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対談・文学と人生

小島信夫と森敦の対談集「文学と人生」(講談社文芸文庫)を読んでいるが、単なる雑談と禅問答が入り混じったようなもので、ほとんど意味が分からない。

だが森敦の語り口調が、小島信夫の小説に出てくる森敦の口調とそっくりなのには笑った。大庭みな子や柄谷行人も本人とそっくりなのだろうか。

これを読む限り、この二人が波長が合うということはよく分る。実にスムーズに対話が進み、面白そうに語り合っていることが伝わってくる。だが何を話しているのかがよく分らない。

たとえば森敦が、禅などでは設問というものがあり、その設問はいつも絶体絶命のことをつきつけるわけですね。そのときおまえはどうするか。答えられなかったら、棒でぶん殴られちゃうわけね。たとえば断崖から落っこって、木の枝につかまっていると、上からは大蛇がくる、下からは猛獣がくる、そういうときにおまえはどうするか、というようなことを聞くわけです。というようなことを話すと、それに対して小島が、

森さんがやっておられたラジオの人生相談番組がそんな感じだった、という。たとえば、一例で、もっといい例があるかもしれないけれども、自分の子供が夫婦の寝室の場面を見てしまったというんですね。男の子がね。中学生くらいでしたかね。こちらは非常に悩んでいるんだけども、どうしたらいいだろうかという。

森は、そのときに何と答えたかを覚えていないといい、とにかく、その人に何かを与えるということはできない。それはむだなことだ。ところが、ある決断をもって、こうだ、といってしまうと、そうでなければそうでないという決断が出るわけですね、相手が。それはそれでいいんだ、と。すると小島は、世の中のことは、どんなささやかなことでも、そういう感じで処理されているのだ、という。

どっちかを選ぶことが出来ない絶体絶命の状況というのは、どっちを選んでもいいということなんだろう。というより、選ぶことなどできないのだ、と思う。

人が自分の両親を選ぶことができないということも、ある種の絶体絶命の状況に近い。選ぶというのは、贅沢品のようなものだ。選ぶというのを迷う、と言い換えてもいい。

常に絶体絶命の世界に生きている人間には、迷ったり選んだりしている余裕はない。戦国時代の武将の人生はそんな感じだった。

悲劇の本質は、選ぶことができないという事実の中にあり、喜劇の本質は、それにもかかわらず迷うことの中にある(二人がそう言っているわけではない)。森敦は、自分は悲劇に傾く傾向があるが、小島信夫は喜劇の人だという。

そういう、分ったような分らないような対話が延々と続く。面白い。