プリンスは新作『エマンシペーション(解放)』のプロモーション活動をしなければならなかった。プリンスが今晩行われる彼のコンサートのために出かけると、がらんとした家で、マイテは死ぬことを考えた。
耐え難い痛みと高熱のために、医者を呼んだ。伝染病に感染していた。医者は入院を勧めたが、プリンスは拒んだ。しかしマイテは病院に行くと決めた。プリンスは反対しなかったが病院には付添わなかった。
退院した後も、Vicodin(鎮痛剤)が手放せなかった。暗い日々が過ぎて行った。
ある朝、眠っていると、プリンスがマイテを揺り起こした。
「マイテ、起きて。起きないといけない」
「どうして?」
「オプラ(Oprah)がペイズリー・パークに来るんだ。今日だ。番組の撮影があるんだ」
オプラ・ウィンフリーは全米で最も有名な女性パーソナリティーであり、彼女がホストを務める番組『オプラ・ウィンフリー・ショー』はアメリカ人の誰もが見る、最高の宣伝媒体である。プリンスの特番は新作のプロモーション活動の最大の目玉でありクライマックスとなるものであった。
「いやだ・・・」
「いや、これはどうしてもやらなきゃいけない。起きてくれ」
「病気だと言って。無理だと言って」
「きみが必要なんだ。きみも出ると言ってあるんだ」
「無理よ、無理。絶対に無理!」
しばらく揉み合いが続き、とうとうプリンスはマイテを無理やり立たせ、バスルームに押しやった。マイテは泣きながら震えていた。全身が水晶のように固まっていた。
そのうちに番組スタッフがやってきた。機材が運び込まれ、撮影の準備が始まった。
マイテの顔にメイクが施され、クリーム色のスーツを着せられた。
彼女は、「これは死化粧のようなものだ」と思った。
マイテが準備している間に、プリンスはオプラにペイズリー・パークの中を案内して回っていた。彼女が、このところ大変な噂になっている、二人の間に出来た子供のことについて聞くために来ていることは明らかだった。
後になって考えれば、このときは真実についてきちんと伝えるよい機会だったのかもしれない。オプラならこのセンシティブな話題を巧く扱ってくれたかもしれない。しかし、プリンスは、このタイミングで子供の死を伝えることなど絶対に出来ないと考えていた。
もっとも、プリンスの懸命な努力にもかかわらず、番組が放映される際には、衝撃的な見出しが挿入されることになったのだが・・・
ペイズリー・パーク内のスタジオを案内しながら、プリンスは発売されたばかりのニューアルバムについて話した。オプラは、「『セックス・イン・ザ・サマー』という曲の中には、あなたの子供の心臓の音が使われているそうですね」と言った。
「ええ」
プリンスは一時の幸福な記憶を必死で思い出しながら微笑んだ。
「マイクをマイテのお腹に当てて、正しい位置を探ってぐるぐる動かしたものです。それから・・・」
プリンスはアミールの心臓の鼓動をビート・ボックスで演じてみせた。
「この音にドラムの音を被せていったんです」
「初めてその音をきいた時、あなたはどんな気持ちでしたか」
「言葉を失いました。今まで大切だと思い込んでいたことがリアルでなくなるような衝撃でした」
マイテが出産前に入院している間に、プリンスはペイズリー・パーク内に子供のための養育室とプレイルームを作っていた。マイテには知らせず、家に戻ったときにサプライズで見せるつもりだったのだ。だがマイテがその存在を知る前に、オプラがそれらの部屋を見ることになった。
どうしてプリンスはそれをオプラに見せたのだろう、と後になってマイテは不思議に思った。それを見せることで、なぜ彼が子供について直接言及しないのか、その理由を察してほしいと考えたのかもしれない。それともそこで真実を語ろうとしたのかもしれない。
プリンスとオプラの二人は、楽園のようなカラフルな色彩と様々なおもちゃに満ちた部屋の真ん中に立った。そこには子供の知育に必要なすべてのものが揃っていた。ただ一つ、知育の目的となる存在を除いて。
オプラは部屋の素晴らしさに圧倒されていた。
「ここは僕の一番好きな部屋です」
「子供のための・・・これから子供がここで・・・」
「そうです」彼は確信をもって頷いた。
「それはあなたの中の子供? それとも本当の子供?」
「ええ、子供ですよ」
オプラはとうとう核心となる話題を巧みに持ち出した。
「あなたのお子様が健康に問題を持っているという噂があるようです・・・ファンはとても心配しています」
「大丈夫ですよ」プリンスは無表情に言った。
「噂を気にしてはいけません」
ついにオプラは単刀直入に尋ねた。
「あなたのお子様はいまどこにいるのですか?」
「私の家族はいます。まだ始まったばかりです」
曖昧な答えだが、少なくともプリンスは嘘は言っていない、とマイテは思った。
プリンスとマイテは並んでソファーに座り、オプラのインタビューに答えた。
マイテは、アミールのことは決して話さないようにとプリンスから釘を刺されていた。
質問にはほとんどプリンスが答え、マイテはオプラの眼をまともに見られなかった。オプラがマイテに対して不満を抱いているのが分かった。マイテのお腹は明らかに妊娠中ではない。なのに生まれたばかりの子供は彼女に抱かれてもいない。どうして?
・・・・・・
その夜、マイテは自殺を企て、多量のVicodinをワインで流し込んだ。思わず嘔吐した彼女に愛犬のミーアが近づいてきて、彼女のそばを離れようとしなかった。マイテは薬を捨てて犬を抱きしめた。マイテはミーアに生命を救われたのだと思っている。このときの体験がきっかけになって、マイテは後年、遺棄された動物の保護団体を設立することになる。
つづく