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第81期名人戦第五局

5月31日と6月1日に長野県上高井郡高山村「緑霞山宿 藤井荘」で行われた第81期名人戦第五局、渡辺明名人VS藤井聡太竜王の対局。

戦型は先手の渡辺名人が勝った第3局と同じ。途中で渡辺が手を変えた。

一日目の夕方、渡辺が長考し、このまま封じ手になるかと思われた局面で渡辺が右桂を跳ねた。そのまま封じ手の時間(午後6時半)となり、5分考えて藤井竜王が次の手を封じた。

翌日、封じ手は一番予想された端歩の突き捨てだった。これにノータイムで応じた名人に対し、藤井が時間を使う。

この局面になることは昨日の時点で分かっているから、ひと晩じっくり考えることもできたはず。ここで長考するのはおかしい、と傍目には思われた。

もしかすると、日曜日に岩手で行われた叡王戦五番勝負第四局で千日手含め三局の消耗戦を戦い、そのまま長野へ移動するという強行スケジュールによる疲労から、昨晩は局面の検討はせず休息に専念したとも考えられる。

結局30分以上考慮して藤井は敵陣に銀を打ち込んだが、これは正確に対応すれば名人が有利となる手であった。つまり最善手ではなかったわけで、この僅かなミスを誘うために一日目に盤面を挟んで藤井の疲労を感じ取った渡辺が封じ手のタイミングを計ったのだとしたら、恐るべき流石の勝負術と言わざるを得ない。

昼食休憩に入った時点の局面では、難解ながら渡辺名人がやや指しやすそうに思えた。

AI評価値的にも4:6で藤井の不利と出ていた。長考に沈む藤井の表情にも心なしか疲労の影が見える気がした。

長考の末、藤井は角を切る手順に踏み込んだ。これ以外では勝てないという手で、攻めているのではなく攻めさせられている感じ。渡辺は腰を落ち着け余裕をもって対応する。この勝負、ものにできる手ごたえあり、との表情。

だが読んでいるうちに迷いが生じてきたようだ。第三局では明らかに勝ちの局面で1時間以上決断がつかず手が止まったことを考えると、差し出された角を取ってよいのかどうかなかなか決断できないようにも見える。相手が藤井竜王でなければこんなに迷うことはないだろう。やはりこれまで苦汁を飲まされ続けたことが渡辺の勝負心を鈍らせている。

そして1時間半の長考の末、渡辺は角を取らずに、桂で王手をかけた。評価値は互角に戻ったが、逃げ方を間違えると完全に先手有利となる。そして正解の逃げ方は、一見して危険で指しにくい。もっとも藤井が間違えるはずはなく、少考で正しく(直感的に危なく見える方に)玉を逃げた。

渡辺は銀で王手をかける。これも正解は一通りしかない。最善手を指さなければ逆転(でも絶対に間違えない)という、いつもの藤井聡太の将棋になってきた。逆に渡辺は勝ちを読み切っているかのような落ち着いた表情。

先程まで疲労の影がみえた藤井の顔に生気が蘇り、眼には鋭い集中の光が宿り、忘我の読みのスイッチが入った。

名人位に向けた、ラストスパートが始まった。

寄せに出たはずの決め手をすかさず咎められた名人が、考慮に沈み、表情が変わった。読みに誤算があったことに気づいたようだ。

アベマTV解説の広瀬<ほぼ九段>八段も藤井有利を断言。目の前の藤井が席を立ったとき、渡辺は負けを悟ったかのように、がっくりと項垂れた。

81手目の局面で午後5時に30分の夕食休憩に入った。

消費時間は、渡辺7時間55分、藤井6時間55分。

早々に盤の前に戻った藤井は、最後の読みを入れる。もう名人位への最終コーナーを回る寸前まで来ている。転倒さえしなければ、ゴールテープを切るのはもう時間の問題だ。

新聞は号外の印刷を始める準備に入った。藤井の地元でも応援の人々が固唾を飲んでその瞬間が来るのを見守っている。

夕食休憩が終わった。

二人とももう勝負の行方は分かっている。それでもお互い少しずつ時間を使いながら慎重に指し進めていく。

もはやそれは勝ち負けを争う勝負の時ではなく、王者交代の厳粛な儀式の進行であった。

そして歴史が動いた―――。