INSTANT KARMA

We All Shine On

真夏の通り雨

昨日の流れから宇多田ヒカルを聴きたくなり、宇多田が「人間活動」からの復帰後に出した『ファントム』(2016年)と『初恋』(2018年)のCDを入手した。

ついでに『文學会』2020年1月号に掲載された又吉直樹との対談記事も読んだ。表現者うしの真摯な対話。

今の日本でトップのセールスと評価を併せ持つミュージシャンである宇多田ヒカルのことは当然知っているし(普通の日本人が知っているのと同じレベルで)、彼女の音楽もそれなりに好んで聴いてきたが、自分にとって特別な親しみを感じるアーチストとまでは行かなかった。「天才」という言葉で安易に評価するのもどうかと思っていたし、母親の藤圭子と安易に比べるのもどうかと思っていた。だが、又吉直樹との対談や、二枚の最近作を聴き、特別な愛着を感じる存在になった。

彼女が2010年に「人間活動宣言」をして音楽活動を休止し、結婚・出産・母親の死を経て、復活するまでの間に何があったのかについては、渋谷陽一が詳しくインタビューしているようだ。

ちなみに渋谷陽一は、藤圭子が亡くなったときブログにこう書いた。

高校時代、僕たちはロック・ミュージシャンについて語るように、藤圭子について語っていた。というか藤圭子を熱く語るのはたいていがロック・ファンだった。五木寛之の演歌の物語は、それは大人のロジックとしてよく出来たものだとは思うが、僕たち高校生は違う聞き方をしていたような気がする。

僕たちは演歌には何の興味もなかったが、藤圭子は本当に好きだった。だから、それが何故なのかを熱く語ったのだと思う。何で彼女の歌はロックのように、高校生の僕たちの心を揺らすのか、それは熱く語るにふさわしいテーマだったのだ。

幼い高校生なりに導いた結論は、彼女の持つ心の闇とロック・アーティストの持つ心の闇との相似性だ。僕らはそれに納得していた。高校生で藤圭子に興味を持つのはロック・ファンばかりだ、という謎の答えは僕たちにはそれくらいしか思い浮かばなかった。それは今になって考えても正しかったような気がする。

宇多田ヒカルさんの心境を思うと言葉を失う。なのでこのブログも書くのを迷った。しかし宇多田さんも、お母さんの歌を好きだったと思う。そう思って書いた。

ご冥福をお祈りします。

(以下ウィキペディアより引用はじめ)

2013年8月に母・藤圭子を亡くした当時について、宇多田はインタビューで次のように語った。「気持ち的にも、あまりにも母親がわたしにとって音楽そのものだったんで、『音楽とか歌詞とか、ああ無理、歌うのも、ああもうできない!』って、その時は思って」「『あ、もう人前には出られないな』ってほんと思いました、その時は。」その後宇多田は、2015年7月に第一子を出産。その当時、次のような心境の変化が起こったと語った。「『あ、わたし親になるんだ』って思ったら、急に『あ、仕事しなきゃ!』ってなったんですよ(笑)」

そして、本楽曲及びアルバム『Fantome』の制作に取り掛かったという。

真夏の通り雨」が収録されているアルバム『Fantome』の本格的な制作は、2015年3月頃に始まった。その中で、妊娠中の宇多田がまず第一に書き上げた曲は本楽曲(『真夏の通り雨』)であった。これについて宇多田はインタビューで、「やっぱり1曲目は、まず母のことを思いっきり、その時の一番強かった気持ちを出さないと、その次に進めない、みたいな感じだった」と語った。また、「母親の死で、(宇多田の)プライベートの事情が一気に曝された」ことで、「それまで森の中で作っていたとしたら、その時は、もう高原で、どこにも隠れるところのない状況」だったといい、「素直にそのまんま見せる、全部出す」ような表現をすることになったという。

真夏の通り雨は風呂の中でMVを見ながらよく歌うが、途中で涙が溢れだして歌えなくなる。渋谷陽一はこれを「日本ポップミュージック史上に残る名曲」と称賛し、「何度 (同曲を) 聴いたかわからない。聴く度に、この歌に込められた彼女の思いが強く伝わってきて胸がいっぱいになった」と言ったとか。それに付け加えるべき言葉はない。思えばこの曲だけでも、彼女は僕にとって特別に愛着のあるアーチストだと言ってしまって差し支えなかったのだ。

この曲の歌詞は宇多田ヒカルの亡き母への想いを吐露したものと誰もが思うのは当然だが、僕の妄想は、この曲の歌詞は、「宇多田ヒカルが無意識に(?)藤圭子の想いを表現してしまった」というものだ。

つまり、歌詞を宇多田ヒカル目線ではなく、藤圭子(宇多田純子)目線から見るとしたら? それは亡き藤圭子が、遂に結ばれることのなかった真の想い人であった男性に綴る恋文になるのではないのか? その視点で以下の歌詞を読んだらどうなるか?

夢の途中で目を覚まし

瞼閉じても戻れない

さっきまで鮮明だった世界 もう幻

 

汗ばんだ私をそっと抱き寄せて

たくさんの初めてを深く刻んだ

 

揺れる若葉に手を伸ばし

あなたに思い馳せる時

いつになったら悲しくなくなる

教えてほしい

 

今日私は一人じゃないし

それなりに幸せで

これでいいんだと言い聞かせてるけど

 

勝てぬ戦に息切らし

あなたに身を焦がした日々

忘れちゃったら私じゃなくなる

教えて 正しいサヨナラの仕方を

 

誰かに手を伸ばし

あなたに思い馳せる時

今あなたに聞きたいことがいっぱい

溢れて 溢れて

 

木々が芽吹く 月日巡る

変わらない気持ちを伝えたい

自由になる自由がある

立ち尽くす 見送りびとの影

 

思い出たちがふいに私を

乱暴に掴んで離さない

愛してます 尚も深く

降り止まぬ 真夏の通り雨

 

夢の途中で目を覚まし

瞼閉じても戻れない

さっきまであなたがいた未来

たずねて 明日へ

 

ずっと止まない止まない雨に

ずっと癒えない癒えない渇き

つまり、この曲こそが、宇多田ヒカルが『流星ひとつ』を読んだことへの(無意識の?)アンサーだったのだ、というのが僕の禁断の仮説である――