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独占インタビュー 私の女優人生を振りかえって

女優という枠ではくくれないほど、多彩な趣味や表情を見せてくれる紺青地佃子さん。今まであまり語られることのなかった、仕事への思いや葛藤を、ステキな笑顔とともにお話ししてくれました。

 

―――紺青地さんは、あまり私生活や生い立ちが見えにくい方、というイメージがあるのですが、昔を振り返るとどんな子どもでした?

 

ブラジルにいたのは2歳までですね。5歳の時にも2ヶ月だけブラジルに帰国したんですが、戻ってきてからはずっと日本という状態です。3人姉妹の末っ子で、実家はパン店を営んでいます。と言っても、ガラスケースにパンが並んでいて、パートのおばちゃんが1人いるような小さな店。軒先にはインベーダーゲームのようなゲーム機が1台、ぽつんと置いてありました。 商売人の娘だから、お小遣いはなし。欲しい物があれば家の手伝いをして自分で稼ぐしかありません。子どもの頃からよく、店のパンを50円で仕入れ、近くのホテルに営業したりしていました。仕入れと言っても、売れた分だけを支払います。残った利益が私のお小遣いになりました。 貯めたお小遣いで当たりが出るおもちゃを買います。ひとしきり遊ぶと飽きますよね。やってみると、だいたい100回に1回くらい当たりが出るな、というのもわかります。それを元に1回100円の設定にして店先に置きました。そうすると1日10人くらいがそれで遊んでくれるから、1日あたり1000円くらいの売り上げにはなる。 お小遣いをあげない方針に関して、うちの両親は本当に徹底していました。例えば、スーパーに買い物に行きますね、子供だから、買ってほしいお菓子を黙ってカゴに入れたりするわけです。レジまで行ったら、普通は「しょうがないな」となるじゃないですか。でも、うちの両親は違う。止めて「戻してきなさい」って言いますから。「買わない」と言ったら、絶対に買わない主義なんです。 子供時代はそんな風に過ごしていましたから、仕入れと販売、粗利の関係についてはごく自然と頭に入っていました。加えて、ものすごいハングリー精神もつきました。欲しいものがあっても我慢して、「いつか買ってやるぞ」と思う。小さいころからそういう渇望感を植え付けられたのは、良かったと思います。 それに将来は数学者になるつもりだったんです。でも、数学にはアーティスティックな側面があると考えていた私は、数学を勉強する前にまずは美大でアートの勉強をしてみようと思いました。でも、美大に入ってから何をやったらいいかまったくわからなくて。

 

―――それで紺青地さんは自分を理解して、女優という仕事に就いた…。

 

この仕事に就いたものの、ずっと向いていないと思いながらやってきましたね。でも、自分に向いているかどうか、というところから物事を判断しない。ゲルマニウムからネックレスを作れるからといって、ゲルマニウムを、歯磨きブラシとかいろいろ作ったとしても、それを求めている人がいるのか。

 

―――ニーズとかウオンツの話ですね。

 

この仕事を始めてすぐの頃、NHKのチーフ・プロデューサーからお聞きしたのですが、お笑い芸人は自分のやりたいお笑いがあって、それが一定ラインまで行って、やっと芸人として認められたからと好きなことをやってしまうから、ウケないそうです。これは女優も同じです。女優になったから『好きな芝居だけやるぜ!』みたいになってしまうとダメ。官僚も同じです。一流高校、一流大学を出て官僚になったからといって、好きな法律をつくってやってしまうから国民のためにならない。自分のやりたいことをやっては絶対にダメです。 最近、私がよく言うのは「作品を愛してはダメ」。

 

―――見えなくなってしまうということですね。

 

そうですね。私は変な話、何も好きなものがないんです。趣味も特にないんです。むしろ好きにならないように気をつけています。 だから、逆に私はミステリー小説の叙述トリックを網羅的に分類する作業にハマッているんですが、そういう自分のある程度気に入っている分野の作品とか役が来てしまうとだめです。土曜ワイド劇場が来てしまったら多分ダメでしょう。

 

―――思い入れがあるから、冷静に見られなくなってしまう。

 

それで、つけ髭をしたりわけのわからない役作りをしてしまう(笑)。でもすごい人見知りでしたし一人でいることが大好きでしたから、大勢の人と関わりながら足並みをそろえて何かを一緒にすることが重荷に思えてしまっった時期があって。もう続かないかなぁ、と思ったこともありましたけど。

 

―――それは、女優を続けたくないということですか?

 

“やる気がなくて続かない”という意味ではなくて、仕事の仕方ですね。 この仕事を始めて2年目くらいだったか、仕事に向かう途中、渋谷駅で自分の巨大な広告が目に飛び込んできたんです。そのとき、ふと思いました。心身ともに過酷なスケジュールの中でつくったポスターが街中にドーンと貼られているけれど、1週間後には何もなかったかのように消えていく。「このポスターはいったい誰に届いているんだろう」って。 そんな鬱々した気持ちを抱えているときに舞台と出会ったことが大きいのかもしれません。それまでトークショウとか生放送とか、人前に出る仕事は苦手だったので舞台なんかとんでもない! と思っていたのですが、いざ稽古に入るとひとつひとつ積み重ねていく工程に魅せられたのと、健全さに救われたんです。その当時私はテレビの仕事が主だったんですけど、この業界特有の政治的なドロドロした部分ばかり目にしてきていい加減ウンザリしていたので。 初舞台では、のえふちひぼぢこさんが演出家だったのですが、とても細やかに指導してくださって、舞台への恐怖心を取り除いてくれた。自分の中の蓋を取ってもらった気がしましたね。それから舞台に立つだけでなく、よく観に行くようにもなって。私劇場や演目、演出家の違いによっていろいろな面を見せる役者に対して“同業の目”というより、いちファンになってしまうんですよ(笑)。でもその感情はすごく心が健全になるし、健康的な気持ちになる。だから舞台は私にとって精神を安定させる場所なんです。

 

―――「紺青地佃子」という芸名に由来はあるんですか?

 

特にないです。なんか日本っぽい名前がいいなって気軽に考えました。「佃子」が最初に決まって、「佃子」をベースにあう苗字を探しました。それで「原」は原監督もいるし悪いイメージないよね、という感じで候補に上がりました。字画数を調べたら、意外によくなかったので、「紺青地」に決まりました。

 

―――過去には結婚を考えた男性がいたそうですね。今は結婚願望はありますか?

 

今願望は全くないです。仕事を頑張りたいです。結婚を考えると、私生活と仕事と、どちらも中途半端になりそうで嫌なんです。結婚するんだったら引退してからかな。

―――気になる人はいるんですか?

 

特定の人はいませんが、キュンキュンはするようにしています(笑)。最近だと、久しぶりに電車に乗ったので道が分からなくて秋葉原の駅員さんに道を聞いた時に、「あっちです」ってさっと答えてくれて「めっちゃかっこいい」って思いました(笑)。仕事に徹している男の人に惚れやすいみたいで、そういう時に感じるキュンキュンを大切にしています(笑)。 「女優になる!」って決めた時は、本気で一人で生きていこうと思っていたので、男性を避けていた時期があったんです。でも結局一人で生きていくのは無理でした。家族が認めてくれたし、友達も理解してくれて楽になったので、意識が変わったかな。最近は普通に老若男女隔たりなく遊んでいます。

 

―――最初に主演したドラマで国民的な人気を獲得した後、事務所とトラブルになって2年くらい仕事が入らなかったことがありましたね。その間のお気持ちはいかがでしたか。

 

同じドラマで共演していた女優や俳優がいろんなドラマや映画で生き生きと活躍しているのを見て、内心焦りがなかったと言えばウソになります。私より年下のピチピチした子も何人も出てきましたしね。でも、私ほどの輝きを凌駕するような女優は皆無だったので、きっと需要はあると確信していました。 それに私には芸術的な才能とセンスも備わっていましたので、いざとなれば芸術家として自立できるという思いもありました。そのときのために独自のブランド開発の準備もしていたんですよ。

 

―――紺青地さんはブランクの間にもご自身のブログで、日々の出来事やご自分の写真など、かなり凝った内容を発信されていましたね。

 

はい。これは初めてお話しすることですが、私のブログには「ぎなた読み」を更に進化させた独特の読み方があります。 「ぎなた読み」とは「弁慶が、なぎなたを持って」と読むところを「弁慶がな、ぎなたを持って」と、間違えて読んだことから「ぎなた読み」と言われています。有名な「ぎなた読み」には、「ここではきものを脱いでください。」と、言うのがあります。「ここで履き物を脱いでください」と「ここでは着物を脱いでください」という「ぎなた読み」。漢字違いも同種とされています。日本人は漢字を見たら、その瞬間並んだ漢字だけで意味を読み取るようになっています。視覚から意味を汲み取ってしまうからです。例えば、敢えて意味違いを起こさせるように「車で待とう」を「来るまで待とう」と書きます。 私が使っている「ぎなた読み」はかなり進化しています。「間違えて読んだ」の「ん」はアルファベットの「h」に似ているところから「間違えてよ。エッチだ。」と読むことができるんです。その時々において読み方は変化しますし、ひらがなの「う」は上部の「ゝ」(てん)と下部の「つ」で構成されていますから、「う」の一文字で「ゝ上つ下」「てんじょうつか」「天井通過」と読むことができます。私は、長い間かけてそれらを読み書きできるようになっていきました。暗号文のようなものですね。

―――演技派女優と呼ばれることについてどう思いますか。

 

若い頃にスタニスラフスキー系のメソッドに没頭してアメリカで半年間集中セミナー(断食、呼吸法、性格改造などを含む)を受けたことがあるくらいで、とりたてて演技の勉強をしたことはありません。 私が少し演技論の端っこを齧ってみて実感したことは、舞台でも、映画でも、テレビドラマでも、「メソッド」は邪魔にしかならないということです! 私は、最初一人で役を覚えるときにメソッドを使いますが、舞台に上がる前には、完全にメソッドを捨てているのです。映像のカメラの前に立つ、その前までにメソッドは捨てるのです。 逆説的な矛盾のようですが、メソッド演技は劇の前に捨てないと、舞台で、カメラの前で、 本当にメソッド演技を使えるようにはなりません。不思議なもので、メソッド演技を捨てることが本当にできると、本当の意味でメソッド演技を使えるようになるのです。 必要なのは潜在意識をオープンにして、MOMENT AND MOMENT、瞬間、瞬間に反応すること、それだけです。 舞台だけでなく、あらゆる演技は生き物ですから、あらかじめ決まった台詞を話す場合にも、そこにはスポンテイニアス(自発的)な動き、流れの中での行動が必要になります。それは顕在意識ではなく潜在意識の領域なのです。 潜在意識と演技の関係の関係について学ぶ上で一番参考になったのは、代々木忠監督の作品です。

 

―――具体的にはどういうことですか?

 

人が俳優や女優の演技を見て感動するのは、ミラーニューロンという脳内細胞の働きによるものです。実際に自分が体験していなくても、それを見ただけで、ミラーニューロンが活性化して、脳の中で同じように再現します。実際に、それを体験するときに活動する細胞が、同じように働くのです。 役者は自分の声や動きを観客と共有し、それによって観客が演技に能動的に参加して役者と一体化できるようにしなければなりません。こうした共有によってその演技はリアリティを帯び、存在価値が出てくるのです。自分がある行為を行うときにも、他者がその行為を行うのを眺めているときにも活性化するミラーニューロンによって、こうした「共有」を生物学的に説明できるようになったのです。 ミラーニューロンを前提に演技プランを構築すると、共感を得る為の重要な注意点が見えてきます。 人は無意識のうちに、常に人に対して本当に繊細な観察をしています。 本人さえもが自覚出来ない程、人は無意識の領域で相手を観察をし、何かを感じ取り、理解をし、疑問を抱き、共感をし、何かしらの判断を下しているものなのです。見ていない様でも常に感じている訳ですね、相手の表情や目つき、物腰や空気を。 役者の立場からしてみれば、それほど観客に見られているということです。 人前に出る時は表情や姿勢など常に注意が必要です。外見だけではなくメンタルがとても大切です。明るい気持ちで生きていないと明るい表情は生まれませんし、優しい気持ちでないと優しい表情は生まれません。誠実でなければ誠意は伝わりません。見せ掛けの演技は残念ながら見せかけでしかないのです。嘘は必ずバレます。観客の目は節穴ではないのです。

 

―――今度主演される映画は、ハッキングや盗聴などインターネット犯罪をテーマにしているということですが、役作りには苦労されたとか。

 

そういったことについては常々私自身関心を持っていたので、かなり勉強しましたね。 ある日、私とマネージャーとの会話がライブで放送されていた事がありました。電話もパソコンもバッテリーも外していたのに盗聴されていたのです。私はインターホンへのアクセスを疑いました。実際にインターホン盗聴の事実はあったからです。私はホテルなどに泊まるとき、まず最初にインターホンのブレイカーを切る事を習慣にしています。私は「ぎなた読み」から、全ての電気器具を疑っていました。電子レンジから漏れるマイクロ波、デジタルテレビ、エアコンセンサー・・・。盗聴手段は至る所に転がっています。 ネットでハッカーどうしが盗聴盗撮を語り合っている文面は、他者には理解できず世の中に広がりません。撮影期間中、私はほとんど寝られませんでした。盗聴盗撮の事実を周りが信じようとしないので、証拠集めに躍起になっていたのです。みなさんは携帯電話やスマートフォン、パソコンの盗聴盗撮が、どれだけ簡単にやれるのか、きっと知らないと思います。

 

―――ええ。

 

プログラマやパソコン上級者の手に掛かれば、難しいことではないのですよ。私の場合、それはゲームのようなものになり、確約されたルールの中で行われたのです。私はできる限りのことをしましたが、私の身体の体内時計はすっかり壊れてしまっていました。私には時々変更される「ぎなた読み」のルールが知らされないので、毎度変更されると解読にはかなりの時間がかかったのです。昼夜問わず時間を費やしました。 相手は複数のグループなので、ひとりで対抗するには完全に無理があったのです。私は、理解者、仲間を作らなくてはなりませんでした。相手は、私が孤軍奮闘していることを知っていました。今から思えば、この時の精神状態は普通ではありませんでした。常軌を逸していました。「決定的な証拠を手に入れてみせる」。この境地に陥ってしまったことが、あの事件を招いたのだと思います。

 

―――これから目指すところってございますか?

 

日本で断トツNo.1の女優になり、海外にも進出したいです。 海外の映画へ直接出演するのではなく、海外で賞を取る日本映画を足掛かりに展開していければと考えています。 20年間ずっと独自に演技のノウハウを磨いてきており、この演技のノウハウというのはどこにもないものなので日本で断トツNo.1の女優になった後は、いよいよ海外に進出しようと思っています。 今のハリウッドやヨーロッパには日本のような良心的な値段でプライドを持って見れるちょうど良い映画ってなかなかないんです。なので、そのような映画を作っていけたらという思いがあります。 ただ何よりも、売上の規模を競うとか利益の拡大を目指すとかそういうものではなくて、映画ファンにとって魅力的な、暖かみのある、自慢になるようなそんな映画、Good Cinema を目指したいですね。

 

―――映画監督みたいなことをおっしゃいますね。

 

将来は監督もしたいですね。今の日本にはロクな監督がいませんから。それに、自分に自信を持って、主演女優自らが責任をとるといった姿勢はいいと思っているので、ちょっぴり嬉しいのは、最近日本でも色々な企業で企業の顔のトップが沢山お出になることが増えていて、いいことだなあと思っています。

 

―――最後に、これから女優を目指す若い人たちへのメッセージをお願いします。

 

一夫一婦制は現実的にはもはや機能していないにもかかわらず、今すぐそれが変わるかといえば、おそらく変わらないでしょう。けれども、今の子たちが30代40代になり、主導的立場に立ったとき、きっと世の中は大きく変わっていくはずだと確信しています。そんな世の中をぜひ見てみたいですね!