日本映画専門チャンネルで「吉永小百合が選ぶ日本映画特集」ということで、成瀬巳喜男監督の『浮雲』を放映していたのを見た。
映画自体は暗い話だが、高峰秀子の輝きに惹きつけられて最後まで見た。
主演男優の森雅之は、いかにも私小説文学の主役が似合いそうな役者だと思って見ていたが、文学者有島武郎の息子だという。
ドラマチックといえばそうだし、平凡な話といえばそうもいえる、それでも何だか見る者を捉えてしまうのは、映像そのものに力があることと、やはり深刻な重さを抱えた終戦後の日本という時代を背景に背負っているからに違いない。
今の日本社会を舞台にすれば、同様の話はもっと軽々しくなってしまうだろう。大状況との関わりではなく、ミニマルな(たとえば)家庭環境の話に収束せざるを得まい。
そして個々の俳優の持つ演技の重みと輝きもまた、彼らが無意識に背負っていた時代状況というものを抜きにしては考えられないだろう。
映画が放映された後で、吉永小百合が最も憧れる女優として高峰秀子について語っていた。
もちろん高峰秀子と吉永小百合は、同じ「女優」という言葉でカテゴライズするのが不自然なほどに異なった存在ではあるが、今の若い女優から見れば吉永小百合が彼女にとっての高峰秀子に相当する位置にあるのだろう。
映画の最後は「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」という言葉が表示されて締めくくられる。自分はそれを見て、なんとなく「昭和は遠くなりにけり」という言葉を思い出した。