INSTANT KARMA

We All Shine On

##NAME##

「あのさ、みさ、オーディションに受かるのをダラダラ待てるほど余裕ないんだよ。まだバイトできないから、今のうちに制服シスターズとか撮影会とか出て仕事しないと、やばいんだよ、みさ勉強とかしてる場合じゃないの。この仕事していれば水着の仕事ぐらい普通だって、みんなやるって、狭山さん言ってたじゃん。それも嫌がって、いじめなんか気にするってことはゆき、本気じゃないんでしょ。本気じゃないなら話合わないからもう帰って。てかもう、辞めて、全部。むかつくんだよそんなぬるい気持ちでいられると。子供じゃないんだからさ」

第169回芥川龍之介賞候補作品、児玉雨子『##NAME##』を読む。

候補になった頃からずっと読みたかったのだが、掲載誌の『文藝2023年夏号』が図書館でずっと順番待ちになっていて、ようやく読めた。

この小説を読みたくなった理由の一つは、所謂「児童ポルノ」の被害者の問題を「当事者」の観点から描いた作品、という評が耳に入ったからだった。

作者はアイドルソングの作詞家としてすでに有名な人で、主に「ハロプロ」楽曲の作詞を担当していたという。ウィキペディアによれば、

2014年にはライブイベントの構成・演出を担当している。夢みるアドレセンスの振付を担当していた竹中夏海から女性アイドル好きで構成される「なでksジャパン」の2期生に勝手に任命される

とある。

つまりジュニア・アイドル業界の内情を熟知した人間の観点から「業界の闇」に切り込んだ作品となっていることが期待される、というわけである。

 

(以下ネタバレあり)

 

主人公の雪那(ゆきな)は小学四年生の頃からジュニア・アイドルの事務所「ミラクルロード」に所属し、月に一度「レッスンシュート」と呼ばれるスタジオ撮影に通い、スクール水着やセーラー服姿の写真を撮られていた。同じ事務所には同い年の美砂乃がいて、雪那のことを「ゆき」と呼び、自分のことを「みさ」と呼ぶ。美砂乃は父親と幼い頃に生き別れ、母と二人暮らしのようだ。雪那の父は単身赴任で、数か月に一度しか家に帰って来ない。雪那の母は美人で、娘が芸能界に興味を持っていると知るや、早速雪那を事務所に所属させ、積極的に芸能活動を支援するようになる。

中学生になった雪那は、芸能活動のためにいったん入ったバスケ部の部活を辞めると、部活仲間に小学生時代の水着写真をネットで見つけられる。<変態><なんでこんなことしてんの?><キモ><死ね>などのメールが携帯に連日送られてくるようになる。

美砂乃と一緒にオーディションを受ける生活を続ける中で、雪那は少年漫画『両刃のアレックス』の熱心な読者になり、二次創作(夢小説)にハマっていく。ある夢小説サイトのブログでは、登場人物に自分の名前を当てはめて読むことができるようになっており、空欄の場合には<##NAME##>と表示される。雪那は自分の名前を入れて読むことに馴染めず、携帯で自分の名前は空欄のままで読んでいた。

オーディションを受けていくつもりの雪那と、撮影会やイベントを積極的にやっていこうと焦る美砂乃との間に距離が出来て、美砂乃は雪那を無視するようになる。初めてCMオーディションに受かった後に雪那は事務所を辞めたいと母親に伝える。一度は引き留めた母も二度目には折れて契約解除の申し入れをする。事務所からはあっさりと解約を承諾され、電話を切った母は泣き崩れる。雪那は空いた時間を受験勉強と二次創作小説の執筆で埋める。

大学生になった雪那は、ゼミでチャウシェスク政権下の発育不全の孤児たちが施設で虐待され、売春ツアーで糊口をしのぐ実態を告発したドキュメンタリーを見ながら、ソロDVDやデジタル写真集をたくさん出し、水着やコスプレ衣装を着てアイスキャンディを舐めながらカメラに微笑む美砂乃のことに思いを馳せる。

雪那はネット上にあるジュニアアイドル時代の写真が原因で、家庭教師のバイトを何度も途中で辞めさせられる。そんな中で、『両刃のアレックス』の作者が児童ポルノ禁止法違反(2015年改正)で逮捕されたという報道を知る。

ネットで「金井美砂乃、そして伝説へ」という広告記事に遭遇する。そこには、中学生の頃からほとんど変わらない容姿の美砂乃の写真があり、プロレスラーと「授かり婚」するのを理由に無期限活動休止を発表したことが記されていた。雪那は美砂乃のインスタのアカウントに<石田雪那です><元気ですか><ずっと美砂乃ちゃんのこと応援しています>と打ち込んで送信する。

大学のBL研究部の同僚で、小説や二次創作も書いている尾沢さんから、ジュニアアイドル時代のことを小説に書くよう熱心に勧められる。

「グレーな時点で石田さんは被害者なんだよ。どうして被害者だったくせに黙っているの。黙認しているならあなたも闇の一部なんだよ。ちゃんとさ、怒りなよ。アレックス受けが好きなのはわかるけど、尊いだけのものを書いてどうするの? そういうことから目を逸らしてもなかったことにはならないわけだし。私だったら絶対書くのに。現代の闇ってかんじで、賞とかなんか獲れそうだし」

雪那は尾沢の顔に漫画用墨汁をぶっかける。

雪那は改名の申し立てをするために司法書士事務所を訪ねる。

「雪那」を「ゆき」に改名し、消息を心配する母からの連絡に新しい名前で返信することを躊躇う。そしてゆきになったゆきのは、美砂乃をいちども「みさ」と呼んであげなかったことを思う。

 

物語は時系列を巧みに再編することで奥行きを生み出している。えらそうな言い方だが、非常に完成度の高い、よくできた小説だと思った。受賞作の「ハンチバック」のインパクトが大きすぎたために受賞には至らなかったが、この作品が受賞してもまったく違和感はなかった。

「ジュニアアイドル業界の闇を描く」という構造に単純に落とし込むのではなく、むしろそれを包み込む大きな構造、家族や学校、社会との関わりなどを描き込んだ作者の広い視点が、暴露小説のような通俗性を超えた次元で作品を成立させた。

 

逆に言えば、業界内の人間に対してはむしろ優しい視点で描かれている。芸能界の「内部」の側にはいわゆる悪人は出てこない(もちろん児童を性的対象として搾取するシステムは冷酷に描かれているが、それはこの小説のポイントではない)。これが作者が「業界内」で生きていることに起因するのかどうかはこの小説だけでは分からない。

むしろ芸能界を「外部」から糾弾し、それを「闇」と決めつけるような尾沢のような人物こそ「当事者」の敵として描かれている。ジュニアアイドル時代の水着写真を見つけて雪那を誹謗中傷する学校の連中もまた唾棄すべき存在として描かれる(男子生徒に下半身の写真を送ってしまったために虐めの標的になった松枝が雪那に許しを請う場面はネット時代の加害者と被害者の入れ替え可能性のリアルさを描いた巧い挿話である)。

 

結局のところこの小説が描こうとしたのは児童ポルノ搾取の実態や芸能界の「闇」などではなく、無自覚なままに大人から引き受けさせられた重荷(その象徴としての<名前NAME>)を主体的に乗り越えようとする一人の少女の成長記録であった。

 

作者は雪那と共に、<闇>は芸能界の内部にではなく、その「外側」にこそ存在しているのだと訴える。そしてその被害者である美砂乃に限りないシンパシーを寄せる。

これはこれで一つの、見過ごされやすい視点であり、この小説を価値あるものにしている最大の美点であると思う。

しかし同時に、作者自身が属するところの「内部」に存在する(紋切型な意味ではない)<闇>をこそ、次回作以降で提示することを期待したい。

それがあれば、もう一段階深い作品世界が生まれるのではないかと思った。