War Is Over

 if you want it

レペゼンぼく

抱擁家族」ってバンドがあるみたいだが、小島信夫の小説と関係あんのかな。ないことはないだろうと思うが。

二十世紀の魔術師と呼ばれるアルメニア人・Gの弟子として知られるロシア人・Pは、「どんなものでもよいから君が導師から学んでいる修練の具体的な成果を示してくれ」と頼まれたとき、それは〈不思議な自信〉を獲得したことかな、と答えた。

「それは普通の意味での自信ではないんだ。それどころかまったく逆で、むしろそれは自我、つまり、我々が普通に知っている自我〈セルフ〉というものが、重要なものではない、取るに足りないものだということへの確信なんだ。たとえば近年われわれの多くの友人に起こったような酷い惨事が起こっても、そのときそれに対処するのは〈私ではない〉、つまりこの普通の私ではなくて、その事態に対処できる私の中のもう一人の私なんだ。」

このことを、クリスチャンであれば〈神(イエス・キリスト)のご加護〉を感じていると表現するだろうし、仏教徒であれば如来の、新興宗教の信者であればその教祖様の、あるいは守護神の〈おかげ〉であると言うことだろう。Pは当時、自己想起という修練方法を基礎としたシステムを学んでいたから、〈私の中のもう一人の私〉と表現したに過ぎない。説明の仕方よりも、そういうものを実感しているかどうか、ということだ。

四半世紀前に働いていた職場に某新興宗教ジーエルエー)の信者がいて、酒の飲み過ぎで肝硬変で死んだが、「生きているときに奴は、〈俺は・・・・先生に守られているから死なない〉なんて口癖のように言っていたんだがなあ、ヘッ!」と同僚の年輩職員が吐き捨てるように話していたのを思い出す。

ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の中で、年若い修道僧アレクセイ・カラマーゾフが初めて魂の歓喜を覚え、大地に接吻したのは、彼が崇敬するゾシマ長老の遺体が腐臭を発し、信者たちの顰蹙を買っていたときだった…

そういえば先日、携帯に着信履歴があり、留守電メモの音声を聞くと、かつてお世話になった方だった。この人とはもう十年以上会っていないが、その頃は美術の先生をしていて、あることをきっかけに親しくなり、彼の車に乗せてもらって滋賀まで行ったこともあるし、魔法関係の貴重な原書をいただいたこともあった。そんな彼が、折り入って相談があるというので、こちらからかけ直して聞くと、おおむね以下のようなことであった。

彼の知り合いが日本のプロモーター(?)と組んでイベントを開き、収益は折半で、という話だったのだが、終わっても「そんな話あったっけ?」とトボケられ、その話を聞いて同情した彼が連絡したら、「恐喝で訴える」などと言ってきたという。とりあえず本人と直接話をしたい、というと、どうするか本人に確認してみる、というところで終わった。

美術の先生をしていた頃はガタイがよく色黒で一見強面風にも見えたから、彼が乗り込んでいったとしたら相手方にとっては脅しに来たと受け取られることもありえるかもしれないと思った。

気になったのは、イベントのテーマが、「新型コロナワクチンは世界的な陰謀である」というようなことで、電話の最後に彼が「君はまさかワクチン打たないでしょ? 絶対打っちゃだめだよ」となど言ってきたことである。

その夜、彼が口にしたキーワードでネット検索して見たら、「ワクチンはナチスと同じ」とか「一瞬で不安が消える方法」とか「次元上昇ですべてがハッピー」などの主張をしており、スピリチュアル業界の教祖的存在である某夫妻の推薦も受けている人であることが判明したため、翌日電話で丁重に断りした。別に偏見を持っている訳じゃないが、どうしてもやりにくい部分はあるし、過去にもいくつか苦い経験をしたことがあるので。

振り返ると恥の多い人生を歩んできた。昔、アメリカの政治などに詳しいS・Tの本を結構読んでいて、彼の〈学問道場〉に入っていたのも今となっては黒歴史である。

もう十年以上前のこととはいえ、あのようになり果てた人間を一時でも信用する気になっていた自分の愚かさを深く恥じる。もちろん彼の本(直筆のサイン入り本多数含む)は全部捨てた。この人物についてはもう何も知りたくないし知ろうとも思わない。