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第81期将棋名人戦第一局

将棋の藤井聡太竜王(王位、叡王棋王、王将、棋聖、20)が4月5・6日の両日に行われた「第81期名人戦七番勝負第1局」で渡辺明名人(38)を破り、シリーズ先勝を飾った。

第一日目の朝、振り駒の結果で渡辺名人が先手番と決まった時点で、いきなり「このシリーズのヤマを迎えた」という気分が盛り上がった。

藤井竜王は先手番で圧倒的な強さを誇る。渡辺名人としては、藤井竜王が後手番となった対局で勝たないとシリーズの勝機は見えない。

すなわち、渡辺名人が先手番であるこの第一局を落とせば、圧倒的に苦しい立場に追い込まれることになる。逆に勝てば、次局に負けても残り五番勝負に持ち込めるという考え方もできる。

対局は、両者の間で(というより最近のトッププロ同士の対戦で)圧倒的に多い角換わりの戦型を渡辺名人が避け、雁木模様かと思いきや、さらに変則的な早い仕掛けで機敏にリードを奪おうとしたが、藤井竜王が的確に対処し、第一日目の封じ手の時点で、ほぼ互角、或いは若干藤井竜王が差しやすい局面で終わった。

二日目は藤井竜王が攻め込む展開となり、渡辺名人が受けつつも巧みに反撃するも、藤井竜王が的確に押し切って110手まで渡辺名人の投了となった。途中、名人に受けの妙手があったとされるが、その手を選んでも苦しいことに変わりはなく、わずかな有利を確実に広げて隙を見せず勝ち切るという藤井竜王のいつものパターンであった。

Abema解説の森内俊之元名人が、終盤鋭い攻めから受けに転じた藤井の差し回しを見て、「谷川浩司(元名人)と大山康晴(元名人)が融合しているようだ」と感嘆の声を漏らしたのが印象深い。つまり史上最高の攻撃と史上最強の防御を兼ね備えているということで、これまでの将棋の歴史上最高レベルの強さといってよい。

強さということでいえば史上5人しかいない中学生棋士の一人であり、これまでの実績からしても歴代棋士トップクラスであることは間違いない渡辺明をして、藤井の完璧な差し回しの前にはどうすることもできなかった。

対局後、渡辺は自らのツイートに一言「えぐいよなあ」と書いた。それは「こんな超人を相手にしてどう戦えばいいのか」と嘆きとぼやきが混じった名人の苦渋の呟きであった。これで両者の対戦成績は渡辺の3勝17敗。もちろん渡辺がここまで負け越した棋士はこれまで誰もいない。

かつての天才・加藤一二三は、そんな弱気の見える渡辺に対して、渡辺明名人はもっと自信を持って、強気で行ったほうがいい。強気になると、それまではみえて来なかった手が次々とみえて来るから。」とツイートした。名人への激励と愛情の籠った、ひふみん一流のアドバイスである。

今年の棋聖戦に続いて名人戦でも敗れると、渡辺はいきなり二冠を失って「九段」を名乗ることになる。20歳だった2004年12月に竜王を獲得して以降、無冠になった期間がないまま歴代最長の19年目を迎えた渡辺は、六段で竜王となってから、「七段」も「八段」も「九段」も名乗ったことがない。

渡辺のこれまでの棋士人生は、順調そのものに見えて、実はかなり山あり谷ありで、深刻な危機を迎えたこともあった。

最初の危機は、永世竜王の座をかけて羽生善治と戦った第21期竜王戦のときで、0勝3敗の瀬戸際まで追い込まれた。有名なパリでの第一局で羽生に大局観を破壊された渡辺は、このまま失冠するであろうと誰もが思っていた。羽生にとっては史上初の「永世七冠」がかかる勝負であり、周囲の期待も羽生の勝利を後押ししていた(永世七冠を達成したら国民栄誉賞を受ける予定だったという)。

しかし渡辺は妻で漫画家・伊奈めぐみの「諦めたらそこで試合終了だよ」とのイラストのサポートを受け心機一転、なんと四連勝で逆転防衛を飾った。百年に一度の大勝負と語り継がれる名シリーズであった。

そして二番目の危機は、未だ関係棋士たちの間に苦い記憶を残す第29期竜王戦における挑戦者交代事件(詳細は省略)の後、ほとんど一年にわたって調子を崩し、順位戦A級から陥落したときだ。だが渡辺はここから翌年A級に復帰し、名人挑戦権を得て、それまで縁のなかった名人位を奪取する。このときの名人就任式で「道のりは簡単なものではなかった」と目に涙を浮かべながら語る渡辺の姿は印象深かった。

藤井聡太の出現と、彼の手で全てのタイトルを奪取されかねない今回の事態は、名人位に就いて名実ともに将棋界の第一人者となった渡辺明が迎えた、棋士人生最大の危機かもしれない。

20歳で竜王となって以来、ほぼたった一人で羽生世代と死闘を演じてきた渡辺をもってしても、これまでの<強さ>という概念を塗り替えるような藤井聡太という異次元の天才を前に、ほとんど打つ手がないように思える。

これを将棋の神が渡辺に与えたさらなる試練と見るか、藤井聡太による棋界制覇の最終段階に向けた工程の一つと見るか。現在のところ、藤井聡太に対抗できる実力を備えた棋士は片手で数えられるほどしかおらず、それらの棋士との間でも一段階強さのレベルが違うように感じられる。

かつての大山康晴時代のような「無風時代」が再び訪れるのか。そうなると、かつて糸谷九段が「斜陽産業」と呼んだ将棋界の行く末はどうなるのか。一抹の不安なしとしないが、藤井聡太という究極の天才の出現のタイミングはたぶん運命的なものだったのだろうとも思う。