはかなり力の入った記事で、いつか問題が表面化した時のために取材を重ねてきた跡が窺える。
既に昨年後半からレプロ側と能年側が双方弁護士を立て今後の方針や待遇改善などについて交渉しているというから、今回発覚した今年1月の会社設立はその流れの中でとらえるべきだろう。
この文春の記事は、主に能年の視点から、事務所(レプロ)による「いじめ」や「干し」と捉えられかねない仕打ちについて告発するような形になっている。
文芸春秋社は2013年末に『あまちゃんメモリーズ』という特集本を出し、その中で『あまちゃん』関連本では初めて演技指導の滝沢充子氏のインタビューを大きく掲載していることから、滝沢氏サイドの意向が反映された記事であることは確かだろう。
東スポや週刊ポストなどが「洗脳」という言葉を使って滝沢氏に批判的な記事を載せていたのとは対照的である。
何やら能年玲奈を巡って、各種メディア媒体を使った情報戦になっている気配もある。
背後には芸能界の勢力争いの構造も透けて見えなくもない。
どちらの記事にもある種のバイアスがかかっていることは否定できないが、今のところ文春の記事が最も迫真性があり、核心に触れている気がする。
例えば『あまちゃん』打ち上げの数日後、能年はレプロ本社に呼び出され、チーフマネージャーからこう告げられたという。
「玲奈の態度が悪いから、オファーが来ていない。仕事は入れられないよね。事務所を辞めたとしても、やっていけないと思うけどね」
驚いた能年は「それは、干すっていうことでしょうか」と聞き返したという。
対して「仕事は入れられないけど、干すとは言ってないじゃないか」。
―――このやりとりは、それだけ取り出すと、かなり異様な印象を与える。
『あまちゃん』という、日本中に一大センセーションを巻き起こしたドラマの主役として、これ以上ないほど注目が集まっていた新進女優に対して、いきなり「仕事が入れられない」とは一体何事だろうか。さらにこの段階で既に「事務所を辞めたとしてもやっていけない」などという発言が飛び出しているとは、只事では済まされない。
この宣告に至る経緯は必ずしも明らかではない。
「それは干すということですか」という能年の返答もかなり異様である。
この会話以前に、すでに能年とレプロの間に相当な軋轢が生じていたとしか考えられない。
それは単にマネージャーが気が利かないとか、待遇がよくないというレベルの不満ではなく(もちろんそれも一因ではあるだろうが)、もっと深刻な対立ではないかと思われる。
文春の記事では、その部分が(おそらく意図的に)省略されている。
能年とマネージャーはその後も話し合いを重ねたが、溝は深まるばかりだったという。
次のようなマネージャーの言葉が記されている。
「今後は単発の仕事しか入れられない。連続ドラマのような長期の仕事は入れられない」
「お前は態度が悪いし、マネージャーと衝突するからダメだ。事務所に対する態度を改めろ」
そして「決定的な事件」として、映画化される『進撃の巨人』のミカサ役に能年の起用が検討されたが、レプロが断ったという出来事があった。
断った理由は、事務所より先に能年個人に接触があったことを問題視したためだという。
ここまで読めば、問題の所在はほぼ明らかだろう。
事務所が問題視したのは、能年個人というよりは、滝沢氏の能年に対する過度の影響力だったのである。これは他のメディア記事と併せて読めば明らかなことだ。
もともと滝沢氏はレプロの委託を受けた演技指導者として、所属タレントのレッスンを行ってきた。能年はその中の一人だった。能年玲奈という不器用な少女は、演技に目覚めると滝沢の指導に文字通り食らいついてきた。滝沢はそんな彼女に目をかけ、可愛がり、オーディションに受かるよう必死で応援した。
その応援が実り、見事『あまちゃん』の主役の座をゲットする。もともとこのオーディションで能年は川島海荷の「当て馬」でしかなかったという。そして、おそらく滝沢の期待を超えて、能年玲奈は日本を代表する若手女優として注目を集める。
主力となる中堅社員の退社が相次ぐ事務所のマネジメントの至らなさもあり、能年が事務所の扱いに不満を覚え、滝沢に全面の信頼を寄せるようになっていくのと並行して、滝沢にとっても能年は自らが手塩にかけて育てた教え子として唯一無二の存在になっていった。やがては遠方の実家の親からの依頼で、身の回りの世話を引き受けるまでになる。
事務所に対する能年の不満は、ある意味で滝沢によって正当化され、増幅され、それが現場での態度にも表れるにつれ、事務所から見ればマネジメントに支障をきたすまでに至っていた。
文春の記事に書かれていないこのような経緯を補充することで、図式は明瞭になる。
『進撃の巨人』のキャスティング話は、レプロの「頭越し」に、滝沢氏を通じて能年にもたらされたのだろう。レプロがそのようなオファーを受けることは、滝沢氏への屈服を意味するため、認められなかった。能年には、「せっかくの大きな仕事を事務所に潰された」という思いだけが残った。
これは後の話だが、2015年始めの日テレの連続ドラマ『学校のカイダン』は、当初能年玲奈を主役にする予定で進んでいたが、直前になってキャンセルになったという出来事があった。昨年能年はバラエティーで「キスNG」発言をしていて、若手女優としては珍しい断言だったが、『学校のカイダン』にはキスシーンが含まれていた。急きょ「代役」を務めた広瀬すずは、キスシーンもそつなくこなして、現在ポスト能年玲奈として脚光を浴びている。
『あまちゃん』前から決まっていた映画『ホットロード』の撮影を終えた2014年1月、能年は当時の担当マネージャーに「事務所を辞めたい」とメールを送る。3月には文書で正式に辞意を表明した。
記事の中では、レプロ社長本間氏と能年の面談の様子が、詳細に伝えられている。
能年が辞めたい理由は「仕事をさせてもらえないこと」だった。
彼女は雑誌のインタビューにおいても、「もっと仕事がしたい」「あまちゃん後の1年はもったいなかった」と発言している。事務所を慮ってか公式にはこれ以上の表現はしていないが、本間社長との面談においては、驚くほどはっきり自己の主張を述べている。
「もうすぐ私の二十歳という年が終わります。女性にとっては特別な年齢です。でもその二十歳が干されて終わってしまいました。とにかく精神的に限界です」
本当に能年自身がこのように語ったのかは当事者にしか分からないが、この言葉にはかなり痛切な響きがある。
今を時めく若手女優に涙ながらにこのように訴えられて心を動かさない者がいるだろうか。
もしいるとしたら、よほどの冷血漢か、相手に対して余程の鬱積した感情を抱えているかのどちらかだろう。
いずれにせよ、そのまま状況は改善することなく今に至っているということだ。
ここ数週間で明らかになった騒動は、これまで水面下にあった事情が表面化したに過ぎない。
事情が表面化してしまったことには、プラスの面とマイナスの面がある。マイナスの面は、穢れのない清純女優としての能年のイメージが多かれ少なかれダメージを受けることが免れない点であり、プラス面は、能年が抱えていた問題が明らかになったことで、ファンが彼女の知られざる葛藤の一部を分かち合うことができたこと、それから、事情が公になることで新たな展開が生まれる可能性があることだ。
文春記事は最後に、小泉今日子のエッセイの中から次のような謎めいた一節を引用して終わっている。
「私の場合は、苦い思いも挫折も孤独も全て飛び越えて早くこっちへいらっしゃいという思いで能年ちゃんを見守る。まさに『その火を飛び越えてこい!』という心持ちで待っている。すぐに傷の手当てができるように万全な対策を用意して待っている」(『SWITCH』2013年10月号)
この引用が何を意味するのか、明確に述べられてはいないが、今年2月に小泉自身が代表取締役を務める個人事務所を設立しているという事実と併せて上の言葉が引用されていることを考えると大いに示唆的である(クドカンってもしかして千里眼?などと思ってしまう)。
今回の文春の記事に対して、レプロにはレプロの言い分があるに違いない。或いは他のメディアが取り上げている「洗脳」疑惑はその一部かもしれない。
正直、自分自身、能年が滝沢氏によって一種のマインドコントロール状態にあるのではないかという疑念を抱く時もあった。
文春は、能年個人にも「直撃取材」を試みている。
会社設立や独立について聞いても無言のままだった能年が、「能年さんは仕事を断っているのですか?」と聞かれて、記者に向き直ってこう答えたという。
「私は仕事をしてファンの皆さんに見てほしいです。私は仕事がしたいです」
そう、ファンの気持ちも同じ、女優能年玲奈の仕事を見ることを待ち望んでいる。
作品の中で能年玲奈の真価を見たい。
ただそれだけだ。