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カタギの舌

深沢七郎「カタギの舌で味わう」

 

バーのホステスというのは職業だ。要するに、稼ぐということが目的だ。「あら、ちょっと私をそこへ座らせてよ」なんて言って座ると、もう座り賃がつく。それでまたすこしたつと、ほかの所へ行って座り賃を稼ぐ。ただ、一番重要なことは、そういう自分が楽しむんじゃなく、稼ぐということがひとつの職業になった場合、労働とちがうんです。こびを売ると昔の言葉は言うけど、好きでもない男の人にいいわねなんていうこと、それでなにかもらいたくてニヤッと笑ったり、そういうのをこびを売るというけど、それで金を稼ぐ職業だけど、それは、実際に働いたこととはちがう。春を売るというのともちがう。春を売るのは、肉体を提供して稼ぐことね。

 

ほんとに働くことと水商売のちがいは、たとえばここに、立派なお嬢さんがいて、そのお嬢さんがある期間、誰にも知られないように3か月だか1年水商売をやるわけです。立派な家庭のお嬢さんだから、だれにもわからないよ。そして、だれにも知られないうちに、お嫁に行く。ダンナも全然分からない。一生だれにもわからない。けれど、たったひとつ困ったことは感覚が狂っちゃうこと。いったん水商売をやってうまいぐあいに立ち回って稼ぐと、本当に働いた稼ぎでない金を手にすると、たとえば、神田から新宿まで切符を買うとする。水商売で感覚の狂った人の買った40円の切符と、1日1500円で働いた人の40円の切符とは、切符がちがってくる。彼女の切符と、働いた人の切符がちがうということは、ちがう道を行くわけです。今行ったお嬢さんが、水商売をしたことをだれにも知られずに一生を終わっても、感覚が狂っているから、切符を買っても、靴下を買っても、ネギを買っても、ちがった物になってしまっている。それは、どこかにほかのいいお嬢さんがいて、お父さんやお母さんにお金をもらって、銀座へ行っていい服を買ったりうまいもの食ってくるのと、水商売して感覚が狂ったのとはちがう。そこが、落とし穴みたいなもんなんだ。

 

水商売やった女(ひと)は、もう銭のこといえばすぐわかる。銭っていうのは50円とか100円とかいうのではなくてね。物でもバーンと気前良くしたり、かと思うといやに欲をかいたり。話がわかるような人から、うんととろうという考えがあったりする。大袈裟に言えば、そういう感覚が磨かれているからね。

 

そんなこと言っちゃ悪いけど、今川焼き屋してて、今川焼き買いにきた人が、銭を渡してくれるそれだけで、この人は水商売の人かな、カタギの人かなというのがわかるくらい。今川焼きの味まで違ってきてるわけだ。なにさこんな味っていうのと、これだけのお金ならこれくらいの味だろうっていうのと、もらった品物もちがう。うんと苦労して、砂漠の中で水を探して飲んだのと、水道の水を飲んだのとでは、同じ水でも、ちがう水の感じがする。それと同じ感覚で、今川焼きの味もちがうわけだ。

 

感覚によって、同じものでも味がちがってしまうっていうのは、おそろしいことですよ。だからオレは、なるべくカタギの舌で味わっていきたいと思う。