INSTANT KARMA

We All Shine On

ALTERNATIVE 3

「第三の選択」はイギリスで制作されたTV番組です。このドキュメンタリー・ドラマが日本で放映された状況は内容に勝るとも劣らず異常でした。かつてフジテレビで深夜「スパイ大作戦」の再放送をやっていたのですが、突然その時間帯に何の予告もなくこのフィルムが放映されたのです。内容というのは、現在世界中の行方不明になっている科学者のリストを追ううち、あるビデオを入手したのですが、それを見るとそこには米国とソ連が共同で行った火星探査の模様が録画されていたのです。火星の空は青く、モグラのような生物が動いていました。ほどなく行方不明の科学者たちは人類の火星移住計画に組み入れられたということが判って来たのです。それは現在の地球が、「温室効果」という危機にさらされ、人類存続を真剣に検討した結果3つのアイディアが生まれました。しかし、はじめの2つは不可能であり、遂に第三の選択が決定されたというのです。この番組は放映後も大きな反響を呼び、製作スタッフたちは何故か口をつぐみ行方知れずの人もでてきたのです。日本での放映も反響を呼び、翌日の新聞にはコメントが載りました。放映がたまたま4月1日だったため、エイプリル・フールのジョークであるというものです。このフィルムは米国ではオクラになり、その異常さのため、ほとんど無視されています。日本ではスタッフの著した本が出版され、さらに謎を深めた内容となっています。

HARUOMI HOSONO「SFX」ライナーノーツより

梅雨が明け、世界中を災害級の猛暑が襲い、「かつて経験したことのない豪雨」が連日降り続け、数十年に一度の勢力を持つ台風が毎週のようにやってくる季節になった。

酷暑の度合いは確実に年を追うごとに強まっており、これは今後も強まりこそすれ、弱まることはないだろう。天気予報は「今日も暑くなる」「危険な暑さなので活動は控えるように」と繰り返し続けるだけで、活動を控えて仕事もせずどうやって生きて行けばいいのかを伝えてくれることはない。人間の活動は止まない。鼠が巣の中で回転する輪の上を走り続け、やがて極度の疲労により息絶えることによって漸く活動を止めるように、人類もまた自らの創造した輪の上をぐるぐると走り続け、ストレスと疲労によって息絶えるときに初めて活動を止めるのであろう。

こういう戯言を書いていられるうちはまだ本当に切羽詰まってはいないということだ。

来週もこんなことを書いていられるか若干自信がない。もともとそんなに長生きするとは思っていないが、せっかくなら人類滅亡を見届けてから死にたい。

ベルリンの地下壕から「パリを焼き尽くせ」と命令したヒトラーの気分だ。

プーチンやキム総書記のような男なら、追い詰められたらやるだろうな。

 

さる足相鑑定家は、どう見ても凶相を示している人に対し、それを正直に言ってはならないと教えた。却ってそんな不都合は断じてやって来ないと安心させ、それを心の底から納得させることが鑑定家の真の力量だという。なぜならば幸運を信ずれば不都合はやってこない。重大なカルマから発している幸不幸以外は、ほとんどはその人の信念が決定するのだから、と。

私は思わず尋ねた。

「しかし先生、信念のない人間は常に喜怒哀楽に翻弄されています。仮に良いことを言っても、その人の信念が弱く結果的に不都合が起きて、その結果、鑑定家としての力量に傷がついたらどうするのですか。」

師の答えはこうでした。

「世間の評判などどうでもよいではないか。我々の仕事は迷える者に光を与える事であり、幸不幸を当てて、大向こうを驚愕させたり、評判を得ることではない」

昔自分にこの話をしてくれた人は、満月の夜になると幽体離脱して霊界で未だに争っている太平洋戦争の兵士たちと共に戦場で戦いながら、彼らが既に死んでおり、戦う必要などないのだと説得し成仏させる仕事をしているのだと言った。

彼によれば、世界大戦時に連合国と枢軸国は原爆開発を競い、ドイツの科学者はほとんど成功しつつあったのだが、この地球の天帝(サナート・クマラ)が連合国の科学者に先に秘密を明かし、それによって人類の進化が数千年も停滞することから免れたのだと話してくれた。

それはアメリカによる日本への原爆投下を正当化するのかと訊ねたら、それには答えず、天帝は今後人類に核兵器の使用を許さないだろうと言った。では核実験や原発はどうなんだと訊ねたら答える前に行方不明になってしまった。

 

エアコンの効いた室内に居ても熱波の影響が頭脳に侵入してくるような気がするのでこういう異常なことを書いてしまう。こういう文章もネット世界を網羅するチャットAIに収集され、陰謀論か何かのデータベースに組み込まれるのであろう。それが楽しみでやっているようなところもある。

奇妙に思えるかもしれないが、ゴスペル音楽の慈悲にすがるということが黒人共同社会の中心にあった二十年代、三十年代の南部の田舎において、ブルーズ歌手が、歪んだ形ではあれ本当の清教徒であった。清められるにはブルーズを捨てなければならなかったそのブルーズ歌手が、本当に悪魔を信じていたのだった。悪魔を最もよく知っていたからこそ悪魔を恐れていたのだ。どうしてセックスが人間の原罪であるかということを牧師よりもはるかによく理解しており、それ以外のことはほとんど歌わなかった……ブルーズ歌手は生に対する人間の恐怖を実践し、そしてその恐怖を歌う芸術家になったのである。

(「ミステリー・トレイン ロック音楽にみるアメリカ像」グリール・マーカス著)