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小島信夫の文法

小島信夫の文法』(青木健著、2017年、水声社という本を借りて読む。

著者は、一時期小島信夫の編集者として接し、後に「小島信夫賞」の運営や選考にも係わり、「小島さんの10年余りの晩年、近くで濃密な時間を過ご」した。詩人で作家でもある。2019年に亡くなったようだ。

冒頭に〈『抱擁家族』をめぐって〉という読解の章があり、これが大変面白かった。

面白い小説というのは、その評論を読むのもまた楽しいものだが、『抱擁家族』という小説の面白さが、その愛読者と一緒に追体験できるような、幸福な感覚を味わうことが出来る。

作品と作家に対する愛が感じられるから、読んでいて泣けてくるし、もちろん大いに笑えもする。

第二章と第三章は、著者が1995年から2017年までに新聞や文芸誌等に発表したエッセイ。小島信夫の近くで接した著者ならではの貴重なエピソードを知ることが出来る。

特に、小島が一度「僕は『抱擁家族』を書いてから、あのような小説が書けなくなった」と

苦しそうに打ち明けたというエピソードが印象に残った。

確かに、完成度において、小島小説のピークはやはり『抱擁家族』だと思うし、後期の実験的な諸作品も凄いし老境私小説も味わい深いものではあるが、『抱擁家族』のような世界基準まで達しているかというと疑問が残るところだろう。しかし小島が最後まで小説の可能性について探求し考え抜いていたことは間違いない。

この本で凄いのは第四章の〈四十年後の『抱擁家族』〉という対談で、2004年に行われたものというから、『各務原・名古屋・国立』のあと、『残光』の前だ。

青木は、『各務原・名古屋・国立』という小説は、2001年9月11日の世界貿易センタービルへのテロ攻撃事件の場面で終了しているが、その後のことについて書くべきではないか、と小島に促し、書けない理由は何か、と鋭く迫っている。

小島の家庭事情をよく知る青木ならではの追及がリアルで、小島も青木には隠し事はできないといった感じで、痴呆症の進む妻(愛子)との生活を援助するために実家に戻った娘とその夫が、小島夫婦と親しく付き合い、そのプライベートにも入り込んで面倒をみてきた知人の仕事関係者らに反発を示す様子や、娘と愛子との確執の実態まで明け透けに語られせられる羽目に陥っている。「書いても誰も得をしないから書けない」という私小説ならではの切羽詰まった状況が明らかにされる。

結局、2006年に『残光』は発表されたのだが、そこでは既に愛子は施設に入っている。愛子が施設に入った経緯については、『うるわしき日々』で長男がアルコール中毒者のための病院に入った場面のように描写されることはなかった。そこにはやはり「誰も得をしない」事情があったのか、他に書けなかった理由があったのか。

青木健は小島の密葬にも参加し、保坂和志らと骨を拾っている。小島が2006年6月に倒れる直前にも岐阜の「小島信夫文学賞」の授賞式で行動を共にしていた。

小島信夫ファンにとっては必読の書であると思われる。