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近代

国会図書館のデジタルライブラリーで近代将棋のバックナンバー(1960~2000年)が読めるので、詰将棋作家のチェックなどしながら読んでいるのだが、昭和の時代の将棋界の雰囲気と今を比べると隔世の感あり。

谷川浩司藤井聡太論 将棋の未来」(講談社+α新書、2021)の中で棋士のイメージの変遷について述べている。

明治から昭和初期の坂田三吉による「型破りの勝負師」から戦後、大山・升田時代には「真剣勝負に臨む剣豪」のイメージになり、「自然流」中原誠から「光速の寄せ谷川浩司を経て、羽生世代になると「知的でスマートな棋士」のイメージが定着する。

そして今の藤井聡太を頂点とする棋士は、「高度なマインドスポーツを展開する頭脳集団」というイメージを生み出し、将棋のメジャー化に貢献している、という。

そうなると当然ながらかつての将棋界にあった「芸事」臭はなくなり、デオドラント化されたクリーンな世界となっていくのも必然である。

近代将棋」なんか読むとタニマチやらアマ強豪やらが入り乱れて真剣師まがいの胡散臭い棋界の様子が伝わってくるが、平成の羽生世代くらいまでギリギリそういう匂いはまだあった気がするし、今でも完全に払拭されたとも言い切れないのではないか。

棋士というのは天才である替わりにどこか破天荒な部分がないとやってられないもので、羽生や藤井のような超人的な自己コントロールの術を持たない人物もどうしても出現してしまう。

先日も永瀬拓也王座が羽生九段に完敗したのが悔しかったのか感想戦を行わず立ち去ったことでファンの間でちょっとした話題になったが、昔ならそんなことは日常茶飯事で、羽生もそのことは分かっているから大人の態度で接している。

それにしても昨年将棋連盟を退会し、SNS上の名誉棄損により逮捕されたと報じられた元棋士が、刑事裁判の法廷でも裁判官に暴言を吐いて退廷させられる際に揉み合いになり証言台を引き倒したというようなニュースを聞くと、常軌の逸し方は昔よりもエスカレートしてるんじゃないかとさえ思えてくる。

等々と考えながら「近代将棋」のバックナンバーを読んでいるうちに1994年の林葉直子失踪騒動と1998年の中原・林葉の不倫騒動についての団鬼六のエッセイを読み耽ってしまうことに。

未だに自分の中ではこれを超える将棋界スキャンダルというのは思い浮かばない。

大山名人が存命中ならもっと上手く処理できたのではないか等という話もあったように記憶しているが何とも言えない。

この件については団鬼六のエッセイが一番腑に落ちた。

昨日NHKで放送されていた羽生善治王将戦挑戦ドキュメンタリーも見た。感想は特になし。羽生世代に属する人間としては頑張ってほしいとしか言えない。

何だかんだでこの週末は将棋漬けであった。