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「室戸岬へ」3

もう一度問うてみる。西村賢太にとって田中英光とは何だったのか。

中学生のころからマニアックな探偵小説を読み耽り、いずれ小説家になりたいとの思いをふとこっていた少年が、田中英光の小説と出会って、異常な衝撃を受け、「ぼくの人生観は変わった」とまで言わしめたものは何だったのか。

それはごく単純に言えば、「ここまで自分をさらけ出してよいのか」という衝撃と、「マイナスはプラスに転じうる」という啓示だったのではないか。

自分が背負い込んできた負の要素、父親の性犯罪、中卒、破滅的な性格などのコンプレックスは、むしろ私小説を書く上では武器になるのだということの発見。

田中英光によって開眼され、それまで忌避していた「純文学」の中の一ジャンルである私小説の世界に分け入っていくにつれて、西村は「自分にも私小説を書ける」との確信を持ったに違いない。

試行錯誤を重ね、ようやく人前に出せるレベルになったとの判断で、満を持してこの「室戸岬へ」を発表したのではないか。確かにそう思うだけの理由のある、すぐれた作品である。

この小説は、ほぼ書き手のリアルタイムの心情を描いたものだ。

(このような書き方は、小説家になってからは、「落ちぶれて袖に涙のふりかかる」まで、西村賢太の中で封印されることになる。)

この書き方だと自然そうなるのか、<ぼく>が感傷的になる場面がけっこう出てくる。

心の師である田中英光の執筆の跡を辿りながら、自分の来し方行く末のことをぼんやり考え、江戸川乱歩風に言えば「群衆の中のロビンソン・クルーソー」のような無闇に物悲しい気分にとらえられる。電車の中でつい涙をこぼしたりもする。

そうした寂しさを紛らすかのように、必死に田中英光の行動の形跡を辿り、小説に出てくるホテルの部屋を特定しようとする。だが戦前からのホテルの面影は残っておらず、当時を知る関係者を探して話を聞くも、何の成果もない。

途中で立ち寄った店で、店の女主人から、どこから来たのか、なんの仕事をしているのかと再び尋ねられる。旅行?と聞かれ、まあそんなものです、と答えた後で、苦い思いが混ざる。

遊びに来たつもりは毛頭ない、自分の中では重大事を成し遂げるために来たので、遊びではない。しかし自分の姿を客観的に見た場合、しょせん、閑人がいい気な悲壮感にひたりながら旅行をしているに過ぎぬのではないかーー

自業自得と云え、こんなにして肝心な所も含めてどんどん世間を狭くしていったらどうなるだろうか、とぼんやり考える。うるさい自意識をどこかに置きっ放しにしない限り、どんどん妙なところに追いつめられてしまう一方になるのではないか。

この小説の中には、父親の性犯罪の話や、中卒で家を飛び出し日雇いで食いつないできた話は出てこない。田中英光研究に生き甲斐を見出しつつ、神田で先行きの危うい古書店でなんとか生計を維持している三十前の男の自問自答の姿が描かれるだけだ。

それでも、この男の背負っている重い過去のようなものは行間から伝わってくる。とはいえ決して暗く湿った印象を与えないのは、自分を突き放した「客観に徹した境地」から書かれているからだ。

生活と芸術の間で立ちすくむ<ぼく>は、日本の私小説の伝統に正しく連なっている。私小説作家たちの抱えてきた「妻子眷属でも満たされることのない孤独の魂」が確かにここには表現されている。

この小説全体が、のちの西村賢太作品にはみられない抒情性を湛えていて、特に最後の場面などにそれは顕著だ。余韻を残す、とてもいい終わり方である。美しい、といってもいい。

だが抒情性とは、言葉を変えていえば<甘さ>でもある。これを書いた二年後に、四面楚歌の状況の中で藤澤清造に出会い、「没後弟子」を名乗り、捨て身になって以後の、読み手を圧倒する<凄み>といったものは、まだここにはない。あの西村文学の唯一無二の凄みは、「どうで死ぬ身の一踊り」と開き直って自分を捨てきったところからしか生まれないものだ。