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スローバラード

先日BSテレビで、エレファントカシマシがRCサクセションの名曲『スローバラード」をカバーしていた。

忌野清志郎に対する自分の想いは以前にも書いたことがある。エレファントカシマシについての想いも以前に書いた

以前エレカシがRCの「ブンブンブン」のカバーをやっているのをテレビで見たことがあって、それはすごくよかった。 『スローバラード』は、さすがに原曲が清志郎の一世一代の名唱だから、比べてしまうと宮本に酷だろう。

いいものが見れた、というのが率直な感想だ。

ちなみについ昨日知ったのだが、UAも清志郎が亡くなった年にライブで「スロバラ」をカバーしていて、動画サイトで見たら素晴らしかった。

最近はジャズや菊地成孔関係の音源を多く聞いていて、そういうのを聴いているとつい「ロックは単純な音楽だ」という「上から目線」になりがちだが、言うまでもなく「単純=レベルが低い」、ということではありえないのであって、複雑極まりないモダン・ジャズだって元々はシンプル極まりない「ブルース」を基盤にしているのであり、マイルス・デイヴィスの複雑なポリリズム即興音楽とライトニン・ホプキンスの五十年一日のブルースとどっちがイケてるかという問題に単純な回答などありえない。

ということを前提として書くと、最近立て続けに読んだ菊地成孔の著作『スペインの宇宙食』、『サイコロジカル・ボディ・ブルース』、『レクイエムの達人』を構成する文章の約半分以上が、彼が元々自分のサイトや掲示板などのインターネットに書き込んだものであることを知って軽いショックを受けた(ちなみに、『レクイエム〜』所収の忌野清志郎への追悼文は涙なしには読めない位に秀逸な一篇だ)。

何ら外的な強制力が働いたわけでもなく純粋に内発的な衝動から自由奔放に気の赴くままに書き散らした文章がそのまま書籍化されて、ものすごく面白い作品として読めてしまうというのは明らかに菊地成孔の才能のなせる業だが、彼の文章は彼の音楽と同じ酩酊させるような独特のグルーヴがある。

エレカシ宮本浩次にもいくつかの著作がある。宮本の文章はストレートでシンプルでありながら衒いを含んだもので、やはり彼の音楽と通じるものがある。 などと取り留めのないことを思った。