INSTANT KARMA

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ブンミおじさんの森

 

世界はより小さく、より西洋的に、ハリウッド的になっている。でもこの映画には、私が見たこともないファンタジーがあった。それは美しく、まるで不思議な夢を見ているようだった。僕たちはいつも映画にサプライズを求めている。この映画は、まさにそのサプライズをもたらした。

── ティム・バートン(2010年カンヌ国際映画祭審査委員長)

 

あの懐かしい故郷に背を向けて一人で見ていたものが幻であり、

一見幻のような幼い頃の小さな共同体での記憶が、

逃れられないほどに愛すべきものであるとおしえてくれる。

── 奈良美智(画家)

 

熟れきった果実が落ちもせず、なおも枝にとどまるのをじっと見つめているかのようなスリリリングな114分!

しかも、果肉は一瞬ごとに若やいでいくかに見える。この稀有な体験を逸してはなるまい。

── 蓮實重彦(映画評論家)

 

アピチャートポン・ウィーラセータクン監督が第63回カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した作品『ブンミおじさんの森』が近所のツタヤに置いてあったので借りて観た。

 

『世紀の光』の4年後、『光りの墓』の5年前である2010年の作品だ。それぞれの出演者がこの作品にも出ていた。

 

 

先に『世紀の光』や『光りの墓』を見ていた自分はこの映画の世界に抵抗なく入っていけたが、正直、初めて見た人にとっては、「なんじゃこりゃ?」になる可能性が高いと思われる(タルコフスキーとかの難解な芸術映画を見慣れている人にとってはそうでもないのかもしれないが)。

 

パルムドール受賞作品」という触れ込みがあるから最後まで我慢して(?)観たという人も多いだろうし、そもそもそのような触れ込みがなければツタヤにこの前衛的で実験的な作品が置かれることはありえなかっただろう。

 

逆に、予備知識なしにこの映画を見て「面白かった!」と心の底から言える人は、自分の感受性と芸術的センスに自信を持って生きていくべき(まったく皮肉ではなくて)。

 

肝心な映画の話とはまったく関係のないどうでもいいことしか書いていないが、正直内容については何も書きようがない。「とにかく見て、感じろ!」などという阿呆なことしか言えない。

 

パルムドールの審査委員長をしていたティム・バートンが激賞したという話が流布しているようだが、たぶんティム・バートンだってこの映画の良さを説明できないはず。

 

アピチャッポン作品は、思考を働かせずに、一種のトリップ体験、瞑想体験として見るのがよいのだと思う。「ゾーン」に入りたい人はどうぞ〜ん。

 

なんて馬鹿なことばかりでお茶を濁すのは癪に障るため、以下にちょっと断片的な解釈を試みる。

 

ネタバレなんで未見の人は注意。

 

その前にこのことだけは言っておきたい。

 

この映画が高く評価されるような世界を私たちは決して失ってはいけない。

 

* * *

 

エンドクレジットの最後に、「『前世を思い出せる人の話』にインスピレーションを受けた」と表示される。

この映画を無理やり解釈すれば、「映画による仏教的曼荼羅」とでもいおうか。

森羅万象がこの映画の中には登場する。中でも一番重要なのは森。そして水。火の要素は余りないが、「光」とそれに対置されるもの(と同時に光を包含するもの)としての闇がある。

美がある。自然美、人工美、美の様々な側面がある。そして女性の美と醜さは等価なものとして描かれる。

人間がいる。虫がいる。動物がいる。魚がいる。岩がある。すべてが等価なものとしてある。

生と死がある。そして生と死をつなぐものとして前世の記憶がある。

死者は霊として登場し、人間世界を離れて向こう側に行ってしまった者は異形の存在として登場する。

未来も存在する。過去と等価なものとしての未来がある。

人間の営みとしての政治も除外されていない。

未来は静止画として示される。(ここは乾いた笑い所だ)

病があり、不具があり、死があり、弔いがある。

映画の冒頭に出てくる水牛、脈絡なく挿入される王女とナマズの交尾、これらはブンミおじさんの前世の記憶とみなすこともできる。

ブンミおじさんは森の洞窟という母胎に回帰して死ぬ。

ここの映像は出産体験と等価な臨死体験のエクスタシーにも似た神秘的な陶酔感を伴っている。

ブンミおじさんはどこに行ったのか? 亡くなった愛する妻の元へ?

あのナマズがブンミおじさんで、王女が妻だったのか?

映画は最後に生きている者たちが同時に死んだ後の霊でもあるという多次元世界を暗示する。

エンディングに流れるタイのポップソングの響き。

日本映画のエンディングに流れるJ-POPがこんな風であればどれほど素晴らしい事か。