INSTANT KARMA

We All Shine On

Anyhow Anywhere Anyway

何に対しても関心が持てないというのは生きていく上でも痴呆症のリスクの上でも危険信号だと思うので、とにかく少しでも好奇心を持ち、読みたいと思った本を読むようにしている。今は松村雄策から早川義夫につながって、ドアーズ関連、そして松村雄策が評価していた佐藤泰志を読もうとしている。

かつてのように超常的なものにはまったく興味なくなり、私小説が一番リアルに感じる。そのうち巡り巡って再びそっちに関心が行くのかもしれないが、もうオカルトとか悟りとか超能力とかにはウンザリしている。昔から超能力には興味がなかった。肯定派と否定派で争うことには何の意味も見いだせない。信じる人は何を言っても信じるし、信じない人は何を言っても何を見せても信じない。よく聖書や聖者の伝記などで無神論者が奇跡を見て信じるようになったとの記述があるが、それはもう心の準備ができていたからであって、信じる用意ができていない人には何をしても無駄だ。そもそも信じるとか信じないとか言っている時点でナンセンスだ。あるものはあるのであり、ないものはないのだ。信じるか信じないかの問題ではない。それに人は理屈では信じるようにはならない。さらに言えば、あるかないか自体がどっちでもいい。超能力を信じるのかと言われれば、まあ、あるんでしょう、知らんけど、としか言えない。だが目の前でそんなものを見せられたくもない。幻覚剤を飲んで神秘体験したいとも思わない。久しぶりにウスペンスキーの「実験的神秘主義」やハクスレーの「知覚の扉」を読もうとしたが受け付けなかった。言葉にならないものを言語化しようとしても陳腐化するだけだ。禅問答などは言語化を放棄したところから来ている。それでも言語化しようとしているには違いないので禅問答も嫌いだ。心が動かされないものは自分にとって無価値だ。

ドアーズの音楽は聴く人間を内向させるという意味でジャックスと共通性がある。だが似ていると言えるのはそれくらいだと思う。