文藝春秋2018年1月号にライター小松成美が『女優・のん「あまちゃん」からの4年半」という16頁の記事を書いている。
文藝春秋を買うのは10年ぶりくらいだが、早速買って読んでみた。
彼女を追いかけてきたファン達にとっては周知の事実だが、本人や関係者への取材を交えて、生い立ちから現在までの彼女の軌跡が、文藝春秋の読者層に向けて手際よくまとめられている。
小学校の担任の先生が今も大切に持っているという、のんが小学6年生の時に書いた「カサブタ」という詩が紹介されている。
小指と薬指の間にできたカサブタ
小さな小さなカサブタ
はがしてもはがしても
もどってくるカサブタ
こんなに小さいのにひつこくもどってくる
けれど
カサブタがあるということは
私は生きているしょうこ
単純な詩だが、ここにもう彼女の独特の感性の一端が露わになっている気がする。
「あの道端に落ちている石ころの形が変だ」(=カサブタが戻ってくる)という自然観察から始まって、「変なものは変って言っていいんだ」(=カサブタがあるということは私が生きているという証拠なのだ)という自己哲学に完結するという彼女の思考様式の萌芽がすでにここに見られる。
彼女の特徴は、「自分なりの論理を見つけて納得する」ところから行動する(そこからしか行動できない)というところにある。
演技についても、小松成美に対してこう語っている。
「私、『役に憑依している』と思われているようですね。でも、それは違います。天才ならそうできるかもしれませんが、私は違うんです。(中略)そうして一生懸命役に向き合って、向き合って、その役の内側に入り込んで、演技をしているんです。なので、納得できないと前へ進めないんです。演じることは自分の生き方だと思っています」
「納得しないと前へ進めない」性格は、一面から言えば「頑固」ともいえるし、集団の中では浮いてしまう厄介な面もある。良くも悪くも「職人気質」であり「アーチスト気質」ともいえる。
ただ彼女の場合、その「納得の仕方」が独特で、それが唯一無二の個性につながっている。
この点について、音楽面から、近田春夫が興味深い指摘をしている。(以下『週刊文春』「考えるヒット」より引用)
さてweb上に『へーんなのっ』のライブ映像があったので、とりあえず観始めた俺は「この女スゲー・・・。」
思わずそう独りごちてしまった。理由はふたつだ。
まずは「ボーカルをとりながらのロックギター演奏家」として素晴らしい、もといスゲー。いわゆる「人馬一体」のそのプレイスタイルの、なんとも様になっている半面、歌唱と楽器演奏がきちんと独立して、身体的によく整理された作業となっていることが、映像から見てとれるのである。その音色、リズム共に大変男性的な魅力に満ち溢れたものである点にも是非注目して頂きたい。これは本腰を入れてロック演奏をやってきたなというオーラが、画面から伝わってくると思うのである。
もうひとつは、コード進行である。良し悪しはともかく、どうも我が国ではロックと称する音楽においても、その和声の動きには聴き手の気分をウェットにさせるものが多い。この曲のコードには珍しくそした「感傷に人を導く」ようなところがない。誤解されることを承知で申すならば、のんのコード感覚は「外人ぽい」のだ。
果たしてそれが天性なのか、確信のもと論理的な模索によるものかは、一曲では判断がつかぬが、いずれにせよこの人のセンスの只者でないのは、歌詞/タイトルの表し方にも、十二分に散見は可能だ。あ、既に自分のレーベルを持ってるのもスゲーわ!
「文春」の「のん」推しがここまで露骨なのはファンにとっては頼もしいところだが、その背景には何が? という疑問はさておき、演技の仕方、言葉のチョイス、絵画のセンス、そして作曲のコード進行に至るまで、のんの感性は専門家さえ唸らせるものを持っているのは間違いないようだ。
近田春夫はそれを「外人ぽい」と表現したが、それを言い換えるなら、日本人的感性に縛られない世界的で普遍的なスケールを持っているということではないか。
私は「のん」の真価は海外で発見されるのではないかと以前から指摘してきたが(嘘)、すべての面でワールドクラスのポテンシャルを持つ彼女が、閉鎖的で陰湿で封建的で土着的でヤ○ザ的な体質を色濃く残している日本の芸能界からはみ出してしまったのは必然ではなかったかと思っている。
とにかく今の彼女に必要なのは良心的なクリエイターと協働することだ。今年は、それが十二分に実現された1年だった。目に付くところだけでも、矢野顕子、高橋幸宏、高野寛、大友良英、仲井戸麗市、岡村靖幸などなど・・・この国のトップクラスの才能と実績を持つクリエイターたちとの交流を着実に広げている。
これが音楽面だけでなく女優の世界にまで広がれば、とてつもないことになるだろう。
来年の活躍が今から楽しみで成らない。
文藝春秋の記事の中で、のんの起用に反対する勢力に対する片渕監督の怒りの声が記録されている。
「どこまで一人の若い女優をいじめれば気が済むんだ! 才能ある女優をいったいいつまで蔑ろにして放っておくつもりなんだ!」
来年は、彼女の才能に惚れ込み、くだらない常識と本気で闘ってくれる第二の片渕監督のような人がきっと出現するだろう。
のんがインタビューで語ったという次の一言を読んだときには、涙が出てきた。
「私の中にいるすずさんを、片渕監督夫妻が見つけてくれました。呉にお嫁に行ったすずさんになった2016年の夏の日を、私は生涯忘れないと思います」