ハチ:やあやあクマさん久しぶり。髪切った?
クマ:何だよそのMステのタモさんみたいな挨拶は。
ハチ:キーボードで「タモサン」て打つと気持ちいいって知ってた?
クマ:知らねえよ!「のんさん」て打つのも同じくらい気持ちいいよ!
ハチ:ところで、あんたののんさんもこの世の映画を極めたみたいだねえ。
クマ:「あんたの」は余計だよ! のんさんは皆のものであって誰のものでもないの。
ハチ:名前自体がすべてをを全力で否定しているからな。
クマ:あと「映画」じゃなくて「栄華」だからね。引っかけたんだと思うけど。
ハチ:そうそう。そういえばヨコハマ映画祭もキネマ旬報も授賞式がテレビでニュースになってたよ。
クマ:マギーのスキャンダルは取り上げないテレビも、のんの映画祭受賞のニュースはさすがに取り上げざるを得なかったようだね。
ハチ:マギーは関係ねえだろ。
クマ:ところで、今日は、大成功した「この世界の片隅に」の秘密を探ってみようと思うんだ。
ハチ:秘密? 学研の「ひみつシリーズ」みたいな感じ?
クマ:「このせか」では、何度も語られているように、すずさんの役作りに当たって、のんさんは片渕監督を質問攻めにしたそうだ。これにピンと来たんだ。
ハチ:というと?
クマ:のんさんが演技に目覚めたのは、滝沢充子さんのレッスンを受けたことがきっかけであることはよく知られているだろう? 彼女はそのときにもそれぞれの演技の意味について滝沢さんをレッスンのたびに質問攻めにしたそうだ。要するに自分が納得するまで脚本の意味やキャラクターの内面をとことん突き詰めた上で役作りをするというのが彼女のやり方なんだね。
ハチ:ほう。
クマ:「あまちゃん」の時には、アキの演技に行き詰った彼女が滝沢氏に相談して、そのアドバイスに納得してようやく演じられたということがあったらしい。
ハチ:具体的には?
クマ:最初スタッフからは「とにかく明るい演技で」と言われたらしいんだが、「ママ(天野春子)とケンカした直後になんでゲラゲラ笑えるのか納得できない」と思ったんだとか。そしたら「アキはその場その場で面白いことに気持ちを切り替えて、前にあったことをコロッと忘れることができる子なんだ」と解釈のヒントを与えられて、アキの演技ができるようになったとか。
ハチ:彼女の演技は与えられた台詞を表面的に演じているのではなくて流れがあるからどこで場面を切ってもつながるんだ、と「あまちゃん」の演出家が言っていたけれど、そういうキャラクターの内面の掘り下げがあるからこそなんだな。
クマ:だから、すずさんの役についても、自分の中で解釈に悩んだ部分をすべて片渕監督に直接質問して理解しようとしたんだ。
ハチ:それに監督がとことん付き合ってくれたわけだ。
クマ:そう。まさにそれがあの映画の秘密だというのが俺の見方。彼女の徹底した「すずさん」の「内面の掘り下げ」につきあうことで、彼女の演技のポテンシャルが引き出され、さらにそこから監督は脚本の新たなヒントを得る、という理想的な共同作業が行われたのだと思う。
ハチ:でもそれってどんな作品でもあることじゃないの?
クマ:彼女が天才だとしたら、脚本の「爆笑」と「大笑い」の違いを分けて演じようとするところだ、と滝沢氏は言っている。彼女はそのくらいすべての場面をこだわり抜いて演じているわけで、どんな作品でもなかなかそのレベルまでは行かないと思うよ。
ハチ:監督によってはほとんど演技指導や演出をしないで役者に丸投げという人もいるらしいからな。
クマ:彼女はそういう監督とは合わないだろうね。それでも自分なりの演技はするだろうけど、ポテンシャル全開とはいかないだろう。
クマ:オタク気質ってことか?
ハチ:彼女は自分のことを「演技オタク」と呼んでるくらいだから。ある意味片渕監督自身の「ミリオタ」的な気質とうまくマッチしたんじゃないか。
クマ:これからもそういう人と出会えるといいんだがね。
ハチ:もう一つ注目したいのが<痛み>というキーワードなんだよ。
クマ:ほうほう。
ハチ:彼女は「この世界の片隅に」の原作を読んで、監督に「すずさんの<痛み>って何なんでしょう」と質問してきたらしい。すずさんは一見ぼうっとして何も考えていないように見えるけれど、心の奥に何かの痛みを抱えているはずで、その<痛み>を軸に演技を組み立てたいと。
クマ:着目点としては鋭いね。
ハチ:彼女はしばしば<痛み>という言葉を口にするんだ。例えばNHKで矢野顕子の特集番組があった時に、「矢野さんの音楽には優しさの中にチクッとする<痛み>があって、それがとても好き」というコメントをしている。また、好きな映画「ズートピア」のキャラクター、ニック・ワイルドはカッコよさの中に<痛み>を感じる部分がいいと言っている。
クマ:言われてみれば、のん自身のキャラクターにも明るさと純粋さの中に隠された痛みのようなものがあるような気がするね。
ハチ:もともと彼女は木地雅映子の本を愛読していたことからも分かるように、自分や他者の中の<痛み>に敏感なところがある人なんだね。そして現実の人生でも<痛み>を抱え込まざるを得ないような経験があって、より敏感になっているのかもしれない。
クマ:それは一面では人間的な深みにもつながると思うけれど。
ハチ:もちろん。彼女を見る者は、その演技の中に、あるいは見えないけれどその底にある<痛み>を感じとって、無意識のうちに心を揺さぶられているのかもしれないとさえ思う。
クマ:興味深いのは彼女自身がその<痛み>という要素に自覚的であることだね。
ハチ:世の中には精神的な傷やトラウマをテーマにした作品は山ほどあるけれど(というよりすべての作品はそれがテーマであると言ってもいい)、彼女が特別なのは、明るくて優しい、むしろコミカルな作品の中にチクッとした<痛み>をわざとらしくなく盛り込んでしまえるところだと思ってる。
クマ:矢野顕子の音楽のように?
ハチ:あるいは忌野清志郎の音楽のように。宮沢賢治の童話のようにといってもいい。そして・・・
クマ:はいはい、ご高説もうたっぷり賜りました。で、結論としては、お前さんは正真正銘の「のんヲタ」だってことだね。
ハチ:まだ「ワルイちゃん」の心理学的・哲学的意味について語るべきことがあるんだが・・・
クマ:今日はもう次の予定があるんで、ワルイんだけど、ちゃんちゃんってことで(相変わらず酷いオチ)。