既報のとおり、佐村河内守の作曲したとされる作品の殆どは、新垣隆という作曲家の手になるものであることが明らかになった。
その経緯は、今日発売の『週刊文春』に詳しく記されている。
今日の午後、新垣氏による記者会見も予定されている。
この世界中を巻き込んだ世紀の偽作事件について、現段階で言えることはそう多くないが、一言だけ書いておきたくなった。
僕は以前、「佐村河内の作品」を聴いて衝撃を受け、このブログに記事も書いた。
それは佐村河内が全聾で、業障ともいえるさまざまな障害を負っていることを前提とした文章なので、今となってはまったく不適切であるが、ある意味で、そこに記されている言葉を変える必要も感じていない。
もちろん個々の言葉の意味は別の意義に解釈されなければならないにしても。
佐村河内守という人物の負っている闇は、やはりとてつもなく深いのだと思う。
新垣氏にしても然り。
事実は小説より奇なり。