INSTANT KARMA

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53歳の夏休み

スピリチュアル系のオタク話なので興味のない方はスルーして下さい。

 

統一教会のような例はやや特殊だが、一般に政治と宗教の関係は深い。票田として選挙のために必要という実際的理由は別として、政治家自身が宗教家の「オカルト・パワー」を当てにするという例もけっこうある。そのこと自体別にいいとも悪いとも思わない。政治の世界のような権謀術数渦巻く鉄火場のような場所では神頼みしたくなるときもあるだろうし、占いだろうがオカルトだろうが使えるものは何でも使いたくなるというのが権力者の性であろう。亡くなった安倍首相の夫人がどっぷりスピ系に浸かっている(例の長崎の超能力喫茶「あんでるせん」にも訪れている)のは有名だし、安倍首相自身も何かの宗教の加護を熱心に求めていたという話もある。他には夫婦そろってオカルト好きで知られるあの鳩山由紀夫元首相だけでなく、小沢一郎細川政権の誕生前に体調を崩したとき芹沢光治良を通じて霊能者によるオカルト治療を行っていたことが芹沢光治良の小説に書かれている。

ヒトラーがオカルト狂いだったのは近年誰でも知る話になっているが、無神論国家ソビエト・ロシアの巨魁スターリンも「超能力者」たちと関わりを持っていた。

ポーランド生まれの催眠術師ウルフ・メッシング(1899-1974)は「ヒトラーは東に向かうと死が待っている(ロシア侵攻は失敗する)」と予言したためナチスに捕えられ投獄されたが催眠術を使って脱走し、ロシアに渡って厳重なクレムリンの警備を催眠術で通過してスターリンと面会した。スターリンはメッシングの能力に興味を持ち、白紙の紙切れを渡して、これを使って銀行で大金を下ろしてくるよう命じた。メッシングは銀行の窓口の職員に催眠術を使ってただの紙切れを小切手だと信じ込ませ、スターリンの望んだ金を引き出してきた。メッシングは若い頃にフロイトアインシュタインに会い、二人を感心させたと語っている。インドで少年だった頃のサイババを見て、その家の玄関に「神性の化身である少年を自宅に留め、その少年に仕える機会を持つ人々は極めて幸運である。私は彼の姿を見る光栄に預かっただけの幸運しかもっていなかった」と書置きしてロシアに帰ったこともあった。メッシングは戦後はロシアでひっそりと暮らし、1974年に股関節の手術をした後、腎臓病が悪化して死亡した。彼の遺体はモスクワ郊外のユダヤ人墓地に埋葬された。

1961年、モスクワでインタビューに答えたメッシングは、自身の”催眠術”についてこう語っている。

それは読心術ではなく、一種の「筋肉の動きを読む術」なのです…人はあることについて集中して考えるとき、脳細胞が肉体のすべての筋肉に衝動を伝達します。その動きは目には見えないものですが、私はそれを容易に感知することができます。…私はしばしば被験者と直接的な接触なしに精神的感応を行うことができます。その際に私の合図となるのは被験者の呼吸数、脈拍、声の震え、歩き方の特徴などです。

ロシアには〈超能力者〉の出現に事欠かない伝統のようなものがあって、帝政ロシア末期の怪僧ラスプーチンが有名だが、ラスプーチンなど問題にならないスケールの謎の人物に「神智学協会」の創始者H.P.ブラヴァツキー夫人(1831-1891)がいるし、20世紀にはグルジェフ(1866-1949)という1960年代のヒッピー運動にも大きな影響を与えた魔術師のような人物がいた。グルジェフが後世に有名になったのは主に一時期彼の弟子だった作家ウスペンスキーグルジェフの精神修練法を「奇跡を求めて」という書物にまとめ、出版したことによる。グルジェフ自身の書いた「ベルゼバブの孫による物語」というとんでもない大著はほとんど意味不明であり、真面目に読むのは彼の信者だけだろう。

また日本ではあまり知られていないがニコライとヘレナのレーリッヒ夫妻というのがいて、ロシア革命が起こった後にソ連政府に「ヒマラヤの賢者たち」からの外交文書を送るなどしている。この「ヒマラヤの賢者たち」はかつてブラバツキーが接触し、「シークレット・ドクトリン」という大著を書くようブラバツキーを指導した存在と同一であるとレーリッヒは主張した。ニコライ・レーリッヒは探検家であるが画家として有名で、ソ連の宇宙飛行士ガガーリンの有名な「地球は青かった」というセリフは、レーリッヒの絵画で使われ「レーリッヒ・ブルー」と呼ばれていた色のことを言ったものである。またレーリッヒ夫妻は第二次世界大戦当時はアメリカで活動しており、ルーズベルトを説得して「レーリッヒ条約」なる戦時の文化財保護のための法律を作り、これがあったために日本の京都や奈良は空襲を免れたという話もある。

レーリッヒがモスクワの革命政府に渡した「ヒマラヤの賢者たちからの手紙」は歴史的な文書としてソビエトの革命博物館にも保存されていた(今は知らない)。

その内容は以下の通り。

1925年の手紙

ヒマラヤで我々は諸君が成し遂げたことを知っている。諸君は虚偽と迷信の温床であった教会を廃止した。偏見の器であったブルジョワジーを殲滅した。教育という監獄を廃棄した。偽善的な家族制度を絶滅させた。奴隷の軍隊を焼き滅ぼした。貪欲の蜘蛛たちを粉砕した。夜の獲物たちの門を閉ざした。金貸し連中から地上を解放した。諸君は宗教とは全体を網羅する教えであることを認識した。個人所有の不毛さを悟った。共産主義の進化について正しく推測した。洞察の重要性を指摘した。諸君は美に敬意を払った。子どもたちに宇宙のすべての力をもたらした。宮殿の窓を開け放った。諸君は共通の善のための家を建設する緊急の必要性を認識した!
 我々はインドでの蜂起を時期尚早なものとして制止した。我々は諸君の運動が成熟したものと認め、あらゆる支援を送り、アジアの統一を確認した!我々は来るべき28-31-36の年に多くの建設が成し遂げられることを知っている。共通善を求める諸君に挨拶を送る!

人民委員会G.V.チチェーリンに宛てた手紙も残されている。

共産主義に対する深い洞察のみが国家に完全な繁栄を与えるだろう。労働者階級の中には共産主義の思想を内在化することができない者たちがいることを我々は知っている。新しい環境が必要であり、それは彼らを真の共産主義という畝間へともたらすだろう。そのような普遍的環境を通して、仏教的意識と共に共産主義が受容されるだろう。ソビエト連邦が仏教を共産主義の教えとして認めるならば、我々の共同体は積極的な支援をすることができ、世界中の何億もの仏教徒たちが我々の信託する使者アクドルジェ(註:ニコライ・レーリッヒのこと)の必要にして予想外の力を認め、我々の提案の詳細を伝えるだろう。世界規模の共産主義を進化の目前の段階として遅滞なく導入するための手段が取られなければならないと我々は確言する。我々は偉大なる魂である兄弟レーニンの墓前に土を送る。
我々の助言と挨拶を受け入れよ。

これを受け取ったチチェーリンが共産党幹部モロトフに書いた手紙からは、イギリスの工作ではないかと疑っていたことが窺える。

「同志モロトフへのチチェーリンの手紙、1926年6月13日」

尊敬すべき同志であり、仏教の偉大な専門家である芸術家レーリッヒが、チベットと中国トルキスタンを旅行して、モスクワに到着した。彼は北部インドも探検している。そこには公式のラマ教を拒絶し、原始共産主義に通じる教義を持つ仏教徒の集団がいる。彼らは共産主義計画とソビエト連邦に共感を寄せている。この環境は、ラマ教を支援する仏教国の公的な指導者たちに対する闘争と結びついている。
 これらの仏教徒の集団は、仏陀の出身地の土の入った小さな箱をウラジミール・イリイッチの墓に捧げるためレーリッヒに託した。彼はそれをレーニン研究所に届けることを示唆している。さらにこれらの仏教徒ソビエト国家に対する挨拶の手紙を送った。その中で彼らは仏教と共産主義の統一という思想を提唱している。この二つの手紙の翻訳を同封する。我々の観点からこれらの手紙を公開することが許されるならば、これらの地における英国当局の極度に専制的な手法を考慮すれば、これが陰謀的な観点から可能かどうかをレーリッヒにさらに明らかにさせなければならない。
同志の挨拶と共に、チチェーリン

 

隅田川乱一『穴があいちゃったりして』の中にもこれらの神秘家たちの紹介記事があるが、まったく不十分な内容であると言わざるを得ない。隅田川は本名の美沢真之助名義でイドリス・シャー『スーフィーの物語』(平河出版)の翻訳を出版しており、この分野の造詣が深かったことは明らかであるだけにこういう中途半端な紹介に終わったのは残念である(イドリス・シャーは「グルジェフの師たち」という著書を書いたことでも知られるが、その真偽は疑わしい)。

隅田川がオカルト思想の常連であるルドルフ・シュタイナーやアレスター・クロウリーについて頁を多く割き過ぎているのも個人的に気に入らない。シュタイナーには有名なシュタイナー教育をはじめとして強固な信奉者たちがおり、紹介は彼らに任せておけばよい。クロウリーはいわゆる「黒魔術の達人(アデプト)」として西洋のミュージシャン(代表的なのがレッド・ツェッペリンジミー・ペイジ)などに持て囃されているが、この人物はアデプトでもなんでもなく、当時の「お騒がせセレブ」的存在に過ぎず、まともに取り上げるに値しない。

ミュージシャンといえば、キング・クリムゾンのロバート・フィリップはグルジェフに入れ込んでいることで有名であり、ボブ・ディランも一時期グルジェフにハマっていた。ビートルズはTM瞑想のマハリシ・マヘシ・ヨギの弟子になったことで有名だが、ジョン・レノンサイババにも会っており、「インドのグル達はインド人にとって西洋にとってのポップ・スターのような存在だ」との言葉を残している(訂正:この発言はオノ・ヨーコのものでした)。

自分は二十代の貴重な十年をこういう書物を読み漁ることで浪費したので、若い世代に今の自分のような虚しさを感じさせないために、こういう知識が下手に広まらないのはよいことだと思っている(今流行のQアノンとかいうたぐいの陰謀論が蔓延するのがよいことだとは決して思わないが)。