War Is Over

 if you want it

そして僕たちは途方に暮れる

週末に読んだ小説など

 

小島信夫『別れる理由3』

徳田秋声『新所帯(あらじょたい)』

佐伯一麦『渡良瀬』

佐伯一麦『鉄塔家族』

佐伯一麦『石の肺 僕のアスベスト履歴書』

和田芳恵『一葉の日記』

和田芳恵『暗い流れ』

綿矢りさ『インストール』

金原ひとみ蛇にピアス

保坂和志『生きる歓び』

 

小島信夫『別れる理由3』は、途中から、(1)作家が直接読者に語りかける、(2)作中人物が作者に電話をかけてくる、(3)実在の人物が登場して作中で延々と会話する、などの趣向が凝らされ、読者を飽きさせない。と言うのは嘘で、ウンザリしてとても読めたものではない。結局京子や絹子や恵子の話はどうなるのか。京子の息子のことはどうなるのか。肝心なことが何一つ展開せず放りっぱなしにされ、投げ出され、解決の兆しも見せられないまま終わる。これが小説だというのなら、適当に作家の頭に浮かんだことをダラダラダラダラと書き連ねていけばそれも小説だということになる。そして小島信夫のこういうやり方を流用して、それが小説の新しいスタイルのようだ、とでも主張したげな保坂和志によって書かれたのが『生きる歓び』という短編だ。谷中で拾った子猫を育てようとする話だが、身辺雑記に作者自身の世界観や人生観のようなものが挟まれながらいつの間にか始まりいつの間にか終わっているという作品で、これはこれで面白く読めた。こういう、言ってみれば「脳内ダダ洩れスタイル」とは対極にあるようなのが私小説家・佐伯一麦による長編『渡良瀬』と『鉄塔家族』である。『渡良瀬』は茨城の古河に住んでいた頃の電気工場に勤めていた生活が地味に描かれ、『鉄塔家族』では染物作家の女性と再婚して仙台の団地に住む生活が地味に描かれている。どちらも何かの文学賞を受賞している。地味だがよい作品である。そして電気工時代に曝されたアスベスト体験を交えたルポタージュが『石の肺』である。これも私小説と地続きの、佐伯読者にとっては必読書といえる。同じ〈日常系〉であっても保坂と佐伯のスタイルには歴然と違いがある。どちらが優れているという話ではない。スタイルを真似ても面白くないものは面白くないし、面白いものは面白い。

 

徳田秋声の『新所帯』佐伯一麦が愛読するといっている作品である。若い夫婦の、ちょっとした波風ある生活が巧みに語られている。漱石は秋声の小説は高く評価する一方で「フィロソフィーがない」といって批判してもいる。確かにここにあるのは〈どリアリズム〉であって、読んだ後に何か生活の質が上がるような、「読んでよかった」と思えるような具体的なメリットがない。漱石の小説なら、読後に何か人生について深く考えさせるようなものがある気がする。しかし秋声はただありのままの人生をありのままに提示しているだけで、だから何?というものがない。しかしありのままの人生をありのままに提示するような小説が一体誰に書けるだろうか。

和田芳恵『暗い流れ』は限りなく私小説に近い形で、ひとりの少年の「イタ・セクスアリス」を描こうとしたものである。官能小説ではないのだがそれ以上の官能性がここには含まれている。心の深いところに作用するようなものだ。その点、綿矢りさ『インストール』や金原ひとみ蛇にピアス』に描かれる官能性は浅い。心の表面にしか作用しない、ドンキホーテで売っている商品のようなもの(尤も綿矢は意図的にそう描いているのだともいえる)。両者とも文章は巧みだが、深いところに届いていないのは人生経験もあるから仕方がない、とばかり言えないのは、樋口一葉のような作家が存在するからである。樋口一葉(本名夏子、なつ)は24歳で人間の意識の奥に届くようなものを書いた。和田芳恵『一葉の日記』は、そんな作家の秘密に肉薄しようとした書物である。