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棋譜

団鬼六真剣師小池重明は将棋の伝説のアマ強豪・小池重明についてその数奇な生涯を重厚な筆致で描き切った名作小説だが、これはいったんNHKのドラマ化が内定し、1996年秋から連続四回のドラマが放映されることになっていたという。

ところが、これが土壇場でキャンセルになり、代わりに永六輔の「大往生」というドラマが放映された。団は特に気にもしなかったが、配役予定表まで送ってきながらなぜ土壇場でキャンセルになったのか何の説明もなかった。

NHKからは一度電話連絡があり、小池が刑事被告人になったことがあったかとか、将棋連盟が小池に対し悪感情を持っていなかったか、などと色々質問されたらしい。

テレビ朝日でもドラマ化の話を持ち掛けられ、NHKに決まったからと断ったりしていただけに腑に落ちなかったという。

1996年は羽生善治の七冠ブームにあやかってメディアが将棋を挙って取り上げる機運があり、10月にはNHK朝のテレビドラマ「ふたりっこ」という、プロ棋士をめざす女性の物語が放映されている。

 

一般的に言って自分は将棋の劇化というものを好まない。棋士でもない自分が言うのも筋違いだが、棋士同士の世界というのは以心伝心というか、言葉に出さず目に見えない部分に濃厚なドラマがあって、その濃厚なドラマを棋譜の中に込めるのがプロ棋士の仕事なのだと思う。

それが読者や視聴者の目に分かりやすくするためのフィクションとして劇化されると、その以心伝心の部分をどうしても台詞やら目に見える演技やらで表現しなければならず、そこにどうしても嘘くさいものが入り込んでしまう。

村山聖について書かれた「聖の青春」の映画化されたのを見たときなど、どうしてもそれを感じた(詳しくは映画を見た時のブログに書いた)。

ところが、原作である「聖の青春」や、団鬼六の「小池重明」のようなノンフィクション的作品(あくまでノンフィクション「的」ではあるのだが)には、そういう嘘くささは感じない。とても素直に感動できるのである。

そういう意味で、将棋や棋士たちを殊更にドラマ化するのではなく、棋士たちについて書かれたエッセイや観戦記は面白い。自分は小学生のころに「将棋世界」で連載されていた能智映棋士にまつわるエッセイを読んで将棋指しという存在の面白さを知った。

自分が将棋を知ったころには既に亡くなっていたが、山田道美という個性的な棋士がいた。1970年6月18日、わずか36歳の若さで、「血小板減少性紫斑病」という奇病によりA級棋士のままこの世を去った。

自らの定跡研究を著書で公開したり、若手と研究会を開いたりと、のちの将棋界に大きな影響を与えた。当時の将棋界の覇者であった大山にタイトル戦で二度挑戦し、炎のような闘志をむき出しにして敢然と立ち向かった、伝説の棋士である。

その私生活もまた伝説となっているほど求道的で、ストイックなものであった。

そんな山田が愛すべき後輩であり好敵手と認めていたのが、加藤一二三である。あまりプライベートで棋士と交流することのない山田が、加藤とはしばしば連れ立って散歩したり、喫茶店で熱く語り合ったりした様子が、山田の日記に記されている。

山田の死後に編纂された『山田道美将棋著作集」(中原誠編、大修館書店)に収められた日記は、その真摯な内容と将棋への熱い思いの込められた文章により、棋士の間にも愛読者が多いという。

 

村山聖にせよ、小池重明にせよ、山田道美にせよ、彼らの将棋魂の込められた生涯そのものが一つの作品であり、それは言葉を超えたものを伝える棋士うしの棋譜のようなもので、容易にフィクション化できるものではない。

ましてAIによって決して再現できるものではない。