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ジャニー喜多川問題でテレビ局が反省してるなら「能年玲奈」を出せ

bunkaonline.jp

もうこれに尽きる。

これがない限り「テレビ局が〈反省〉した」などとは毫も認めない。

頼むよ。

 

ところで、毎朝「あまちゃん」を見るついでに、今の朝ドラ「らんまん」も見てしまっている(ところで近年のドラマで「らんまん」とか「いだてん」とかひらがなタイトルが多用されているのは日本人の退行現象の一つの表れなのか?)。

浜辺美波の顔が、デビューオーディションの14歳の時よりも幼くなっていて(これも退行現象?)、その顔で子だくさんの母親役をやっているというシュールな設定に惹かれている。

このときの顔が一番好き。

自分はロリコン微塵もなく30代以上の異性にしか魅力を感じないのだが、この顔には年齢を超越した美しさがある。

自分の好きな桜井幸子の面影を感じさせるのもいい。

桜井幸子といえばドラマ「高校教師」。ドラマ「高校教師」といえば森田童子

森田童子といえば、高野慎三のこの文章を思い出す。

 

1967年から71年までマンガ雑誌『ガロ』の編集長を務め、つげ義春を担当していた縁で、辞めてからもつげの取次役のようなことをやっていた高野慎三のところに、ある日森田童子の関係者から突然の電話がある。用件は、「つげ義春さんの作品を使用したいのですが」との問い合わせだった。

つげに連絡を取ると即時に承諾。「使用料は考えないで」との言葉も伝えた。また別の日に「作品のタイトルをコンサート名にしてもいいですか?」と問われ、これもつげから了解を得る。

森田は自分のコンサートを「森田童子コンサート・夜行1」とか「大場電気鍍金工業所コンサート」と名付けて行った。

高野自身は森田の音楽を知らず、70年代フォークにも関心がなかった。この出来事があっても、森田の音楽を聴こうとは思わなかった

すると、コンサートの後で「これから森田とお邪魔します」と、また電話があった。1時間ほどして、杉板づくりの大きなリンゴ箱を肩に担いだ男性が、高野が営む小さな文具店のガラス戸を開けた。

「森田がいろいろお世話になりました」と言うと、表通りの歩道をふり返った。帽子を深くかぶったサングラス姿の彼女が深々とお辞儀をした。あわてて高野も返す。パートナーと思われる男性は「これからつげさんにもお届けします」と急いで車に戻った。森田童子と接したのはこのときが最初であり、最後だったという。

森田は、つげ義春だけではなく、下町葛飾の労働者たちの60年安保闘争を描いたつげ忠男のマンガ集『懐かしのメロディ』に寄せ「絶望と孤独の風景」と綴り、つげ忠男への限りない愛惜を表明していた。