INSTANT KARMA

We All Shine On

たまには愚痴らせてスローなブギにしてくれ

のんさんが出れないから言うわけではないけれど、民放テレビは本当に見ていてくだらない番組しかやっていないと思う。

在京キー局が特にひどいんじゃないか。地方のテレビ局は良心的な企画をやっているように思う。

2月にのんさんが岩手で宮沢賢治とクラシックについての特集番組のナビゲーターをやるそうだ。

だから言うわけではないけれど。

東海テレビなんかは、『ヤクザと憲法』をはじめ、攻めたドキュメンタリー良作を量産している。

それにひきかえ、在京キー局の番組の質の低さは目を覆うばかりだ。

ついに耐え切れずにダウンタウン松本が「ネットで話題になっていることをテレビが取り上げないのはおかしい。このままではテレビが信用を失う」とか言ったらしいが、まともな人たちの間ではとっくに信用なんかない。

いわゆるB層と呼ばれる人たちを面白おかしく笑わせていればそれでいい、という発想しか感じられない。

ピコ太郎みたいなのがその象徴だ。

その点、NHKはまだまともな番組も作る。昨年の紅白は民放バラエティ寄りにした演出がやや不満だったが、まだ良心みたいなものが残っている気がする。

昨夜の「クローズアップ現代」でも(国谷キャスターを頸にしたのは汚点だと思うが)、「この世界の片隅に」を取り上げて、冒頭にのんさんのインタビューを持ってくる演出はよかった。

ただちょっと映像がネタバレ気味だったのと、「戦争もの」の視点を強調し過ぎな気はした。「この世界の片隅に」が成功したのは、「戦争ものに見せかけた日常もの」だったところにあったと思うから。それに戦争は震災ではなくあくまで人間が起こしたものだ。日本人にはこの視点が欠けていることを外国のジャーナリストが再三指摘している。

まあ難しい話はやめよう。

僕が言いたいのは、のんさんは民放テレビに出る必要は無いのでは?(地方局は除く)ということなのである。

血とサーカスを求める残酷で無知な大衆の待つローマの闘技場みたいな場所にわざわざ出ていく必要はない。

のんさんはモデルだけでも十分食っていけるのだし、女優業は本当に納得できる、「この役は私じゃなきゃイヤです」と思える作品にだけ出ればいいのでは?

問題はそんな作品を作れる人が今の日本にいるかどうかだ。片渕監督のような情熱と技能を持った誠実な監督がいるだろうか?

造形は日本人として珍しいほどの美形でありながら、にっこり笑うと大衆性も感じさせる。生まれ持ってのスター性がある。こういう女優の誕生を、日本の芸能界、映画界は諸手を挙げて歓迎し、その育成に最大限の配慮をすべきであったのに、現状その正反対のことが行われている。

日本の芸能界は恥を知るべきだし、チンピラ同然の芸能事務所の言いなりになっている在京キー局のテレビマンたちは本当に情けないの一言である。お前たちの愚かさとヘタレ具合は、しっかりと歴史に刻印されることだろう。

能年玲奈が、「目ざすのは感性がストレートに流れ込んでくる女優。見る人に皮膚に刺さるような演技が見せられるようになりたい」と語ったのは、まだ「あまちゃん」が放映される前のことだ。

たしかに、のんさんの演技は「皮膚に刺さる」。これは訓練で身に着くというより、天性のものだ。

この世界の片隅に」では、ふわふわしてのほほんとした「すずさん」というキャラクターを演じながら、水原に言い寄られたときの場面や、周作を難詰する場面、右手を失って「何が良かったのか」と自問する場面、そして終戦の放送を聴いて慟哭する場面など、ドキッとするほど生々しい声の演技が、この作品は“単なる”ファンタジックなアニメ映画ではなく、実写以上にリアルなドキュメント映画なのだ、と観客に納得させた。

話は変わるが、小泉今日子の『書評集』という、昨年出た本をようやく読み始めた。

書評デビュー作の冒頭の文章を読んでたまげた。

誰だって、昔は女の子だった。おばさんだって、お婆ちゃんだって。女の子という骨組みに贅肉のようなものを少しずつ纏って女になっていくのだ。若い頃は、それも楽しい。お洒落をしたり、恋愛をしたり。でも、ある年齢を過ぎると、贅肉みたいな女度を憎らしく感じ、骨組みの女の子度がたまらなく愛おしくなる。

こんな文章を書ける人が、なんでアイドルをやったり女優なんかしているのか(失礼)。文筆家になるべきではなかったのか。 否。  この人は、単に書斎にこもって文字だけの書物を発表するには、あまりにも魅力的すぎる。それでは世間が納得しない。ということなのだろう。

彼女はこんなことを書いている。

四十歳を過ぎた私の人生の中で、やり残したことがあるとしたら 自分の子供を持つことだ。時間に限りのあることだから、ある年齢を 過ぎた女性なら一度は真剣に考えたことがあると思う。

子供がいようがいまいが、 大切な人に惜しみない愛情を注げる人になりたいと思った。 形のあるものじゃなく、 誰かの心の中に、 ほんのりと温かい小さな光のような思い出をいくつか残すことが出来たら、 自分の生きた人生にようやく意味を感じられるような気がした。

いったんここまで。