War Is Over

 if you want it

カラスの赤ちゃん

昔,FM大阪で,毎週深夜に,忌野清志郎三宅伸治と一緒に『夜をぶっとばせ』という番組をやっていて,独特のディープな選曲とギター片手のリラックスした雰囲気が好きで愛聴していた。

 

ある夜,清志郎がアコギで,いつものようなブルーズではなしに,子どもの童謡の弾き語りを始めた。

 

カラスの赤ちゃん,なぜ泣くの

コーケコッコのオバさんに

赤いお帽子 ほしいよ

赤いお靴も ほしいよ と

カアカア 泣くのよ

 

やけにエモーショナルなキヨシローの歌声に,なぜあんなに情感が籠っていたのだろう? と当時,感動しながらも不思議に思ったものだ。

 

その後,記憶が定かでないのだが,彼がボソリと「うちの母親が歌った曲です」というようなことを話したような気がする。

 

もしかすると,清志郎の母上もまた歌の才能に恵まれていて,息子に受け継がれたのだろうか? なんてそれ以上詮索することもなく,ぼんやりと思っていたものだ。

 

このたび彼の訃報に接して,そのへんがなんとなく気になり,ネットを漁っていると,清志郎が昔『徹子の部屋』に出たときのこんな話が載っていた

 

これを読んで,もしかすると,『カラスの赤ちゃん』は彼が3歳のときに亡くなった,彼が1988年までその存在すら知らなかったという,生みの母親の愛唱歌だったのだろうか? などという妄想が新たに加わった。

 

詮索しても詮無きことではあるが,タイミング的にはたぶん今しかないので,書き留めておきたくなった。

 

(以下転載)

黒柳「この前出ていただいた時に,終わりのほうで,お母様がじつは2人いらっしゃったということから,お産みになったお母さんのお話から戦争の話になって,そこで終ったので,ぜひ終戦特集の時においでくださいということでおいでただきまして。あなたがお父様と思ってらしたかたが亡くなった。それは17年ぐらい前の話ですかね」

 

≪ええ、そうですね。88年ですね≫

 

「14年前ですね」

 

≪そうですかね。父がなくなって≫

 

「お母様はすでに亡くなって」

 

≪その2年前ぐらいに亡くなっていたんですけども。父がなくなって初七日が住んだ頃に,親戚の叔母さんが荷物をたくさん持ってきてくれて,その中に僕の本当の母の形見というんでしょうか、その類のを初めて見たんですけども≫

 

「おまえには本当の母親がいたんだよと。ビックリなすったでしょ」

 

≪写真とかも初めて見たんですけども≫

 

「あなたをお産みになったお母様の」

 

≪ビックリしましたね≫

 

「あなたが小さいときにお亡くなりになったんでしょ。実母の方は」

 

≪そうです。3歳のときに≫

 

「何となくは薄々は感じていたんだけども,育ててくれたかたが2人ともお優しい方だったんで,いいかって思って詮索はしなかったんですって」

 

≪そうですね≫

 

「そのままでいくと思ったら,親戚が本当のお母さんはこの方だと。でもお母様として育ててくださった方は本当のお母さんの妹さん?」

 

≪ええとお姉さんですね。叔母さんですね。≫

 

「お姉さまの夫婦のところで育てられて,本当の実両親だと思って。でもさっきの写真(※実のお母さんの写真が登場した)を拝見するとあなたそっくりですものね。じぶんでもそう思います?」

 

≪はい≫

 

「これがお母様の遺品で,ずいぶん親戚の方が長く持っていてくださったんですね。しかも初めて分かった事なんですけども,お母様が亡くなったのは今から48年ぐらい前のことで,テレビが世の中に始まったぐらいのことなんですけども。その実はお産みになったお母様があなたのお父様になる方と会う前に結婚してらした」

 

≪そうなんですね≫

 

「しかもその男の方が戦死なさった」

 

≪そうですね。最初に結婚した人がレイテ島のほうで戦死なさったそうです。≫

 

「ちょっとよろしいですか拝見して。これはあなたをお産みになったお母様がキチッとスクラップにしてらした」

※前の旦那さんの写真や旦那さんからの手紙などを忌野さんの生みのお母さんが張ったアルバムを持ってこられた

 

≪そうですね≫

 

「一番最初に,あなたとは血のつながりはないけども,あなたのお父様と結婚する前に結婚されていた方がこの方です。まわりにお母様が色々お書きになってるんですけども

 

”かえらざる人とは知れどわが心なお待ちわびぬ夢のまにまに”

 

”夢ならであえがたき君が面影の常に優しき瞳したもう”

 

こういうお歌が書いてあって,ずっとずーと待ってらしたっていうのが出てますよね。これをご覧になった時にどういう感じがしました?」

 

≪ううん、ちょうどこれが自分の手元に来る時に反戦反核のレコードを作っていたんですよ。カバーズという。それであの全然知らないで作っていたんですけどもそしたらこういうのが出てきたんでねすごい遺伝子が組み込まれてるのかなって思いましたね≫

 

「これは戦死したご主人の若い頃の写真でしょうね。整理してきれいにしてらして。技術者の方だったんですってね,この亡くなられた旦那様は?」

 

≪ああそうですね≫

 

「23歳で出征なさったそうです。最初は満州の方にいらっしゃって,それからは南方の方へいらっしゃるんですけども。

 

出征の君が心の面影を今日も祈りてそっと微笑む”。

 

まあそういう時もあったんですね。ご主人が23歳で出征されたんで,あなたのお母様はもっとお若かったかもしれませんよね。それで南方の方へいらっしゃいましてね。これからご紹介したいと思いますのは,全部戦地からのご主人の手紙を全部スクラップされてるんですよね。あの第一信というのを読ませていただきたいと思います。

 

この第一信というのは,まだ国内から戦地にまだ行ってないときだったんですね。

 

“先日はお見送りありがとう。元気でやっていますからご安心ください。来月3日に面会が許されるようですから時間は午前8時から午後5時までみんなで力をあわせてしかっりおねがいします”“近所の人にはいちいちお礼状など差し上げられませんからよろしくお願いします

 

とあって、そして召集されていったとスクラップブックには書いてあるんですけども。これは大きい字だったんですけども,戦地にいくと書く事が段々増えてきたので,ものすごい小さい字になっていくんですね。全部お読みになりました?」

 

≪はい≫

 

「読めない字もあったでしょう。段々検閲も入っているんですね。でもお母様は,着かないのもあったと思うんですけども,全部スクラップされていたんですね。コマーシャルをはさみまして14信というのを読ませていただこうと思います」

 

黒柳「第14信を読ませていただきます。昭和19年9月26日です。

 

夜遅くまで演習があった日 1度に4通もの便りをもらって実にうれしかった。一同に羨ましがられて得意だった。妻帯者が圧倒的に多かったので独身者が口惜しがるのは気の毒なほどだった。日記を送ってくれた思い付きははなはだ結構である。今後も続けて欲しい。心配していた体の様子 何事もない様子大いに安心したが,普段胃腸が悪いらしいからよく注意してくれ。必ずしも体が悪いから働くものがいないからというような悲壮な考えや遠慮をしないでどしどし休んだ方がいいと思う。フィリピンから金が遅れるらしいから手続きをして送るようにしておく。もし遅れたら英和辞典コンサイスを1冊おくってくれ

 

ということで。お手紙の中に奥様の体を気遣ってるということは,あなたが3歳の時になくなったということは体がお丈夫じゃなかったんですかね?」

 

≪なんかねあの・・・すごい丈夫だったらしいんですよ。親戚のおじさんに聞くと≫

 

「あなたを見てると丈夫そうに思いますけども」

 

≪すごい丈夫で働き者だったらしいですよ。すごい派手な着物とかが好きで。そういう丈夫な人に限ってこう病気になると早いらしいですね≫

 

「それで第22信ですけども。これは検閲がこのころあったと思うんですね。だからお母さんという風に書いていて,じつはそれは奥様に書いたんだと思うんですよ。お母さんとかけばいいんだけども,当時は妻にこんな事書いたりすると軟弱だって言われたりするんじゃないかなっと私は推察するんですけどもね。

 

”お母さん,私は今西の方を向いております。黄昏は深いジャングルの方に迫ってきました。だいぶ暗くなってきました。私の向いてる方だけ深紅にもえております。一面の青さの中でそこだけ明るくそこだけにおっております。その明るい方を向いておりますお母さんあなたの方を向いております。太陽もあなたのようです。気高く美しく愛情に満ちた夕焼けの太陽です。雲を染め海を染め森を染め山を染め私の心を染めて輝きわたる希望の色です。その色に磨かれて私はちかいたちます。あなたと一緒に毎日戦うのです。あなたの光に磨かれて強く戦い続けております。先ほどまで敵機はたけくまっておりました。砲弾はジャングルを揺さぶり続けておりました。今はすっかりしずかになっております。今日の戦争の苦しさも明日の爆撃の激しさもこの先の前にはものの数ではありません。この光をみつめております。あなたの方を見つめております。あなたの顔を見つめております。 これは過日新聞に載っていた黄昏という詩ですが,大変気持ちが私と同じように思えたので抜き書きしてお送りしました。何回も何回もよんでください。東京空襲の報を聞きましたがどうでした 家のものには被害はありませんでしたか?こっちは雨もなくなりましたので実に暑さが厳しく感じられます。嘘みたいな話でしょう

 

日本では12月ですからね。

 

“とうぶん便りは出せないと思います。皆々様によろしく”

 

ですからとってもこの詩がよかったということで,お母さんとなってるから奥様にそういう詩を送っても大丈夫だと思ったと思うんだけども,“何回も何回も読んでください”というところがね,きっと心を伝えようとなすったんでしょうね。でもこういうことを全然ご存じなかった忌野さんが反戦反核をずっとやってらっしゃったのは,DNAの中に組み込まれてたんじゃないかっておっしゃったんですけども,そうかもしれませんよね」

 

≪そうですね≫

 

黒柳「今の黄昏という愛情一杯のハガキを奥様が受け取ってらした時は,後で分かったんですけども,戦死してらしたんですね。届いた時はまだいきていると思ってらしたようなんですけども。

その戦死の公報というのもお母様は張ってらして、でも私は戦死の公報ってこんなに簡単なものだとは思わなかったんですよね。1枚のこんなペラっとした紙ですよ。死亡告知書って書いてありますよ。

しかも昭和23年にきてますから戦争が終って3年経ってからですよね。毎日毎日きっと待ってらしたんだと思うんですよね。お友達の生きて帰ってらしたかたが,ご主人の戦死を知って,ずいぶんみんな慰めのいいお手紙を下さってるんですよね。君の旦那さんは優しくて責任感があっていい人だったってね,かえってらした方から手紙をくださってるんですけども。

一番最後なんですけども,これが最後になってるんですけども,23年9月4日,夫の遺骨帰還の報を聞くって書いてありますね。それで終ってるからお母様はあとは何もする気にはならなかったんですかね。まだ紙が残ってるのにね。20か21かそれぐらいですかね。でもあなたよりもずっとお若いお母さんだからふしぎでしょう。」

 

忌野≪≫

 

黒柳「まああなたが戦争反対とかね,ずっと平和でなくっちゃと音楽を通して戦い続けているのを,あなたを産んだお母様がどこかで見ててくださったらよかったと思ってくださるんじゃないかしらね」

 

忌野≪そっすね≫