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聖者

棋士は庶民の英雄だ。単なる名声だけでなく、実力の世界で、禁欲と自己統制によって獲得した地位だけに英雄的だ。そして、何より将棋一本に打ち込んでいる。非生産的な、いわば無益な(功利性のない)ものに打ち込む。そこには、世俗的な関心はなく、常識も欠落したりする。これはフールの属性だ。この二つが融合して存在する人たちに対し、一般の人は、自分がそうなろうとは思わないが、尊敬を払うという。

中平邦彦「聖性」(『将棋エッセイコレクション』ちくま文庫、2014)

1981年(昭和56年)「レジャー白書」は将棋人口を2400万人としている。これは当時の日本の成人男子の三人に一人にあたる。この時期が戦後の頂点とされる。

2021年(令和3年)、同じ統計では、将棋人口は500万人(ちなみに囲碁は150万人)。

40年の間に、将棋人口はおよそ5分の1になった。もっとも、この統計が、将棋のルールを知らなくても棋士たちの対局を「観る」ことを趣味とする所謂「観る将」まで含んでいるのか、仮にその層を加えるとどういうことになるのかは不明である(個人的には、前記のような純粋な「観る将」の数はそれほど多くない(せいぜい10~50万人程度)と思っている)。

僕が将棋に関心を持っているのは、専ら子供の頃に親が将棋世界を毎月購読していたという事情によるものである。まがりなりにも駒の動かし方を覚えて父親と駒落ちで指していたが、六枚落ちでも勝てなかった。父は初心者に勝たせて喜ばせて伸ばすという発想はまるで無い人で、と金攻めで容赦なくやられた。父は囲碁も有段者で囲碁の雑誌も購読し、初心者用のテキストまで買ってみたが、とうとう囲碁は覚えられなかった。

このような偶然がなければ将棋を覚えることも、プロ棋士の動向に親しむこともなかっただろう。ちなみに僕が将棋を覚えたのは上記の「戦後の頂点」期にあたる。小学校には一応「将棋部」があったが、父親に六枚落ちで勝てない僕が負ける相手がいなかった位だから、そのレベルはたかが知れていた。

中学に入って、同級生に「通天閣将棋大会」で準優勝したというのがいて、修学旅行のときにマグネットの将棋盤でバスの中で平手でずいぶん指したが、矢倉戦法も知らない僕が勝負になるはずもなかった。それでも平手で指す相手がいるというだけで楽しかった。

とうとう指し将棋は「ヘボ」の域を出ることがなかった僕でも、毎年行われる名人戦の観戦記を読むのは好きだった。父が毎年購入していた名人戦全記録」(毎日新聞社朝日新聞社を読みながら、中原誠大山康晴から名人を奪取した時の観戦記を読み、森けい二が剃髪で中原名人に挑んだシリーズや、中原VS米長の名人戦で中原が指した名手「5三銀」に訳も分からず痺れていた。あの加藤一二三が「絶対王者」だった中原誠を降して悲願の名人位に就いたときにはリアルタイムで興奮した。

そして時代は「最年少名人」谷川浩司の時代から、「七冠」羽生善治の時代へと移行していく。僕にとってのプロ棋士のイメージはこのあたりが最も強く刻まれている。

僕にとって棋士のイメージは、「聖者」そのものである。上に引用した中平邦彦の文章に100%共感する。

この中平の文章は、社会学者・井上俊の「将棋の棋士は、一種の聖者といってよい」という言葉を解説したものである。

アメリカの社会学者O・E・クラップによれば、人間の社会的カテゴリーは、「英雄」「悪漢」「馬鹿」「無関心」に分類できるという。そして「英雄」と「馬鹿」を併せ持つ者が<聖者>の属性を持つという。

「英雄」「悪漢」「馬鹿」は何となくわかるのだが、「無関心」とは何だろうか。

原書を読めば分かるのだろうが、直感的には、「消極的で何事にもコミットしない人々」「その日その日を無難無事に生きていくことのみを最上の価値とする人々」のことではないだろうか。つまり「英雄」にも「悪漢」にも「馬鹿」にもなれない人間のことだ。これはまさに今の自分を指す言葉だという気がする。

だからこそ、棋士という<聖者>の存在にこんなにも憧れるのだろう。