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The Fringe of Power

ダウニング街日記―首相チャーチルのかたわらで〈上下巻〉」(ジョン コルヴィル (著), 都築 忠七 (翻訳), 光永 雅明 (翻訳), 見市 雅俊 (翻訳)、平凡社、1990年)

学生の頃に読んだ本がいろいろ出てきた。

大学の国際政治の教授が、ベルリンの壁崩壊の際に現場でコンクリートの瓦礫を拾ってきた話を興奮しながら喋る人で、好感を持てる数少ない授業だった(それでも最初の1回しか出ていない)。その教授がこの本を薦めていた。

自分のチャーチル観はこの秘書官の日記でほぼ尽きている。当時の政権内部の動き、外交、耐えて戦うロンドン市民たちの熱狂、そして当初は「危険人物」とみなされていたチャーチルが懐疑的な部下たちをいかにまとめ上げ統率したかの手腕がリアルに伝わってくる。

この日記を書いた秘書官コルヴィルとチャーチルは45歳の年齢差があった。全幅の信頼を寄せられていたが、こんな日記を書いていたことが知れたら即解雇されていただろう。あまりにも機密情報で溢れすぎている。それより興味深いのは、コルヴィルの冷静な観察眼により描かれるチャーチルや閣僚たち、ドゴールやその他の外国政治家たちの分析である。剥き出しの人間模様が描かれるが、ドロドロした情念劇ではない。本当に(国家の)生命を賭けた勝負を行っているときには、人間関係に淀んだ欲望の入る余地がなくなる。

英国の歴史上、かくも少数の人々によって、かくも多くのものが守られたことはかつてなかった

とはドイツ空軍を迎え撃つイギリス空軍パイロットたちの奮闘を称えたチャーチルの言葉だが、皮肉なことに、英国の歴史上最も統治者と民衆が共感の絆で結びつき、理想的な政治が行われたのは、ヒトラーの集中攻撃を受け街中が瓦礫の山になった「バトル・オブ・ブリテン」におけるチャーチル政権下であった。

例外なく、すべての市民が団結して己の役割を果たした。

それは死に甲斐のあるときであった

チャーチルは述べている。

チャーチルは「第二次世界大戦」という著書の中で、ロンドンで非合法な活動に携わってきた暗黒街の住民たちが、顔色一つ変えずに毎日黙々と不発弾処理を行い、数百の不発弾を処理した後、最後に粉々に吹っ飛ばされた挿話を語っている。

この時期のロンドンには、このような英雄たちが至る所に存在した。

コルヴィルもまた、ダウニング街で安穏と暮らすことに耐えられず、空軍を志願して一時期チャーチルのもとを離れる。チャーチルチャーチル夫人も最愛の孫のような彼の従軍には強く反対したが、コルヴィルは意志を貫いた…

2年後に呼び戻されたコルヴィルは、戦中のみならず戦後のチャーチル政権でも秘書官を務めた。

同時期にチャーチルの主治医であったロード・モーランも詳細な回想録を書いているが、こちらはもっと暴露的であり、感動は少ない。

チャーチル―生存の戦い 」(ロード・モーラン (著), 新庄 哲夫 (翻訳)、河出書房新社、1967年)