INSTANT KARMA

We All Shine On

その火を飛び越えて

「普通にかわいいって何よ? 普通にかわいいって言われて喜ぶ親がいると思う?   親はね、異常にかわいいと思ってんのよ」 ――天野春子

 

アキと雨の表参道を歩いた。私はオレンジ色の傘、アキは青い色の傘をさして。 アキと同じ年くらいの頃、私は表参道のちょうど真ん中あたりにある横断歩道で信号待ちをしているふりをしながら芸能事務所にスカウトされるのを待っていた。持っている洋服の中で一番可愛い服を着て、お気に入りのタータンチェックの帽子をかぶって。アイドルに憧れて、夢は必ず叶うと信じていた。だからいつも胸がドキドキドキドキしていた。ドキドキしながらいつも何かを待っていた。でも、思い描く未来は明る過ぎて眩しくて真っ白く光っているだけで目つぶしを喰らったみたいに何も見えていなかったのかもしれない。 約一年間、朝のドラマでヒロイン「アキ」の母親役「春子」を演じた。若い頃アイドルを目指し、故郷を捨て、親を捨て、家出までして上京した東京で夢に破れ、タクシー運転手と結婚をして娘を産み家庭に入った専業主婦。そして年頃になった娘はかつての自分と同じアイドルの道を目指し始める。私は子どもを持たなかったが、役を通じて母親の気持ちを体現できるのは女優という仕事の面白いところである。ヒロインを演じた能年玲奈ちゃんの瑞々しさはアキそのもので、この子を全力で守りたいという気持ちにさせてくれる魅力的な女の子だった。ドラマの中でのアキの成長はそのまま能年ちゃんの成長だった。これはもうドラマを越えたドキュメンタリー。大人たちの中で懸命に頑張る彼女の姿を見ていると過去の自分をよく思い出す。 私は春子の目指したアイドルになって十六歳の時から大人たちの中でたった一人闘っていた。楽しかったけれど辛かった。辛かったけれど楽しかった。今となれば宝石箱にしまっておきたいくらいキラキラした時間だった。その頃の私は時間があるといつも表参道を歩いた。行きつけの美容院の帰り道、歌のレッスンの先生の家からの帰り道、お店のウインドウに飾られたディスプレイを見ながらぶらぶら歩いていた。中学生の頃から原宿が好きで日曜日には毎週のように友達と遊びに来ていたこの街を歩いていると、自分を見失わずにいられるような気がした。歩き疲れると歩道橋に上がって行き交う車や、歩道を歩く人々や、真っ直ぐに並んだ街路樹を眺めながら一休みした。 春子がなれなかったアイドル。私がならなかったお母さん。人生は何が起こるかわからない。どこで何を選んで今の人生に至ったかはもうわからないけれど、ほんの小さな選択によって、春子が私の人生を、私が春子の人生を送っていたのかもしれない。私が選ばなかったもうひとつの人生。だから、春子とアキ、私と能年ちゃん、二つの関係が物語を通して同時に進行するという不思議な体験をしている。 例えば、春子は過剰なほどに娘を守ろうとする。自分と同じ苦い思いを味わって欲しくないという思いが春子をそうさせる。娘を傷つけようとする敵に対して牙をむき暴言を吐き大暴れする。母親ならではの戦いっぶり。でも私の場合は、苦い思いも挫折も孤独も全て飛び越えて早くこっちへいらっしゃいという思いで能年ちゃんを見守る。まさに「その火を飛び越えて来い!」という心持ちで待っている。すぐに傷の手当ができるように万全な対策を用意して待っている。先輩ならではの立ち振る舞い。こんな風にフィクションとノンフィクションが同時に起こっている不思議な体験はなかなかできることではない。あまちゃんマジック。いやいや能年マジックなのだと思う。彼女が私の心を動かすのだ。  撮影中に二十歳になった能年ちゃんに、三つの鍵がついたネックレスを贈った。大人になるために必要な鍵。ゆっくり慎重に楽しんで大人のドアを開いてほしい。ドアの向こうにはいつでも未来が待っている。必要ならばいつでも私も待っている。 「その火を飛び越えて来い!」