INSTANT KARMA

We All Shine On

謝罪します(追記あり)(追追記あり)

カミカゼの幽霊: 人間爆弾をつくった父」(神立 尚紀、小学館、2023年)を読む。

「桜花」の発案者で、戦後無戸籍のまま正体を隠して生き延びた太田正一のドキュメント。著者は情報提供者の遺族の納骨にまで同行している。これはなんかの賞を獲るだろうな。

湯川れい子の兄とかも出てくる。

「桜花」が米軍に「BAKA Bomb」(バカボン)と呼ばれていたのも日本人には哀しい気分のジョーク。そしていつの時代にも悪い奴ほどよく眠る。

しかし、戦後死んだことにされていてその存在に触れることがタブーだった人(太田正一)が死んだ直後にBBCから遺族に取材が来て番組が作られ、そのことを日本人が誰も知らないというのはマズいなと思った。

ジャニー喜多川のドキュメンタリーだって下手すりゃ日本人は知らないままだったんじゃないの?

ジャニーが一番ヤバいのは被害者に被害を正当化させていた洗脳の技術の部分なんだけど、そこは意図的にか何だか知らないがほとんどまったくスルーされている。

もと米軍通訳として働いていたジャニーはその洗脳技術を米軍から学んだのだ(たぶん)。

ジャニーについてはもう書きたくないが、最後にとてつもない暴言を吐けば、結局日本人が深層意識で許容してきたから大衆芸能として成立してきたのだと思う。本当に圧倒的多数の人間が嫌悪感を催していればスポンサーの動き方だって違うだろう。

今になって松尾潔スマイルカンパニーの契約を切られた腹いせに山下達郎を巻き込んでちょっとした騒ぎになっているが、だったら松尾は今まで知らなかったの?という話。自分が黙認していたことの責任はないのか?

BBCや外国人記者クラブでの会見がきっかけになって問題が本格的に表面化されるまでは松尾はジャニーによるタレントへの性被害について何か発言したことがあるのか? 

問題発覚後の会社としての動きが問題というなら、むしろ契約解除を待たず自分から辞めるべきで、山下と松尾では立場が全く違うのだから同じ行動を求めるのは無理筋。

もちろん山下達郎は何も悪くない!断固支持します!とか「音楽さえよければ」とか「アーチストじゃなくてアルチザン云々」などと言うつもりはないが、この世で飯を食っていくためにまったく何の疚しいことに触れたことも無い完全潔白な人間なんているのか? まして日本の芸能界という世界で。この件で山下に「失望しました」とか言ってる奴は何なの?

自分の属する組織が不正な行為に関与していることが判明したら即縁を切る!と断言できるような<正義派>がツイッターだけでなくリアルに世に溢れていたら、こんな世の中にはなっていまいよ。

指先だけの<正義派>が余りにうっとうしいからイーロン・マスクが閲覧制限かけたのはよいことだと思った。

つい感情的になってしまいごめんなさい。謝罪します。

 

2023.7.3追記

自分がYouTubeに上げた山下達郎(ソングブック)の動画が権利者からの申立てにより削除された(これにより他の動画も含めてアカウント削除の可能性が出てきた)ことの腹いせと言うわけでもないが、少し補足しておきたい。

 

山下達郎とジャニーズとのつながりは、山下が中学生の頃にまで遡る。

山下は1967年、初代ボーイズ・グループ「ジャニーズ」のラジオ番組(文化放送『ハロー・ポップス』)の閲覧募集にハガキを出し、見事当選してスタジオに入ることができた。その時に大好きだった「愛しちゃダメ」のレコードは出ないんですか?と質問し、メンバーの真家ひろみから『あれは、もう出ないんだよ』と言われている。その時には既にジャニーズ解散が決まっていたのだ。

解散の経緯はこの記事に書いた。

wellwellwell.hatenablog.com

時は流れて、1978年シュガーベイブでデビューし、その後ソロ活動に転身したものの、思ったように売れず、歌手は辞めて裏方に徹しようかと考えていた山下を再起させたのがRVC(RCA Victor Corporation、のちのBMG JAPANというソニー・ミュージックエンタテインメント日本法人傘下のレコード会社)の小杉理宇造(こすぎりゅうぞう)だった。

小杉は1947年生まれで山下の6歳年上、1968年6月に馬飼野康二らと「ブルー・シャルム」というグループを結成し「春城伸彦(はるき のぶひこ)」の芸名でドラムを担当していた。ブルー・シャルムは六本木のクラブ等で活動していたところを元ジャニーズのの西郷輝彦に見いだされ、1969年1月、CBSソニーから「抱きしめたくて」でレコード・デビューを果たしたものの、翌年の1970年6月にマカロニ・ウエスタン調の「風の旅」をリリースしたのを最後に消えた。

1971年8月号の「スイング・ジャーナル」には、グリッチ製のドラム・フルセットを格安にて売ります(単品売りも可)との告知を出している小杉理宇造の名前が掲載されている。

山下達郎のマネジメントを目的に、コンサート・イベンター、ソーゴー東京の資金援助の下、芸能プロダクション「ワイルド・ハニー」が設立され、山下の著作権管理等を目的とした音楽出版社として「スマイルカンパニー」が設立された(社名は、ザ・ビーチ・ボーイズのアルバム『スマイル』に由来する)。

小杉は1982年にはアルファレコード創立者(当時社長)・村井邦彦ヤナセ会長・梁瀬次郎の支援の下、アルファ・ムーンを設立、1995年にはワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長就任するなど、日本音楽業界の支配的な地位にまで登りつめた人物である。

小杉はジャニー喜多川とも懇意の仲で、2003年11月にはジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長に就任した。

現在のスマイルカンパニーは、1984年から2017年まで代表を務めた小杉理宇造の後を継いで息子の小杉周水(こすぎ しゅうすい)が代表を務めている。

ミュージシャンとして鳴かず飛ばずで終わるところだった山下達郎にとって言わば救いの恩人とも呼べる人物が小杉理宇造であり、小杉を通して、昔からファンだった「ジャニーズ」の生みの親・ジャニー喜多川とのつながりが出来た。

山下の音楽に成功をもたらしたのは言うまでもなく「Ride On Time」以降のブレイクによるものだが、同時にジャニーズ事務所との共同制作から得られる収入も無視できない割合を占めていた。CMとのタイアップやドラマ主題歌とのタイアップを通じて山下の音楽が80年代以降、本人のテレビ露出が殆ど無いにもかかわらずお茶の間に浸透できたのも小杉~喜多川ラインの存在を抜きにしては考え難い。

これらの繋がりからも分かるように、山下達郎ジャニー喜多川と単なるビジネスパートナーというだけではなく、極めて密接な個人的関係を築いてきた。

2002年に行われたインタビュー小杉理宇造はこんな風に語っている。

今はスマイルカンパニーで、達郎さん、まりやさんを中心にやっているでしょう。生意気だけど、自分が一緒に過ごしてきた時間が多い人達が幸せになるにはどうしたらいいか、仕事は成果を上げなくちゃ幸せにはならないから、いっしょにやってきた仲間たちが成果をあげるのを見たいんです。僕はもう充分成果をいただいたから。

もう一つはジャニーズグループのスーパーバイザーみたいなことをやってるけど、僕はジャニーさん、メリーさんという人間が大好きで、この人たちが僕を必要としている限りはお役にたちたい、ただそれだけです。だから目標はもうふたつしかない。達郎、まりやが続ける限りは手助けしたいということ、ジャニーさんメリーさんに必要とされる間はお手伝いしたい、このふたつなんです。

今後、松尾潔からいわば投げつけられた「疑惑」に対して山下個人がどう反応するかは不明だが、誠実に応えようとすればするほど、その回答は長大なものとなるだろうし、通り一遍の表面的な釈明で終えることは不可能だろう。

そのような「説明責任」を避けて、スマイルカンパニー名義の木で鼻をくくったようなおざなりの回答(松尾に対する名誉棄損による法的措置を含む)で済ませる可能性も大いにある。

いずれにせよ、山下が今後どう振舞うのかが注視されていることは確かである。

 

2023.7.4追記

ジャニーズ問題について啓発的なリンクを追加

www.theheadline.jp

www.genron-alpha.com

なお、上記の大谷、速水、矢野の討論においては、

故・ジャニー喜多川氏の性暴力問題をめぐる暴露報道が連日のようになされ、SNS 中心とはいえそれに対する非難が巻き起こる現在の状況自体には大きな意義がある。実際に被害者がいる以上、加害側を擁護することはできない。しかし、かといって文化のすべてをキャンセルし、これまでジャニーズ「ファミリー」が築きあげてきた歴史をなかったことにするのも間違いだ。

と結論づけられているようだが、このような玉虫色的見解には納得しかねる。

第一に、ジャニー喜多川氏の性暴力について、いかなる被害があったのかの正式な検証が未だに行われていない。これがきちんと為されることが全ての議論の前提のはずである(社長自身が「知らなかった」などとトボけたままになっている)。この前提抜きに「文化のすべてをキャンセルし、これまでジャニーズ「ファミリー」が築きあげてきた歴史をなかったことにするのも間違いだ」などと主張するのはナンセンスである。

第二に、ジャニーズを独立した滝沢らにより別会社の事業も始まっており、日本芸能界の中でジャニーズが築き上げてきた歴史が「なかったことになる」などということは考えられないから、その心配そのものが杞憂にすぎずナンセンスである。

今の日本社会におけるパワーバランスを完全に読み違えた、ピント外れの議論にしか見えない。