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完本 情況への発言 | 吉本 隆明 |本 | 通販 | Amazon

 

購読者による予約金以外の資本に頼らずほぼ独力で自分の書きたいことを書く場所を築き、いかなる組織や党派にも依りかからず、いつも完全に独りで、社会的地位や権威や社会的評価や名声の後押しを受けている論敵たちに〈受動的闘争性〉を剥き出しにした筆致で立ち向かいやり込める痛快さが味わえる。やられた方はたまったものではないだろう。その一方で、糸井重里やら高橋源一郎やら加藤典洋などの「やられなかった」人たちにとってはこれほど心置きなく称賛したり支持したりしなかったりできる頼もしい存在はいなかったのではないか。

ぼくは勢古浩爾高橋源一郎のような吉本隆明との劇的な出会いはなかった。

たぶん吉本隆明に興味を持ったのは「ロッキン・オン」あたりが発端ではないかと思う。株式会社ロッキン・オン社長の渋谷陽一は、吉本の晩年に多くの聞き書きの本を出している。彼が吉本思想の影響を受けていることは、吉本の文体に酷似した初期ロッキン・オンの評論を読めば明らかだろう。

高校生の頃に、現代書館の「フォー・ビギナーズ」シリーズの吉本隆明を買って読んだ記憶がある。「言語にとって美とは何か」と「共同幻想論」も買ったが、ほとんど歯が立たなかった。太宰治についての講演記録や、今西錦司との対談本「ダーウィンを超えて」なども買って読んだ。ただしそんなに感銘は受けなかったし、すごいという印象もなかった。ただその書物から伝わってくる人間性に好感を持った。好感を持ったというより、この人は信頼できるという漠然とした印象を持った。それが高校の時の出会いだ。

大学に入ってからは、ドストエフスキー新約聖書を経由して一気に神秘主義やオカルトの方向に走ってしまったため、吉本思想との接点はなくなった。しかし外側から傍観している目に、九十年代は吉本にとって迷走の時代だったという印象があった。オウム事件の後に教祖の麻原を評価するような発言をして世間から猛反発を食らったが、リアルタイムではそのこともほとんど知らなかった。

311の後も反原発に異論を唱え、その直後に亡くなった。没後すぐに姜尚中から「思想的な命運は尽きていた」と批判された。吉本の死後十年が過ぎたが、一部の信奉者に近い人々を除いて、彼の思想をまもとも評価しようという動きはほとんどなかった。

だが、吉本が2008年に「消費産業の担い手である通信・情報担当の科学技術と、その空間、時間の均質化」によってもたらされた「唯物機能主義の末路」と呼んだ事態について、どんな〈社会全体の総体的なビジョン〉を持ちうるのか、今の世界における〈大衆の原像〉とは何なのか、敢えて今、吉本隆明に尋ねてみたい気がする。