INSTANT KARMA

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聖の青春 その4

今日もしょうぎのれんしゅうを六、七時間しました。朝から夕がたまでです。そしてまだ、のこっているので夜、やろうと思います。あと二もんです。だから時間はあと一時間です。

ぼくはこの一年間のうちだいぶんしょうぎが強くなりました。それはなぜかというとたぶん、れんしゅうを何回もやったり、ぼくよりも強い人としょうぎを、たくさんやったせいだと思います。

だからこんどからもこれを続けていこうと思います。

・・・そして今ごろからだんだん人がたいいんするのでさびしくなります。

でもそれはいっ時だけですぐに新しい人がはいって来ると思います。

村山聖が小学校2年生のとき入院していた国立原療養学校で書いた作文より)

 

たいいん、という言葉が病気の回復だけを意味しないことを聖は知っていた。

 

療養所の生活には身近で日常的な死があった。

 

聖だけでなく施設の固いベッドの上で暮らす子供たちはみな知っている。

 

子供達は信じられないくらいにあっけなく自分の前から消えていく。

 

同室の男の子が死んだときもあった。

 

施設の隅にひっそりと建つ、霊安棟の存在もその意味もみな知っていた。

 

そんな施設のベッドの中で、聖は将棋という途方もなく深く広がりのある世界をのぞき込み、魅了され始めていた。

 

聖にとって、将棋は大空を自由自在に駆け巡らせてくれる翼のようなものだった。

 

村上がプロになり、いつの間にか、大勢の弟弟子ができたとき、師匠の森にこう言ったことがある。

 

「全員、辞めさせた方がいいんじゃないですか」

 

「冴えんか?」

 

「はあ」

 

「誰がや?」

 

「いや、全員」

 

「そんなに冴えんかのう」

 

「冴える冴えないじゃなく、それ以前の問題です。将棋に対する考えが甘すぎます。真剣さがなさすぎます」

 

村山の奨励会同期の友人(加藤昌弘)が負けて、年齢制限のため退会を余儀なくされた日に、村山は、加藤が奨励会仲間の本間と酒を飲みに行くのを無理についてきた。

 

「僕はいつも苦しみながら将棋を指している。自分のそんな気持は元気な人たちには永遠に分からないでしょうね」

 

そう言いながら、酔いにふらついていた村山が、財布から一万円札を取り出しては、ビリビリと破り始めた。

 

「こんなもん、何の意味もない。何の意味もないんじゃ」

 

本間に「今日はもう帰れ」、と言われても「次も行く、もう一軒行く」と言い張って聞かない。

 

そして加藤に向かってこう叫んだ。

 

「加藤さんは負け犬ですよ。でも僕は負け犬じゃない」

 

人生で一番辛い日に、日頃から将棋の才能に圧倒され尊敬してきた村山にこんなことを言われ、加藤の憤懣は頂点に達した。

 

「俺だって、命かけてたんだ。もういっぺん言ってみろ」

 

加藤は怒鳴りつける。

 

村山は、暗い瞳で加藤を見据えて、何の躊躇もなく言い放った。

 

「加藤さんは負け犬です。僕は負け犬にはならない」

 

ボクシングで肉体を鍛えていた加藤の右拳が村山の顔面にクリーンヒットした。

 

ぐしゃっ、といやな音がした。村山は1メートルも吹っ飛び、ゴミ捨て場に倒れ込んだ。

 

鮮血に顔を染めながらよろよろと立ちあがった村山に加藤は叫んだ。

 

「自分が身体が弱いなんて思ってるうちは谷川や羽生に絶対勝てへんぞ。お前より苦しんでいる人間はようけおるんや」

 

村山は服を血に染めて、右手で鼻を押さえながら加藤に近づいてきた。

 

「僕には時間がないんだ。勝ちたい。そして早く名人になりたい」

 

「早く、名人になりたいんじゃ」

 

泣きながらもう一度叫んだ。

 

加藤の前に立って、村山ははっきりした目で加藤に問いかけた。

 

「加藤さん、僕殴り返してもいいですか」

 

「お前、名人になるつもりだったら俺を殴れ」

 

そう言った瞬間に、村山のパンチが加藤の顔面を襲った。加藤は敢えてよけなかった。

口の中がぐちゃぐちゃになり、気が遠くなりかけた。

 

「先輩を殴る奴がいるか」

 

加藤はそう叫んで、もう一発殴った。今度は左頬を。

 

今度は村山は倒れなかった。仁王立ちのまま、加藤の姿が見えなくなると、その場に崩れ落ちた。

 

慌てて舞い戻った本間が救急車を呼んだ。

 

救急車の中で村山は付き添う本間に泣きながら言った。

 

「僕、このまま加藤さんとは終わりにしたくない」

 

加藤は13歳で奨励会に入会し、12年間、青春のすべてを賭け、全エネルギーを奨励会に傾けてきた。満26歳までに三段に昇れなければ年齢制限で退会しなければならないという規則のため、この日で、それまでの努力が水泡に帰したのだった。

 

「また、一緒に飲みに行ったりしたいんです」

 

そう言って村山は泣きじゃくった。

 

亡くなる年、癌再発のため1年間の休場を決め、4月に緊急入院。転移が予想以上の速さで進んでいた。

 

思考が鈍り、将棋に差し障りがあるといって、鎮痛剤や解熱剤の投与を拒んだ。医者から処方される痛み止めの薬を村山はゴミ箱に投げ捨てていた。

 

余りの苦しさに歯が折れるくらいにガリガリと鳴らして悶え、時折悲鳴を上げるのを、母トミコは見守るしかなかった。

 

村山は、病室に自分の目線に時計を三つ置くように頼んだ。どんな体勢になっても常に時計が目に入るようにしたかった。

 

村山の弟弟子、山崎隆之(現七段)の追悼文より。

 

村山先生は、お世辞の多いこの世界で、僕が天才だのと言われ「オレが天才に見えるか天才が多い世界だなー」とやになっている時、

「山崎君、弱いですよ」

「山崎君も終わりかな」

四段になってからも将棋を見て「山崎君、もうちょっと強かったと思ったけどな」と見たまんまを言ってくれる人でやる気も出るしうれしい気持ちにさせてくれた。

歯に衣着せぬ人だったけど根がやさしいから村山先生を嫌いな人なんて聞いた事がない。

よく僕達に食事をご馳走してくれた。焼肉屋さんに行った時、ひょんな事から「自由ってあるかないか」の話になり、僕達は「ある」と言い、村山先生は「ない」と言い、あるんだって気持ちをぶつけると、ないんだって気持ちがバンと返ってきた。

こういう時、年が若いとか関係なく気持ちをバンと返してくれた。

「自由ないよ」って言ってた村山先生が一番自由に生きようとしてた気がする。

 

この前、村山先生の昔の記事を見た。

「将棋は心が疲れる、負けた時は死ぬかと思う」

「将棋に一生をかける価値はあるか」

昨年大手術をした時行ったら棋譜を並べてた。この言葉は本当の様な気がする。将棋に全力を出すとは思うけど、負けたら死ぬと思うとか一生をかけるとか図のたった八一個の桝目と四〇枚の駒に…。

 

腎臓と膀胱の摘出手術の後、父親と一緒に村山を病室に見舞った山崎は、思いもしない光景を目にしたという。

 

点滴の容器がきらきらと光っていた。そこから伸びた何本もの管がパジャマ姿の村山の体につなげられていた。

 

部屋の奥のベッドに座り込んでいた村山の右腕が緩やかに動いた。

 

そして、パシーンという乾いた音が病室に響きわたった。

 

棋譜を片手に将棋盤に向かい駒を並べる村山の周囲に漲っている張りつめた空気のため、山崎は声をかけることもできず、何か神聖なものに不躾に手を触れてしまったようなばつの悪さを感じながら病室を出た。

 

山崎の父は村山の父伸一に言った。「まさか、あの体で将棋の勉強をしているとは。A級にもなった村山君があんなに真剣に棋譜を調べているとは…」

 

そして絶句した。

 

平成4年2月、母トミコが広島から大阪のアパートに来て部屋を片付けていた時、部屋の片隅に村山のメモ書きを見つけた。

 

何のために生きる。

 

今の俺は昨日の俺に勝てるか。

 

勝つも地獄負けるも地獄。99の悲しみも1つの喜びで忘れられる。人間の本質はそうなのか?

 

人間は悲しみ苦しむために生まれたのだろうか。

 

人間は必ず死ぬ。必ず。

 

何もかも一夜の夢