INSTANT KARMA

We All Shine On

I’m Searchin' for Real Love

おれの腐れ縁の、性格の歪んだ友人がこんなメールを送って来た。

のん(能年玲奈)の新譜はスライダーズよりもロックンロールか?

おれの返信はただ一言。

能年玲奈こそがロックンロールだ

「くるまや書店」という方のTwitterで半年にわたり連載された「能年演技論」というのを見つけて一気に読んでしまう。じつに8万8千字以上に及ぶ力作。

これを読んで、やはり今の日本には能年玲奈という奇跡的存在のかけがえのない価値について本気で語る言説が足りなすぎると感じた。もっともっとこういうのがあっていい。現代のメシア誕生を伝えるには福音書が必要なのだ。

「くるまや書店」さんが語っている通り、今の日本の芸能界には<スター>を生み出す力がない。かつての名優や大女優のような圧倒的な存在がいなくなったのは、才能ある役者がいない為ではなく、スターを生み出し、輝かせることのできる<仕組み>がなくなってしまったからであり、芸能界がその腐敗と頽廃の極みに達してしまったからである。

能年玲奈というスターがかつての大女優のように輝くことができていない現状があるとすれば、それは今の芸能界(映画界やテレビ界)が能年玲奈という底なしのポテンシャルを扱える作品を提供できず、それを発表するのにふさわしい舞台を用意できないからに他ならない。

そんなトホホな現状を打破すべく、能年玲奈は自分で映画を撮り、主演し、劇場公開の手筈を整えるという、ほとんど超人的ともいえる異次元の活動を余儀なくされている(本人が進んでやっているという面もあるかもしれないが、どう考えてもスター自身がやる必要のないことまで背負わされているという面も否定できない)。それに加えて彼女は音楽活動(アルバム発表とライブ)やフェスの主催などまで手を広げている(これについては本人が進んでやっている面が強いと思うが)。

今彼女がやっていることは、例えるならば今の野球界で大谷翔平がやっていることに比すべきことであり、過去の映画スターたちを王や長嶋に準えるとしたら、能年玲奈大谷翔平に準えるのがピッタリくる。違いは大谷ほど正当に評価されていないというところに尽きる。

 

ここまで読んで、「こいつは馬鹿か?」という人に対しては、わたしが馬鹿であることは認める。だが「何を馬鹿なことを言ってるんだ」という人には、現時点では幸いなことに「絶賛再放送中の『あまちゃん』を見ろ」と言えば事足りる。

もちろんあれは十年前の能年玲奈であるから、三十歳の現在の能年玲奈の姿ではない。

しかし、誓って言うが、今の能年玲奈に「あまちゃん」クラスの脚本と演出を含めたコンテンツが提供されたら、今でも能年玲奈は楽々と場外ホームランを打つ力を持っている

もちろんそのホームラン打球は、「あまちゃん」とは違う軌道を描くであろう。

この世界の片隅に」が違う軌道を描いたように・・・

「くるまや書店」さんの「能年演技論」を読んで、そのことを再確認した―――。

 

えーっつと、ところで・・・クドカンさん・・・大友さん・・・

 

「季節のない街」に能年ちゃんは出ないんですか?