INSTANT KARMA

We All Shine On

Awaken'd from the dream of life

実家から高校生の時にラジオをエアチェックしたカセットテープを持ってきたので、今となっては貴重な音源をyoutubeにでもアップしようと思い、変換器を購入。

ラジオもついていて、それはどうでもいいのだが、USBを差し込んでカセットを再生すればそのままmp3にしてくれるので使いやすい。以前にも一度安いのを購入したことがあるのだが、すぐに壊れてしまった。

今回のも、テープの再生具合に若干不安定要素があり、すぐに使えなくなる気がしないでもないが、最大の目的であった「初武道館前のハリーのインタビュー(by渋谷陽一」を上げることができたので、あといくつかやれば元は取れたと考えることにする。

youtu.be

 

プリンス・ルパート・ローウェンスタイン「ローリング・ストーンズを経営する: 貴族出身・“ロック最強の儲け屋”マネージャーによる40年史」(湯浅恵子訳、河出書房新社、2015年)という本を読んだ。

ストーンズを巡るロック・ビジネスの内幕なんて大して関心もないと思い長年存在は知りつつも読む気になれなかった本だったが、読んでみたら面白かった。著者はドイツ貴族の末裔でもある銀行マンで、ストーンズはじめロック・ミュージックは音楽として嫌悪していたが、頼まれて当時ストーンズを食い物にしていたアラン・クラインとの契約やデッカ・レーベルとの込み入ったビジネス関係からストーンズを救出した。過度な税負担から逃れるためにメンバーを南フランスに移住させ、メインストリートのならず者のきっかけを作ったのも彼。音楽抜きにミックやキースに魅力を感じ、献身的なまでにストーンズ「経営」に関わった著者の奮闘記。2008年に袂を分かち、この本を2013年に出版後すぐ亡くなったという。

この本の冒頭に、筆者が主催した社交パーティーにミックとマリアンヌ・フェイスフルが参加し(白い衣装で来るのが決まりだったがマリアンヌは黒ずくめで参加)、その夜にブライアン・ジョーンズが自宅のプールで溺死したことが書かれている。

3日後にハイド・パークで行われた無料追悼コンサートには25万人の聴衆が集まった。そのドキュメンタリーを見返してみた。

コンサートの前にミックがシェリーの「アドネイス」という詩を朗読する様子が、いかにもインテリを感じさせる。

Adonais: An Elegy on the Death of John Keats
BY PERCY BYSSHE SHELLEY

XXXIX
       Peace, peace! he is not dead, he doth not sleep,
       He hath awaken'd from the dream of life;
       'Tis we, who lost in stormy visions, keep
       With phantoms an unprofitable strife,
       And in mad trance, strike with our spirit's knife
       Invulnerable nothings. 

LII
       The One remains, the many change and pass;
       Heaven's light forever shines, Earth's shadows fly;
       Life, like a dome of many-colour'd glass,
       Stains the white radiance of Eternity,
       Until Death tramples it to fragments.—Die,
       If thou wouldst be with that which thou dost seek!
       Follow where all is fled!

 

39

しずかなれ、しずかなれ! 彼は死んだのではない、彼は眠っているのではない。

彼は生の夢から醒めたのである。

あらし狂うまぼろしのなかに没頭して、

益もなく、迷妄と戦いつづけ、

おのれを忘れて狂い、霊の刃(やいば)をもって、

傷つけられぬ虚無を撃つ、我々こそ、死んだのである。

 

52

「一」は残り「多」は変化し、消滅する。

天の光は永久にかがやき、大地のかげは飛ぶ。

「生」は多彩な瑠璃堂の如く、

「永遠」の白光をよごす。

「死」が「生」を微塵に砕くまで。――死せよ、

もし君が求めるものと一つになろうとするならば!

すべてのものが飛び去った処へつづけ!

 

「アドネス」シェリー詩集 (アポロン叢書 ; 第8)、佐藤清 訳

ついでに、ジム・モリソンブライアン・ジョーンズの死について書いた詩。

‘Ode to L.A. While Thinking of Brian Jones, Deceased’

 

I’m a resident of a city
They’ve just picked me to play
the Prince of Denmark

Poor Ophelia

All those ghosts he never saw
Floating to doom
On an iron candle

Come back, brave warrior
Do the dive
On another channel

Hot buttered pool
Where’s Marrakesh
Under the falls
the wild storm
where savages fell out
in late afternoon
monsters of rhythm

You’ve left your
Nothing
to compete w/
Silence

I hope you went out
Smiling
Like a child
Into the cool remnant
of a dream

The angel man
w/ Serpents competing
for his palms
& fingers
Finally claimed
This benevolent
Soul

Ophelia

Leaves, sodden
in silk

Chlorine
dream
mad stifled
Witness

The diving board, the plunge
The pool

You were a fighter
a damask musky muse

You were the bleached
Sun
for TV afternoon

horned-toads
maverick of a yellow spot

Look now to where it’s got
You

in meat heaven
w/ the cannibals
& jews

The gardener
Found
The body, rampant, Floating

Lucky Stiff
What is this green pale stuff
You’re made of

Poke holes in the goddess
Skin

Will he Stink
Carried heavenward
Thru the halls
of music

No Chance.

Requiem for a heavy
That smile
That porky satyr’s
leer
has leaped upward

into the loam

 

LAへ寄せる歌
 亡きブライアン・ジョーンズを想いつつ

俺は街の住人
デンマークの王子を演ずるために
ただ選ばれただけ

哀れなオフィーリア

鉄の蝋燭の上を
運命に向けて漂っていく
あのすべての亡霊たちを奴は決して見なかった

戻ってこい、勇敢な戦士よ
飛び込むんだ
別の海峡へ

熱いバターを溶かしたようなプール
マラケシュはどこにある
瀧の下に
荒々しい嵐
そこで野蛮人たちが落ちた
午後遅く
リズムの怪物たち

おまえは沈黙と競うための
何物も残さなかった

おまえは行ったと思いたい
笑いながら
子供のように
夢のひんやりとした名残りの中へと

天使の男が
その手のひらと指に
蛇を絡みつかせながら
とうとうこの情け深い魂を呼び寄せた

オフィーリア

絹に濡れた葉たち

塩素

狂気で硬直した
目撃者

跳躍台、プールへの飛び込み

おまえは闘士だった
薔薇色の麝香の香りのするミューズ

おまえは
午後のテレビのための
漂白された太陽

角のある悪者(ツノガエル)
黄色い斑点のある異端者(牛)

さあ見ろ
おまえが連れて行かれる場所を

肉食の天国
人食い人種とユダヤ人たちが共にいる

庭師が発見したのは
後ろ足で立つ 浮遊する身体

幸運な死体
おまえを構成する
この緑の色あせた材料は何だ

女神の肌を突き刺し
穴を開けよ

音楽の会堂を通って
天国へと運ばれるとき
彼は悪臭を放つだろうか

ノー・チャンスだ

悪役へのレクイエム

あの微笑み
あの肥った好色家の流し目が
上向きに跳んだ

柔らかな土に向って


(註)
ジム・モリソンはこの詩を、ローリング・ストーンズブライアン・ジョーンズが死んだ日、1969年7月3日の後に書いた。ジョーンズは自宅のプールで不審な溺死を遂げた。モリソンはこの詩を、同年7月21日にロサンゼルスのアクエリアス・シアターで行われたドアーズのコンサートの前に印刷して配布した。その現物はほとんど残っていない。同じ年に「デートブック」という雑誌にも掲載された。モリソンは二年後のまさに同じ日に死んだ。