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河野美地子

昨日のブログに書いた女優・河野美地子についてちょっと調べてみたが、たいしたことはわからず。

 

1983年、県立別府鶴見丘高校在学中の18歳のとき東映の「第一回ミス映画村」に選ばれ、そのときのコメントには

からだ全体で表現することが好きで、バレエを11年間続け充実感を味わっています。女優になって貧乏人から高貴な役までいろいろとやってみたいと決心しています。

とある。

その1年余り後、中島貞夫監督の秘蔵っ子として、中島が二十年来あたためてきた企画である映画「瀬降り物語」に出演し、ヌードや濡れ場を含む体当たりの演技を披露した。

この映画は、サンカと呼ばれた人々の暮らしを四季の移り変わりのなかで紹介し、大地に根ざして生きる人間のたくましさ、愛と憎しみ、喜びと哀しみを格調高く謳いあげていくというもので、ショーケン萩原健一)の復帰作としても注目された。ベルリン映画祭にも出品され、共演した藤田弓子や監督と一緒にベルリンへも渡った。

中島貞夫監督は彼女について映画当時にこう語っていた。

今回、いわば手つかずでこの勝負作に出してやろうと満を持していました。こまかい演技はつけず、全体が持っている雰囲気の中で、演技以前の問題から体で覚えさせました。河野はそれに応えて、よくやりました。最近の若い子のチャラチャラムードなんてみじんもなく、根性があります。久々の好女優の誕生ですよ

映画の中では、共同体の掟を破った制裁として首まで土中に埋められるシーンがあった。時間の描写が大切ということで、撮影は早朝、照りつける日中、夜間と七日がかり。どしゃ降りシーンでは、消防用の大型ホースで頭上から容赦なく放水され、撮影は延々三時間半も続いた。ドロまみれで、唇が青ざめた。その時、心配顔のスタッフに「大丈夫、気合いを入れてますから」とにっこり。「根性がある」とスタッフ一同が感心したという。

本当は苦しかった。でも、見せ場だからと思って頑張ったの。十一月に川へハダカで入るシーンもつらかった。夏でも冷めたい水だから、もう凍えそうでね。それにハダカだし。けれど、スタッフの人たちが一生懸命作業したり、気をつかってくれるのをみてると、恥ずかしいとかイヤだなんて言ってられなかった

萩原(健一)さんから『気を入れて役にいどめ』と教えられ、プレハブの四畳半で同室だった藤田(弓子)さんには、私生活でも〝おカカ〟のように細かい演技の指導をしてもらいました。共同生活という貴重な映画作りを体験して、演技を見て学ぶだけでなく、ベテランの俳優さんたちから役者の心構えを教わったと思います

大きな役なので、とても不安だった。でも、一年間頑張って本当によかった。女優の仕事を一生続けていく決心がつきました

これらの言葉からは、一生女優として生きていくんだという覚悟が感じられる。

「二十五歳になった時には、大人の女、悪女を演じられる女優になりたい」とも語っていた。彼女のいう悪女とは、女の魅力を武器に自分の意志を貫く女性だという。

この作品に続けて、同年に東映「花いちもんめ」(脚本:松田寛夫、監督:伊藤俊也、撮影:井口勇)という映画にも出演している。

この映画には僕の好きな長谷川真弓も出演しているが、河野美地子の役は「女子研究員」というものだった(映画は未見)。

1986年には6月に月曜ドラマランド「二十歳の時・夏まで待てない!少女が旅立つ危険な夜…」(脚本・監督:水島総)に、三田寛子国生さゆりとともに出演した。それ以外は、長七郎江戸日記、必殺仕事人、水戸黄門暴れん坊将軍三匹が斬る!といった、もっぱら時代劇中心の活動になる。

時代劇の中では、水責めに遭ったり、猿轡をかまされて緊縛されたり、なにかと虐められる女の役が多かったようだ。

「秘蔵っ子」としてあれほど河野美地子を手塩にかけて育てたはずの中島貞夫は、まるで河野を見放したかのように、「瀬降り物語」以降は彼女との仕事を行わなくなってしまう。

そして、わずか2年ほどの時代劇テレビ出演を最後に、河野美地子の名前は、映画・ドラマの出演者リストから完全に消滅してしまうのである。

もちろん、以上は、ネットでチョチョッとググった程度で得られる情報をまとめたものにすぎないから、これ以降にも芸能活動を続けている可能性はある。

世の中、ネットで得られる情報などたかが知れている。本当に重要なことはネット上には存在しない(だからそんな二束三文の情報を集めただけのチャットAIなど何ら恐れるに足りないと思っている)。

自分としては、新人でいきなり裸になる台本を渡されたとき、

近くの神社に行って、じっくり考えました。そして<タレントじゃなく女優としてやっていくなら、この芝居やるしかない>と決意したんです

と腹を決め、撮影後には

もうやめられません。女優はほんとにおもしろい。腰をすえて一生やっていきたい

と語っていた彼女の女優人生が、なんらかの事情により残念な結末を迎えたのではないことを願うのみである。