INSTANT KARMA

We All Shine On

不屈の棋士

 

話題の新書「不屈の棋士」(大川慎太郎、講談社現代新書)を読んだ。

 

プロ棋士とコンピューター将棋に関する本はこれまでいくつも出ているが、これは羽生、渡辺というトップ棋士を含む11人のプロ棋士森内俊之佐藤康光糸谷哲郎などの元タイトルホルダーも含む)にがっつり話を聞き込んだ、現時点での決定版といえる本だ。

 

それぞれの棋士のスタンスの違いが鮮明になっていて興味深い。

 

複数の棋士が、第2回電王戦の三浦九段VS「GPS」における三浦の敗北を一つの分岐点と考えていることが分かって興味深かった。これは自分も同感で、あの時点でソフトとプロ棋士の実力比べという観点からは結論が出たものと思う。

 

今年グーグル人工知能囲碁のトッププロを負かして世界中に衝撃が走ったが、日本の将棋界はすでに同様の衝撃を体験していた。

 

あの三浦VS「GPS」の棋譜は、この数十年の将棋界における最も重要な作品(記録)として扱われてもおかしくないと思う。

 

その前に、第2回電王戦でプロ初敗北を喫した佐藤慎一VS「ポナンザ」戦は、会場で観戦していた客までショックのあまり泣いてしまうくらいのインパクトだったが、来るべきものが来た、という象徴的な意味を持つ儀式のようなものだったと思う。

 

同様の「儀式」は、今回の叡王戦で羽生「九段」がソフトと対局して負けた時(2連敗したとき)に繰り返されるだろう。しかし「不屈の棋士」を読む限り、最もソフト将棋に精通している千田翔太ですら、羽生を人間唯一の例外として判断を留保している。そこに人間側の最後の神話(幻想)が残されている。

 

羽生の敗北は、将棋界にとってのみならず、社会的にも最大の事件となるだろう。それほど羽生の背負うものは大きい。羽生自身それを十分に自覚したうえで叡王戦にエントリーしたのだから、その決断には敬服するしかない。

 

しかし羽生の敗北は、あくまでも象徴的な意義を持つものであり、実質的な結論はすでに三浦戦で出ていることは既に述べたとおり。

 

羽生の敗北を当然の前提として話を進めているが、もちろん羽生が勝つこともありうる。手合い違いの対局(たとえば奨励会初段とトッププロ位の差)であっても、渡辺明によれば20局のうち1局くらいは負けることはありうる。羽生が現在の自分とソフトの棋力についてどう分析しているかは本書のインタビューによっても不明だが、勝つ見込みが全くないのにエントリーすることはないだろう。

 

自分が将棋ファンとして最も望む展開は、羽生がソフト相手に1発入れて(2発は入らないと思う)、ソフトVS棋士という不毛な興業に永遠にケリをつけることだが、そうなる必要もない。

 

いずれにせよ、この本に登場している棋士たちのような魅力的な人間が将棋を指し続ける限り、棋士の存在価値が失われることなどありえないのだから。